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「ひりひりする…………」
「ごめん、って謝ったでしょう……!」
突然キスをされた私が渾身の力で張ったクランツの頬は、今は赤く色づいている。張られた本人はへらへらとしたもので、子猫に甘噛みされた程度だ。
私は管理人であるジョンさんにこっそりと事情を説明しようとしたのだが、やはり都合の悪いことは口に出せない。
管理人として、客人の筈だった私を恋人扱いしだした主人に不思議そうにはしていたが、どうやら気恥ずかしくて今まで言えなかったとでも捉えたようだ。ジョンさんからは微笑ましい視線が送られている。
あの倉庫の。いや、あの椅子の呪いを解かなければ、なし崩しに恋人扱いされてしまう。ただの依頼だったはずが、妙な緊張感を孕む。
「あの。お茶でもしながら、あの倉庫の事、聞かせてくれない?」
「そんなに気になるの?」
クランツの中では、恋人である私が旅行に来たら何故か倉庫を気にしている、とでも認識しているようだ。
ジョンさんがお茶の用意を調えてくれ、別荘の中で眺めが良く、日当たりのいい一室に配膳してくれた。
私たちは中央にある丸机に向かい合わせに椅子を並べ、それぞれ腰掛ける。机も椅子も年代は感じさせるが綺麗で、室内も清潔に保たれていた。
窓辺から差し込む日差しが、皿の上の砂糖菓子を照らす。温かいうちに、とお茶を飲み、気持ちを落ち着けるために甘味を頬張った。
「それでですね。……じゃなくて、それでね」
「ああ。倉庫だっけ」
「あの、倉庫にある『──』のこと、が……」
椅子について言葉を発しようとした途端、キュッと喉が締まった。私とクランツが恋人でないことの齟齬に加え、椅子についても話すな、ということらしい。
こくん、と唾を飲み込む。
あの犬のような黒い影、あれは私たちを椅子に関わらせたくないようだ。
「ごめん。お菓子の欠片が喉に引っ掛かって。それで、あの倉庫、曰く付きの物を集めてる、って聞いたけど、詳しい経緯を聞いてなかったなぁって」
「はは。そういうのが気になるとこ、やっぱり魔術師だね。……俺の数代前に、最初の品物が持ち込まれたんだよ。倉庫の奥にあった椅子、覚えてる?」
「…………うん」
一言を発するのにも気を遣う。喉はからからに渇いていたが、お茶を含む余裕すらなかった。
対して、クランツは私の様子を不思議そうに眺めつつも、特に異変は見当たらない。認識阻害した結果の世界そのものが、彼にとっては自然なことなのだろう。
「あれが最初の品物。貴族の家にあった物を貰って、当時の屋敷と合わなかったんだったかな、別荘の倉庫に移されたって聞いてる。経緯は不明だけど、その代の商会長の所には次々と置物だとか、人形だとかも集まったんだったかな。呪い、が最初に起きたのも、その代だ」
「じゃあ。『──』……、えっと。その代に持ち込んだものが、呪いの品が集まるようになった原因なんじゃない?」
「そうかもね。ただ、持ち出して捨てたとしてもっと悪い事が起きるかもしれないし、誰かに譲ったところで、譲った先に影響があるかもしれない。特定したとして、意味がないというか」
「そんな事ないよ。呪いっていうのは、つまり呪いの根本になった存在に不満があることが多いから」
言葉を切ったが、向こうから相槌以上の反応はない。コン、と咳払いをして、言葉を続けた。
「つまりね。呪いたいと思うほどの不満を晴らすために、何かを呪うんだよ。だから、解呪の方法は色々あるけど、呪いの原因となった感情の解消が最善だって言われてる。魔術で呪いを打ち払っても、感情がそこにある限り、再発するから」
話している間、喉に影響はなかったが、そろそろと具合を確かめながら言葉を続ける。
クランツは、ふむ、と声を出すと、軽く腕を組んだ。
「つまり、呪いの根本を特定して、その感情の原因を解消させてあげれば、あの倉庫は普通に使えるようになる……?」
「そう、だね」
「それは助かるなぁ。実は、あの倉庫の中身って、呪いさえなければ価値ある品が多いんだ。ほら、物を使わずに眠らせておくの、勿体ないじゃない?」
商人であるクランツらしい思考だった。ちなみにお幾らほど、と尋ねてみると、どれもこれも両親が年で稼ぐ程度の値段がする品ばかりだそうだ。
それだけの品が、全く使われずに倉庫に眠っているのは物寂しさがある。
「おそらく、それぞれの品自体もそれぞれに曰くがあって、呪いの、と冠がつくような品だとは思うよ。ただ、それが一気にあの倉庫に集まった経緯は、……どの品物かが原因になっている気がする」
あの椅子、と口に出したかったが、言っても防がれるであろう言葉を口に出す気にはなれなかった。
私はおそらくやんわりと誘導して、クランツを正解に導かなくてはならない。その上で、あれが『呪いの椅子』となった原因を探るべきだ。
そうでなくては、彼と恋人のまま。真実を語ろうとすれば絞め殺される。
「私は価値ある品があの倉庫に置かれたままになっているの、寂しそうに見えたよ。だから、なんとかならないかなって」
「そっかあ、サザンカは優しいね。じゃあ、滞在ついでに調べてみようか」
「…………うん!」
望んだ方針を示してくれたことに、つい勢いよく返事をしてしまう。ほう、と息を吐いて、これだ、と胸の内で拳を握り締める。
ようやく温くなったお茶を含む気になった。カップを持ち上げ、唇と喉を湿らせる。
「確か、父は倉庫の経緯を調べていた時、別荘の書庫にある先代の手記を読み込んだって言ってたなぁ。俺や父には分からなくとも、もしかしたら、魔術師が読んだらぴんと来る記述があるかも」
「私が、入ってもいい?」
「勿論だよ。恋人で、未来の俺の伴侶なんだから」
「──────」
つい、頭を抱えてしまいたくなる。彼の中での私は、将来の結婚を前提にするほど大事な恋人らしかった。
あはは、と作り物の笑みを浮かべつつも、背筋には冷たいものが伝う。急がなければキスだけでは済まない。
お茶の時間を終え、さっそく二人で書庫へと移動した。広い部屋ではなかったが、窓は設けられておらず、静かな空間に詰め込めるだけの本がある。
倉庫はじめじめとした厭な気配すらあったが、こちらは長く居たくなるような心地よさがあった。
「ええと、父が読んでいたのは……」
クランツは梯子を持ってくると、取りづらい位置にある手記を下ろしてくれた。梯子から着地し、はい、と私に手渡す。
書庫内には机と椅子も設けられており、腰掛けてその場で読むことにした。クランツはまた梯子を登り、いくらかの本を持ち出してくる。
本、というより帳面、と言った方が正しいのだろうか。紙束を纏めて綴じただけの冊子もある。
「そっちは?」
「倉庫ができた代以外の商会長の手記。ほかにも記述がないかなと思ってさ」
「じゃあ、関係ありそうな記述があったら教えて」
「了解」
二人で向かい合わせに座り、手記を読み込んでいく。
クランツは読むのが速く、ぺらぺらと頁を捲っては、関係のありそうな記述を読み上げる。私はその記述を精査し、関係のありそうな事項だけを文に残した。
「昔から、呪いが発生する場に犬の影があった、って記述が共通してるね」
口に出せば首が絞まるかと思ったが、呪いの主からすれば問題ない言葉だったようだ。こっそりと息を吐き出す。
「犬。人を呪うような犬、…………かぁ。昔、うちの別荘ににいたのかな? でも、先代は犬を飼っている、っていうような記述はなかったよね?」
「今のところ、そんな気配はないみたい。というか、犬が怖い、みたいな心的外傷になっていて、いっそ苦手に思っている気配すらある」
「だよねえ。俺もちょっと怖いもん。じゃあ、有名な犬の幽霊、とか」
クランツは立ち上がると、民話や神話が集まった本を持って帰ってきた。二人で手分けして目次を確認し、関係のある記述を読み込んでいく。
柔らかい照明の光の中、二人で静かに読書をする。彼がこんなにも黙っている様を初めて見た。
真剣に書物を眺めている顔立ちは、生来の端正さも相まって鋭く、様になる。
「共通しているのは、何かを守るために存在する、ってことかな。妖精たちの領域や、墓守、地下への門。犬を造形とした存在は、そういった場所に配置されることが多い」
「人との関わり方としては、番犬、が印象深いもんね。当然のことなんだけど、犬の主人はカフマー家じゃない」
「うん。うちじゃない。でも、何かを守ってる?」
椅子、と口に出そうとして、きゅっと口を噤んだ。あの犬の影は、あの椅子を守っている。
「倉庫ができた代で集まった品の中に、その守る対象があるってことかな?」
「そう! …………かもしれないね。その代で集まったもの、精査してみようか」
クランツの勘の良さに心中で喝采する。絶対に椅子、とは思ったものの、自然に、誘導して、と自分を宥める。
意味のない行為……その代で集めた品物を列挙し、帳面に書き付けた。
「まあ、いちばん自然なのは最初に集まった、椅子、かなぁ…………?」
私の心の中は、もう大拍手である。元々、頭がいい上によく回る、と思っていたが、私が持って行きたい方向を示せば簡単に察してくれる。
犬の影に首を絞められ続ける私にとって、彼の聡さは涙ぐみそうになるほど嬉しかった。
「椅子に関して、詳しく手記を見てみようか。俺も他の代の記述、読んでみる」
「うん!」
「…………ふふ。今日のサザンカ、すごく一生懸命だね。うちの家のことなのに。嬉しいな」
伸びてきた腕が、私の頭をゆっくりと撫でた。大きな掌は優しく、その行為だけを捉えるなら心地がいい。
恋人、と思っている私に向けられる視線は、以前、愛人に誘ってきた貴族とは質の違うものだ。愛しい、可愛い。そんな正の感情だけが突き刺さるように届く。
気恥ずかしさに視線を下げ、逃げ出すように本に視線を戻した。文字を追っていると、次第に内容に没頭し始める。
「────ここ、譲ってくれた貴族の名前があるよ。王家と繋がりが深い家柄みたい」
手記を寄せつつそう告げると、クランツは文字に視線を落とす。
椅子を譲った貴族は、トリアン家というらしい。私には聞き覚えのない姓だが、彼は覚えがあるように目を瞠った。
「最近、付き合いが出来た貴族の家だと思ってたけど……昔にも縁があったんだなぁ。この方の別荘、うちの別荘から遠くないよ。半日、までは掛からない」
「お話、聞きに行けたりするかも…………ってこと?」
「急だから普通なら断られそうなものだけど、今、トリアン家で別荘に滞在していそうなのは、ご隠居、と呼ばれる方でね。その方ならもしかしたら、商談ついでにお話ができるかも」
少し待っていてね、とクランツは席を外すと、おそらく荷物の中から一枚の厚紙を持ち出してきた。
通信魔術の宛先が刻み込まれたそれは、魔力を込めれば通信ができる効果を持つ。一旦廊下に出ると、話を終えて戻ってくる。
「連絡が取れたよ。ご隠居、案の定別荘にいるって、明日来てもいいって言ってくれた」
「行く!」
「…………って言うと思って、行きます、って答えておいたよ。ご隠居の家の近くは、花の栽培が盛んな土地なんだ。観光ついでに見て帰ろうか」
「へえ。楽しみ」
自然と本音が引き出されてしまい、唇を綻ばせる。私の答えに彼は眉を下げると、近づいてきて、座ったままの私に軽く抱きついた。
ぽんぽんと背を叩かれ、さっと離れてしまう。嫌な感じはしなかったな、と思って、自身の手のひらを見つめる。
魔術師は、魔力の波に対して敏い。気に入らない波に対しては、拒絶反応を示す魔術師も多くいる。
けれど私は、クランツに対して、嫌悪感を抱いたことはない。キスをされた時も、ただ、混乱しただけだ。
あれ、と思考が巡る。
もしも彼が恋人として相応しい人ならば、果たして認識阻害は解くべきなのだろうか。そのままの方が、都合がいいのではないか。
そう一瞬だけ頭を過って、馬鹿げている、と振り払った。
「ひりひりする…………」
「ごめん、って謝ったでしょう……!」
突然キスをされた私が渾身の力で張ったクランツの頬は、今は赤く色づいている。張られた本人はへらへらとしたもので、子猫に甘噛みされた程度だ。
私は管理人であるジョンさんにこっそりと事情を説明しようとしたのだが、やはり都合の悪いことは口に出せない。
管理人として、客人の筈だった私を恋人扱いしだした主人に不思議そうにはしていたが、どうやら気恥ずかしくて今まで言えなかったとでも捉えたようだ。ジョンさんからは微笑ましい視線が送られている。
あの倉庫の。いや、あの椅子の呪いを解かなければ、なし崩しに恋人扱いされてしまう。ただの依頼だったはずが、妙な緊張感を孕む。
「あの。お茶でもしながら、あの倉庫の事、聞かせてくれない?」
「そんなに気になるの?」
クランツの中では、恋人である私が旅行に来たら何故か倉庫を気にしている、とでも認識しているようだ。
ジョンさんがお茶の用意を調えてくれ、別荘の中で眺めが良く、日当たりのいい一室に配膳してくれた。
私たちは中央にある丸机に向かい合わせに椅子を並べ、それぞれ腰掛ける。机も椅子も年代は感じさせるが綺麗で、室内も清潔に保たれていた。
窓辺から差し込む日差しが、皿の上の砂糖菓子を照らす。温かいうちに、とお茶を飲み、気持ちを落ち着けるために甘味を頬張った。
「それでですね。……じゃなくて、それでね」
「ああ。倉庫だっけ」
「あの、倉庫にある『──』のこと、が……」
椅子について言葉を発しようとした途端、キュッと喉が締まった。私とクランツが恋人でないことの齟齬に加え、椅子についても話すな、ということらしい。
こくん、と唾を飲み込む。
あの犬のような黒い影、あれは私たちを椅子に関わらせたくないようだ。
「ごめん。お菓子の欠片が喉に引っ掛かって。それで、あの倉庫、曰く付きの物を集めてる、って聞いたけど、詳しい経緯を聞いてなかったなぁって」
「はは。そういうのが気になるとこ、やっぱり魔術師だね。……俺の数代前に、最初の品物が持ち込まれたんだよ。倉庫の奥にあった椅子、覚えてる?」
「…………うん」
一言を発するのにも気を遣う。喉はからからに渇いていたが、お茶を含む余裕すらなかった。
対して、クランツは私の様子を不思議そうに眺めつつも、特に異変は見当たらない。認識阻害した結果の世界そのものが、彼にとっては自然なことなのだろう。
「あれが最初の品物。貴族の家にあった物を貰って、当時の屋敷と合わなかったんだったかな、別荘の倉庫に移されたって聞いてる。経緯は不明だけど、その代の商会長の所には次々と置物だとか、人形だとかも集まったんだったかな。呪い、が最初に起きたのも、その代だ」
「じゃあ。『──』……、えっと。その代に持ち込んだものが、呪いの品が集まるようになった原因なんじゃない?」
「そうかもね。ただ、持ち出して捨てたとしてもっと悪い事が起きるかもしれないし、誰かに譲ったところで、譲った先に影響があるかもしれない。特定したとして、意味がないというか」
「そんな事ないよ。呪いっていうのは、つまり呪いの根本になった存在に不満があることが多いから」
言葉を切ったが、向こうから相槌以上の反応はない。コン、と咳払いをして、言葉を続けた。
「つまりね。呪いたいと思うほどの不満を晴らすために、何かを呪うんだよ。だから、解呪の方法は色々あるけど、呪いの原因となった感情の解消が最善だって言われてる。魔術で呪いを打ち払っても、感情がそこにある限り、再発するから」
話している間、喉に影響はなかったが、そろそろと具合を確かめながら言葉を続ける。
クランツは、ふむ、と声を出すと、軽く腕を組んだ。
「つまり、呪いの根本を特定して、その感情の原因を解消させてあげれば、あの倉庫は普通に使えるようになる……?」
「そう、だね」
「それは助かるなぁ。実は、あの倉庫の中身って、呪いさえなければ価値ある品が多いんだ。ほら、物を使わずに眠らせておくの、勿体ないじゃない?」
商人であるクランツらしい思考だった。ちなみにお幾らほど、と尋ねてみると、どれもこれも両親が年で稼ぐ程度の値段がする品ばかりだそうだ。
それだけの品が、全く使われずに倉庫に眠っているのは物寂しさがある。
「おそらく、それぞれの品自体もそれぞれに曰くがあって、呪いの、と冠がつくような品だとは思うよ。ただ、それが一気にあの倉庫に集まった経緯は、……どの品物かが原因になっている気がする」
あの椅子、と口に出したかったが、言っても防がれるであろう言葉を口に出す気にはなれなかった。
私はおそらくやんわりと誘導して、クランツを正解に導かなくてはならない。その上で、あれが『呪いの椅子』となった原因を探るべきだ。
そうでなくては、彼と恋人のまま。真実を語ろうとすれば絞め殺される。
「私は価値ある品があの倉庫に置かれたままになっているの、寂しそうに見えたよ。だから、なんとかならないかなって」
「そっかあ、サザンカは優しいね。じゃあ、滞在ついでに調べてみようか」
「…………うん!」
望んだ方針を示してくれたことに、つい勢いよく返事をしてしまう。ほう、と息を吐いて、これだ、と胸の内で拳を握り締める。
ようやく温くなったお茶を含む気になった。カップを持ち上げ、唇と喉を湿らせる。
「確か、父は倉庫の経緯を調べていた時、別荘の書庫にある先代の手記を読み込んだって言ってたなぁ。俺や父には分からなくとも、もしかしたら、魔術師が読んだらぴんと来る記述があるかも」
「私が、入ってもいい?」
「勿論だよ。恋人で、未来の俺の伴侶なんだから」
「──────」
つい、頭を抱えてしまいたくなる。彼の中での私は、将来の結婚を前提にするほど大事な恋人らしかった。
あはは、と作り物の笑みを浮かべつつも、背筋には冷たいものが伝う。急がなければキスだけでは済まない。
お茶の時間を終え、さっそく二人で書庫へと移動した。広い部屋ではなかったが、窓は設けられておらず、静かな空間に詰め込めるだけの本がある。
倉庫はじめじめとした厭な気配すらあったが、こちらは長く居たくなるような心地よさがあった。
「ええと、父が読んでいたのは……」
クランツは梯子を持ってくると、取りづらい位置にある手記を下ろしてくれた。梯子から着地し、はい、と私に手渡す。
書庫内には机と椅子も設けられており、腰掛けてその場で読むことにした。クランツはまた梯子を登り、いくらかの本を持ち出してくる。
本、というより帳面、と言った方が正しいのだろうか。紙束を纏めて綴じただけの冊子もある。
「そっちは?」
「倉庫ができた代以外の商会長の手記。ほかにも記述がないかなと思ってさ」
「じゃあ、関係ありそうな記述があったら教えて」
「了解」
二人で向かい合わせに座り、手記を読み込んでいく。
クランツは読むのが速く、ぺらぺらと頁を捲っては、関係のありそうな記述を読み上げる。私はその記述を精査し、関係のありそうな事項だけを文に残した。
「昔から、呪いが発生する場に犬の影があった、って記述が共通してるね」
口に出せば首が絞まるかと思ったが、呪いの主からすれば問題ない言葉だったようだ。こっそりと息を吐き出す。
「犬。人を呪うような犬、…………かぁ。昔、うちの別荘ににいたのかな? でも、先代は犬を飼っている、っていうような記述はなかったよね?」
「今のところ、そんな気配はないみたい。というか、犬が怖い、みたいな心的外傷になっていて、いっそ苦手に思っている気配すらある」
「だよねえ。俺もちょっと怖いもん。じゃあ、有名な犬の幽霊、とか」
クランツは立ち上がると、民話や神話が集まった本を持って帰ってきた。二人で手分けして目次を確認し、関係のある記述を読み込んでいく。
柔らかい照明の光の中、二人で静かに読書をする。彼がこんなにも黙っている様を初めて見た。
真剣に書物を眺めている顔立ちは、生来の端正さも相まって鋭く、様になる。
「共通しているのは、何かを守るために存在する、ってことかな。妖精たちの領域や、墓守、地下への門。犬を造形とした存在は、そういった場所に配置されることが多い」
「人との関わり方としては、番犬、が印象深いもんね。当然のことなんだけど、犬の主人はカフマー家じゃない」
「うん。うちじゃない。でも、何かを守ってる?」
椅子、と口に出そうとして、きゅっと口を噤んだ。あの犬の影は、あの椅子を守っている。
「倉庫ができた代で集まった品の中に、その守る対象があるってことかな?」
「そう! …………かもしれないね。その代で集まったもの、精査してみようか」
クランツの勘の良さに心中で喝采する。絶対に椅子、とは思ったものの、自然に、誘導して、と自分を宥める。
意味のない行為……その代で集めた品物を列挙し、帳面に書き付けた。
「まあ、いちばん自然なのは最初に集まった、椅子、かなぁ…………?」
私の心の中は、もう大拍手である。元々、頭がいい上によく回る、と思っていたが、私が持って行きたい方向を示せば簡単に察してくれる。
犬の影に首を絞められ続ける私にとって、彼の聡さは涙ぐみそうになるほど嬉しかった。
「椅子に関して、詳しく手記を見てみようか。俺も他の代の記述、読んでみる」
「うん!」
「…………ふふ。今日のサザンカ、すごく一生懸命だね。うちの家のことなのに。嬉しいな」
伸びてきた腕が、私の頭をゆっくりと撫でた。大きな掌は優しく、その行為だけを捉えるなら心地がいい。
恋人、と思っている私に向けられる視線は、以前、愛人に誘ってきた貴族とは質の違うものだ。愛しい、可愛い。そんな正の感情だけが突き刺さるように届く。
気恥ずかしさに視線を下げ、逃げ出すように本に視線を戻した。文字を追っていると、次第に内容に没頭し始める。
「────ここ、譲ってくれた貴族の名前があるよ。王家と繋がりが深い家柄みたい」
手記を寄せつつそう告げると、クランツは文字に視線を落とす。
椅子を譲った貴族は、トリアン家というらしい。私には聞き覚えのない姓だが、彼は覚えがあるように目を瞠った。
「最近、付き合いが出来た貴族の家だと思ってたけど……昔にも縁があったんだなぁ。この方の別荘、うちの別荘から遠くないよ。半日、までは掛からない」
「お話、聞きに行けたりするかも…………ってこと?」
「急だから普通なら断られそうなものだけど、今、トリアン家で別荘に滞在していそうなのは、ご隠居、と呼ばれる方でね。その方ならもしかしたら、商談ついでにお話ができるかも」
少し待っていてね、とクランツは席を外すと、おそらく荷物の中から一枚の厚紙を持ち出してきた。
通信魔術の宛先が刻み込まれたそれは、魔力を込めれば通信ができる効果を持つ。一旦廊下に出ると、話を終えて戻ってくる。
「連絡が取れたよ。ご隠居、案の定別荘にいるって、明日来てもいいって言ってくれた」
「行く!」
「…………って言うと思って、行きます、って答えておいたよ。ご隠居の家の近くは、花の栽培が盛んな土地なんだ。観光ついでに見て帰ろうか」
「へえ。楽しみ」
自然と本音が引き出されてしまい、唇を綻ばせる。私の答えに彼は眉を下げると、近づいてきて、座ったままの私に軽く抱きついた。
ぽんぽんと背を叩かれ、さっと離れてしまう。嫌な感じはしなかったな、と思って、自身の手のひらを見つめる。
魔術師は、魔力の波に対して敏い。気に入らない波に対しては、拒絶反応を示す魔術師も多くいる。
けれど私は、クランツに対して、嫌悪感を抱いたことはない。キスをされた時も、ただ、混乱しただけだ。
あれ、と思考が巡る。
もしも彼が恋人として相応しい人ならば、果たして認識阻害は解くべきなのだろうか。そのままの方が、都合がいいのではないか。
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ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。
行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。
異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?
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