文字の大きさ
大
中
小
195 / 231
5章 イズナバール迷宮編
259話 章末 過去ありて今
…………パチ……パチン!
「やれやれ、すっかり逞しくなられて……」
焚き火の側でスヤスヤと寝息を立てるエルを、デイジーたち護衛の5人は複雑な気持ちで見つめる。
イズナバール迷宮に行くまでは、ふかふかの敷き布と枕を用意してなおなかなか寝付く事の無かったエルが、今や地面に薄いシーツを敷いただけ、枕も使わずに横になる姿は逞しさを通り越して、自分たちは何か間違ったのではないかと思い悩む。
特にイレーネなどは、若干うつ伏せ気味の姿勢から片耳を地面につけ、何かあった時すぐに起き上がれるように両手を地面につけて眠るエルの姿に、皇族に一体何を教えこんだ! と、一人の男の顔を思い浮かべ頭の中で罵る。
「帝都に戻ってお叱りを受けねば良いが……」
「そうなったらアタシ等もタダじゃすまないよ、お役御免程度で済めばいいけど……」
「──むしろお褒めの言葉を賜るやも知れんぞ?」
「──────!!」
バッ!!
突如暗闇から届いた声にデイジー達は即座に反応し、エルを取り囲むようにして次に備える。
「ほう、少しは学習したようだな、それに今回は2人ほど接近に気付いていたようだ」
「お前か……リトルフィンガーを離れてまで何の用だ?」
暗闇から現れた密偵は、今回は鬼面を被っておらず素顔を晒している。
デイジーの言葉に密偵は首を傾げるが、すぐに合点がいったとばかりに眉を上げ、
「勘違いだな、私の役目は現地の繋ぎではなくお前達の監視なのでな」
その言葉を聞いた5人は、驚くと同時に全身にじっとりと嫌な汗をかく。
彼女達が目の前の女の存在を知ったのはリトルフィンガーの宿が初めて、しかも向こうから姿を現して初めて認識できた。
仮に彼女が敵だったとすれば、彼女たち5人はもとよりエルまでその手にかかっていた事だろう、そう考えるだけで彼女たちは汗と震えが止まらなくなる。
「そこまで自分を責める必要も無かろう、もしも私が貴様等を害そうとすれば流石に気配は漏れていただろうからな」
「気休めはいい……それより何の用だ?」
「なに、貴様らが不安を口にしていたのでな、安心させてやろうとの親切心だよ」
本気とも冗談ともつかない口調でそう答える密偵に、デイジーは緊張を緩めない。
他のメンバーの反応も様々だ。
ドロテアとカレンは警戒を解いている。ドロテアにいたっては彼女の姿を視界に捉えた時点で既に脱力をしていたが。
しかしイレーネとサビーナは未だに警戒も緊張も解こうとしない、女の言葉が到底信じられないという風だ。
そんな2人の態度を訝しく思いながら、デイジーは密偵に向かって話しかける。
「アンタの口からそう聞かされて、ハイそうですかと納得など出来ん」
「確かにな……なら少しだけ、語れる範囲で話しておこう。そこの3人は少しは理解していると思うが、あの男と帝国の関係は今のところ少々よろしく無い、むしろこちらが一方的に負い目のある立場でな」
「「はあ?」」
デイジーとドロテアの声が綺麗にハモった。
密偵が語れる範囲でシンのことを話すとデイジーは、以前にシンから聞いた身の上話と重ね合わせ、家族を失った原因が帝国にあると結論付けた。
ドロテアとデイジーは表情を曇らせながらウンウンと頷いていたが、イレーネとサビーナは見る間に顔色が悪くなり、押せば倒れそうなくらいにフラフラと心許なかった。
「そこの2人、心配しなくてもお前達の懸念通りにはならんよ。あの男はその事で帝国に牙を向こうなどとは思わんさ、でなければソレを守ったりするものか」
疲れて熟睡するエルを指差す密偵に抗議しようとするデイジーは、その言葉で一際大きな安堵のため息をつく2人に毒気を抜かれ、タイミングを失う。
「なのでな、もしかしたらあの男との関係を劇的に改善する事も可能かもしれん。帝都に戻ったら離宮に足を運ぶが良かろう」
「離宮にだと!? しかしあそこは──」
「ああ──先帝様には私の方から連絡しておくから心配するな、皇孫女様が槍聖の昔話を聞きたがっていると伝えておくよ」
「──────!! お前、まさか?」
「……まあ、奇縁と言うヤツなのだろうな。それでは任せたぞ、帝国の為に立派に務めを果せ」
「おい、待──」
デイジーが引き止めようとその身を乗り出すが、その頃には既に密偵の姿は闇に紛れ、認識する事は出来なくなった。
残された5人は、
「……どうするデイジー」
「どうもこうも無い、そもそもあの男の話がどこまで本当かすら疑わしいんだぞ?」
スッ──
「だとしてもデイジー、どのみち先代の皇帝陛下には御目通りを願う事にはなるわよ」
デイジーの肩にカレンの手が添えられると、カレンの指差す先、エルの口から、
「ムニャムニャ、シンさん……」
「エルディアナ様……」
デイジーはがっくりと肩を落とすと、帝都に戻った後の事──各所への報告に加え、離宮にて先帝に拝謁、もしかすれば直接事情を聞かれる可能性、それによる実家の反応、その全てがデイジーの肩に重石のように圧し掛かる。
この瞬間だけデイジーは、足元で健やかに寝息を立てる主君に文句の一つも言いたくなった──。
──────────────
──────────────
人の一生は、両手に抱えたお椀の中に色々な物を入れてゆく作業の連続だという。
生まれた時から持っているもの、人生の途中で手に入れたもの、お椀の中にいつの間にか入っているもの、それらをこぼさない様に歩くのが人生なのだとか。
幼い頃は心のままに走っても少ない中身がこぼれる事は無く、しかし大人になるにつれ人はお椀の中身を溢さないよう慎重になり、いつの間にかその歩みは遅くなる。
人生の中でそのお椀は何度も壊れるが、人はその度に過去の実績に相応しき新しいお椀を用意され、こぼれたそれらを入れなおす。
キラキラと輝く富、耳に嬉しき名声、確かに感じる努力の跡、勝手にお椀に入っている業と言う名の柵。
そんな中、あえて捜し求めねば見付からないものも中にあり。
友情、愛情、絆と呼ばれし目に見えぬもの、掲げなければ姿を現さぬ目標──それは心、想いと言う名の宝物。
容易く見失うそれは誰もが産まれた時より持つがゆえに誰も気付かない、失って初めて価値の分かるかけがえのない宝。
失った事に気づかぬ者は歯止めが効かなくなり、気づいた者はそれを補うために貪欲に全てを求め、そしてどちらも走り続ける──やがて、破滅に至るまで。
ゴッ──!!
「痛ってええ!! 人がたそがれてる時に何しやがる!?」
「なにが黄昏じゃ、18のガキの分際で」
デッキチェアに寝そべるシンの頭頂部を槍の石突で小突いたヴァルナは、抗議の声を無視して続けざまに槍を振るう。
ガシャン──!
急いで飛び退いたシンは粉々になった家具に哀悼の意を示すと、異空間バッグから炭化タングステンの棒を取り出し腰だめに構える。
「ムチャすんじゃねえよ、この──」
「ババア」──その言葉を口に出そうとして一瞬口ごもるシンは、そのスキをつかれて二の腕を浅く切られる。
「くうっ!」
「あん、何か言いたそうじゃのう? なんじゃ、続きを言ってみい、ホレ」
「クッソ……」
キィン──ガカカカカカッ!!
三叉槍と金属棒の打ち合う音が響く中、リオンが首を傾げながら隣に立っているイグニスに聞いてくる。
「シンは何を言い澱んだのですか? まあ予想はつくのですが……」
「その予想は間違っておらぬ、シンはその言葉でヴァルナを罵る事だけは出来ぬでな」
禁句なのだろうか? その言葉を発したが最後、怒り狂ったヴァルナによって地獄を見せられるといったところだろう。
そんな予想を浮かべるリオンに向かってイグニスは続ける。
「──大切な姉に向かってババアとは呼べまいよ」
「…………は?」
「ヴァルナのあの姿はの、シンの亡き姉を模しておるのよ……」
「…………………………」
女神にシンの保護を頼まれた時、魔物の死体に囲まれた血塗れの少年を見つけたイグニスは、能面のように無表情でありながらギラついた目で次々と魔物を屠る、獣のようなシンを保護するのに難渋したと言う。
やがてヴァルナが遅れてやってくると、その姿を見たシンは最初姉が生きていたと喜び、そしてそんなはずが無いと泣き、次に姉の姿を騙ったヴァルナに怒り、最後に姉の死を受け入れて悲しみの表情を浮かべた。
ヴァルナが姉の姿をしていたのは、過去にシンとネーナが一緒にいる姿をたまたま見かけており、落ち着かせるのに一役買うのではという程度だったが、結果としてシンは壊れかけの感情を取り戻す事ができたという。
しかしその後シンは、姉の姿をするヴァルナの、姉とは似ても似つかぬ言動行動に振り回され、師弟関係にありながらあのような態度なのだとか。
「何があろうともその言葉を吐かぬものだから、調子に乗ったヴァルナも人型をとる時は絶対にアレでのう……」
「はあ……まあ、楽しそうですからあれでいいのでしょうね」
「ウム──これヴァルナ、今日はおぬしは控えておれ、シンには剣の稽古をつけねばならんのだ」
「バカ言うな、せっかく槍術スキルがLv7になったコイツに教えにゃならん技があるんだ、明日にしろ」
「だからに決まっておろうが、シン! 槍術がLv7になっておきながら剣術がLv6のままとはどういう事か、今日はLv7になるまで寝かはせぬから覚悟せよ!!」
イグニスの宣言にシンは渋柿を頬張ったような顔になり、炭化タングステンの棒を取り落とす。この後の特訓に思いを馳せているのだろうか。
その後シンは、訓練の優先権を争う双龍の目を盗んで脱出を試みるもあえなく失敗、シンの悲鳴は2晩続いた──。
かつて別々だった2つの世界、それが衝突、その後一つの世界となってから千と余年、2つの種族の交流からの侵略、勇者による平定、帝国の興り……世界は時を紡ぎ、人は歴史を作る。
眠りから醒めた古代迷宮、そこに群がる人の心は欲望と言う名の宝石の原石。
迷宮深くに進む間に、選りすぐられては磨かれて、研磨の果てに最奥へと至る頃、それは眩き輝きを宿す秘宝へと形を変える。
2人の少年がいた。
──生まれながらに不思議な力を備えた少年は、無償の善意によって人々に豊穣をもたらし、やがて天に愛された子と呼ばれた。
しかし繁栄はある日を境に堕落を呼び込み、幸せと言う名の砂上の楼閣は一つの悲劇によって崩れ、夢から醒めた少年は全てを失う。
与え過ぎたが故に失い、貰い過ぎたが故に失う、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
──純朴な少年は、不幸の最中に力に目覚めて命を繋ぐ。
天からの贈り物に感謝した少年はその力を人々の為に振るう、感謝と喝采の声を上げる人々は、やがて彼の事を勇者と呼んだ。
しかし人の悪意に直面した少年は、白き心に闇を宿してあれよあれよと染まりゆく。
掲げた理想が高いほど、落ちる衝撃計り無し、砕けた心が悲鳴を上げる。
賊と勇者の違いなど、振り下ろす剣の向かう先程度。
──力を持つ者はそれを使いこなす意思を持たねばならない、利用されるだけの人形になりたくなくば──
それは神によってこの世界に「お試し」転生をする事になった一人の男──シンの物語。
神々の思惑と自らの思いを胸に今日も──
──転生者は異世界を巡る──
5章 イズナバール迷宮編 了
プロットや構成まとめの為、更新を一時中断します。
再開は12月下旬を予定(目指)しています。
その間、5章の人物や設定のまとめを投稿します。
「やれやれ、すっかり逞しくなられて……」
焚き火の側でスヤスヤと寝息を立てるエルを、デイジーたち護衛の5人は複雑な気持ちで見つめる。
イズナバール迷宮に行くまでは、ふかふかの敷き布と枕を用意してなおなかなか寝付く事の無かったエルが、今や地面に薄いシーツを敷いただけ、枕も使わずに横になる姿は逞しさを通り越して、自分たちは何か間違ったのではないかと思い悩む。
特にイレーネなどは、若干うつ伏せ気味の姿勢から片耳を地面につけ、何かあった時すぐに起き上がれるように両手を地面につけて眠るエルの姿に、皇族に一体何を教えこんだ! と、一人の男の顔を思い浮かべ頭の中で罵る。
「帝都に戻ってお叱りを受けねば良いが……」
「そうなったらアタシ等もタダじゃすまないよ、お役御免程度で済めばいいけど……」
「──むしろお褒めの言葉を賜るやも知れんぞ?」
「──────!!」
バッ!!
突如暗闇から届いた声にデイジー達は即座に反応し、エルを取り囲むようにして次に備える。
「ほう、少しは学習したようだな、それに今回は2人ほど接近に気付いていたようだ」
「お前か……リトルフィンガーを離れてまで何の用だ?」
暗闇から現れた密偵は、今回は鬼面を被っておらず素顔を晒している。
デイジーの言葉に密偵は首を傾げるが、すぐに合点がいったとばかりに眉を上げ、
「勘違いだな、私の役目は現地の繋ぎではなくお前達の監視なのでな」
その言葉を聞いた5人は、驚くと同時に全身にじっとりと嫌な汗をかく。
彼女達が目の前の女の存在を知ったのはリトルフィンガーの宿が初めて、しかも向こうから姿を現して初めて認識できた。
仮に彼女が敵だったとすれば、彼女たち5人はもとよりエルまでその手にかかっていた事だろう、そう考えるだけで彼女たちは汗と震えが止まらなくなる。
「そこまで自分を責める必要も無かろう、もしも私が貴様等を害そうとすれば流石に気配は漏れていただろうからな」
「気休めはいい……それより何の用だ?」
「なに、貴様らが不安を口にしていたのでな、安心させてやろうとの親切心だよ」
本気とも冗談ともつかない口調でそう答える密偵に、デイジーは緊張を緩めない。
他のメンバーの反応も様々だ。
ドロテアとカレンは警戒を解いている。ドロテアにいたっては彼女の姿を視界に捉えた時点で既に脱力をしていたが。
しかしイレーネとサビーナは未だに警戒も緊張も解こうとしない、女の言葉が到底信じられないという風だ。
そんな2人の態度を訝しく思いながら、デイジーは密偵に向かって話しかける。
「アンタの口からそう聞かされて、ハイそうですかと納得など出来ん」
「確かにな……なら少しだけ、語れる範囲で話しておこう。そこの3人は少しは理解していると思うが、あの男と帝国の関係は今のところ少々よろしく無い、むしろこちらが一方的に負い目のある立場でな」
「「はあ?」」
デイジーとドロテアの声が綺麗にハモった。
密偵が語れる範囲でシンのことを話すとデイジーは、以前にシンから聞いた身の上話と重ね合わせ、家族を失った原因が帝国にあると結論付けた。
ドロテアとデイジーは表情を曇らせながらウンウンと頷いていたが、イレーネとサビーナは見る間に顔色が悪くなり、押せば倒れそうなくらいにフラフラと心許なかった。
「そこの2人、心配しなくてもお前達の懸念通りにはならんよ。あの男はその事で帝国に牙を向こうなどとは思わんさ、でなければソレを守ったりするものか」
疲れて熟睡するエルを指差す密偵に抗議しようとするデイジーは、その言葉で一際大きな安堵のため息をつく2人に毒気を抜かれ、タイミングを失う。
「なのでな、もしかしたらあの男との関係を劇的に改善する事も可能かもしれん。帝都に戻ったら離宮に足を運ぶが良かろう」
「離宮にだと!? しかしあそこは──」
「ああ──先帝様には私の方から連絡しておくから心配するな、皇孫女様が槍聖の昔話を聞きたがっていると伝えておくよ」
「──────!! お前、まさか?」
「……まあ、奇縁と言うヤツなのだろうな。それでは任せたぞ、帝国の為に立派に務めを果せ」
「おい、待──」
デイジーが引き止めようとその身を乗り出すが、その頃には既に密偵の姿は闇に紛れ、認識する事は出来なくなった。
残された5人は、
「……どうするデイジー」
「どうもこうも無い、そもそもあの男の話がどこまで本当かすら疑わしいんだぞ?」
スッ──
「だとしてもデイジー、どのみち先代の皇帝陛下には御目通りを願う事にはなるわよ」
デイジーの肩にカレンの手が添えられると、カレンの指差す先、エルの口から、
「ムニャムニャ、シンさん……」
「エルディアナ様……」
デイジーはがっくりと肩を落とすと、帝都に戻った後の事──各所への報告に加え、離宮にて先帝に拝謁、もしかすれば直接事情を聞かれる可能性、それによる実家の反応、その全てがデイジーの肩に重石のように圧し掛かる。
この瞬間だけデイジーは、足元で健やかに寝息を立てる主君に文句の一つも言いたくなった──。
──────────────
──────────────
人の一生は、両手に抱えたお椀の中に色々な物を入れてゆく作業の連続だという。
生まれた時から持っているもの、人生の途中で手に入れたもの、お椀の中にいつの間にか入っているもの、それらをこぼさない様に歩くのが人生なのだとか。
幼い頃は心のままに走っても少ない中身がこぼれる事は無く、しかし大人になるにつれ人はお椀の中身を溢さないよう慎重になり、いつの間にかその歩みは遅くなる。
人生の中でそのお椀は何度も壊れるが、人はその度に過去の実績に相応しき新しいお椀を用意され、こぼれたそれらを入れなおす。
キラキラと輝く富、耳に嬉しき名声、確かに感じる努力の跡、勝手にお椀に入っている業と言う名の柵。
そんな中、あえて捜し求めねば見付からないものも中にあり。
友情、愛情、絆と呼ばれし目に見えぬもの、掲げなければ姿を現さぬ目標──それは心、想いと言う名の宝物。
容易く見失うそれは誰もが産まれた時より持つがゆえに誰も気付かない、失って初めて価値の分かるかけがえのない宝。
失った事に気づかぬ者は歯止めが効かなくなり、気づいた者はそれを補うために貪欲に全てを求め、そしてどちらも走り続ける──やがて、破滅に至るまで。
ゴッ──!!
「痛ってええ!! 人がたそがれてる時に何しやがる!?」
「なにが黄昏じゃ、18のガキの分際で」
デッキチェアに寝そべるシンの頭頂部を槍の石突で小突いたヴァルナは、抗議の声を無視して続けざまに槍を振るう。
ガシャン──!
急いで飛び退いたシンは粉々になった家具に哀悼の意を示すと、異空間バッグから炭化タングステンの棒を取り出し腰だめに構える。
「ムチャすんじゃねえよ、この──」
「ババア」──その言葉を口に出そうとして一瞬口ごもるシンは、そのスキをつかれて二の腕を浅く切られる。
「くうっ!」
「あん、何か言いたそうじゃのう? なんじゃ、続きを言ってみい、ホレ」
「クッソ……」
キィン──ガカカカカカッ!!
三叉槍と金属棒の打ち合う音が響く中、リオンが首を傾げながら隣に立っているイグニスに聞いてくる。
「シンは何を言い澱んだのですか? まあ予想はつくのですが……」
「その予想は間違っておらぬ、シンはその言葉でヴァルナを罵る事だけは出来ぬでな」
禁句なのだろうか? その言葉を発したが最後、怒り狂ったヴァルナによって地獄を見せられるといったところだろう。
そんな予想を浮かべるリオンに向かってイグニスは続ける。
「──大切な姉に向かってババアとは呼べまいよ」
「…………は?」
「ヴァルナのあの姿はの、シンの亡き姉を模しておるのよ……」
「…………………………」
女神にシンの保護を頼まれた時、魔物の死体に囲まれた血塗れの少年を見つけたイグニスは、能面のように無表情でありながらギラついた目で次々と魔物を屠る、獣のようなシンを保護するのに難渋したと言う。
やがてヴァルナが遅れてやってくると、その姿を見たシンは最初姉が生きていたと喜び、そしてそんなはずが無いと泣き、次に姉の姿を騙ったヴァルナに怒り、最後に姉の死を受け入れて悲しみの表情を浮かべた。
ヴァルナが姉の姿をしていたのは、過去にシンとネーナが一緒にいる姿をたまたま見かけており、落ち着かせるのに一役買うのではという程度だったが、結果としてシンは壊れかけの感情を取り戻す事ができたという。
しかしその後シンは、姉の姿をするヴァルナの、姉とは似ても似つかぬ言動行動に振り回され、師弟関係にありながらあのような態度なのだとか。
「何があろうともその言葉を吐かぬものだから、調子に乗ったヴァルナも人型をとる時は絶対にアレでのう……」
「はあ……まあ、楽しそうですからあれでいいのでしょうね」
「ウム──これヴァルナ、今日はおぬしは控えておれ、シンには剣の稽古をつけねばならんのだ」
「バカ言うな、せっかく槍術スキルがLv7になったコイツに教えにゃならん技があるんだ、明日にしろ」
「だからに決まっておろうが、シン! 槍術がLv7になっておきながら剣術がLv6のままとはどういう事か、今日はLv7になるまで寝かはせぬから覚悟せよ!!」
イグニスの宣言にシンは渋柿を頬張ったような顔になり、炭化タングステンの棒を取り落とす。この後の特訓に思いを馳せているのだろうか。
その後シンは、訓練の優先権を争う双龍の目を盗んで脱出を試みるもあえなく失敗、シンの悲鳴は2晩続いた──。
かつて別々だった2つの世界、それが衝突、その後一つの世界となってから千と余年、2つの種族の交流からの侵略、勇者による平定、帝国の興り……世界は時を紡ぎ、人は歴史を作る。
眠りから醒めた古代迷宮、そこに群がる人の心は欲望と言う名の宝石の原石。
迷宮深くに進む間に、選りすぐられては磨かれて、研磨の果てに最奥へと至る頃、それは眩き輝きを宿す秘宝へと形を変える。
2人の少年がいた。
──生まれながらに不思議な力を備えた少年は、無償の善意によって人々に豊穣をもたらし、やがて天に愛された子と呼ばれた。
しかし繁栄はある日を境に堕落を呼び込み、幸せと言う名の砂上の楼閣は一つの悲劇によって崩れ、夢から醒めた少年は全てを失う。
与え過ぎたが故に失い、貰い過ぎたが故に失う、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
──純朴な少年は、不幸の最中に力に目覚めて命を繋ぐ。
天からの贈り物に感謝した少年はその力を人々の為に振るう、感謝と喝采の声を上げる人々は、やがて彼の事を勇者と呼んだ。
しかし人の悪意に直面した少年は、白き心に闇を宿してあれよあれよと染まりゆく。
掲げた理想が高いほど、落ちる衝撃計り無し、砕けた心が悲鳴を上げる。
賊と勇者の違いなど、振り下ろす剣の向かう先程度。
──力を持つ者はそれを使いこなす意思を持たねばならない、利用されるだけの人形になりたくなくば──
それは神によってこの世界に「お試し」転生をする事になった一人の男──シンの物語。
神々の思惑と自らの思いを胸に今日も──
──転生者は異世界を巡る──
5章 イズナバール迷宮編 了
プロットや構成まとめの為、更新を一時中断します。
再開は12月下旬を予定(目指)しています。
その間、5章の人物や設定のまとめを投稿します。
感想 497
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
「子を産めない妻はいらない」と離縁されたので、七人の孤児がいる辺境伯家に嫁ぎます~なぜか全員に懐かれました
ゆぷしろん「子を産めない妻はいらない」
七年尽くした夫にそう告げられ、伯爵夫人アメリアは若い愛人にすべてを奪われた。
手元に残ったのは、わずかな生活費と母の形見だけ。居場所を失った彼女のもとへ届いたのは、北の辺境伯グレンからの求婚状だった。
そこに記されていたのは、前夫が一度も見ようとしなかったアメリアの功績。求められたのは跡継ぎを産む妻ではなく、戦争で荒れた領地と屋敷を共に守る伴侶だった。
だが、嫁ぎ先で待っていたのは、親を失い心に傷を抱えた七人の孤児たち。
反発する少年、言葉を閉ざした幼子、飢えを恐れる少女。アメリアは叱るのではなく、一人ずつ寄り添っていく。
やがて子どもたちは彼女を「かあさま」と呼び始める。
そんな幸せを取り戻しかけたある日、彼女を捨てた前夫が再び現れて――。
「お姉様の刺繍は素人ね」と笑った義妹の婚礼衣装——裏地を見た女官十二人が、一斉に針を置いた
歩人(あゆと)「お姉様の刺繍は、素人の手習いに見えますわね」――王太子妃となる異母妹アデリーナは、王宮女官たちの前で姉ローゼを笑った。翌週の婚礼の朝。式典装の最終確認のため、十二人の女官が衣装の裏地を検めた瞬間――一人、また一人と、針を置いた。裏地に縫い込まれていたのは、女官たちが十二年間ずっと探していた一筆の銀糸。即位式の絹外套、二人の王女の婚礼ドレス、亡き王太后の弔意の喪服。王家儀礼衣装のすべての裏地に、同じ手で、同じ糸で、同じ銀の花が縫い込まれていた。「アデリーナ様、これは――あなた様の手では、ございません」縫い手は、ずっと一人だった。それを十二年間、誰の名でも呼べなかっただけのこと。
真の皇帝は俺です ~面倒だから幼なじみに帝位を任せていたら、婚約者に捨てられました。正体を明かしたら全員後悔してももう遅い~
由香皇帝の仕事が面倒だったレインは、信頼する幼なじみアレクシスに表向きの皇帝を任せ、自身は陰から帝国を支えていた。
だがある日、婚約者エミリアは「権力も将来性もない」と彼を見限り婚約破棄を宣言する。
しかし彼女は知らなかった。
帝国を動かしていた真の支配者が誰なのかを。
これは全てを持ちながら隠していた男と、見るべきものを見失った者たちの後悔の物語。
没落した貴族家に拾われたので恩返しで復興させます
六山葵生まれて間も無く、山の中に捨てられていた赤子レオン・ハートフィリア。
彼を拾ったのは没落して平民になった貴族達だった。
優しい両親に育てられ、可愛い弟と共にすくすくと成長したレオンは不思議な夢を見るようになる。
それは過去の記憶なのか、あるいは前世の記憶か。
その夢のおかげで魔法を学んだレオンは愛する両親を再び貴族にするために魔法学院で魔法を学ぶことを決意した。
しかし、学院でレオンを待っていたのは酷い平民差別。そしてそこにレオンの夢の謎も交わって、彼の運命は大きく変わっていくことになるのだった。
※2025/12/31に書籍五巻以降の話を非公開に変更する予定です。
詳細は近況ボードをご覧ください。
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。