守った狸は愛でるよう

さか【傘路さか】

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【人物】
立貫 絹太(たてぬき きぬた)
大高 壱矢(おおたか いちや)


龍屋(たつや)
花苗(かなえ)
戌澄(いぬずみ)
瓜生(うりゅう)
-----



▽1

 その日は、朝から天気がいい一日だった。

 昼食を外で食べようと思いついた僕は、パンを買った袋を提げ、キャンパス内の隅っこにあるベンチに腰を下ろした。

 日差しは少し熱いくらいだったが、人目がなく、ゆっくりと食事ができるここは良い場所かもしれない。

 この行動は、人となりを陰と陽で例えるなら、確実に陰と言える。自分に溜息を吐きながら、パンの袋を取り出した。

「ん……?」

 視界の端、小さな茂みの奥で、がさがさと動くものが見える。僕がじっと見つめていると、茂みの端から曲がった胴体が姿を現した。

 蛇。

 その形状を認識した時には、狸の本能が竦み上がっていた。

「ヒッ────!」

 ようやく立ち上がり、食べ物を抱えてその場から逃げようとする。だが、足が縺れてその場に転がった。

 頬を地面に擦り、砂を掻きながらなんとか身を起こす。振り返った視線の先には、さっきより近づいた蛇の姿が見えた。

「大丈夫か……!?」

 横から声がかけられると共に、僕と蛇との間に大きな鞄が投げ入れられる。

 蛇は落下音に反応したのか、反転して茂みのほうへと逃げ去っていった。

 僕はぽかんと、鞄を投げてくれた人を見上げる。

「どこか打った? 起きられる?」

 手を差し出したその人は、日差しをそのまま映したような金髪と、茶に他の色が幾らか混ざったような色の瞳を持っていた。

 顔も目鼻立ちがはっきりとしており、大人しい造りの僕とは大違いだ。

「ありがと……う、ございます…………」

 ほっと息を吐いて、その人の手を取る。

 一瞬で落ち着いた所為か、気が緩んでしまっていたのかもしれない。瞬きの間に、僕の手のひらは一瞬だけ触れた彼の掌から零れ落ちていた。

 頭の上から、ばさばさと服が降ってくる。何事か分からなかったのは、僕も。そして、彼も同じだったようだ。

「狸……?」

 服の下から顔を出した僕と、視線を合わせた彼は呆然とそう呟く。

 やらかした。

 他人の前で『狸』の姿に化けてしまうという失態を犯した僕は、さあ、と血の気が引いていくのを感じていた。













 僕たちの一族は、動物と、人の魂を両方持っている。

 そして、僕が持つのは動物の中でも『狸』の魂だ。僕は人の姿と同じく、狸の姿を持っている。

 僕はこの姿を転じる……化けるのがあまり得意ではない。努力を重ねて、人の社会に紛れ込めるようになった筈だったのに、今日は幼い頃のような失敗をしてしまった。

 服を着替えてトイレの個室を出ると、そこには先ほど助けてくれた男が立っていた。

「ありがとう、ございました」

 深々と頭を下げる。

 この男は僕を鞄の中に入れ、服と共にトイレの個室まで運んでくれたのだ。お陰で人に戻ることもでき、服を身に纏うことができた。

「えっと。……立貫くんだっけ?」

「はい。立貫絹太です」

「そっかそっか、絹太くん。俺は大高壱矢」

「知って、ます」

 パニックから落ち着けば、彼の容姿には見覚えがある。色素の薄い人種の血を引いているらしい彼は、大学内でも目立つ人物だ。

 同じ講義を受けることもあるが、染めていないらしい艶やかな金髪と、珍しい色の瞳には時おり視線を奪われる。

 そんな彼だが、人を集めて中心に立つというより、一人でふらりと姿を現しては、場を盛り上げて去って行くような不思議な空気があった。

「それは良かった。絹太くん、頭に葉っぱ付いてるよ?」

「えっ!?」

 鏡を指差され、素直にそちらを向く。

 彼が指摘した通り、茶髪には細長い葉、というか草が絡んでいた。指で取り去り、ついでに髪型を直した。

 生まれつきの茶髪と、いつも困ったような眉。瞳は大きく見える、と褒められるが、そのほかの顔立ちに目立つところはない。

 僕が鏡と向き合っていると、靴音がして、隣に長身であるその人が立った。髪を縛っていたゴムを外し、纏めて縛り直す。

「あの。……本当に、お世話に…………」

 彼は蛇口を捻り、手を洗い始める。何となく僕もそれに倣った。泡立った手を洗い流し、ハンカチで手を拭う。

「絹太くん。お昼、食べそびれたんじゃない?」

「はい。……えと、まだ」

「じゃさ。俺とお昼、食べなおそ」

 肩に掛けていた二人分の荷物の中から、僕のカバンを差し出してくれる。

 呆気に取られながら受け取り、背を叩かれて促されるままにトイレを出た。

 彼のような人種の、何も知らない初対面の相手と交流を持ってしまう性質は、僕には異星人のように思えてしまう。

 先を歩く広い背を追いかけ、声を掛けた。

「あ、あの……! 大高、くん……!」

「今度は、蛇が出ない位置のベンチに行こっか」

 大高くんはそう言い、学内でも外と面している大廊下に置かれたベンチへと向かった。途中、飲み物を調達するためか、自販機に立ち寄る。

 彼が小銭を出す前に、僕が割って入った。

「お礼、に! 僕に出させて、くださ…………」

 目を丸くした彼の様子に怯え、言葉は尻すぼみになる。顔を合わせられないでいる僕に対し、大高くんは明るい声を掛けた。

「ありがと。じゃ、コーヒーのブラック。冷たいやつ」

「どれでもいい、ですか……?」

 ブラックコーヒーのコールドにも、複数の種類がある。僕の指先がボタンの間で躊躇っているのを、彼は面白そうに見ていた。

「どれがいいと思う? 押してみて」

「え……?」

 いちばん高級そうな外観の缶を選び、ボタンを押す。ガコン、と下から缶が出てきたのを、取り出して両手で差し出す。

「ど、……どう。ですか?」

 僕とは違う。大きな手が、長い指が、缶を持ち上げる。顔を上げた時に見た大高くんは、にんまりと笑っていた。

「当たりー」

 どうも、と更に言葉を添え、彼はまた歩き出した。

 本当に当たりだったのか。それとも、気を遣って当たったことにしてくれたのか。表情から読めない人物を相手にする難しさに、心中で息を吐く。

 中学も、高校も。人と狸の姿を上手く保てない所為で、休みがちだった。ほどよく距離が保てる大学なら上手く過ごせる気がしていたのだが、それも前途多難だ。

「ここにしよっか」

 ベンチのうち一つを選び、二人して腰掛ける。

 僕が先に座ると、然程あいだを空けずに大高くんが隣に座った。

 ようやく封を切ることができたジャムパンを袋から取り出し、齧り付く。パンに噛み付きながら隣を見ると、大きな口が卵サンドを囓りとった所だった。

 あの量が口の中に入ってしまったら、パンなんて直ぐ無くなってしまうのではないだろうか。心配しながら様子を見ていると、視線が合う。

「絹太くんさ。あれでしょ、動物の魂を持つ一族なんでしょ?」

 僕は咄嗟に周囲を見渡してしまう。仕草を見て意図を察したのか、大高くんは、誰もいないよ、と言った。

 僕はパンを膝に置き、こくん、と頷く。

「なんで、大高くんは……そのこと」

「俺ね。親族の伝手で、動物が所属するプロダクションでアルバイトしてるの。うちの一族は動物の魂を持つ、とかじゃないんだけど。とある神様の守りが強くて。……ほら、絹太くん達の魂って、神様が分けてくれたもの、な訳でしょ」

「そう、です。狸の神様が、始祖様に魂を分けてくれて。それで、子孫である僕達は、狸の姿も持つようになりました」

「聞いてた通りだ。そういう人たちって、格が違う……っていうのかなぁ。上も下もないけど、純粋な人とは違う訳じゃん。だから、動物の魂を持つ一族とか、神様の守りがあるような人間とかで集まる方が、いろいろと揉めないんだよ。ウマも合うし」

 大高くんの一族は、代々そういった事情で動物の魂を持つ一族と交流があったそうで、今も動物プロダクションには、純粋な魂を持つ動物たちと、僕のような人間も集まっているらしい。

 そんな彼にとって、僕のような存在は珍しくないそうだ。缶コーヒーのプルタブを引くと、口に当て、ごくごくと中身を呑み込んだ。

「絹太くんって、そういう繋がりあんまりない? 同じような奴ら、大学内にもいるけど」

「え、……っと。何となく、そうかな、みたいな人は見かけたんですけど。怖くて……」

「あー……。だいたい誰を見たのか分かった。猫と犬?」

 猫と犬、とは、文字通りの猫と犬、ではなく、猫神の魂と、狗神の魂を持つ人間、ということだ。

 おそらくその二人であろう姿を思い浮かべ、こくこくと頷いた。

「別に、言いふらしたりするつもりは無いけど。絹太くんって、ソロ行動多いよね?」

「あの、……ぼっちだって言ってもらっても……」

 水筒の蓋を開き、中の麦茶を注ぐ。キン、と頭ごと凍らせるような中身を口に含んで、はあ、と息を吐いた。

「あはは。同じ悩みが話せる友達、欲しくない?」

「それは、欲しいですけど……相手にも、選ぶ自由が……」

 ぼそぼそと言う僕を、彼は珍しいものを見たかのように眺める。

 ぱくん、ぱくん、と大きな口が手元の卵サンドを囓ると、すぐに一個が腹の中に消えていった。次は洒落た鞄から焼きそばパンが出てくる。

「選ばれるかどうかも、会ってみなきゃ分かんないんじゃない?」

「そう……ですね。そうなんですけど……」

 僕は黙り込み、ジャムパンを噛む。

 普段は好物のはずなのだが、緊張しすぎて砂でも噛んでいるようだった。

 外からは鳥の鳴き声が響き、適度な屋外として心地よい空間のはずなのだが、僕の頭は余計なことばかりを考える。

「てことでさ。絹太くん、アルバイトしてみたくない?」

「…………前提が、飲み込めていません」

「じゃあ。お金、ほしくない?」

「自由に使えるお金は、ほしい、ですけど」

 実家住みでお金に困っている訳ではないのだが、この性格を変えたくもあり、ちょっと高価な服飾品を買ってみたいという希望もあった。

 だが、今まで特に、アルバイト、というものに飛び込めた試しはない。

「動物プロダクションでモデル、どう?」

「えっと。僕、犬とか猫じゃなく、狸ですけど……」

「うち、狐もいるよ」

「えっ」

 話を聞くと、犬や猫以外にも多様な動物たちがプロダクションに所属しているらしい。

 動物タレントとしての所属の他に、保護施設と提携して、と外部には説明しているらしいのだが、純粋な動物たちに、長時間であったり、細かな指示が必要な撮影は厳しいものがある。

 案件や撮影量によって、純粋な動物と、一族の転じた姿である動物と、で合っている方をキャスティングしているそうだ。

「最近、狐の一族から所属してくれる人がいてさ。普通、狐の一族の人間って、ほら」

「狐の一族は、……我が強い上に騙るのが得意なので、組織に所属したり、プロダクションで真面目に仕事、は難しいでしょうね」

 あくまで、『言い伝えられる狐』としての気質の問題だ。例外は存在するだろうが、それでも種族特性は性格に強い影響を与える。

「そうらしいね。だから、真面目に働いてくれる人が来て、今までいなかった所属タレントってことで、珍しさで仕事が増えたんだよ」

「はぁ……。それで、なんで僕に」

「二匹目のどじょうを狙ってて、プロダクション内で事情を知ってる職員にお達しが出たんだ。珍しい種族の一族がいたら、モデルとして連れてくるように、だってさ」

「狸は珍しくありませんけど……」

「でも狸はそもそも、気が弱くて人前に出たがらない。臆病だし、警戒心も強くてモデルとして働こ、て誘っても首を横に振るでしょ」

「まあ……。そんな気はします」

 同じ狸の一族の気質は、よく知っていた。

 僕のような人間は、人間だけの社会であれば珍しいが、一族の中であれば同類で埋もれる。

「撮影に慣れてない、っていうなら練習に付き合うからさ。真面目に仕事をしたい、って思ってくれるだけでいい。どう?」

 ちゃぷん、と持っていた水筒の蓋の中で水面が揺れた。

 働きたいとも思っていた、お金が欲しいとも思っていた、体力を使う仕事ではないようだし、モデルといっても狸姿だけだ。

「拘束時間に対しての給料は多い方だと思うよ?」

 大高くんからの一押しに、僕は視線を彷徨わせる。それでも決めきれずに黙っていると、彼は鞄に手を突っ込み、新しいパンの袋を取り出した。

「絹太くん。照り焼きサンド好き?」

「鶏肉? …………ですか」

「鶏肉」

「好き、です」

「これあげるから、一回、事務所を見学に来ない? 狸の性格は聞いてる、無理強いはしないから、ね」

 目の前で袋を開くと、肉厚の照り焼きが挟まったサンドイッチがその場に鎮座していた。僕が食い入るように見つめていると、大高くんは袋ごとこちらに差し出してくる。

 そろそろと両手を広げると、ポン、とサンドイッチが置かれた。

「契約成立」

「………………あ」

「まあまあ。それ、美味しいから食べてよ」

 きつね色に焦げたパンと肉厚の鶏肉、シャキシャキのレタスに、たっぷりのマヨネーズ。僕はおいしそうな断面を見て、つい条件も忘れて齧り付く。

 甘辛い味付けも好みで、弾力のある鶏肉は夢中で咀嚼してしまう。はぐはぐと丸々一個を食べ終え、はっと我に返って視線を上げる。

 にまにまと笑う大高くんは、すこし悪い顔をしていた。







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