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5章 イズナバール迷宮編
259話 章末 過去ありて今
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…………パチ……パチン!
「やれやれ、すっかり逞しくなられて……」
焚き火の側でスヤスヤと寝息を立てるエルを、デイジーたち護衛の5人は複雑な気持ちで見つめる。
イズナバール迷宮に行くまでは、ふかふかの敷き布と枕を用意してなおなかなか寝付く事の無かったエルが、今や地面に薄いシーツを敷いただけ、枕も使わずに横になる姿は逞しさを通り越して、自分たちは何か間違ったのではないかと思い悩む。
特にイレーネなどは、若干うつ伏せ気味の姿勢から片耳を地面につけ、何かあった時すぐに起き上がれるように両手を地面につけて眠るエルの姿に、皇族に一体何を教えこんだ! と、一人の男の顔を思い浮かべ頭の中で罵る。
「帝都に戻ってお叱りを受けねば良いが……」
「そうなったらアタシ等もタダじゃすまないよ、お役御免程度で済めばいいけど……」
「──むしろお褒めの言葉を賜るやも知れんぞ?」
「──────!!」
バッ!!
突如暗闇から届いた声にデイジー達は即座に反応し、エルを取り囲むようにして次に備える。
「ほう、少しは学習したようだな、それに今回は2人ほど接近に気付いていたようだ」
「お前か……リトルフィンガーを離れてまで何の用だ?」
暗闇から現れた密偵は、今回は鬼面を被っておらず素顔を晒している。
デイジーの言葉に密偵は首を傾げるが、すぐに合点がいったとばかりに眉を上げ、
「勘違いだな、私の役目は現地の繋ぎではなくお前達の監視なのでな」
その言葉を聞いた5人は、驚くと同時に全身にじっとりと嫌な汗をかく。
彼女達が目の前の女の存在を知ったのはリトルフィンガーの宿が初めて、しかも向こうから姿を現して初めて認識できた。
仮に彼女が敵だったとすれば、彼女たち5人はもとよりエルまでその手にかかっていた事だろう、そう考えるだけで彼女たちは汗と震えが止まらなくなる。
「そこまで自分を責める必要も無かろう、もしも私が貴様等を害そうとすれば流石に気配は漏れていただろうからな」
「気休めはいい……それより何の用だ?」
「なに、貴様らが不安を口にしていたのでな、安心させてやろうとの親切心だよ」
本気とも冗談ともつかない口調でそう答える密偵に、デイジーは緊張を緩めない。
他のメンバーの反応も様々だ。
ドロテアとカレンは警戒を解いている。ドロテアにいたっては彼女の姿を視界に捉えた時点で既に脱力をしていたが。
しかしイレーネとサビーナは未だに警戒も緊張も解こうとしない、女の言葉が到底信じられないという風だ。
そんな2人の態度を訝しく思いながら、デイジーは密偵に向かって話しかける。
「アンタの口からそう聞かされて、ハイそうですかと納得など出来ん」
「確かにな……なら少しだけ、語れる範囲で話しておこう。そこの3人は少しは理解していると思うが、あの男と帝国の関係は今のところ少々よろしく無い、むしろこちらが一方的に負い目のある立場でな」
「「はあ?」」
デイジーとドロテアの声が綺麗にハモった。
密偵が語れる範囲でシンのことを話すとデイジーは、以前にシンから聞いた身の上話と重ね合わせ、家族を失った原因が帝国にあると結論付けた。
ドロテアとデイジーは表情を曇らせながらウンウンと頷いていたが、イレーネとサビーナは見る間に顔色が悪くなり、押せば倒れそうなくらいにフラフラと心許なかった。
「そこの2人、心配しなくてもお前達の懸念通りにはならんよ。あの男はその事で帝国に牙を向こうなどとは思わんさ、でなければソレを守ったりするものか」
疲れて熟睡するエルを指差す密偵に抗議しようとするデイジーは、その言葉で一際大きな安堵のため息をつく2人に毒気を抜かれ、タイミングを失う。
「なのでな、もしかしたらあの男との関係を劇的に改善する事も可能かもしれん。帝都に戻ったら離宮に足を運ぶが良かろう」
「離宮にだと!? しかしあそこは──」
「ああ──先帝様には私の方から連絡しておくから心配するな、皇孫女様が槍聖の昔話を聞きたがっていると伝えておくよ」
「──────!! お前、まさか?」
「……まあ、奇縁と言うヤツなのだろうな。それでは任せたぞ、帝国の為に立派に務めを果せ」
「おい、待──」
デイジーが引き止めようとその身を乗り出すが、その頃には既に密偵の姿は闇に紛れ、認識する事は出来なくなった。
残された5人は、
「……どうするデイジー」
「どうもこうも無い、そもそもあの男の話がどこまで本当かすら疑わしいんだぞ?」
スッ──
「だとしてもデイジー、どのみち先代の皇帝陛下には御目通りを願う事にはなるわよ」
デイジーの肩にカレンの手が添えられると、カレンの指差す先、エルの口から、
「ムニャムニャ、シンさん……」
「エルディアナ様……」
デイジーはがっくりと肩を落とすと、帝都に戻った後の事──各所への報告に加え、離宮にて先帝に拝謁、もしかすれば直接事情を聞かれる可能性、それによる実家の反応、その全てがデイジーの肩に重石のように圧し掛かる。
この瞬間だけデイジーは、足元で健やかに寝息を立てる主君に文句の一つも言いたくなった──。
──────────────
──────────────
人の一生は、両手に抱えたお椀の中に色々な物を入れてゆく作業の連続だという。
生まれた時から持っているもの、人生の途中で手に入れたもの、お椀の中にいつの間にか入っているもの、それらをこぼさない様に歩くのが人生なのだとか。
幼い頃は心のままに走っても少ない中身がこぼれる事は無く、しかし大人になるにつれ人はお椀の中身を溢さないよう慎重になり、いつの間にかその歩みは遅くなる。
人生の中でそのお椀は何度も壊れるが、人はその度に過去の実績に相応しき新しいお椀を用意され、こぼれたそれらを入れなおす。
キラキラと輝く富、耳に嬉しき名声、確かに感じる努力の跡、勝手にお椀に入っている業と言う名の柵。
そんな中、あえて捜し求めねば見付からないものも中にあり。
友情、愛情、絆と呼ばれし目に見えぬもの、掲げなければ姿を現さぬ目標──それは心、想いと言う名の宝物。
容易く見失うそれは誰もが産まれた時より持つがゆえに誰も気付かない、失って初めて価値の分かるかけがえのない宝。
失った事に気づかぬ者は歯止めが効かなくなり、気づいた者はそれを補うために貪欲に全てを求め、そしてどちらも走り続ける──やがて、破滅に至るまで。
ゴッ──!!
「痛ってええ!! 人がたそがれてる時に何しやがる!?」
「なにが黄昏じゃ、18のガキの分際で」
デッキチェアに寝そべるシンの頭頂部を槍の石突で小突いたヴァルナは、抗議の声を無視して続けざまに槍を振るう。
ガシャン──!
急いで飛び退いたシンは粉々になった家具に哀悼の意を示すと、異空間バッグから炭化タングステンの棒を取り出し腰だめに構える。
「ムチャすんじゃねえよ、この──」
「ババア」──その言葉を口に出そうとして一瞬口ごもるシンは、そのスキをつかれて二の腕を浅く切られる。
「くうっ!」
「あん、何か言いたそうじゃのう? なんじゃ、続きを言ってみい、ホレ」
「クッソ……」
キィン──ガカカカカカッ!!
三叉槍と金属棒の打ち合う音が響く中、リオンが首を傾げながら隣に立っているイグニスに聞いてくる。
「シンは何を言い澱んだのですか? まあ予想はつくのですが……」
「その予想は間違っておらぬ、シンはその言葉でヴァルナを罵る事だけは出来ぬでな」
禁句なのだろうか? その言葉を発したが最後、怒り狂ったヴァルナによって地獄を見せられるといったところだろう。
そんな予想を浮かべるリオンに向かってイグニスは続ける。
「──大切な姉に向かってババアとは呼べまいよ」
「…………は?」
「ヴァルナのあの姿はの、シンの亡き姉を模しておるのよ……」
「…………………………」
女神にシンの保護を頼まれた時、魔物の死体に囲まれた血塗れの少年を見つけたイグニスは、能面のように無表情でありながらギラついた目で次々と魔物を屠る、獣のようなシンを保護するのに難渋したと言う。
やがてヴァルナが遅れてやってくると、その姿を見たシンは最初姉が生きていたと喜び、そしてそんなはずが無いと泣き、次に姉の姿を騙ったヴァルナに怒り、最後に姉の死を受け入れて悲しみの表情を浮かべた。
ヴァルナが姉の姿をしていたのは、過去にシンとネーナが一緒にいる姿をたまたま見かけており、落ち着かせるのに一役買うのではという程度だったが、結果としてシンは壊れかけの感情を取り戻す事ができたという。
しかしその後シンは、姉の姿をするヴァルナの、姉とは似ても似つかぬ言動行動に振り回され、師弟関係にありながらあのような態度なのだとか。
「何があろうともその言葉を吐かぬものだから、調子に乗ったヴァルナも人型をとる時は絶対にアレでのう……」
「はあ……まあ、楽しそうですからあれでいいのでしょうね」
「ウム──これヴァルナ、今日はおぬしは控えておれ、シンには剣の稽古をつけねばならんのだ」
「バカ言うな、せっかく槍術スキルがLv7になったコイツに教えにゃならん技があるんだ、明日にしろ」
「だからに決まっておろうが、シン! 槍術がLv7になっておきながら剣術がLv6のままとはどういう事か、今日はLv7になるまで寝かはせぬから覚悟せよ!!」
イグニスの宣言にシンは渋柿を頬張ったような顔になり、炭化タングステンの棒を取り落とす。この後の特訓に思いを馳せているのだろうか。
その後シンは、訓練の優先権を争う双龍の目を盗んで脱出を試みるもあえなく失敗、シンの悲鳴は2晩続いた──。
かつて別々だった2つの世界、それが衝突、その後一つの世界となってから千と余年、2つの種族の交流からの侵略、勇者による平定、帝国の興り……世界は時を紡ぎ、人は歴史を作る。
眠りから醒めた古代迷宮、そこに群がる人の心は欲望と言う名の宝石の原石。
迷宮深くに進む間に、選りすぐられては磨かれて、研磨の果てに最奥へと至る頃、それは眩き輝きを宿す秘宝へと形を変える。
2人の少年がいた。
──生まれながらに不思議な力を備えた少年は、無償の善意によって人々に豊穣をもたらし、やがて天に愛された子と呼ばれた。
しかし繁栄はある日を境に堕落を呼び込み、幸せと言う名の砂上の楼閣は一つの悲劇によって崩れ、夢から醒めた少年は全てを失う。
与え過ぎたが故に失い、貰い過ぎたが故に失う、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
──純朴な少年は、不幸の最中に力に目覚めて命を繋ぐ。
天からの贈り物に感謝した少年はその力を人々の為に振るう、感謝と喝采の声を上げる人々は、やがて彼の事を勇者と呼んだ。
しかし人の悪意に直面した少年は、白き心に闇を宿してあれよあれよと染まりゆく。
掲げた理想が高いほど、落ちる衝撃計り無し、砕けた心が悲鳴を上げる。
賊と勇者の違いなど、振り下ろす剣の向かう先程度。
──力を持つ者はそれを使いこなす意思を持たねばならない、利用されるだけの人形になりたくなくば──
それは神によってこの世界に「お試し」転生をする事になった一人の男──シンの物語。
神々の思惑と自らの思いを胸に今日も──
──転生者は異世界を巡る──
5章 イズナバール迷宮編 了
プロットや構成まとめの為、更新を一時中断します。
再開は12月下旬を予定(目指)しています。
その間、5章の人物や設定のまとめを投稿します。
「やれやれ、すっかり逞しくなられて……」
焚き火の側でスヤスヤと寝息を立てるエルを、デイジーたち護衛の5人は複雑な気持ちで見つめる。
イズナバール迷宮に行くまでは、ふかふかの敷き布と枕を用意してなおなかなか寝付く事の無かったエルが、今や地面に薄いシーツを敷いただけ、枕も使わずに横になる姿は逞しさを通り越して、自分たちは何か間違ったのではないかと思い悩む。
特にイレーネなどは、若干うつ伏せ気味の姿勢から片耳を地面につけ、何かあった時すぐに起き上がれるように両手を地面につけて眠るエルの姿に、皇族に一体何を教えこんだ! と、一人の男の顔を思い浮かべ頭の中で罵る。
「帝都に戻ってお叱りを受けねば良いが……」
「そうなったらアタシ等もタダじゃすまないよ、お役御免程度で済めばいいけど……」
「──むしろお褒めの言葉を賜るやも知れんぞ?」
「──────!!」
バッ!!
突如暗闇から届いた声にデイジー達は即座に反応し、エルを取り囲むようにして次に備える。
「ほう、少しは学習したようだな、それに今回は2人ほど接近に気付いていたようだ」
「お前か……リトルフィンガーを離れてまで何の用だ?」
暗闇から現れた密偵は、今回は鬼面を被っておらず素顔を晒している。
デイジーの言葉に密偵は首を傾げるが、すぐに合点がいったとばかりに眉を上げ、
「勘違いだな、私の役目は現地の繋ぎではなくお前達の監視なのでな」
その言葉を聞いた5人は、驚くと同時に全身にじっとりと嫌な汗をかく。
彼女達が目の前の女の存在を知ったのはリトルフィンガーの宿が初めて、しかも向こうから姿を現して初めて認識できた。
仮に彼女が敵だったとすれば、彼女たち5人はもとよりエルまでその手にかかっていた事だろう、そう考えるだけで彼女たちは汗と震えが止まらなくなる。
「そこまで自分を責める必要も無かろう、もしも私が貴様等を害そうとすれば流石に気配は漏れていただろうからな」
「気休めはいい……それより何の用だ?」
「なに、貴様らが不安を口にしていたのでな、安心させてやろうとの親切心だよ」
本気とも冗談ともつかない口調でそう答える密偵に、デイジーは緊張を緩めない。
他のメンバーの反応も様々だ。
ドロテアとカレンは警戒を解いている。ドロテアにいたっては彼女の姿を視界に捉えた時点で既に脱力をしていたが。
しかしイレーネとサビーナは未だに警戒も緊張も解こうとしない、女の言葉が到底信じられないという風だ。
そんな2人の態度を訝しく思いながら、デイジーは密偵に向かって話しかける。
「アンタの口からそう聞かされて、ハイそうですかと納得など出来ん」
「確かにな……なら少しだけ、語れる範囲で話しておこう。そこの3人は少しは理解していると思うが、あの男と帝国の関係は今のところ少々よろしく無い、むしろこちらが一方的に負い目のある立場でな」
「「はあ?」」
デイジーとドロテアの声が綺麗にハモった。
密偵が語れる範囲でシンのことを話すとデイジーは、以前にシンから聞いた身の上話と重ね合わせ、家族を失った原因が帝国にあると結論付けた。
ドロテアとデイジーは表情を曇らせながらウンウンと頷いていたが、イレーネとサビーナは見る間に顔色が悪くなり、押せば倒れそうなくらいにフラフラと心許なかった。
「そこの2人、心配しなくてもお前達の懸念通りにはならんよ。あの男はその事で帝国に牙を向こうなどとは思わんさ、でなければソレを守ったりするものか」
疲れて熟睡するエルを指差す密偵に抗議しようとするデイジーは、その言葉で一際大きな安堵のため息をつく2人に毒気を抜かれ、タイミングを失う。
「なのでな、もしかしたらあの男との関係を劇的に改善する事も可能かもしれん。帝都に戻ったら離宮に足を運ぶが良かろう」
「離宮にだと!? しかしあそこは──」
「ああ──先帝様には私の方から連絡しておくから心配するな、皇孫女様が槍聖の昔話を聞きたがっていると伝えておくよ」
「──────!! お前、まさか?」
「……まあ、奇縁と言うヤツなのだろうな。それでは任せたぞ、帝国の為に立派に務めを果せ」
「おい、待──」
デイジーが引き止めようとその身を乗り出すが、その頃には既に密偵の姿は闇に紛れ、認識する事は出来なくなった。
残された5人は、
「……どうするデイジー」
「どうもこうも無い、そもそもあの男の話がどこまで本当かすら疑わしいんだぞ?」
スッ──
「だとしてもデイジー、どのみち先代の皇帝陛下には御目通りを願う事にはなるわよ」
デイジーの肩にカレンの手が添えられると、カレンの指差す先、エルの口から、
「ムニャムニャ、シンさん……」
「エルディアナ様……」
デイジーはがっくりと肩を落とすと、帝都に戻った後の事──各所への報告に加え、離宮にて先帝に拝謁、もしかすれば直接事情を聞かれる可能性、それによる実家の反応、その全てがデイジーの肩に重石のように圧し掛かる。
この瞬間だけデイジーは、足元で健やかに寝息を立てる主君に文句の一つも言いたくなった──。
──────────────
──────────────
人の一生は、両手に抱えたお椀の中に色々な物を入れてゆく作業の連続だという。
生まれた時から持っているもの、人生の途中で手に入れたもの、お椀の中にいつの間にか入っているもの、それらをこぼさない様に歩くのが人生なのだとか。
幼い頃は心のままに走っても少ない中身がこぼれる事は無く、しかし大人になるにつれ人はお椀の中身を溢さないよう慎重になり、いつの間にかその歩みは遅くなる。
人生の中でそのお椀は何度も壊れるが、人はその度に過去の実績に相応しき新しいお椀を用意され、こぼれたそれらを入れなおす。
キラキラと輝く富、耳に嬉しき名声、確かに感じる努力の跡、勝手にお椀に入っている業と言う名の柵。
そんな中、あえて捜し求めねば見付からないものも中にあり。
友情、愛情、絆と呼ばれし目に見えぬもの、掲げなければ姿を現さぬ目標──それは心、想いと言う名の宝物。
容易く見失うそれは誰もが産まれた時より持つがゆえに誰も気付かない、失って初めて価値の分かるかけがえのない宝。
失った事に気づかぬ者は歯止めが効かなくなり、気づいた者はそれを補うために貪欲に全てを求め、そしてどちらも走り続ける──やがて、破滅に至るまで。
ゴッ──!!
「痛ってええ!! 人がたそがれてる時に何しやがる!?」
「なにが黄昏じゃ、18のガキの分際で」
デッキチェアに寝そべるシンの頭頂部を槍の石突で小突いたヴァルナは、抗議の声を無視して続けざまに槍を振るう。
ガシャン──!
急いで飛び退いたシンは粉々になった家具に哀悼の意を示すと、異空間バッグから炭化タングステンの棒を取り出し腰だめに構える。
「ムチャすんじゃねえよ、この──」
「ババア」──その言葉を口に出そうとして一瞬口ごもるシンは、そのスキをつかれて二の腕を浅く切られる。
「くうっ!」
「あん、何か言いたそうじゃのう? なんじゃ、続きを言ってみい、ホレ」
「クッソ……」
キィン──ガカカカカカッ!!
三叉槍と金属棒の打ち合う音が響く中、リオンが首を傾げながら隣に立っているイグニスに聞いてくる。
「シンは何を言い澱んだのですか? まあ予想はつくのですが……」
「その予想は間違っておらぬ、シンはその言葉でヴァルナを罵る事だけは出来ぬでな」
禁句なのだろうか? その言葉を発したが最後、怒り狂ったヴァルナによって地獄を見せられるといったところだろう。
そんな予想を浮かべるリオンに向かってイグニスは続ける。
「──大切な姉に向かってババアとは呼べまいよ」
「…………は?」
「ヴァルナのあの姿はの、シンの亡き姉を模しておるのよ……」
「…………………………」
女神にシンの保護を頼まれた時、魔物の死体に囲まれた血塗れの少年を見つけたイグニスは、能面のように無表情でありながらギラついた目で次々と魔物を屠る、獣のようなシンを保護するのに難渋したと言う。
やがてヴァルナが遅れてやってくると、その姿を見たシンは最初姉が生きていたと喜び、そしてそんなはずが無いと泣き、次に姉の姿を騙ったヴァルナに怒り、最後に姉の死を受け入れて悲しみの表情を浮かべた。
ヴァルナが姉の姿をしていたのは、過去にシンとネーナが一緒にいる姿をたまたま見かけており、落ち着かせるのに一役買うのではという程度だったが、結果としてシンは壊れかけの感情を取り戻す事ができたという。
しかしその後シンは、姉の姿をするヴァルナの、姉とは似ても似つかぬ言動行動に振り回され、師弟関係にありながらあのような態度なのだとか。
「何があろうともその言葉を吐かぬものだから、調子に乗ったヴァルナも人型をとる時は絶対にアレでのう……」
「はあ……まあ、楽しそうですからあれでいいのでしょうね」
「ウム──これヴァルナ、今日はおぬしは控えておれ、シンには剣の稽古をつけねばならんのだ」
「バカ言うな、せっかく槍術スキルがLv7になったコイツに教えにゃならん技があるんだ、明日にしろ」
「だからに決まっておろうが、シン! 槍術がLv7になっておきながら剣術がLv6のままとはどういう事か、今日はLv7になるまで寝かはせぬから覚悟せよ!!」
イグニスの宣言にシンは渋柿を頬張ったような顔になり、炭化タングステンの棒を取り落とす。この後の特訓に思いを馳せているのだろうか。
その後シンは、訓練の優先権を争う双龍の目を盗んで脱出を試みるもあえなく失敗、シンの悲鳴は2晩続いた──。
かつて別々だった2つの世界、それが衝突、その後一つの世界となってから千と余年、2つの種族の交流からの侵略、勇者による平定、帝国の興り……世界は時を紡ぎ、人は歴史を作る。
眠りから醒めた古代迷宮、そこに群がる人の心は欲望と言う名の宝石の原石。
迷宮深くに進む間に、選りすぐられては磨かれて、研磨の果てに最奥へと至る頃、それは眩き輝きを宿す秘宝へと形を変える。
2人の少年がいた。
──生まれながらに不思議な力を備えた少年は、無償の善意によって人々に豊穣をもたらし、やがて天に愛された子と呼ばれた。
しかし繁栄はある日を境に堕落を呼び込み、幸せと言う名の砂上の楼閣は一つの悲劇によって崩れ、夢から醒めた少年は全てを失う。
与え過ぎたが故に失い、貰い過ぎたが故に失う、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
──純朴な少年は、不幸の最中に力に目覚めて命を繋ぐ。
天からの贈り物に感謝した少年はその力を人々の為に振るう、感謝と喝采の声を上げる人々は、やがて彼の事を勇者と呼んだ。
しかし人の悪意に直面した少年は、白き心に闇を宿してあれよあれよと染まりゆく。
掲げた理想が高いほど、落ちる衝撃計り無し、砕けた心が悲鳴を上げる。
賊と勇者の違いなど、振り下ろす剣の向かう先程度。
──力を持つ者はそれを使いこなす意思を持たねばならない、利用されるだけの人形になりたくなくば──
それは神によってこの世界に「お試し」転生をする事になった一人の男──シンの物語。
神々の思惑と自らの思いを胸に今日も──
──転生者は異世界を巡る──
5章 イズナバール迷宮編 了
プロットや構成まとめの為、更新を一時中断します。
再開は12月下旬を予定(目指)しています。
その間、5章の人物や設定のまとめを投稿します。
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「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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