命のたまご

いすみ 静江

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第六章 幼少の兆し〔昭和〕

25 ビタービター

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  1 ビタービター

 小学校では、ずっと苛められていた。
 櫻の想い出の苦いイメージだ。
 ただ、生きているのが辛かった。
 それは、死にたくなる程に……。
 でも、死ねなかったのだ。

 苛めの内容は、他愛もなかったが、当時は深刻だった。

和石美々子かずいし みみこさんが泣いているじゃない。止めようよ」

 小学校1年生の櫻の優しさと正義感で止めに入った。
 給食の時間に詰め寄って、私に配ったの、配らないのと騒いでいた。
 中には、頬を打つ女もいた。
 櫻は一人がんばって、女子の中でスケープゴートを庇っていた。

 次の休み時間に、櫻が、教室のロッカーの前で四人に囲まれた。

「何だ、夢咲、ちいせえなあ。チービ! ホクロ! ハナクソ!」

 後は、表現できない様な言葉を浴びせられた。
 真っ先に言い出して来たのは、和石であった。

「和石さん……」

 逆に彼女も入れてグループが強くなって苛められた。
 苛めはエスカレートし、自殺を考える程苦しんで行った。

 校庭で、黄色い帽子の子が、櫻の上履きを水溜りに漬けて遊んでいた。

「どうしたの? それ?」

 櫻がびっくりした。

「あっちのお姉ちゃんがこれで遊んでいいって言ってたよ」

 見れば、櫻を苛める女子の中心グループであった。
 元スケープゴートの和石、小柄なリーダー皆川晴子みながわ はるこ、肥満で鈍い森下菜子もりした なこ、こちらも元スケープゴートの転校生の高山理恵子たかやま りえこである。
 この四人が、女子を統括していた苛めは多々あった。

 小学校時代は鬼ごっこが大流行していた。

「高鬼をやろう」

 クラス全員の女子から誘われた。

「ああ、仲間に入れてくれるのかな」

 不思議に思いつつも遊んでいた。
 しかし、学校の休み時間の間ずっとやっていても、櫻だけが鬼で、一人もつかまらない様に作戦を練られていたのが後になって分かった。
 でも、参加しないともっと苛められるから、気落ちしたが付き合った。
 意外とこの辺りは気丈なのかも知れない。

 女子だけではなく、男子からも苛めがあった。
 こちらは、殴られたり蹴られたりした。
 ある時、昇降口で蹴飛ばされたらしい。
 櫻の性質上、その事件が余り記憶になかった。

「下駄箱の端から端へ夢咲さんが消えたよ!」

 通り掛かりの生徒が、親切に教えてくれた。
 教職員室から、男の先生が来た。

「どこの生徒だ? 大丈夫か?」

 体の痛みは、不思議となかった。

「帰ってよし」

 それで、終わった。

「手前! いっつも、生意気なんだよ。勉強できますって面してんなよ!」

 櫻の体操着入れを奪って畑に放り投げられた。
 そして、櫻も畑に投げ込まれ、櫻をミドリガメの様にして、殴る蹴るを繰り返された。

「自分が悪い事をした訳でもないのに……」

 櫻は理不尽な日々で、参って来た。

「修学旅行は行かなければ良かった」

 しみじみと思った。
 今の世界遺産を見学に、電車に乗った。
 ガタゴトと揺れを長く感じたのは、泣かされたからだろう。

「ハナクソ! カッピー」

 全員から言われた。
 カッピーとは、仲間外れの時に使う、汚い人からガードする子ども達の呪文であった。

「てめえさえいなければ、世界中バリアー張らなくていいんだよ」

 女子が特に容赦なかった。

「世界中バリアー、張った! しっ」

 手で払われた。

「あっち行けよ。てめえの座る椅子はねえんだよ」

 小突かれる。
 行きの列車の中からもう始まって、泣いてばかりだ。
 修学旅行中は、人がピースして写っている後ろに隠れてばかりだった。
 それで、学校に張り出された写真は、華厳の滝の写真しか買えなかった。
 溜息ばかりの日々だった。
 それで済まそうと、櫻は生きる力も持っていた。

  2 自殺念慮

 小学校2年生の時、初めて自殺を考えた。
 蚊帳かやの中に入り、布団に丸く座って自分に呟いた。

「死にたい……」

 母が蚊帳を振って入って来た。

「櫻、死にたいと思ったら、お母さんに言ってね」

 強烈だった。
 櫻は、死ぬ前に母に連絡しなければならないと胸に練り込まれた。
 自殺念慮が強くなるとややこしくなった。
 
 翌日、やられたと思った。
 帰りの会で、伊野一いの はじめ先生が急に切り出した。

「皆、お友達です。お友達を傷付けるのは、自分も傷付く事になります。痛いでしょう? 可哀想でしょう? ですから、仲良くしましょう」

「内緒にしておいてと言ったのに……」

 櫻は、穏やかに騙された。

 小学二年の時の伊野先生は良かったが、五、六年の村上宏むらかみ ひろし先生は酷いものだった。
 授業中に煙草を吸う、煙草の村上と呼ばれた。
 櫻が、体育の授業でマラソンの練習をしている時に、足を引っ掛けられて、転んでしまった。
 櫻が騒いだ訳ではなく、帰りの会で、延々と話し合いになった。
 村上先生は、これを故意だと認めないのである。

「俺の組に苛めはない。夢咲の勘違いだ」

 何も訴えていないのに、睨め付けられた。

「あの時、和石さんは、わざと夢咲さんに足を出していたんです」

 そんな声には耳をかさない独裁国家村上のもと、クラスは更に荒れていた。

「何でもないよ。転んだだけ」

 帰宅して膝を抱えて居間の柱に寄りかかる。
 櫻が葵に決まって嘘をつくポーズだ。
 初めて自殺を考えてから、学校で心身を傷付けられていても内緒にしていた。

「どうしたの? その怪我は。尋常ではないでしょう?」

 葵は眉間に皺を寄せる。
 ずるむけな怪我をして帰って来ると、不審がられた。
 母親としては、当然の事だろう。

「分からない。本当に転んだだけ」

 曖昧だ。
 どう問い詰められても記憶がないのだ。
 足を引っ掛けられた件でも、私には、足元に誰かの足が当たった程度にしか感じられなかった。
 いつ、何が、どうしたかがいつもはっきりしない。
 一応、櫻は正直者なので、分かる事だけを話した。

「この怪我は、授業中のマラソンで転んだからだと思います。分からないけれども、足元に何か引っ掛かったのかも知れません」

 これが一応の櫻の記憶と一致していた。

「櫻、足を引っ掛けられたって先生にお話ししたの?」

 櫻は、段々、話すのが苦しくなって来た。

「でも、違うかも知れない」

 悩ましくなった。
 葵は、連絡網で知った名前を探して、何があったのかを聞きまくっていた。

「やっと、分かったわ。櫻は、昔から大切な事は覚えていないからね」

 何度も聞いた台詞だ。

「小さい頃、転んで帰って来ても、どこで転んだかいつも教えられなかったでしょう?」

 痛い所をつかれた。

「村上に言ってやる!」

 葵が息巻いていた。

 櫻は、ちいさい頃から、微妙な認知能力や記憶能力だった。
 後に、大きな記憶障害を起こすとは思いもよらなかった。
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