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 屋敷の滞在が長くなってくると、実家からは追加で荷物を送ろうかと打診された。

 長期的に滞在をするのなら受け取りたいものもあったが、徹底的な破綻がすぐにない、とまだ言い切れずにいる。両親にはこちらの家での保管場所の相談が終わり次第、と返事をして、一旦、保留とすることにした。

 オルキスの自室で文机を借り、返事の手紙を書き終えると、封をせずに使用人を経由してオルキスへと回してもらった。彼からの手紙があれば同封されるのかもしれない。

 まだお客さんとしての立場を意識している俺は、通信魔術を使うことを控えていた。俺の体調が落ち着いたら、と対外的に公表している訳でもないし、俺の行動がヴィリディ家の監視下に置かれるように行動をしている。

 彼らのためでもあるが、俺の身を守るためでもあった。

 もうちょっと気楽に生きたいもんだ、と息を吐き、つい癖で腹を撫でる。少し丸みを帯びてきたであろうその場所は、この国にとっては俺の命よりも重い。

「お前がいなかったら。俺、こうやって番でいられたのかな」

 オルキスを縛ってしまったようで、澱のようなものが溜まっていく。

 胎に対しての魔術を解いたのはオルキス自身だが、長い発情期で精神を崩していた彼と、普段、接している彼とでは印象がまるで違う。

 俺がいる限り、あの病の後遺症を背負わせてしまうような感覚もあった。

 やめやめ、と憂いを払い、新しく引き受けた魔術装置へ埋め込む魔術式の設計書を取り出した。魔術機持ちの連中には手書きを驚かれるが、実家ではあんな高価なものはとても買えなかったのだ。

 細かな文字を重ねて魔術式を組んでいると、屋敷全体で管理している結界のうち、オルキスの自室の扉に仕掛けられたそれが一時的に解除される。

 姿を現したのは、今では仕事仲間であるフィーアだった。魔術師のローブを纏った彼の憂いは晴れ、日々貴族付きの魔術師としてオルキスに付き従っている。

「おはよ。どした?」

「思ったより元気そうでなにより。来客があるそうでな、鉢合わせるとまずいかと予定を聞いておいた」

「うわ、助かる。まだ俺がここに滞在してるってこと、身内しか知らないしな」

 フィーアは口の端を上げると、ローブの内側から手帳を取り出して頁を捲る。

「来るのはルピオ家のキィジーヌ様とスリーフ様、双子の姉弟だ。二人は……」

 友人は言葉の途中で、あからさまに悩むように口籠もった。俺はまあ座れ、とフィーアの手を引いてソファに腰掛けさせ、がしりと態とらしく肩を組む。

 この几帳面な友人は、嘘も誤魔化しも下手だ。

「この二人が、オルキスと何かあんだな?」

「その野生の勘を、上手いこと発動させるのは止めてくれないか」

「好奇心と勘でここまで上手く生きてこられてんだから、使わない手はないだろ」

 にんまりと絡んで笑うと、フィーアは諦めたように息を吐く。

「……二人のうち、オメガであるキィジーヌ様は、オルキス様の番に、と話に挙がっていた人物だ。勿論、話は進まなかったが、お互いに家柄が釣り合って、雷管石を預けていても神殿から答えがないアルファとオメガ同士だった」

 ルピオ家もまた古くから続く家柄だ。建国の祖に縁があり、家柄としてはこれ以上は望めないほどの立場にある。

 とはいえ、昨今では領地が縮小ぎみで、うちの実家ほどではないにしろ金に困っているのでは、と噂されていた。実家も金はなく、そういった話が回ってきやすかったのだ。

「ルピオ家も金に困っている感じだったな。横から俺が掠め取った形になる訳か」

「まあ、悪く言えばそう言えなくもないが、正式な話にまで挙がっていた訳でなし。神殿のお墨付きがある運命の番は何よりも重い。ルピオ家が困窮していたとしても、セルドが気にすることではない」

「文字通り余計なお世話か。どう言い繕っても、家の格はあちらのほうが上だしな」

 じゃあ出歩かない方がいいな、と納得し、二人が来訪する時間を細かく教えてもらった。窓からは屋敷の門が観察できる、ちょくちょく眺めて馬車が去ったら出歩くとしよう。

 しっかりと書き留めてくれたフィーアに礼を言う。

「いや、セルドが心穏やかに過ごせるならそれ以上はない。そういえば、御子はどうだ?」

「誰に似たんだか、とんでもない大食らいだな」

「お前だろう。健やかならいいんだ」

 組んでいた腕を解くと、フィーアは仕事だとソファから立ち上がった。机の上の魔術式に視線をやり、間違っている箇所を訂正すると、部屋を出て行く。

 俺は間違っていた箇所を書き留めると、ぽすんとソファに背を預けた。

「……婚約者みたいな人、くらいいるよな」

 自分にはとてもそんな相手はいなかったのだが、単純に貧乏だからだ。普通の貴族なら、運命の番を求めつつも、得られない時のための婚約者がいる事は咎められることではない。

 だが、何だか、胸がちくちくと疼いて仕方ないのだ。

「なんか。オルキスに正式な婚約者とかいたら、もっと腹立ってた、かもな」

 自分という番がありながら、ともっと沼深くに沈んで嫉妬に染まったかもしれない。そろりと首筋に手を伸ばすと、オルキスが噛んだ歯形に凹んでいる感触が当たる。

 この痕が失われることはない。それでも、オメガはアルファに痕を残せはしないのだ。

「オルキスに、情でも湧いてきたのかねぇ……」

 他人事のように呟いてはみるのだが、そう言い始めた時点で答えは明らかだった。

 身体を重ねて、長く共に時間を過ごし、ああも開けっぴろげに愛を毎日囁かれれば、傾くものなのかもしれない。自身の変化を意外に思いながら、滑らかな生地の上に寝転がった。

 納期がまだ先の魔術式を見やって、うとうとと微睡む。魔術学校にいた頃も魔術の実験に忙しく、実家では仕事で領地を駆け回っていたものだから、人生で初めての長期休暇のようなものだった。

 少し眠ってしまったのだろう。光の眩しさに目を開けると、近くに立っていたオルキスが顔を覗き込んできた。

「起こしちゃったかな、ごめん。少し忘れ物を取りに来てね」

「…………ん? うん」

 ぽやぽやと掴み所の無い返事をすると、ころころと鈴を転がすような笑い声が上がった。オルキスの両手が起き上がった俺の頬を包み、ついでとばかりにこめかみにキスをされた。

 反応に困ってむにゃむにゃと誤魔化し、口を開く。

「ルピオ家の人ら、まだいるの?」

「父と話しているところだよ。僕は借りていた本を取りに来たのだけど、もう少しいるかな」

 まだ部屋を出られないか、と伸びをして、目元を擦る。机の近くで本を見つけ出したオルキスは、小脇に抱えた。

「フィーアから話を聞いたんだろう。セルドは、ルピオ家の人達に会ってみたい?」

「え? 興味はあるけど……、会わない方がいいだろ」

「あちらとは長い付き合いだし、問題ないとは思うけれどね。セルドが望むならそうしようか」

 オルキスは本を持って部屋を出て行った。

 家同士の付き合いが長いのなら、相手のお嬢様とやらも互いの人柄を知った上で婚約を承諾したということだ。婚約が立ち消えになったとしても揉めないくらいの間柄であるのだろう。

 逆にそれは、それだけ良い関係だったのではないか。

 窓の外を眺めると、馬車はまだ停まっていた。藍色の瞳が硝子に反射して、伏せ気味の目元が視界に突きつけられる。

「目が濁って、緑にでもなっちまいそう」

 腕を伸ばして、書きかけの魔術式に取りかかった。魔術式を組んでいる間は、雑音が入ってくることはない。興味を突き詰める手っ取り早い手段だった。

 実家では兄たちがいるために領地運営に携わることは求められず、妙に素質のあった魔術を極めることにした。魔術学校を出てからは学問としての魔術を独学で学び続け、領地を守るために力を使い続けた。

 貴族である上にオメガであれば、見合い以外の恋愛は難しい。魔術以外で、好奇心を満たす対象が、興味を深く傾ける対象が現れることは初めての事だ。

 魔術式ができあがると、試し撃ちをしたくなった。調理場で熱を加えるための装置は、誤作動を起こせば周囲に燃え広がる。屋敷の庭の中で、周囲に土しかない場所。窓から眺めて、あたりを付けた。

 そっと馬車のあった場所に視線をやると、馬車はいなくなっていた。もう少し、と言っていたからそろそろ帰っていったのだろうか。

 与えられた服に着替え、人前に出られる程度に髪型を整えてから、魔術式を書き付けた紙を持って部屋を出た。使用人がよく使っている通路を抜けて、裏口から庭へと歩く。

 庭の中で芝がなく、目星を付けていたあたりに辿り着くと、書き付けた紙の文字に魔力を流し、地面へと置いた。

 失敗しても影響のない範囲まで離れ、紙を中心に結界を張る。

「我が護るべき者とを隔て、円は全ての矛を許さず。力は内にのみ。この境を超える術は我のみ。許しを与えるまでその場にあるように」

 結界が発動したのを確認すると、魔力による導火線を手繰る。

 新しい技術を埋め込んだ魔術式は座学がよく分からないから、こうやって試し続けて完成させていく。久しぶりの高揚に、思わず口元が上がった。

 紙に書き付けた魔術式に神経が通ったのを確認すると、ぱちん、と指を鳴らした。

「発動!」

 出来あがったのが嬉しくて、勢い良く言ったのが悪かったのかもしれない。

 爆発。

 一言でいえばもの凄い音を立てた炎の塊が、結界内で一瞬で膨れ上がった。結界で熱も風も届かないが、音だけが結界で殺しきれずに周囲に響き渡る。

 遮音結界を併用すればよかった、という後悔は、濡れた靴で傘を差しているようなものだった。

「馬鹿者が! どうせお前だと思ったよ!」

 旧友……フィーアは慌てたように駆けてくると、俺の頭を昔のようにひっぱたいた。痛くもないのに、いたい、と呟いて許しを請うのもお約束である。

 学舎では学問の裏付けをせずに試して感覚で調整する姿勢を、この友人によく怒られていたものだ。

「失敗した」

「今さら短く正確に言ったところで酌量はされん。あと勝手に実験されたらお目付役の意味がないんだが」

「忙しいかと思って……」

「これから報告書やらで忙しくなるんだ! お前の所為でな!」

 とはいえ、結界内に爆風が収まっている様子を見て、フィーアは胸を撫で下ろす。吊り上がっていた目元が緩んだのを見て、俺もほっと息を吐いた。

「我々は経験上、結界を張れば危なくないことを理解している。だが、塔から風の毛布を纏った魔術師が放り投げられれば人々は肝を冷やす。それが危なくないこと、が理解し辛いからだ」

「あー……」

「爆発時、オルキス様の隣にいて顔でも見ておくべきだったな。私が説明するまで、倒れそうなほど青ざめていた」

 流石に友人は、俺に何が効くかを心得ている。

 しゅんと落とした肩に手を添え、屋敷に戻るぞ、と身体を反転させる。慌てて出てきた魔術師の仕事仲間には、結界ありきの実験だと説明を加えていた。

 実家では実験の音なんて慣れたものだったが、この屋敷はまた別物なのだ。せめて魔術師たちにはどんな実験をするのか伝えるべきだった。

 急いでいたし、出来に嬉しくなっていたとはいえ、完璧に俺の不手際だ。

「セルド!」

 さっと海を割るように人が両側に分かれた間から、早足でオルキスが歩み出る。広がった腕に抱きしめられることが分かっても、俺には逃げる術がなかった。

 抱きしめてくる指先は震えていて、必要のない心労を与えてしまったことを知る。

「ごめん。魔術式を試そうとしたら、失敗しちゃって……」

 オルキスは咄嗟に吐き出そうとした言葉を飲み込んで、深くふかく息を吸う。軽く離れて見えた瞳には、理性の光が戻っていた。

「次からは、必ずフィーアを連れていくこと。破るようなら、実験だけは他の人に頼んで貰うよ」

「…………それ、で、いいんだ」

 他に罰はないのか、窺うような眼差しに、オルキスは頷く。

「それでいいよ。驚いたことは驚いたけど、フィーアも含め、魔術師ってそういう生き物でしょう。僕だって、君を屋敷に閉じ込めている自覚も、君が大人しく受け入れてくれている認識もあるんだよ」

 たまには引かないとね、と耳元で呟き、はあ、と長く息が漏れた。腕の中で再度謝って、その背を抱き返す。

 謝罪の意味でなら抱き返せるのに、普段はそうできないことを悲しく思ってしまった。

「あら、お熱いこと」

 ふふ、と楽器でも爪弾いたかのような高音が耳に届いた。オルキスが力を緩めたのをいいことに、腕からするりと抜け出る。

 ゆったりと歩み寄ってくるのは、深い紫のドレスを身に纏った令嬢だった。おそらくルピオ家のキィジーヌ嬢であろう美しい女性は、俺の前で優雅な礼を見せる。

「初めまして、キィジーヌ・ルピオと申します。ヴィリディ家とは領地が近いこともあり、昔馴染みなの」

「セルド・クラウルと申します。上品で素敵なドレスですね。特に陽の下で見ると、光沢がはっきり分かる」

「嬉しい。オルキス様はもうこのドレスは見飽きて、いつも通りの世辞でしてよ」

 うーん、と目を閉じて首を傾げているオルキスに、キィジーヌ嬢は笑って文句を続けた。俺に対してもこの泥棒猫、といった空気はなく、友人の友人、といった柔らかな接し方だ。

「セルド様、わたくしはお二人の事情は聞かせて頂いているの。そんなに肩肘を張らずとも結構でしてよ。身体に悪いわ」

 他の人に見えない位置で腹に手を当ててみせる彼女の仕草から、一頻りの説明は済んでいることが窺える。

 俺のことを隠さなければいけない間柄でもなく、口約束の婚約だってこんなに穏やかに終わらせられるような相手なのだ。二人の間に積み重ねた年月がそうするのなら、アルファとオメガの間でその関係が築けたのを羨ましく思ってしまう。

 キィジーヌ嬢との挨拶が終わると、背後から長身の青年が進み出てくる。令嬢よりは若い印象だった。

「俺も、ついでに挨拶をして構わないでしょうか?」

「よろしくてよ」

 キィジーヌ嬢が一歩引くと、青年は剣だこのある掌を差し出してくる。オルキスよりもしっかりとした体躯は、動くのに慣れた人物特有のものだ。

 ふんわりと花を背負うような華やかさはないが、質実剛健というのか、整った顔立ちといい、感じが良く爽やかな若者だった。

「スリーフ・ルピオといいます。キィジーヌの弟です」

「よろしく……お願いします。────?」

 握手をしている間、すぐに抜けぬよう鍔のあたりを縛ってある剣が目に入った。剣の鞘は植物を意匠にしたもので、派手すぎない色味ながら彩を添えている。

「剣の鞘、綺麗だなあ」

 気が抜けたように言ってしまって口元に手を当てるが、スリーフは嬉しそうに表情をくしゃりと崩した。

「元は父の持ち物なのですが、成人祝いに頂いて気に入っているんです」

 スリーフが親切に剣の鞘を傾けると、埋め込まれた宝石が地面に反射している色味が変化する。万華鏡のようなその色彩は、普段使いというよりも装飾品といった意味合いが強いのだろう。

 歓声を上げると、スリーフは裏面まで見せてくれる。

「冗談で頂戴、って言っても真面目に断られるんだよね」

 オルキスがそう言うと、スリーフは眉根を寄せた。

「冗談でも駄目ですよ」

「ほら」

 ぽんぽんと跳ねるようなやり取りは気安く、キィジーヌ嬢も含めた三人の仲は良好そうだ。俺が差し挟めない空気感がそこにはあった。

 特にキィジーヌ嬢の立ち姿は美しく、些細な仕草も淑やかで肌に染みついたものであることを窺わせる。ドレスの着こなしといい、明らかにオルキスと並べるなら俺よりこちらが似合いだろう。

 彼女が俺のことを受け入れてくれる空気を知れたのは良かったが、劣等感が育つには十分な相手だった。程度の差はあれど同じように金に困っているというのに、ヴィリディ家の選択を表面上怒りもしない。

 特に彼女は、口約束とはいえ、将来の番という保険を失ったところなのだ。それなのに、丁寧に俺に挨拶をして、笑顔を崩すことはない。多少なりとも、悲しいのではないだろうか。

 容姿も、育ちも、これまでの付き合いも、そしてこの場の胆力も。俺にはとても辿り着けない相手だ。

「気分が悪くなったりしていないかしら? ずっと立たせてごめんなさいね。屋敷に移動しましょう」

 放っておかれる形になった俺に、最初に気づいて声を掛けてくれたのも彼女だった。オルキスに対し、俺へ腕を貸すように促す仕草だって自然なものだ。

 差し出された腕に手を掛け、屋敷へ移動する。魔力を使いすぎたかな、と言って元気がないことを誤魔化したが、魔力と違って落ちた心は戻る術を知らなかった。

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