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白夜とは、最寄りの駅で待ち合わせをした。
パタパタとシャツを動かし、暑さに項垂れながら待っていると、しばらくして駆け寄ってくる人影がある。
リネンのシャツとカーゴパンツ。目元はサングラス、口元はマスクで覆われていたが、体格と髪色で白夜だと分かる。
俺を見つけて走ってくる姿は確かにイヌ科のようで、花苗から言い出さなければ気づかなかったことを恥じた。
「ごめんね。待たせて」
「いや、待ってない。飲み物ある?」
首を振る白夜に、買ったばかりの麦茶のペットボトルを手渡す。この暑さなら欲しいだろう、と買い求めたものだった。ペットボトルを受け取った白夜は、それを首筋に当てて手で扇ぐ。
少し身体が冷えると、蓋を開け、マスクを下ろして口に運んでいた。
「渡したい物、ってこれ、じゃないよね?」
「飲みもの渡したいからって、わざわざ呼び出すかよ」
これ、と手に持っていた小さな袋を差し出す。会う口実に連絡したあとで買い求めたのだが、ずっと立ち寄ろうか迷っていた店の袋だ。
白夜は両手で袋を受け取ると、中身を覗き込んだ。
「コーヒー豆?」
「プロダクションの近くに専門店があってさ。苦いの好きな人向けのブレンドを選んで貰った。ケーキの礼に」
彼は紙袋の取っ手に腕を通した。腕を伸ばし、俺の頭をわしわしと撫でる。
「嬉しいな。ありがと」
「どういたしまして」
行くか、と促すと、二人連れ立って歩き出す。近くにあの特徴を覚えた香水の臭いはしなかったが、今日たまたま香水をつけていないかもしれない。
耳と鼻をせいいっぱい働かせながら、白夜の隣を歩いた。
「…………今日、なにかあったの?」
「え?」
「たまたま店に寄って、会おうと思ってくれたのかもしれないけど。それにしては────何か、緊張してる?」
言い当てられてしまったのは意外だった。思い起こせば、彼はずっと俺のことを見ているし、仕草や行動の癖を覚えられてしまったのかもしれない。
俺は慌てて首を振る。
「たまたまだよ。友達と話してて、思い付いたから」
「そう。何の話をしていたの?」
「白夜の守り神の────」
ふと、鼻先に臭いが届いた。あの女性が近くにいるのだ。
俺は足を止める。もう自宅は突き止められているかもしれないが、このままご丁寧に案内する訳にもいかなかった。
近くの花壇に視線を向け、ポケットから携帯電話を取り出す。メッセージ作成のための画面を呼び出して、白夜の服の裾を引いて覗き込ませた。
「なに?」
急なことにも関わらず、白夜は俺が促すまま自然に画面を覗き込んだ。勘がいいのも、違和感を口にしないのも助かった。
『このまえはなしたひと ちかくにいる かめらのひと においした』
「…………ああ、そっか」
脚を止めると、臭いの元が背後にあることが分かる。指先を動かして、更にメッセージを綴った。
『このまま まわりみちして えきにもどって おれがあのひと ひきとめる』
携帯電話を仕舞うと、相手が言葉を発する前に身体を反転させた。
一気にトップスピードまで足を踏み込み、臭いの元に向けて駆ける。背後で声がしたような気がしたが、耳に入れなかった。
一つの人影を視界に捕らえる。
上はジャージで下はジーンズ、そしてキャップ。一見、男女が分からないような服装。
けれど、あの臭いがする。手には、携帯電話が握られていた。
「────……っ」
その女性の前に立ち塞がって、息を吐く。今日はメイクのない目元が見開かれたのが見えた。
「すみません。最近、この辺うろうろしてますよね。『──』日と『──』日と『──』日、あと、そうだ『──』日も」
喉が緊張で動いたのが見えた。逃げようと身体を動かす先に脚を踏み込んで、逃さないように身体で遮る。
その時、カメラの画面が見えた。画面の右下には、前回撮った写真のサムネイルがある。映っていたのは、白夜の浮き上がるような白いシャツと、薄い髪色だった。
「────なに撮ってるんですか」
低く。あえて脅すように語気を強めた。
目の前の鮮やかに塗られていない唇が、色を失うのが見えた。開かれていた唇は、何を言うこともなく、きゅっと引き結ばれる。
その人の脚が踏み込まれるのが見えた。
殴られるような動作に見えて、咄嗟に身を引く。すると、小柄な体格を利用して肩の脇を擦り抜けた。逃がすことも考えた。だが、この脅しで効かない相手ならまた繰り返す。
腕を振り回し、ジャージの裾を掴んだ。
藻掻く腕と、揉み合いになる。落ち着かせようと声を掛けるのだが、その人も諦めずに逃れようとする。傷付けていいのならやりようもあるが、一族の中でさえ、法を逃れつつ飼い主を守ることに苦心する昨今だ。
ぶん、と腕が振られ、その腕を自身の腕で受け止める。その時にあえて振りかぶられた手の甲を叩くように力を込めた。カシャン、と音がする。
拾おうとする手の前に、自らの足を差し入れる。シューズでガードされたような形になり、その人は拾うのを諦めたようだった。
腕を引いて、逃走経路を提供する。相手は意図したとおりに身を翻し、夜闇に駆け去っていった。
遠ざかっていく背を見送り、道路を見下ろす。
「拾得物か……面倒」
はあ、と落とさせた携帯電話を拾い上げる。上手くいくとは思っていなかったが、あまりにも予想通りに動く相手だった。
俺が割れた画面を見下ろしていると、背後から声が掛かる。
「凄いね。終わった?」
「駅に行け、って言っただろ。こっから離れるぞ」
周囲に監視カメラがないことを確認し、彼の背を押して早足で歩き出した。白夜は指示されていた通りに駅に向かわなかったようだ。
俺の体術を褒めるあたり、こっそり見ていたのだろう。
「それ、どうするの? 携帯」
「うちの一族に渡して然るべき措置を頼む。大ごとにしない代わりに、近付くなよ、ってかなり強く脅して貰う」
「へえ。一族、ってそういう事できるんだ」
「飼い主を守るためには、綺麗事を言ってられないこともあるから」
携帯電話の中身を確認すると、俺が家に行くようになる前からの盗撮画像がずらりと並んでいた。白夜のマンションに入る直前の画像もある。
げ、と予想通りながら、俺はがっかりと肩を落とした。
「今日、家に帰らない方がいいな」
「うわ。これは引っ越し確定か。安住の地は遠いなあ」
口調は軽いものの、がっかりしている様子が伝わってきた。俺だって、明日引っ越し、ともなれば落ち込む。
「今日、取りに帰るものがないなら、このまま俺の家に来たら?」
電源オフでも位置情報を示せる機種ではないことを確認し、携帯電話の電源を落とす。カバーもなく、位置情報タグも見当たらない。
電源を点ければ位置情報は拾えてしまうから、次に起動するのはバレてもいい場所で、だ。
「いいの?」
「うん。俺の家の周りは一族の人が多いし、安全だと思う」
付近には一族の人間が所有するマンションがいくつかあり、そちらはセキュリティをがちがちに固めた、飼い主を守るための物件だ。一族同士も手助けできる範囲で互いに守りあう体制が整っている。
彼が飼い主であったのなら、是非そちらに引っ越してもらいたい所だった。
「────付いてくる様子ないな」
臭いを確認するが、それもない。付近でタクシーを拾い、俺の家の住所を告げた。タクシーが走り出すと、息を吐いて座席に凭れる。
ぽんぽん、と肩が叩かれた。
「お疲れ様」
「本当だよ。荒事なんて俺らでもそんなにないんだぞ」
白夜も同じように力を抜く。
彼も緊張していたようだ。確かに、ストーカーと友人が一戦交えるだなんて、見ている方もはらはらする。
道中、当然ながら追ってくる車はなかった。
俺の自宅付近に着くと、タクシーから降りる。料金はさらりと白夜が支払っていた。はんぶん渡そうとも思ったが、面倒がるだろう、と思ってやめる。
「ありがとな。腹減ってるなら簡単なメシは出すから」
「あー……食べてきたけど、確かにお腹空いちゃうかも」
帰宅の道中も周囲を確認しながら歩き、自宅に着いた時にはほっと胸を撫で下ろした。追ってくる筈はないと分かっているのだが、万が一を捨てきれない。
先に家に上がって、軽く片付けてから白夜を呼び込む。
ひとり暮らしらしい狭い部屋だが、ペット可らしく壁は厚いし、風呂とトイレが分かれているのは上等だ。親族経由で借りた部屋だが、この地域自体の利便性もよく気に入っている。白夜の部屋と比べれば、片付いてはいるものの物と色は多い。
白夜は俺の部屋を興味深く見渡している。冷蔵庫から麦茶を取り出して氷を入れ、マグカップに注いだ。
狭いソファへ腰掛けるよう勧め、麦茶を小さなテーブルに置く。
「狭くて悪い」
ソファに座ろうとすれば、ほぼ隣だ。仕方ないことだが、近くに腰掛けて喉を潤した。すぐにカップは空になって、机の上に逃がす。
「あのさ」
白夜の腕が伸び、同じように空になったマグカップが机に置かれた。コトリ、という音にびくりと肩を震わせる。
空いた掌は、俺の手に重なる。
「さっきからずっと、飼い主っぽく扱われてる気がしたんだけど、自惚れていいの?」
ばくばくと胸が鳴った。指先は、逃がさないように、祈りを込めるように覆い被さって離れない。
今日の俺は、飼い主を守るという特性を遺憾なく発揮しすぎていた。彼を飼い主に定めていることが、口調にも表れてしまっていただろう。
俺が黙りこくっていると、肩を掴まれ、彼の方を向かされた。にこり、と赤い唇が笑んだのが見える。
唇が開いたと思ったら、距離を詰められ、唇に噛みつかれた。
「────ッ、ふ」
押し付けてくる身体を手のひらで押し返そうとするが、抵抗しようと思う度に力が抜けていく。
滑り込もうとする舌を遮るように口を閉じると、べろ、と唇を舐められた。
身を引き、口元を押さえる。
「お前な……!?」
「そっか、受け入れてくれるのか。じゃあ……」
腰に手が回され、全身で抱き寄せられる。ぎりぎりまで顔を近づけると、鼻先がぶつかった。
「こう言えばいいの? 『僕を受け入れて』」
藻掻いていた手足が、力を失う。
彼は思った通りの結果を満足そうに笑うと、ちゅ、と額に軽くキスをした。命令に従った犬を、褒めるようだった。
「僕をきみの飼い主にして。恋人にも、そして伴侶にも」
「………………」
黙りこくる俺に、顔を覗き込んで返事を促される。唇を震わせ、諦めに息を吐いた。
彼の巣に入った時点で、俺は逃げる術を失っていたらしい。
「じゃなきゃ、無理やり魂を染めちゃおっか」
「な──!」
この人間ならやりかねない。
あぁ、と負け犬は遠吠えすら叶わず、情けなく声を漏らす。ぼす、と白夜の肩に寄り掛かると、ひくく声を出した。
「……犬にとっての飼い主って、重いんだぞ」
「君にとっていちばん重い存在になりたいんだよ」
俺の背を抱いて、ぽんぽんと叩かれる。息を吸い込むと、今日の白夜も他の臭いは混ざっていなかった。
この腕の中がいちばん好きだ。息をする度、彼の匂いでいっぱいになる。
腕を伸ばして、その背を抱き返した。
「拾って、くれ」
「喜んで」
ぎゅう、と力が篭もる。頬に、こめかみに、と、ちゅっちゅとやられ、居心地の悪さに唸った。
ご機嫌な声は、そこかしこで跳ね回っている。
抵抗せず好きなようにやらせていると、もぞもぞと服の下に手が入り、慌てて上から叩いた。
「…………な!? な、っに、を!」
「だって、必要なんでしょ。魂を染めるの」
かっと頬を染めると、それをいいことに指先が背を撫でた。暴れるべきか、受け入れるべきか迷って、染められる誘惑の甘美さに足踏みする。
俺を見ていた白夜は、更に駄目押しした。
「僕だけの犬になりたくない?」
きゅう、と胸が引き絞られる。潤したばかりの喉はからからに渇いて、あ、と戸惑いが濁った声で漏れた。
追い詰める手は止まない。
「きっちり君に首輪を掛けてあげる。僕は、君だけの飼い主になってあげられる。だから、その代わり────」
欲望はストレートに言葉に溢れ出している。耳元に唇を寄せ、低い声が耳朶を震わせた。波は皮膚の浅いところを滑っていく。
ぞくぞくと身体の芯が熱を帯びる。
「君は、飼い主に服従しないとね。──できる?」
視線が交わった。逆らって、勝てないと分かる強い瞳だった。
犬が腹を見せて寝転がるように、俺は静かに降伏した。
「……できる」
改めて指先が背を伝い、ぞくぞくした感覚を伝えてくる。深いスキンシップに身を委ねていると、耳元に声を吹き込まれる。
「いい子だ」
パタパタとシャツを動かし、暑さに項垂れながら待っていると、しばらくして駆け寄ってくる人影がある。
リネンのシャツとカーゴパンツ。目元はサングラス、口元はマスクで覆われていたが、体格と髪色で白夜だと分かる。
俺を見つけて走ってくる姿は確かにイヌ科のようで、花苗から言い出さなければ気づかなかったことを恥じた。
「ごめんね。待たせて」
「いや、待ってない。飲み物ある?」
首を振る白夜に、買ったばかりの麦茶のペットボトルを手渡す。この暑さなら欲しいだろう、と買い求めたものだった。ペットボトルを受け取った白夜は、それを首筋に当てて手で扇ぐ。
少し身体が冷えると、蓋を開け、マスクを下ろして口に運んでいた。
「渡したい物、ってこれ、じゃないよね?」
「飲みもの渡したいからって、わざわざ呼び出すかよ」
これ、と手に持っていた小さな袋を差し出す。会う口実に連絡したあとで買い求めたのだが、ずっと立ち寄ろうか迷っていた店の袋だ。
白夜は両手で袋を受け取ると、中身を覗き込んだ。
「コーヒー豆?」
「プロダクションの近くに専門店があってさ。苦いの好きな人向けのブレンドを選んで貰った。ケーキの礼に」
彼は紙袋の取っ手に腕を通した。腕を伸ばし、俺の頭をわしわしと撫でる。
「嬉しいな。ありがと」
「どういたしまして」
行くか、と促すと、二人連れ立って歩き出す。近くにあの特徴を覚えた香水の臭いはしなかったが、今日たまたま香水をつけていないかもしれない。
耳と鼻をせいいっぱい働かせながら、白夜の隣を歩いた。
「…………今日、なにかあったの?」
「え?」
「たまたま店に寄って、会おうと思ってくれたのかもしれないけど。それにしては────何か、緊張してる?」
言い当てられてしまったのは意外だった。思い起こせば、彼はずっと俺のことを見ているし、仕草や行動の癖を覚えられてしまったのかもしれない。
俺は慌てて首を振る。
「たまたまだよ。友達と話してて、思い付いたから」
「そう。何の話をしていたの?」
「白夜の守り神の────」
ふと、鼻先に臭いが届いた。あの女性が近くにいるのだ。
俺は足を止める。もう自宅は突き止められているかもしれないが、このままご丁寧に案内する訳にもいかなかった。
近くの花壇に視線を向け、ポケットから携帯電話を取り出す。メッセージ作成のための画面を呼び出して、白夜の服の裾を引いて覗き込ませた。
「なに?」
急なことにも関わらず、白夜は俺が促すまま自然に画面を覗き込んだ。勘がいいのも、違和感を口にしないのも助かった。
『このまえはなしたひと ちかくにいる かめらのひと においした』
「…………ああ、そっか」
脚を止めると、臭いの元が背後にあることが分かる。指先を動かして、更にメッセージを綴った。
『このまま まわりみちして えきにもどって おれがあのひと ひきとめる』
携帯電話を仕舞うと、相手が言葉を発する前に身体を反転させた。
一気にトップスピードまで足を踏み込み、臭いの元に向けて駆ける。背後で声がしたような気がしたが、耳に入れなかった。
一つの人影を視界に捕らえる。
上はジャージで下はジーンズ、そしてキャップ。一見、男女が分からないような服装。
けれど、あの臭いがする。手には、携帯電話が握られていた。
「────……っ」
その女性の前に立ち塞がって、息を吐く。今日はメイクのない目元が見開かれたのが見えた。
「すみません。最近、この辺うろうろしてますよね。『──』日と『──』日と『──』日、あと、そうだ『──』日も」
喉が緊張で動いたのが見えた。逃げようと身体を動かす先に脚を踏み込んで、逃さないように身体で遮る。
その時、カメラの画面が見えた。画面の右下には、前回撮った写真のサムネイルがある。映っていたのは、白夜の浮き上がるような白いシャツと、薄い髪色だった。
「────なに撮ってるんですか」
低く。あえて脅すように語気を強めた。
目の前の鮮やかに塗られていない唇が、色を失うのが見えた。開かれていた唇は、何を言うこともなく、きゅっと引き結ばれる。
その人の脚が踏み込まれるのが見えた。
殴られるような動作に見えて、咄嗟に身を引く。すると、小柄な体格を利用して肩の脇を擦り抜けた。逃がすことも考えた。だが、この脅しで効かない相手ならまた繰り返す。
腕を振り回し、ジャージの裾を掴んだ。
藻掻く腕と、揉み合いになる。落ち着かせようと声を掛けるのだが、その人も諦めずに逃れようとする。傷付けていいのならやりようもあるが、一族の中でさえ、法を逃れつつ飼い主を守ることに苦心する昨今だ。
ぶん、と腕が振られ、その腕を自身の腕で受け止める。その時にあえて振りかぶられた手の甲を叩くように力を込めた。カシャン、と音がする。
拾おうとする手の前に、自らの足を差し入れる。シューズでガードされたような形になり、その人は拾うのを諦めたようだった。
腕を引いて、逃走経路を提供する。相手は意図したとおりに身を翻し、夜闇に駆け去っていった。
遠ざかっていく背を見送り、道路を見下ろす。
「拾得物か……面倒」
はあ、と落とさせた携帯電話を拾い上げる。上手くいくとは思っていなかったが、あまりにも予想通りに動く相手だった。
俺が割れた画面を見下ろしていると、背後から声が掛かる。
「凄いね。終わった?」
「駅に行け、って言っただろ。こっから離れるぞ」
周囲に監視カメラがないことを確認し、彼の背を押して早足で歩き出した。白夜は指示されていた通りに駅に向かわなかったようだ。
俺の体術を褒めるあたり、こっそり見ていたのだろう。
「それ、どうするの? 携帯」
「うちの一族に渡して然るべき措置を頼む。大ごとにしない代わりに、近付くなよ、ってかなり強く脅して貰う」
「へえ。一族、ってそういう事できるんだ」
「飼い主を守るためには、綺麗事を言ってられないこともあるから」
携帯電話の中身を確認すると、俺が家に行くようになる前からの盗撮画像がずらりと並んでいた。白夜のマンションに入る直前の画像もある。
げ、と予想通りながら、俺はがっかりと肩を落とした。
「今日、家に帰らない方がいいな」
「うわ。これは引っ越し確定か。安住の地は遠いなあ」
口調は軽いものの、がっかりしている様子が伝わってきた。俺だって、明日引っ越し、ともなれば落ち込む。
「今日、取りに帰るものがないなら、このまま俺の家に来たら?」
電源オフでも位置情報を示せる機種ではないことを確認し、携帯電話の電源を落とす。カバーもなく、位置情報タグも見当たらない。
電源を点ければ位置情報は拾えてしまうから、次に起動するのはバレてもいい場所で、だ。
「いいの?」
「うん。俺の家の周りは一族の人が多いし、安全だと思う」
付近には一族の人間が所有するマンションがいくつかあり、そちらはセキュリティをがちがちに固めた、飼い主を守るための物件だ。一族同士も手助けできる範囲で互いに守りあう体制が整っている。
彼が飼い主であったのなら、是非そちらに引っ越してもらいたい所だった。
「────付いてくる様子ないな」
臭いを確認するが、それもない。付近でタクシーを拾い、俺の家の住所を告げた。タクシーが走り出すと、息を吐いて座席に凭れる。
ぽんぽん、と肩が叩かれた。
「お疲れ様」
「本当だよ。荒事なんて俺らでもそんなにないんだぞ」
白夜も同じように力を抜く。
彼も緊張していたようだ。確かに、ストーカーと友人が一戦交えるだなんて、見ている方もはらはらする。
道中、当然ながら追ってくる車はなかった。
俺の自宅付近に着くと、タクシーから降りる。料金はさらりと白夜が支払っていた。はんぶん渡そうとも思ったが、面倒がるだろう、と思ってやめる。
「ありがとな。腹減ってるなら簡単なメシは出すから」
「あー……食べてきたけど、確かにお腹空いちゃうかも」
帰宅の道中も周囲を確認しながら歩き、自宅に着いた時にはほっと胸を撫で下ろした。追ってくる筈はないと分かっているのだが、万が一を捨てきれない。
先に家に上がって、軽く片付けてから白夜を呼び込む。
ひとり暮らしらしい狭い部屋だが、ペット可らしく壁は厚いし、風呂とトイレが分かれているのは上等だ。親族経由で借りた部屋だが、この地域自体の利便性もよく気に入っている。白夜の部屋と比べれば、片付いてはいるものの物と色は多い。
白夜は俺の部屋を興味深く見渡している。冷蔵庫から麦茶を取り出して氷を入れ、マグカップに注いだ。
狭いソファへ腰掛けるよう勧め、麦茶を小さなテーブルに置く。
「狭くて悪い」
ソファに座ろうとすれば、ほぼ隣だ。仕方ないことだが、近くに腰掛けて喉を潤した。すぐにカップは空になって、机の上に逃がす。
「あのさ」
白夜の腕が伸び、同じように空になったマグカップが机に置かれた。コトリ、という音にびくりと肩を震わせる。
空いた掌は、俺の手に重なる。
「さっきからずっと、飼い主っぽく扱われてる気がしたんだけど、自惚れていいの?」
ばくばくと胸が鳴った。指先は、逃がさないように、祈りを込めるように覆い被さって離れない。
今日の俺は、飼い主を守るという特性を遺憾なく発揮しすぎていた。彼を飼い主に定めていることが、口調にも表れてしまっていただろう。
俺が黙りこくっていると、肩を掴まれ、彼の方を向かされた。にこり、と赤い唇が笑んだのが見える。
唇が開いたと思ったら、距離を詰められ、唇に噛みつかれた。
「────ッ、ふ」
押し付けてくる身体を手のひらで押し返そうとするが、抵抗しようと思う度に力が抜けていく。
滑り込もうとする舌を遮るように口を閉じると、べろ、と唇を舐められた。
身を引き、口元を押さえる。
「お前な……!?」
「そっか、受け入れてくれるのか。じゃあ……」
腰に手が回され、全身で抱き寄せられる。ぎりぎりまで顔を近づけると、鼻先がぶつかった。
「こう言えばいいの? 『僕を受け入れて』」
藻掻いていた手足が、力を失う。
彼は思った通りの結果を満足そうに笑うと、ちゅ、と額に軽くキスをした。命令に従った犬を、褒めるようだった。
「僕をきみの飼い主にして。恋人にも、そして伴侶にも」
「………………」
黙りこくる俺に、顔を覗き込んで返事を促される。唇を震わせ、諦めに息を吐いた。
彼の巣に入った時点で、俺は逃げる術を失っていたらしい。
「じゃなきゃ、無理やり魂を染めちゃおっか」
「な──!」
この人間ならやりかねない。
あぁ、と負け犬は遠吠えすら叶わず、情けなく声を漏らす。ぼす、と白夜の肩に寄り掛かると、ひくく声を出した。
「……犬にとっての飼い主って、重いんだぞ」
「君にとっていちばん重い存在になりたいんだよ」
俺の背を抱いて、ぽんぽんと叩かれる。息を吸い込むと、今日の白夜も他の臭いは混ざっていなかった。
この腕の中がいちばん好きだ。息をする度、彼の匂いでいっぱいになる。
腕を伸ばして、その背を抱き返した。
「拾って、くれ」
「喜んで」
ぎゅう、と力が篭もる。頬に、こめかみに、と、ちゅっちゅとやられ、居心地の悪さに唸った。
ご機嫌な声は、そこかしこで跳ね回っている。
抵抗せず好きなようにやらせていると、もぞもぞと服の下に手が入り、慌てて上から叩いた。
「…………な!? な、っに、を!」
「だって、必要なんでしょ。魂を染めるの」
かっと頬を染めると、それをいいことに指先が背を撫でた。暴れるべきか、受け入れるべきか迷って、染められる誘惑の甘美さに足踏みする。
俺を見ていた白夜は、更に駄目押しした。
「僕だけの犬になりたくない?」
きゅう、と胸が引き絞られる。潤したばかりの喉はからからに渇いて、あ、と戸惑いが濁った声で漏れた。
追い詰める手は止まない。
「きっちり君に首輪を掛けてあげる。僕は、君だけの飼い主になってあげられる。だから、その代わり────」
欲望はストレートに言葉に溢れ出している。耳元に唇を寄せ、低い声が耳朶を震わせた。波は皮膚の浅いところを滑っていく。
ぞくぞくと身体の芯が熱を帯びる。
「君は、飼い主に服従しないとね。──できる?」
視線が交わった。逆らって、勝てないと分かる強い瞳だった。
犬が腹を見せて寝転がるように、俺は静かに降伏した。
「……できる」
改めて指先が背を伝い、ぞくぞくした感覚を伝えてくる。深いスキンシップに身を委ねていると、耳元に声を吹き込まれる。
「いい子だ」
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※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。