強右衛門の息子

能野 理央

文字の大きさ
上 下
4 / 11
第一章

風雲急

しおりを挟む
 5月に入った。
 穏やかな日々が続いていたが、風雲は急に告げられた。

 昼四ツ(午前10時)、信昌が閑所かんじょ(書斎)で書物を読んでいる時だった。

「殿、一大事にござりまする!」

 重臣の松平弥九郎やくろう景忠かげただの慌てた声が所内に飛び込んできた。

 景忠は、もともと徳川家康の家臣であったが、奥平と徳川との同盟を機に徳川から送られてきた。

 景忠は信昌の人柄に惚れ込んで家康と同様に忠義を尽くす一方で、信昌は景忠の功績を讃えて重臣に取り立てた。

「如何した」

「武田が動きました!」

 むうっ…… 信昌は一つうなった。すぐに言葉が出なかった。

 掌に大量の汗が浮かんだ。

 戦神いくさがみと讃えられた武田信玄が亡くなったのは、元亀4年(1573年)の4月。

 それまで武田家に従属していた奥平家は、「潮目の変わり」と判断して徳川家康に寝返り、結果、武田家に人質として預けられていた前妻おふうは殺された。

 が、継嗣けいしの武田勝頼の怒りは、おふうを殺しただけでは済まない。いつか必ず矛先は我にも向けられるだろう。

 想定の範囲内ではあった。

「遂に動いたか、勝頼め」

 堂々といみなを口にした。前妻のかたきめ。
 はなっから覚悟を決めていた信昌の言葉には覇気がこもっていた。

評定ひょうじょう(会議)を開く。急ぎ皆を広間に集めよ」

「ははっ」

 景忠の言動は迅速だった。

 間もなくして広間には、景忠をはじめとする十名ほどの家臣が集まった。

 全員、顔が強張こわばっていた。来るべき時が来た。固唾を飲む者の喉元から音が聞こえた。

 信昌が上座に現れた。家臣一同、さっと平伏ひれふした。

 信昌は命じた。

「皆、おもてを上げよ」

 一斉に頭が上がった。全員の顔に静寂が貼り付いていた。

 途端に、ぷううっと信昌は噴き出した。

「なんだなんだ、其方そのほうら、いったい! 何をそんなに緊張しておるのだ!」

 その場にいる者全員が呆気に取れらた。貴殿あなたこそいったい、なんなのだ。

「と、殿、敵が攻めて来るのでござるぞ」

 居たたまれなくなった景忠が、家臣を代表して口火を切った。

「んなことは、わかっとる」

 信昌は笑顔を絶やさなかった。

「じゃが、今さらジタバタして如何する。わかり切っていたことではないか、わしが武田から徳川様に寝返ったのだから」

 確かに家臣一同が、この日を覚悟していた。
 寝返った者が、裏切った者が、元のあるじからどのような仕返しを受けるのかも。

「して、敵の数は、いかほどか」

 信昌の軽やかな口調に些か狼狽しながらも景忠は応えた。

「1万は超えるかと」

「ほお、数で物を言うてきたか、腰抜け勝頼め」

 信昌の悪口に景忠は慌てた。

「と、殿、相手の大将は、戦神、甲斐の虎と称された信玄公の嫡男にござるぞ」

「はんっ、バカバカしい。それがどうした」

 信昌は吐き捨てた。

「左様に呼ばれていたは親父殿であろう。息子は神ではない。虎ではのうて猫かもしれぬぞ」

「猫とはまた……」

「そうでなければ、儂らの如き弱小集団に1万もの軍勢を送ろうとはしまいて。勝頼は恐れているのじゃ。この長篠の城を」

 ガハハハと信昌は高笑いした。評定に参加する誰もが、ポカンとした。どういうことだ、この明るさ。

 と同時に、誰もが気付いた。殿の、あの口調、あの立ち居振る舞い。誰かに似ている。

 そうだ、強右衛門だ。

「武田の軍勢は、今いずこじゃ」

 信昌の問いに景忠は即答した。

「今しがた城を出たばかりかと」

「そうか」

 信昌は、ニンマリとした。

「この城に集まる手勢は、せいぜい500じゃ。まともに対峙しては到底勝ち目はない。よって、籠城ろうじょうする」

 初めて告げられた具体的な作戦に、評定の全員が頷いた。異論を唱える者は誰もいない。

「水と食糧を大量に備えておけ。それと、この戦に参じる者ら全員に伝えよ」

 信昌の声が張り詰めた。

「家族との時間を大切にしてから城に参じよ、と」

 この時、信昌を含めた全員が、死を意識した。
しおりを挟む

処理中です...