6 / 7
6
しおりを挟む
僕の体調の改善は劇的だったようで、病院に仕事で訪れる度、復帰したミィヤを含めた仕事仲間から指摘されるようになった。
その度に魔力相性がいい人が見付かって一緒に食事をしている、と話すと、覚えのある人たちは自分の番の話を始める。いつもなら興味の持てなかった話も、立場変われば、なのか、ついつい耳を傾けてしまった。
レナードは発情期を一緒に過ごせないことに思うところがあるようだが、僕はゆっくり関係を深めたい、と言って聞かなかった。彼以外のアルファがすぐに番える、と言ったって、別に魅力的には見えないのだ。
近付いてきた次の発情期も、変わらずに一人で過ごすつもりでいる。
番候補がいるのに、と感傷的になることはなく、今まで通り薬の力を借りてやり過ごすつもりだ。ただ、発情期が近付いていることは、レナードには伝えなかった。
「来週から、しばらく仕事が忙しくなるからこっちには来ない。落ち着いたら連絡する」
気にするかもしれない彼には何も伝えず、忙しくなる愚痴をそれらしく語った。レナードはただ労りの言葉を述べ、日が近付いてきたらまた作り置きを持たせてくれると言う。
「たまに、料理を渡しにいってもいい?」
「いや。忙しいと気が立ってしまうから、気にしないでほしい。食事は気を付ける」
忙しいことは日常でしかない。彼相手に八つ当たりしたりもしないのだが、嘘ではないことが分からないよう、普段通りの声音になるよう努める。しばらく会えないことを寂しそうにはしていたが、それ以上突っ込んで聞かれることはなかった。
レナードの家を訪ねることもなくなり、いつもとは違った買い置きを揃えて引きこもりがちになっていた。そんなある日、病院から魔術を使いに来てほしいと要望があった。発情期が近いことを伝えたのだが、患者の症状も芳しくないようで何とかならないか、と食い下がられる。
薬を服用し、誰か番持ちを付けてくれ、と言うとミィヤが付き添ってくれる事になった。普段は使わない香水を振り、首には防護用の頚飾を填めて髪を下ろす。
急ぎだったのか、ミィヤはすぐに小屋を訪れた。
「ごめんね急に。こんな時期のニッセを引っ張り出したくなかったんだけど、代わりができそうな人が全員不在で……」
「いや。もともと僕のフェロモンは強くないし、人を選ぶ匂いだからまだいい。魔力相性がいい相手じゃなければ、発情期に引き込むこともないはずだ」
近くにレナードさえいなければ、僕自身も匂いを振りまいたりはしないだろう。
彼女と一緒に家を出ると、特殊な患者用の裏口を通って院内に入り、人が通らない通路を選んで処置室へと向かった。僕を出迎えた医師は、ミィヤと患者以外はいない部屋で病状と患部の説明をする。
身体の中央付近で、血の流れる管が詰まりかけているらしい。位置の把握に慣れていないと、適切な場所を拡張した上で術を固定できない。人を選ぶ魔術であることは確かだった。
眠っている患者の手に、そっと指を添える。違和感を覚えないよう、ゆるやかに魔力を込めていく。
運良く口頭で指示された場所付近に詰まりを見つけ、魔力で捉えた。静かに詠唱を始めると、室内は僕の声だけになる。
「込める魔力量を決めたい。どれくらいの期間、持たせればいい?」
「とりあえず盛夏くらいまでかな。それ以降の維持が必要ならまた処置に来てもらうから、別の魔術師でも魔力の補給ができるよう、目印を付けておいて」
問いに医師が答える。あとは薬品を投与し、経過を見ながらどれくらい魔術の補助を続けるかを決めるそうだ。あえて魔力を探りやすくする式を埋め込んでおけば、他の魔術師にも容易く維持魔力を供給できる。
一通りの魔術を行使し、僕は患者の腕から手を離した。医師は体内を診る装置を動かし、魔術の結果を確認する。
「お見事。ニッセが院内にいなくなって、新しい魔術が頻繁に増えるようになったのはいいけれど、呼ぶのに時間が掛かるのが難だね。例の上司もいなくなったことだし、院内に戻ってこないかい?」
「今の一人部署も気に入っている。僕がいなければ、が無いに越したことはないしな」
医師は確かに、と手短かに同意し、次の処置に移った。
解放された僕たちは、部屋を出て、使った魔術の記録をするために事務室へ向かう。事務室は受付に近く、行き来が多い所為か扉も開け放たれている。僕たちも扉を閉めることもなく、筆記具と用紙が置かれている台に近付いた。
普段どおり与えられた書式を埋めていると、暇になったのかミィヤは口を開く。
「そういえば、神殿で会ったお相手には発情期の話はした?」
僕は魔術を埋め込んだ位置を記載し、細かく魔術式の仕様を書き添えた。位置を辿れなくなったら手間だろうな、と図示も始める。
「ちょっと、事情があってな。仕事が忙しいことにしてある」
「そう。必要なものがあったら昼休みにでも買ってきてあげるから、通信魔術でも飛ばしなさいね」
「ああ、そうだな。頼む」
普段から、彼女には細々と頼み事をしていた。今まではお互い様だったのだが、これからは頼りっきりになってしまうのだろうか。
コン、と筆記具の背で机を叩く。鈍い音が跳ね返った。
「……別に、上手くいってない訳じゃないのよね?」
「そういう訳じゃない」
「安心した。他の貴族の都合だかで雷管石を預ける羽目になったんだから、悪い相手じゃなくて良かったわよ」
ふと、見知った匂いがした気がして振り返る。
視線を向けた先、当然のようにそこに探している顔はいない。出入りが多い院内では匂いの元も多く、気のせいだったかと首を傾げた。
僕が見つめた方を見て、ミィヤが問うてくる。
「どうしたの?」
「……いや。この時期は匂いに敏感になるな」
求めているのはレナードの匂いなのだろうが、幻覚を見るようになってしまうほど、懐に入りすぎたのかもしれない。
必要事項を記載し終わり、別の職員から確認を受けて病院を出た。裏口は暗く、職員しか使わない扉は端が錆びている。ぎぃ、と濁った音を響かせる扉を押して、外に出た。
ミィヤに送られて小屋に戻り、また、と手を振り合う。
「今度、相手の人に会わせてくれない?」
「……考えておく」
「その返事で、予定が決まった試しがないんだけど」
ミィヤとレナードの間で何があるとも思わなかったが、何となく避けてしまった。
扉を閉めて部屋に戻り、魔術式を書き付けていた紙を拾い上げた。これからの体調の変化でまともに構築できる気はしないが、できる限り進めておくつもりだ。
レナードから体調を気にするよう言われて、決まった休み時間を作るようになった。仕事のことを考えている時間は格段に減っているのだが、別に構築の速度は落ちなかった。
なんだ、と肩すかしを食らった気分だ。僕はもっと、好き勝手に生きても良かったらしい。
容器から実験に使う乾燥した葉を取り出すと、変わった匂いがする。そっと鼻先に当てて、すう、と息を吸い込む。
「嫌いな匂いじゃないかもな」
ただ身の回りにあっただけの何か、が、そうではなくなっていく。開けるようになった窓から、風が抜けていって髪を揺らした。
呼び鈴が鳴ったのは、その時だ。
ミィヤが何か届けに来たのだろうか、玄関まで近付いて、匂いが違うことに気づく。なんでいるのだ、と動揺しながら、声を掛ける。
「……はい」
「急にごめん」
扉の先から聞こえたのは、レナードの声だった。ひゅっと息を呑み、鼓動が高くなった。だが、まだ頚飾も身に付けたままで、匂いも香水の匂いが残っている筈だ。
大丈夫、と胸に手を当てて自身を落ち着かせる。
「急に、どうしたんだ?」
彼の声は、暗く沈んでいた。
「ごめん。訪ねるつもりはなくて、本当は、来ない方がいいかなって思ったんだけど……」
不思議に思ったのは、レナードが扉を開けるよう言わなかったことだ。僕の事情さえも知っているかのように、扉の前で話し続ける。
たかが扉一枚が、何故だか遠かった。沈黙も長かった。
「────他の貴族の都合、で神殿に雷管石を預けることになった、のは、本当?」
「……なんで、それを」
「受付の近くにいたら、ニッセの匂いがした。話しかけようと思って近付いたら……」
僕がミィヤと話していた時に感じた残り香は、やっぱりレナードのものだったのだ。受付から事務室に近付いたところで、僕たちが話している場に出くわしてしまったらしい。
彼はごめん、と謝罪して、僕は黙って聞いた。
「神殿に預ける切っ掛けになったのは、本当のことだ」
「じゃあ、……ニッセは別に番が欲しかった訳じゃないんだね」
自嘲が含まれた響きに、ぞっと背が冷えた。怒っているわけではないのに、ただ闇が広がっているように昏い声音だ。
「俺が来て、がっかりした? それとも、そっちの方が、都合がよかった?」
都合、は『今の彼と番になれないこと』を指している気がした。否定する言葉を躊躇った。ゆっくり関係を深められるほうがいい、と言い出したのは僕の方だ。
指を握り込んで、扉の先に神経を研ぎ澄ます。
「いや。こんな、責めるようなことを言いたい訳じゃないのに。…………発情期すら、正直に相談できないような相手でごめん」
扉に額を預ける。体温が伝わらないことが分かっていて、そっと冷たい板に指を添えた。コトン、と何か音がして、足音が遠ざかっていった。
扉を開ければ追える距離にいるはずなのに、僕の脚は竦んで動かない。強張りが解けたのは、彼がかなり遠くに行ったであろう時間が過ぎてからだった。
扉の鍵を開け、万が一を期待して視線を向ける。見つめる先には、誰の姿もない。その代わり、振り返った扉の引き手には紙袋が掛かっていた。ゆっくりと開くと、すぐに食べられる日持ちのする食品が、袋一杯に詰め込まれていた。
会えない、と言ったから、品だけでも置いて帰るつもりだったんだろう。袋を玄関に引き込んで、鍵を掛け、ずるずると扉にもたれ掛かる。
「…………あれ。なんで」
視線の先、玄関の床がまだらに濃く濡れる。頬に手を当てると、べったりと湿っていた。ごしごしと服で目元を拭うが、また、ぽたりぽたりと雫は落ちていく。
はぁ、と細切れに息を吐いて、静かに泣き崩れた。
その度に魔力相性がいい人が見付かって一緒に食事をしている、と話すと、覚えのある人たちは自分の番の話を始める。いつもなら興味の持てなかった話も、立場変われば、なのか、ついつい耳を傾けてしまった。
レナードは発情期を一緒に過ごせないことに思うところがあるようだが、僕はゆっくり関係を深めたい、と言って聞かなかった。彼以外のアルファがすぐに番える、と言ったって、別に魅力的には見えないのだ。
近付いてきた次の発情期も、変わらずに一人で過ごすつもりでいる。
番候補がいるのに、と感傷的になることはなく、今まで通り薬の力を借りてやり過ごすつもりだ。ただ、発情期が近付いていることは、レナードには伝えなかった。
「来週から、しばらく仕事が忙しくなるからこっちには来ない。落ち着いたら連絡する」
気にするかもしれない彼には何も伝えず、忙しくなる愚痴をそれらしく語った。レナードはただ労りの言葉を述べ、日が近付いてきたらまた作り置きを持たせてくれると言う。
「たまに、料理を渡しにいってもいい?」
「いや。忙しいと気が立ってしまうから、気にしないでほしい。食事は気を付ける」
忙しいことは日常でしかない。彼相手に八つ当たりしたりもしないのだが、嘘ではないことが分からないよう、普段通りの声音になるよう努める。しばらく会えないことを寂しそうにはしていたが、それ以上突っ込んで聞かれることはなかった。
レナードの家を訪ねることもなくなり、いつもとは違った買い置きを揃えて引きこもりがちになっていた。そんなある日、病院から魔術を使いに来てほしいと要望があった。発情期が近いことを伝えたのだが、患者の症状も芳しくないようで何とかならないか、と食い下がられる。
薬を服用し、誰か番持ちを付けてくれ、と言うとミィヤが付き添ってくれる事になった。普段は使わない香水を振り、首には防護用の頚飾を填めて髪を下ろす。
急ぎだったのか、ミィヤはすぐに小屋を訪れた。
「ごめんね急に。こんな時期のニッセを引っ張り出したくなかったんだけど、代わりができそうな人が全員不在で……」
「いや。もともと僕のフェロモンは強くないし、人を選ぶ匂いだからまだいい。魔力相性がいい相手じゃなければ、発情期に引き込むこともないはずだ」
近くにレナードさえいなければ、僕自身も匂いを振りまいたりはしないだろう。
彼女と一緒に家を出ると、特殊な患者用の裏口を通って院内に入り、人が通らない通路を選んで処置室へと向かった。僕を出迎えた医師は、ミィヤと患者以外はいない部屋で病状と患部の説明をする。
身体の中央付近で、血の流れる管が詰まりかけているらしい。位置の把握に慣れていないと、適切な場所を拡張した上で術を固定できない。人を選ぶ魔術であることは確かだった。
眠っている患者の手に、そっと指を添える。違和感を覚えないよう、ゆるやかに魔力を込めていく。
運良く口頭で指示された場所付近に詰まりを見つけ、魔力で捉えた。静かに詠唱を始めると、室内は僕の声だけになる。
「込める魔力量を決めたい。どれくらいの期間、持たせればいい?」
「とりあえず盛夏くらいまでかな。それ以降の維持が必要ならまた処置に来てもらうから、別の魔術師でも魔力の補給ができるよう、目印を付けておいて」
問いに医師が答える。あとは薬品を投与し、経過を見ながらどれくらい魔術の補助を続けるかを決めるそうだ。あえて魔力を探りやすくする式を埋め込んでおけば、他の魔術師にも容易く維持魔力を供給できる。
一通りの魔術を行使し、僕は患者の腕から手を離した。医師は体内を診る装置を動かし、魔術の結果を確認する。
「お見事。ニッセが院内にいなくなって、新しい魔術が頻繁に増えるようになったのはいいけれど、呼ぶのに時間が掛かるのが難だね。例の上司もいなくなったことだし、院内に戻ってこないかい?」
「今の一人部署も気に入っている。僕がいなければ、が無いに越したことはないしな」
医師は確かに、と手短かに同意し、次の処置に移った。
解放された僕たちは、部屋を出て、使った魔術の記録をするために事務室へ向かう。事務室は受付に近く、行き来が多い所為か扉も開け放たれている。僕たちも扉を閉めることもなく、筆記具と用紙が置かれている台に近付いた。
普段どおり与えられた書式を埋めていると、暇になったのかミィヤは口を開く。
「そういえば、神殿で会ったお相手には発情期の話はした?」
僕は魔術を埋め込んだ位置を記載し、細かく魔術式の仕様を書き添えた。位置を辿れなくなったら手間だろうな、と図示も始める。
「ちょっと、事情があってな。仕事が忙しいことにしてある」
「そう。必要なものがあったら昼休みにでも買ってきてあげるから、通信魔術でも飛ばしなさいね」
「ああ、そうだな。頼む」
普段から、彼女には細々と頼み事をしていた。今まではお互い様だったのだが、これからは頼りっきりになってしまうのだろうか。
コン、と筆記具の背で机を叩く。鈍い音が跳ね返った。
「……別に、上手くいってない訳じゃないのよね?」
「そういう訳じゃない」
「安心した。他の貴族の都合だかで雷管石を預ける羽目になったんだから、悪い相手じゃなくて良かったわよ」
ふと、見知った匂いがした気がして振り返る。
視線を向けた先、当然のようにそこに探している顔はいない。出入りが多い院内では匂いの元も多く、気のせいだったかと首を傾げた。
僕が見つめた方を見て、ミィヤが問うてくる。
「どうしたの?」
「……いや。この時期は匂いに敏感になるな」
求めているのはレナードの匂いなのだろうが、幻覚を見るようになってしまうほど、懐に入りすぎたのかもしれない。
必要事項を記載し終わり、別の職員から確認を受けて病院を出た。裏口は暗く、職員しか使わない扉は端が錆びている。ぎぃ、と濁った音を響かせる扉を押して、外に出た。
ミィヤに送られて小屋に戻り、また、と手を振り合う。
「今度、相手の人に会わせてくれない?」
「……考えておく」
「その返事で、予定が決まった試しがないんだけど」
ミィヤとレナードの間で何があるとも思わなかったが、何となく避けてしまった。
扉を閉めて部屋に戻り、魔術式を書き付けていた紙を拾い上げた。これからの体調の変化でまともに構築できる気はしないが、できる限り進めておくつもりだ。
レナードから体調を気にするよう言われて、決まった休み時間を作るようになった。仕事のことを考えている時間は格段に減っているのだが、別に構築の速度は落ちなかった。
なんだ、と肩すかしを食らった気分だ。僕はもっと、好き勝手に生きても良かったらしい。
容器から実験に使う乾燥した葉を取り出すと、変わった匂いがする。そっと鼻先に当てて、すう、と息を吸い込む。
「嫌いな匂いじゃないかもな」
ただ身の回りにあっただけの何か、が、そうではなくなっていく。開けるようになった窓から、風が抜けていって髪を揺らした。
呼び鈴が鳴ったのは、その時だ。
ミィヤが何か届けに来たのだろうか、玄関まで近付いて、匂いが違うことに気づく。なんでいるのだ、と動揺しながら、声を掛ける。
「……はい」
「急にごめん」
扉の先から聞こえたのは、レナードの声だった。ひゅっと息を呑み、鼓動が高くなった。だが、まだ頚飾も身に付けたままで、匂いも香水の匂いが残っている筈だ。
大丈夫、と胸に手を当てて自身を落ち着かせる。
「急に、どうしたんだ?」
彼の声は、暗く沈んでいた。
「ごめん。訪ねるつもりはなくて、本当は、来ない方がいいかなって思ったんだけど……」
不思議に思ったのは、レナードが扉を開けるよう言わなかったことだ。僕の事情さえも知っているかのように、扉の前で話し続ける。
たかが扉一枚が、何故だか遠かった。沈黙も長かった。
「────他の貴族の都合、で神殿に雷管石を預けることになった、のは、本当?」
「……なんで、それを」
「受付の近くにいたら、ニッセの匂いがした。話しかけようと思って近付いたら……」
僕がミィヤと話していた時に感じた残り香は、やっぱりレナードのものだったのだ。受付から事務室に近付いたところで、僕たちが話している場に出くわしてしまったらしい。
彼はごめん、と謝罪して、僕は黙って聞いた。
「神殿に預ける切っ掛けになったのは、本当のことだ」
「じゃあ、……ニッセは別に番が欲しかった訳じゃないんだね」
自嘲が含まれた響きに、ぞっと背が冷えた。怒っているわけではないのに、ただ闇が広がっているように昏い声音だ。
「俺が来て、がっかりした? それとも、そっちの方が、都合がよかった?」
都合、は『今の彼と番になれないこと』を指している気がした。否定する言葉を躊躇った。ゆっくり関係を深められるほうがいい、と言い出したのは僕の方だ。
指を握り込んで、扉の先に神経を研ぎ澄ます。
「いや。こんな、責めるようなことを言いたい訳じゃないのに。…………発情期すら、正直に相談できないような相手でごめん」
扉に額を預ける。体温が伝わらないことが分かっていて、そっと冷たい板に指を添えた。コトン、と何か音がして、足音が遠ざかっていった。
扉を開ければ追える距離にいるはずなのに、僕の脚は竦んで動かない。強張りが解けたのは、彼がかなり遠くに行ったであろう時間が過ぎてからだった。
扉の鍵を開け、万が一を期待して視線を向ける。見つめる先には、誰の姿もない。その代わり、振り返った扉の引き手には紙袋が掛かっていた。ゆっくりと開くと、すぐに食べられる日持ちのする食品が、袋一杯に詰め込まれていた。
会えない、と言ったから、品だけでも置いて帰るつもりだったんだろう。袋を玄関に引き込んで、鍵を掛け、ずるずると扉にもたれ掛かる。
「…………あれ。なんで」
視線の先、玄関の床がまだらに濃く濡れる。頬に手を当てると、べったりと湿っていた。ごしごしと服で目元を拭うが、また、ぽたりぽたりと雫は落ちていく。
はぁ、と細切れに息を吐いて、静かに泣き崩れた。
52
あなたにおすすめの小説
断られるのが確定してるのに、ずっと好きだった相手と見合いすることになったΩの話。
叶崎みお
BL
ΩらしくないΩは、Ωが苦手なハイスペックαに恋をした。初めて恋をした相手と見合いをすることになり浮かれるΩだったが、αは見合いを断りたい様子で──。
オメガバース設定の話ですが、作中ではヒートしてません。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。抱かれたら身代わりがばれてしまうので初夜は断固拒否します!
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。
しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです…
本当の花嫁じゃないとばれたら大変!
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
耳付きオメガは生殖能力がほしい【オメガバース】
さか【傘路さか】
BL
全7話。猪突猛進型な医療魔術師アルファ×巻き込まれ型な獣耳のある魔術師オメガ。
オメガであるフェーレスには獣の耳がある。獣の耳を持つ『耳付き』は膨大な魔力を有するが、生殖能力がないとされている存在だ。
ある日、上司を経由して、耳付きに生殖能力がない原因を調べたい、と研究協力の依頼があった。
依頼をしたのは同じ魔術研究所で働くアルファ……イザナだった。
彼は初対面の場で『フェーレスの番に立候補』し、研究を一緒に進めようと誘ってくる。
急に詰められる距離を拒否するフェーレスだが、彼のあまりの勢いに少しずつ丸め込まれていく。
※小説の文章をコピーして無断で使用したり、登場人物名を版権キャラクターに置き換えた二次創作小説への転用は一部分であってもお断りします。
無断使用を発見した場合には、警告をおこなった上で、悪質な場合は法的措置をとる場合があります。
自サイト:
https://sakkkkkkkkk.lsv.jp/
誤字脱字報告フォーム:
https://form1ssl.fc2.com/form/?id=fcdb8998a698847f
弱小貴族のオメガは神に祟られたアルファと番いたい【オメガバース】
さか【傘路さか】
BL
全8話。高位貴族の家から勘当されたアルファ×政略結婚をする弱小貴族オメガ。
貧しい土地を治める貴族の家に生まれたティリアは、身体が小さく、幼馴染みのアーキズに守られながら過ごしていた。
ある時、いじめっ子に唆されたティリアを庇い、アーキズは岩で神像を打ち壊してしまう。その瞬間、雷が落ち、その場にいた人たちを呑み込む。
アーキズは身体こそ無事であったが、神から祟られ、神より与えられる『運命の番』を得る術を失うことになってしまった。
神から祟られた、と吹聴され、立場を失ったアーキズを引き取るような形で、オメガであるティリアと、アルファであるアーキズは結婚する。
形ばかりの結婚、会話も昔ほど交わさなくなってしまったが、ティリアは幼馴染みにふさわしい番が見つかってほしい、と毎日、神祠で祈りを捧げ続けていた。
-----
※小説の文章をコピーして無断で使用したり、登場人物名を版権キャラクターに置き換えた二次創作小説への転用は一部分であってもお断りします。
無断使用を発見した場合には、警告をおこなった上で、悪質な場合は法的措置をとる場合があります。
自サイト:
https://sakkkkkkkkk.lsv.jp/
誤字脱字報告フォーム:
https://form1ssl.fc2.com/form/?id=fcdb8998a698847f
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる