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 アルヴァの魔術研究による破壊がなくなった。

 王宮付の魔術師たちの間ではそれは刺激的な噂のようで、口から口に波となって伝わっていく。その噂には彼に恋人ができた、という情報が付随し、『恋人ができたから落ち着いたのか』というのが専らの談である。

 メルクが噂を聞く度に俺に伝えてくるのを、むずむずした表情をしながら聞く日々だ。

 課長と二人で仕事をした時にも、アルヴァが強い結界を張った上で実験をしている話になった。

 実験の内容が決まる度に、その実験に耐えうる強度の結界を張れるように術式の改良をしている。俺がそう話すと、課長が実は、とアルヴァをもっと上の役職に就かせたいのだとを話してくれた。

 東の大国との仲は良好で、魔術の練度が高い大国との技術交流が起きうる人材を上にあげたい、という希望が国家としてもあるらしい。

 アルヴァはその点でうってつけの人材なのだが、なにぶん物を壊しすぎていた。その度に反省のない反省文、では評価しようにも難しい。

 魔術の実力は王宮で最上位。歯に衣着せぬ物言いはするが彼に嘘はなく、俺以外への面倒見も悪くない。

 課長も恋人ができたことを切っ掛けに器物破損を改善しようとしているなら喜ばしく、やんわりと俺と上手くいってほしい、というようなことを言われた。

 はあ、と歯切れの悪い返事をしたが、そもそもまだアルヴァとは付き合っていないのだ。上手くいくも何も、まだ始まってすらいない。

 何を以て恋人と言えば良いのか計りかねている、というのが現状だった。

「ディノ。実験をするから結界を頼む」

「おう。術式どれ?」

「これだ」

 ぺらり、と紙一枚を手渡され、それを読み込む。

 先日に張った結界よりも、瞬間的な衝撃に対する強度が上がっているようだった。

 アルヴァと付き合いを続ける中で、昔から東の大国の魔術式を大量に読まされている俺は、趣味の範囲でもかなりの雑多な式を読んでいる。

 発動さえできれば安定した魔術を構成できる性質と、読み込みの速さを知られた結果、実験の度に呼びつけられては結界を張らされていた。

「大丈夫、いける。今からやんの?」

「今からだ」

 実験室に連れ立って向かうことにして、二人揃って廊下を歩く。

 結界の修正箇所の話を振ると、流暢に答えが返ってきた。最近ではずっと結界の話をしている所為で、やたらと少数派なはずの結界術に詳しくなってしまっている。

「ディノもあちらの魔術式構築課に一緒に行かないか? 結界術を極めている魔術師があちらにいてな。君が改良に加わってくれたら、どんな実験でも窓が吹き飛ばずに済む」

「あー……、あの魔術書に名前がよく出てくる人な。行くのはいいけど、俺、飲み込みには時間かかるぞ」

「その割に、俺が渡した魔術式の飲み込みは早い気がするが」

「お前、癖のある例の一族由来の式、理解できるからって容赦なく使うだろ。アルヴァと仕事したての頃、話してる内容が分からなすぎてこっそり勉強したんだよ」

 普通の魔術式を習得する速度は平均より遅い。そう言い切り、あんまり期待してくれるなと言外に告げる。

 アルヴァはよく分からない、といったように首を傾げた。

「君が言う『理解』は俺が言う『理解』と同じだ。凡庸な魔術師が言う理解とは違う。君の『理解』の速度は、俺が仕事をする上ではじゅうぶん速い」

「…………ふぅん。あんたと付き合うようになると、褒められてるのが言葉じゃなく表情で分かるんだな」

「言葉では通じなかったか?」

「うん。全然」

 けれど、言っているアルヴァの口元がゆるゆるなので、きっと褒めているのだろうと表情が伝染った。彼のような変人と親交を深める、というのはこういうことなのだ。

 実験室に入り、渡された術式を展開する。

「我が護るべき者とを隔てる、四隅は全ての矛を許さず。力は鏡映しに内にのみ向けられるべし。この境を超える術は我ら以外になく。許しを与える者が現るまでその場にあるように」

 結界が展開され、じゃ、と腕を上げてその場を去ろうとする。その手が空中で捕らわれた。

 アルヴァは身を寄せ、首元に擦り寄ってくる。

「今日、家に行ってもいいか?」

「ん。食事、用意してあげよっか?」

「有難い。甘いものでも買っていく」

 魔力を混ぜたいがために触れ合いを求められるのだと分かっても、触れる場所から心臓の鼓動が高まる。

 自然に振る舞っているように見えて、内心でじたばたしている様は、魔力経由で伝わってしまうのだろうか。背をぽんぽんと叩いて、身を離した。

「幸運を」

「ああ。きっと成功する」

 実験室を出て、両手に顔を埋める。

 頼られれば応えてしまうし、懐に入ってくる彼を拒めない。延々と魔術の話ばかりしていても途切れることはないし、家でのアルヴァは仕事場よりも大人しいのだ。

 その上で、二人で過ごすことに慣れ始めると、差し入れをしてみたり家事を担うようになった。お泊まりの希望に対しても、そろそろ受け入れても構わないか、と気持ちが傾きかけている。

 熱い頬を冷まして、その場から離れるべく脚を動かす。

 早足で職場に戻ると、にたにたと意味ありげな表情をしているメルクが待っていた。

「ディノって結界術が得意なの? それとも二人っきりになる建前?」

「アルヴァは壊すのは得意だけど、精密に、正確にってのは苦手なんだってさ。結界術は守りたいって意志を元に魔力を均すほうが安定するから、あいつの性格的にも向いてないだろ」

「あー。豊富な知識と大量の魔力で押し切るの、得意だもんねえ。今まで色々なものを壊して平然としてたから、破壊向きなのは分かるかも」

 結界術の式を見せて、と手を差し出され、机の上に置きっぱなしだった紙を手渡す。メルクは楽しそうに紙を見下ろすが、少し読んだところで、うわ、と口に出す。

「これ、あの本ばっか読んでる珍妙な一族由来の式じゃない? 僕これ苦手」

「結界術で有名なフナト・イブヤが作った式が元だけど、イブヤがいる課の次長がモーリッツ一族の当主筋だな」

 納得、というようにメルクは眉を上げ、紙に視線を戻した。苦手、と言いながらも読み込む気はあるらしい。

 説明しろ、とばかりに裾を引かれ、アルヴァの式の癖についても説明させられる羽目になった。癖がある式に、まあまあ癖があるアルヴァの改良が加わっている所為で、メルクにとっては難解なものになっているらしい。

 説明を聞いてようやく術式の理解ができたようで、ぱっと顔を輝かせた。

「ありがと、分かった!」

「そりゃ良かった」

 すると他の課員もわらわらと集まってきて、式の解説を求められる。

 白紙を取り出し、術式の癖にあたる部分を中心に説明を加えた。課員の大多数はしばらく読み込んで理解できたようで、まだ首を傾げている者に説明をし始める。

 同僚の一人が、ぽつりと呟いた。

「正門の結界、張り直した方がいいかなあ……」

 正門の結界を思い出したが、ずいぶん古めかしい式だったはずだ。そうやって考えると、芋づる式に直したい結界が浮かんでくる。

「正門だけじゃないな。古い魔術式の結界を洗い出して、アルヴァにも意見を聞きながら張り直すのは有りな気がする」

 俺がそう言うと、メルクも同意する。

「ね。せっかく新しい技術を使った結界式を理解できたんだし、アルヴァにこの前の旅行での研修内容、講義してもらっちゃおっか? それで、王宮の古い結界の張り直し。ついでに同じ位置に便利そうな魔術も仕込んじゃおうよ」

 その言葉を引き金に結界の案だとか、一緒に仕込みたい生活用の魔術案だとかが、てんでばらばらに案出しされる。俺は同僚たちを宥め、後日に打ち合わせの場を設けることにした。

 アルヴァの講義、そして打ち合わせもいっぺんに行ってしまえばいい。

「結界だけでもこれだけ違うって事は、僕ら、もうちょっと積極的にあちらと交流した方がいいかもね」

「だな。何か研修の機会があったら人数ねじ込もう」

 メルクと意見を合わせ、実験を終えて戻ってきたアルヴァに結界術の講義を頼むと、望むところだ、と快諾してくれた。

 個別に尋ねられれば快く答えるアルヴァだが、説明がいっぺんに済むならそれに越したことはない、という思いはあったようだ。王宮の結界の張り直しについても、目を見開きながら、確かに張り直した方がいい、と同意する。

 その時、ふ、と表情が柔らかくなり、声音が二人の時と同じような抜けたものになった。

「俺は、学ぶのは得意だと自負しているが、活かすことには苦手意識がある。結界術だって、自分の実験の為だけでなく王宮の為にも、と柔軟に考えることも出来たはずなのに、俺にはできなかった。だから、こうやって魔術を活かす機会を得られるのを嬉しく思う」

 俺とメルクはぽかんと顔を見合わせ、そして、二人で両側から彼の腕を優しく叩いた。

「うちの課はアルヴァ一人だけじゃないだろ。技術を取ってきて広げてくれる人がいたら、誰かが活かし方は拾えるからさ」

「そうだよ。組織って、一人じゃないの」

 メルクはそれでさ、と先ほどの術式についてアルヴァに説明を求めに行き、課員の数人にも同じように捕まっていた。

 その様子はこれまでよりも随分と気安いものだ。魔術において自分の数歩先を行くアルヴァの苦手意識の吐露は、親近感という感情を呼び起こしたらしい。

 その場から離れて魔術機に向き直り、課長の言葉を思い出す。アルヴァにもっと上の役職をやりたい、その希望は思ったよりも早く叶うかもしれない。

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