5 / 8
5
▽5
宿の部屋に戻ってから顔を洗い、目元を濡らした布で冷やす。
赤みを落ち着けてから幼馴染みのいる場所まで戻ると、苦笑とともに出迎えられた。彼は、両手を軽く開く。
「なに?」
「旅行中は、接触を持つんだろ?」
そうだった、と思いつつ、そろそろと広げられた腕の間に入る。
昔はこんな接触もしていたが、成長した今では気恥ずかしい。広げられた相手の両脚の間に腰掛ける形で落ち着くと、腹の前に腕が絡みつく。
混ざっていく魔力の相性は悪くないのに、いずれ彼はもっと相応しい番を得る。
「……ティリアは、俺が別の番を得てもいいのか」
「うちの家のこと? アーキズが来てから人手が増えて沢山新しい取り組みができているし、お父様も喜んでいるけど。でも、うちみたいな貧しくて小さい領地を、アーキズが統べるなんて勿体ないよ」
彼の生家であるオーク家は、高位貴族の家柄だった。今は祟りの影響で傾いてはいるが、彼の弟もいる。いずれ力を取り戻すんだろう。
あちらの領地と比べると、私の家は何十分の一、という規模でしかない。新しい道の開通といい、豊かになる兆しが見えているのは有難いが、それでも比較するには遠いのだ。
「俺は、数ヶ月この地で暮らしてきて、愛着を持っている。昔から、よく訪れていた土地だったしな」
「気持ちは、嬉しいよ」
肩の上に、彼の顔が乗った。ぽそり、と私にしか聞こえない声で、低く呟く。
「…………ずっとこのままじゃ、駄目か」
番になれなくとも、傍に置いてくれることが嬉しかった。その気持ちを閉じ込めて、首を横に振る。
今度は泣かないと決めた。涙を引っ込めて、笑みを作る。
「私は。アーキズを、幼馴染みを、『神に祟られた人』のままにしたくないな」
「ティリアは、強いな」
はは、と何かを吹っ切ったような笑い声が響いた。
ぎゅう、と強く抱き込まれ、跳ねた波が身体を満たす。伝えられなくとも分かる、これは喜び、だ。
私は彼に向かって、口を開こうとした。
「────こんばんは」
コンコン、と扉を叩く音と共に、外から声が掛けられる。
私は絡んでいた腕を外すと、その場に立ち上がった。アーキズの腕が私を庇うように割って入り、先に扉に近づく。
「なんの用だ?」
外から聞こえた声は、ガウナーのものだった。彼の視線が、置いたばかりの剣を確認する。
相反して、外から聞こえる声は、朗らかなものだった。
「いい酒を手に入れたんですが、ご一緒しませんか」
「…………」
アーキズは黙って、私に視線を送った。こくん、と頷き返す。
まだ、今までの材料ではっきりと叩き出すには、時期尚早に思える。
幼馴染みの手で扉が開かれると、確かにそこには、片腕に酒瓶を抱えたガウナーが立っていた。
「宿屋の厨房からグラスも借りてきました」
彼の手には、グラスが二つ握られている。
アーキズは酒瓶を預かると、扉を大きく開いて相手を迎え入れる。
二人は長椅子に向かい合うように腰掛ける。一歩出遅れた私は、そろそろと幼馴染みの隣に座った。
注がれたのは、濃い赤色の液体だった。いっそ、黒に見えるほど濃い色をしている。
「乾杯」
「…………乾杯」
二人の間でグラスが打ち鳴らされた。ガウナーは中身を勢いよく飲み干し、手酌で中身を注ぎ足す。
アーキズもまた、グラスを口に運んだ。私のグラスは用意されていないが、強い方ではない。助かった、と二人を眺める。
口火を切ったのは、青年神官のほうだった。
「実は、私は神官ではないんですよ。……分かっていらしたでしょう」
あっさりと明かした事に目を瞠りつつも、アーキズはグラスを机に置く。
私は無意識に、視線を幼馴染みの剣に向ける。位置は遠く、振るう為にはまず移動する必要があった。
「武芸の心得がある人間の動きをしていたのに、それを明かさないから疑ってはいた」
「ああ。そうらしいですね。実は、息子の真似をしていたんですが、そっくり真似たら、こういう動きになってしまって」
にっこり、と浮かべる笑顔は、初対面で見た表情と似ている。
誰かに見せるための笑顔。心から浮かぶ、という感情を知らない存在が浮かべる、作り物めいた動きをしていた。
腹の底から寒気が這い上がって、長椅子の表面に爪を立てる。
「大神官も協力者か?」
「『大神官様』は嫌々従っているだけですよ。自分が従属する神よりも、私の方が力を持っているから。従わざるを得ない」
目の前の人物は、人ですらないようだった。
そして、大神官が従属する神はニュクス神の筈だ。自国の守護神よりも力を持つ存在、必死に頭を巡らせる。
アーキズが何かに思い当たったかのように、唇を噛んだ。
「何が目的だ?」
「実は、息子と賭けをしましてね。十年ほど前に、力の使い方を誤って祟ってしまったものを、放っておいたらあまりにも変質してしまって戻せない、と。そう情けないことを言うものですから────」
私の隣で、幼馴染みの身体が傾いだ。
胸を掻き毟りながら息を吐いたアーキズの口から、飲み込んだ筈の赤い液体が滴り落ちる。
赤い水滴は床を汚し、彼の体も続けて転がった。
「賭けに勝ったら、私が祟りを消してやろう、と言いました」
「アーキズ!」
縋り付こうとした私を、強い衝撃が突き飛ばす。
弾け飛んだ格好になり、数秒宙に浮いて床に転がった。痛む腕を庇いながら視線を上げると、意識を失ったアーキズを、男が抱え上げたところだった。
「賭けって、なに!?」
「『明日。日が一番高く昇る時刻までに、神の泉へ辿り着くこと』できなければ、私は力を貸しません。加えて…………」
あはは、と笑う声は、心底楽しそうに響いた。
窓が開け放たれ、神官の姿をしていた筈の輪郭が揺らぐ。四つ脚で顕現したのは、黒い色をした大狼だ。
顎がアーキズの服を噛む。
『報酬として人ひとりを、貰い受ける』
高層階だったはずの窓から、狼は身を躍らせる。慌てて身体を起こし、窓の外を見ると、二人の姿はどこにもなかった。
宿の部屋に戻ってから顔を洗い、目元を濡らした布で冷やす。
赤みを落ち着けてから幼馴染みのいる場所まで戻ると、苦笑とともに出迎えられた。彼は、両手を軽く開く。
「なに?」
「旅行中は、接触を持つんだろ?」
そうだった、と思いつつ、そろそろと広げられた腕の間に入る。
昔はこんな接触もしていたが、成長した今では気恥ずかしい。広げられた相手の両脚の間に腰掛ける形で落ち着くと、腹の前に腕が絡みつく。
混ざっていく魔力の相性は悪くないのに、いずれ彼はもっと相応しい番を得る。
「……ティリアは、俺が別の番を得てもいいのか」
「うちの家のこと? アーキズが来てから人手が増えて沢山新しい取り組みができているし、お父様も喜んでいるけど。でも、うちみたいな貧しくて小さい領地を、アーキズが統べるなんて勿体ないよ」
彼の生家であるオーク家は、高位貴族の家柄だった。今は祟りの影響で傾いてはいるが、彼の弟もいる。いずれ力を取り戻すんだろう。
あちらの領地と比べると、私の家は何十分の一、という規模でしかない。新しい道の開通といい、豊かになる兆しが見えているのは有難いが、それでも比較するには遠いのだ。
「俺は、数ヶ月この地で暮らしてきて、愛着を持っている。昔から、よく訪れていた土地だったしな」
「気持ちは、嬉しいよ」
肩の上に、彼の顔が乗った。ぽそり、と私にしか聞こえない声で、低く呟く。
「…………ずっとこのままじゃ、駄目か」
番になれなくとも、傍に置いてくれることが嬉しかった。その気持ちを閉じ込めて、首を横に振る。
今度は泣かないと決めた。涙を引っ込めて、笑みを作る。
「私は。アーキズを、幼馴染みを、『神に祟られた人』のままにしたくないな」
「ティリアは、強いな」
はは、と何かを吹っ切ったような笑い声が響いた。
ぎゅう、と強く抱き込まれ、跳ねた波が身体を満たす。伝えられなくとも分かる、これは喜び、だ。
私は彼に向かって、口を開こうとした。
「────こんばんは」
コンコン、と扉を叩く音と共に、外から声が掛けられる。
私は絡んでいた腕を外すと、その場に立ち上がった。アーキズの腕が私を庇うように割って入り、先に扉に近づく。
「なんの用だ?」
外から聞こえた声は、ガウナーのものだった。彼の視線が、置いたばかりの剣を確認する。
相反して、外から聞こえる声は、朗らかなものだった。
「いい酒を手に入れたんですが、ご一緒しませんか」
「…………」
アーキズは黙って、私に視線を送った。こくん、と頷き返す。
まだ、今までの材料ではっきりと叩き出すには、時期尚早に思える。
幼馴染みの手で扉が開かれると、確かにそこには、片腕に酒瓶を抱えたガウナーが立っていた。
「宿屋の厨房からグラスも借りてきました」
彼の手には、グラスが二つ握られている。
アーキズは酒瓶を預かると、扉を大きく開いて相手を迎え入れる。
二人は長椅子に向かい合うように腰掛ける。一歩出遅れた私は、そろそろと幼馴染みの隣に座った。
注がれたのは、濃い赤色の液体だった。いっそ、黒に見えるほど濃い色をしている。
「乾杯」
「…………乾杯」
二人の間でグラスが打ち鳴らされた。ガウナーは中身を勢いよく飲み干し、手酌で中身を注ぎ足す。
アーキズもまた、グラスを口に運んだ。私のグラスは用意されていないが、強い方ではない。助かった、と二人を眺める。
口火を切ったのは、青年神官のほうだった。
「実は、私は神官ではないんですよ。……分かっていらしたでしょう」
あっさりと明かした事に目を瞠りつつも、アーキズはグラスを机に置く。
私は無意識に、視線を幼馴染みの剣に向ける。位置は遠く、振るう為にはまず移動する必要があった。
「武芸の心得がある人間の動きをしていたのに、それを明かさないから疑ってはいた」
「ああ。そうらしいですね。実は、息子の真似をしていたんですが、そっくり真似たら、こういう動きになってしまって」
にっこり、と浮かべる笑顔は、初対面で見た表情と似ている。
誰かに見せるための笑顔。心から浮かぶ、という感情を知らない存在が浮かべる、作り物めいた動きをしていた。
腹の底から寒気が這い上がって、長椅子の表面に爪を立てる。
「大神官も協力者か?」
「『大神官様』は嫌々従っているだけですよ。自分が従属する神よりも、私の方が力を持っているから。従わざるを得ない」
目の前の人物は、人ですらないようだった。
そして、大神官が従属する神はニュクス神の筈だ。自国の守護神よりも力を持つ存在、必死に頭を巡らせる。
アーキズが何かに思い当たったかのように、唇を噛んだ。
「何が目的だ?」
「実は、息子と賭けをしましてね。十年ほど前に、力の使い方を誤って祟ってしまったものを、放っておいたらあまりにも変質してしまって戻せない、と。そう情けないことを言うものですから────」
私の隣で、幼馴染みの身体が傾いだ。
胸を掻き毟りながら息を吐いたアーキズの口から、飲み込んだ筈の赤い液体が滴り落ちる。
赤い水滴は床を汚し、彼の体も続けて転がった。
「賭けに勝ったら、私が祟りを消してやろう、と言いました」
「アーキズ!」
縋り付こうとした私を、強い衝撃が突き飛ばす。
弾け飛んだ格好になり、数秒宙に浮いて床に転がった。痛む腕を庇いながら視線を上げると、意識を失ったアーキズを、男が抱え上げたところだった。
「賭けって、なに!?」
「『明日。日が一番高く昇る時刻までに、神の泉へ辿り着くこと』できなければ、私は力を貸しません。加えて…………」
あはは、と笑う声は、心底楽しそうに響いた。
窓が開け放たれ、神官の姿をしていた筈の輪郭が揺らぐ。四つ脚で顕現したのは、黒い色をした大狼だ。
顎がアーキズの服を噛む。
『報酬として人ひとりを、貰い受ける』
高層階だったはずの窓から、狼は身を躍らせる。慌てて身体を起こし、窓の外を見ると、二人の姿はどこにもなかった。
あなたにおすすめの小説
【完結】選ばれない僕の生きる道
谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。
選ばれない僕が幸せを選ぶ話。
※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです
※設定は独自のものです
※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。
嫌われ者のオメガ領主は今日も夫に片想い
おもちDX
BL
オメガ系貴族のシェリールは、貧乏貴族でアルファのルイと結婚した。
家のため、いい噂のないシェリールに婿入りしたルイはいつも不機嫌そうだ。
でもシェリールは、長年の推しであるルイにどれだけ冷たくされようと、同じ屋根の下にいるだけで幸せいっぱい!
二人の関係は発情期を機に変わっていく。シェリールの仕事ぶりや意外な一面を目にするたび、ルイの態度は軟化していくが、オメガを狙った盗賊団の活動が二人の住む領に迫ってきて……?
真面目で無愛想な騎士アルファ✕推しが夫になって幸せすぎる敏腕領主オメガ
独自設定の異世界オメガバースです。ハッピーエンド。
基本明るい受け視点。中~長編になります。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
愛され方を教えて
あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。
次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。
そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…
オメガの復讐
riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。
しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。
とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆