発情期が終わらない病に罹ったアルファと、魔力相性が良いらしい【オメガバース】

さか【傘路さか】

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 ルピオ家の二人は、折角だから、と俺を交えて茶会をやり直して帰っていった。

 茶会の間は、あまりキィジーヌ嬢と喋るのに気乗りせず、弟のスリーフとの会話に逃げてしまう。

 少なくない話をしたが、キィジーヌ嬢がオルキスに相応しいのでは、という感情は晴れず、更に補強されて返ってくる有様だった。

 実験の失敗後、俺はその時の魔術式を納品し、新しい案件を探そうとはしなかった。魔術式の大規模な失敗が、魔力の変化によるものだと分かったからだ。オルキスの魔力と、腹の子がもつ魔力、両方が干渉して俺の魔力が不安定になっている。

 今日も朝からオルキスを送り出して、俺はソファにのんびりと腰掛けてはオルキスの持ち物である冒険小説を捲っていた。きりのいい所まで読み終えると、栞を挟んで本を閉じる。

「もう昼近くか」

 そろそろ昼食に呼ばれるだろう、とあたりを付け、それ以上読み進めるのは止めた。

 働かなくとも生きていける生活は楽であるし、俺に求められているのはこの生活なのだろうが、悩みを持ちつつ働けないのはあまりにも空虚だ。

 キィジーヌ嬢に会ってみれば、俺を愛人に囲ってあちらを番にできたほうが良かったとさえ思える。

「そのうち、目が覚めるかもしれないしな」

 立ち上がって窓辺に歩き、窓枠に手を掛けて庭を眺める。風が葉を揺らし、暖かい陽光が満ちる庭は、今の俺には目が痛かった。

 いずれ彼女の良さを思い直して、目が覚めてしまったら。番は一生なのに、彼が別の人を向いてしまったら、俺には何もない。

 今までは、何もなくても魔術だけはあった。今の俺には、魔術すらも残っていなかった。

「セルド」

 扉を開いて、オルキスが部屋に入ってくる。俺は彼の姿に気づくと、窓を離れて歩み寄った。

「お疲れ。昼飯に戻ってきたんだ?」

 オルキスはそれが当然のように、俺を抱きしめて頭を撫でた。髪質を気に入った彼のこの仕草が、いまでは特別なものに思える。

「うん。たくさん書類を積み上げられるから逃げてきた。お昼ご飯にしよ」

 番は、できる限り一緒に食事を取ろうとしてくれる。

 明らかに逃げてきたといった様子で、昼食が終わるのを部下が扉の前に張り付いて待っているなんてこともあった。

 彼は、律儀に俺を支えると言った言葉を守っている。

「そうだな。行こ」

 身を離すと、手を取られて隣室へ移動した。テーブルの上にはいつも真新しいクロスが掛かり、たくさんの皿が並べられる。

 けれど、その日の昼食は、あまりたくさん食べられなかった。嫌いな味があった訳ではなく、ただ食が進まない。口に運んでも、長く咀嚼をするだけで飲み込む量は遅々として増えなかった。

 あからさまに物が食べられなくなった俺を、オルキスは何も言わずにじっと見ていた。

 食事が終わり、片付けを進める給仕の横で、オルキスが話しかけてくる。

「今日、嫌いな味が多かった?」

「いや。どれも美味しく感じたけど、あんまりお腹が減ってなくて」

 今の俺にとって食べないことは不味いことだと分かっていた。けれど、詰め込んだパンを飲み込めない。

 熱量が増えるようなものを選んで食べるよう努めたが、野菜類が不足しているのも良いことではなかった。

「そう。続くようなら医師に診てもらおうか」

「うん、助かる」

 何なら、栄養剤でも出して貰う方が安心していられる。原因が心の問題であることは明らかで、改善する余地もなかった。

 食事を食べられないのは構わないが、腹の子まで巻き込みたくもない。

 給仕には味の感想だけを伝えて、量を食べられなかったことを詫びた。味がお嫌いでなければ良かった、と給仕には言われたが、気を遣わせてしまって申し訳ない。

 二人してオルキスの自室に戻ると、オルキスは午後の予定を尋ねてきた。

「食事量のこともあるし、ちょっと休もうかな」

 俺が言うと、彼はほっとしたように息を吐く。

「僕もそれを勧めようと思っていたんだ。最近めまぐるしかったし、好きなだけ休んでね」

 必要なのが休息とは思えなかったが、そういうことにしてその日はしっかりと休んだ。

 食の細さは数日続き、医師の診断の元で栄養剤を処方された。薬の服用で腹の子に影響がなくなることを安堵したのを覚えている。

 それでも、ずっとオルキスは心配そうに俺を見ていた。栄養があれば子は大丈夫なはずで、医師のお墨付きもあるのに、彼はじっと俺を見ては眉を下げる。

 何でもないことなのかもしれないが、量を食べられずに穀物を詰め込んでいるから、肌がかさつくようになった。唇を重ねればかさついた部分に触れさせてしまうのが嫌で、やんわりとキスの空気も避けるようになった。










 急なキィジーヌ嬢の来訪を告げられたのは、そんな状況が続いていた日だった。特に断る理由もなく、いいんじゃないか、と答える。

 不思議なことに、彼女は俺と会話する時間を持ちたいと言った。オルキスは断ってもいいと言ったが、俺は応じることにした。

 手詰まりのような現状が少しでも変わるなら、と思ったのだ。例え、それが悪い方向にだとしても。

 オルキスの部屋の隣室に通された彼女は、藍色のドレスを身に纏っていた。布をたっぷりと使った、少し前に仕立てられた古めかしい形状だ。首を覆うフリルの襟といい、彼女の淑やかさが何重にも引き立てられている。

「こんにちは。セルド様、突然ごめんなさいね」

「いいえ。連絡が早かったので、十分ゆったりと準備ができました。今日も素敵なドレスだ、長いこと大切に着られているようですね」

「ええ。元は母のものなのだけれど、素敵な貴方の瞳と同じ色でしょう? 目の色は自分には見えないから、たまには眺めるのもいいと思ったの」

 称美の手段すら心を尽くされたものだ。キィジーヌ嬢は付き人を下がらせると、この場を二人きりに整えた。

 出迎えに立ち上がった俺の手を取り、一度ぎゅっと握ると、彼女は手荷物の中から小さな瓶を取りだした。座りましょう、とすぐに椅子を勧めてくるのだが、細い指先で手ずから椅子を移動させ、隣に寄せた椅子に綺麗に裾を捌きながら腰掛ける。

「手を出して」

「手?」

 敬語を崩した彼女に手を差し出すと、手持ちの瓶の中からとろみのある液体を手のひらに広げる。指示されるままに擦り、手の甲に塗り付けた。

 かさついていた肌に、潤いが戻っていく。

「肌艶が良くないわ。あと、少しやつれたのかしら? 食べてる?」

「ちょっと、その。食欲が湧かなくて……」

「あら」

 瓶を仕舞い、テーブルに配膳されたカップと菓子を引き寄せると、彼女は俺に少しでも食べるように勧めてきた。

 俺の指先が躊躇うのを、形の良い眉を寄せて見守る。

「……前回会った時も、元気がないように見えたの。わたくしの所為じゃないかしら?」

 キィジーヌは早口でそう言い切ると、まだ熱いはずのカップを一気に飲み干した。ふう、と息を吐く姿に、緊張しているのだと察しもする。

 淑やかな美女で、完璧だと思えた彼女は、自分を見つめる俺に恥ずかしそうにはにかんだ。

「オルキス様と婚約の話が挙がったのは否定できないけれど、あんなの口約束だし、当てがなかったら、っていう保険みたいなものよ。オルキス様だって、わたくしだって、そういう相手は何人かいるの。番になった貴方が気にするような関係じゃない。本当よ」

 熱心に言葉を紡ぐ彼女に気圧されて、俺はじっと見つめるしかなかった。

「わたくし、貴方と争うつもりはないの。貴方と同じ体質を持つオメガで──……、貴方とも仲良くしたいのよ?」

 玉のような肌を、躊躇いなくかさついた手に添えてくれる。安心させるように微笑む顔立ちに、陰は見えない。

 完敗、と素直に白旗を挙げたくなった。

「────俺は。立ち振る舞いが綺麗な訳ではないし、番以外から美しいという世辞は貰ったこともなくて。オルキスには貴女のような人がいた、と知ったら自分に自信が無くなってしまった。いずれ彼の気が変わってしまう、って。……君が悪い訳じゃなくて、俺の問題だよ」

 深刻な話をしている間も、彼女の動きは忙しない。お茶を飲んで、菓子を俺に差し出そうとして、食欲がないと断るとぴゃっと慌てる。あのゆったりとした仕草は努力の賜物だということが嫌でも分かった。

 どんよりとした空気にはとてもなれず、何なら笑い出してしまいそうだ。

「わたくし、貴方との馴れ初めもこう……ベールを被せた上で聞かせていただいたの。貴方がオルキス様と会ったこともなくて、ただ友人の頼みと、神殿の鑑定を信じて病に苦しむ番の所に行ったのだと知ったら。わたくし、争う気にもなれなくて」

「キィジーヌ……様、が負けたって思うような要素あったか?」

「呼び捨てでもよろしくてよ。但し、そうしたらわたくしも同じようにさせてもらうわ」

 彼女は言葉を切って、丁寧に返事を選び取った。

「……いくら金銭を積まれても、わたくしならきっと怖くて踏み出せないと思ったの。顔も知らない、性格も知らない病んだ相手と、もしかしたら番ってしまうかもしれない。いくら友人が助かっても、いくら両親が助かっても。わたくしにはね、そんな賭けはできないの」

 さく、と真珠のような歯が持ち上げた菓子を噛み締める。ほろほろと崩れていく生地が立てる音が、段々と心地よく聞こえてくる。

 香ばしく焼き上がったそれは、確かとても美味しかったように覚えていた。

「いくら優れていようと、いくら劣っていようと。わたくしは選べなかったから、オルキス様の番じゃない。これからも番になることはないの。運命って、そういうものなのよ」

 部屋のカーテンが揺れて、明るい日差しが線を作る。足先にまで届いた光を眺めても、目が痛いだなんて思わなかった。

「俺はただ、考えなしだっただけだよ。キィジーヌ」

「あら。わたくしは考えなしではないもの。……そういうことよ、セルド」

 開いた窓から吹き込む風が髪を揺らしていく。いい午後だ、と心から思ったのは久しぶりだった。

 彼女にやっぱり菓子を食べたい、と伝える。揺れた髪を耳元に掻き上げながら、彼女はくしゃくしゃで、いちばん愛らしい笑みを見せた。


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