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1『傷』1-1
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外はすっかり暗い。
夜のとばりが下りている。
陸上船イスカ号は、とある湖のほとりにゆっくりと停船した。
今日はここでお泊まりだ。
上階のブリッジから、はしごを伝って降りてきたのは操舵手のネズミである。糸のように細い目に出っ歯、それにひょろ長い体躯が特徴的で、いつも薄汚いオーバーオールを着ていて小汚い軍手をはめている。
「なあ船長、たまにはブリッジでびしっと指示を出してみちゃどうよ。『病室』にばっかいねぇでよ」
ブリッジ直下のこのだだっ広い一室は『病室』と呼ばれる。船長である彼の普段着が水色の病衣であること、加えて彼の指定席が介護用のベッドであることからいつしかその名がついた。
「るせぇよ、ネズ公が。俺はこのベッドの上が一番しっくりくんだよ」船長、後藤ライジは、ふんと鼻を鳴らした。「だいいちな、船長席にゃあ立派な船長代理がいるじゃねぇか。寡黙な美人さんがよ」
そう。
ブリッジの船長席にはダッチワイフがくくりつけてある。
ネズミは両手を広げておどけるように肩をすくめて見せると、『病室』をあとにしようとする。去り際、愛想のいい顔で、「サヤちゃん、今日も一日、おつかれさん」と、汚い軍手がはまった右手を振って見せた。サヤも「バイバイ」と手を振り返す。
サヤ。
それは『病室』に居つきっぱなしの女のこと。明るいグリーンの髪は長く、瞳は空色、肌は陶器のように白く…、といった具合に浮世離れした色彩の持ち主だが、肝心の胸はぺちゃんこだ。いつもライジのベッドの隣で椅子に腰を落ち着け、多くの時間を読書に費やしている。
ちなみに、椅子とは旅客機の客室用の座席だ。
最初、サヤはロッキングチェアを持ち込んだ。
ある時、船が激しく揺れて、サヤはそこから転げ落ちた。額をすりむいた姿を見て、ざまあみろと笑ってやったものだ。
その事故で得た教訓を生かして、サヤはどこからかくだんの椅子を見つけてきて業者に運び込ませ、鉄製の床に取りつけさせたというわけである。正直、その徹底ぶりには少なからずあぜんとさせられた。加えて、物と作業の費用に関する請求書が船長であるライジ宛てで、またあぜんとさせられた。
夕食ができたことを知らせる船内放送が流れた。
声の主はW。そういうあだ名の男である。
イスカにおける食事は手先が器用で料理も得意なWが準備することになっている。
食堂には七人のクルーが一堂に会した。
メニューはカレーに、千切りキャベツときゅうりのサラダ。キャベツの切り方がことのほか細い点から、Wの几帳面な人柄がうかがえる。
食後、ネズミから今後の針路について簡単な説明があった。このまま島―ファースト・アイランド―の東側を進む予定だという。時折、こうしてネズミは方針を打ち出す。異議を唱える者などいない。誰もあてどなど持ちあわせていないのだから当然だ。ある者は純粋に旅を楽しめればいいと考えていて、またある者は気まぐれでイスカに乗りこんでいるにすぎない。船長たるライジにも、これといった目的はない。なじみのない―ファースト・アイランド―で遊んでみよう。そのくらいの気持ちで島を訪れたのだ。
『病室』のベッドに戻った。どうでもいいローカルなゴシップ誌を眺めていると、眠たくなってきた。ベッドのリクライニングを元に戻して仰向けに。大きな瞳のサヤが上からライジの顔をのぞきこんでくる。ベッドに割り入ろうとしてきたので足蹴にして向こうへと押しやった。
不満げなサヤ。ほおをふくらませる。
気にせずライジは目をつむる。
まもなく眠りについた。
夜のとばりが下りている。
陸上船イスカ号は、とある湖のほとりにゆっくりと停船した。
今日はここでお泊まりだ。
上階のブリッジから、はしごを伝って降りてきたのは操舵手のネズミである。糸のように細い目に出っ歯、それにひょろ長い体躯が特徴的で、いつも薄汚いオーバーオールを着ていて小汚い軍手をはめている。
「なあ船長、たまにはブリッジでびしっと指示を出してみちゃどうよ。『病室』にばっかいねぇでよ」
ブリッジ直下のこのだだっ広い一室は『病室』と呼ばれる。船長である彼の普段着が水色の病衣であること、加えて彼の指定席が介護用のベッドであることからいつしかその名がついた。
「るせぇよ、ネズ公が。俺はこのベッドの上が一番しっくりくんだよ」船長、後藤ライジは、ふんと鼻を鳴らした。「だいいちな、船長席にゃあ立派な船長代理がいるじゃねぇか。寡黙な美人さんがよ」
そう。
ブリッジの船長席にはダッチワイフがくくりつけてある。
ネズミは両手を広げておどけるように肩をすくめて見せると、『病室』をあとにしようとする。去り際、愛想のいい顔で、「サヤちゃん、今日も一日、おつかれさん」と、汚い軍手がはまった右手を振って見せた。サヤも「バイバイ」と手を振り返す。
サヤ。
それは『病室』に居つきっぱなしの女のこと。明るいグリーンの髪は長く、瞳は空色、肌は陶器のように白く…、といった具合に浮世離れした色彩の持ち主だが、肝心の胸はぺちゃんこだ。いつもライジのベッドの隣で椅子に腰を落ち着け、多くの時間を読書に費やしている。
ちなみに、椅子とは旅客機の客室用の座席だ。
最初、サヤはロッキングチェアを持ち込んだ。
ある時、船が激しく揺れて、サヤはそこから転げ落ちた。額をすりむいた姿を見て、ざまあみろと笑ってやったものだ。
その事故で得た教訓を生かして、サヤはどこからかくだんの椅子を見つけてきて業者に運び込ませ、鉄製の床に取りつけさせたというわけである。正直、その徹底ぶりには少なからずあぜんとさせられた。加えて、物と作業の費用に関する請求書が船長であるライジ宛てで、またあぜんとさせられた。
夕食ができたことを知らせる船内放送が流れた。
声の主はW。そういうあだ名の男である。
イスカにおける食事は手先が器用で料理も得意なWが準備することになっている。
食堂には七人のクルーが一堂に会した。
メニューはカレーに、千切りキャベツときゅうりのサラダ。キャベツの切り方がことのほか細い点から、Wの几帳面な人柄がうかがえる。
食後、ネズミから今後の針路について簡単な説明があった。このまま島―ファースト・アイランド―の東側を進む予定だという。時折、こうしてネズミは方針を打ち出す。異議を唱える者などいない。誰もあてどなど持ちあわせていないのだから当然だ。ある者は純粋に旅を楽しめればいいと考えていて、またある者は気まぐれでイスカに乗りこんでいるにすぎない。船長たるライジにも、これといった目的はない。なじみのない―ファースト・アイランド―で遊んでみよう。そのくらいの気持ちで島を訪れたのだ。
『病室』のベッドに戻った。どうでもいいローカルなゴシップ誌を眺めていると、眠たくなってきた。ベッドのリクライニングを元に戻して仰向けに。大きな瞳のサヤが上からライジの顔をのぞきこんでくる。ベッドに割り入ろうとしてきたので足蹴にして向こうへと押しやった。
不満げなサヤ。ほおをふくらませる。
気にせずライジは目をつむる。
まもなく眠りについた。
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