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第5章:林の心臓編

135 僅かな可能性

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<猪瀬こころ視点>

---少し時間は遡り---

「ティナのお兄さんは、別にティナのことが嫌いって訳では無いと思うのよね」

 話し合いの最中、リアスが顎に手を当てた状態でそう呟いた。
 彼女の言葉に、リートはピクリと眉を顰めて「何……?」と聞き返した。
 しかし、すぐにティナが「そんなわけないニャン!」と言った。

「そりゃあ、昔は兄ちゃんも優しくしてくれてたけど……今はウチに酷いこと言ってくるニャン。言うこと聞かないと乱暴してくるし、この村に来る時だって……!」
「そもそも、なんであの時、ティナのお兄さんは森の中まで来ていたのかしら?」

 リアスの言葉に、ティナはキョトンとした表情で首を傾げた。
 ティナの兄が、森の中にいた理由……?

「そりゃあ、お前……侵入者が入って来たから捕まえに来たんじゃねぇか? 獣人族って嗅覚とか鋭いし、すぐに俺達の侵入に気付いたんだろ」
「でも、ティナは彼等の接近に気付いていなかった。……ねぇ、ティナ。獣人族って、年齢で嗅覚に違いが出たりするの?」
「……そんなに、差は無い……ニャ……」

 フレアとリアスの会話に、リアスが言おうとしていることが分かったのか、ティナは目を伏せたままそう答えた。
 それに、リアスは小さく頷き、続けた。

「あの時、私達は森に入って間もなかった。仮に森に入ってすぐに感知されたにしても、ベスティアの町からあの場所まではかなりの距離があったし……弓矢の射程距離を考えても、あんなに短時間で着くものかしら?」
「つまり、妾達が森に入るよりも前に、町を出ていたということか?」

 ハッと気付いたように言うリートに、リアスは小さく笑みを浮かべて「そういうこと」と答えた。

「侵入者が来た訳でも無いのに、森の外……しかも忌々しい人族の町がある方に、わざわざ部下まで連れて向かっていた理由は、どうしてかしらね?」

 リアスはそう言いながら、ゆらりとティナに視線を向けた。
 すると、アランが胸の前で手を打った。

「あ~! そっか! ティナちゃんを迎えに来たんだ!」
「あッ、有り得ないニャン!」

 アランの言葉に、すぐにティナが焦った様子で声を上げた。
 しかし、改めて言われてみると、確かに納得はいく。
 ティナの口振り的に、彼女が人族の町に行っていることは、少なくとも家族は知っているようだった。
 私達がベスティアに侵入する為の作戦を考えていたせいで、ティナが町に帰る時間も大分遅くなっていたし……帰りが遅かったティナを心配して、探しに来たとか……?

「そんなことあるわけないニャンッ!」

 私の思考に反論するように、ティナがそう声を上げた。
 一瞬心を読まれたのかと動揺したが、どちらかと言うと、先程のアランの言葉への反論の続きだろう。
 そんな風に考えていると、彼女は拳を強く握りしめて続けた。

「み、皆は何も知らないから、そんな適当なこと言えるニャンッ! ウチはッ……ずっとッ……!」
「貴方が思っている程、人の心って単純でも無いのよ。もう少し大人になったら、表向きは好き合っていても本心ではお互いに嫌ってる、なんてことも当たり前に……」
「余計なことまで教えんで良い」

 やけに饒舌に話すリアスを、リートが静かに制した。
 すると、リアスは少し間を置いた後で小さく息をつき、口を開いた。

「……勿論、その逆もあるわ。その人のことが好きでも、素直になれなくてキツく当たってしまったり、ね……」

 そう言うと、彼女は静かに目を逸らした。
 彼女の言葉に、ティナはどこか不服そうな表情を浮かべた。

「そんなこと言われても、よく分からないニャン。……それに、兄ちゃんの態度は、そんな感じしないニャン」
「まーそんなのは結局本人にしか分からねぇことだしな。俺達がどうこう言っても仕方ねぇんじゃねぇの?」

 ティナの言葉に続けるように、フレアが言う。
 まぁ、結局は本人次第って話になるよな。
 けど、そんなことを言っていたら、現状を変えることなんて出来ない。
 私は両手の指を絡めて少し考え、口を開いた。

「でも、もしも本当に、ティナのお兄さんがティナのことを大切に思っている可能性があるんだとしたら……僅かな可能性でも、賭けてみる価値はあるんじゃないかな」
「……まぁ、それもそうじゃな。妾達がここでウダウダと話し合っていても、答えなど出るはずも無いし」

 私の言葉に、リートが小さく頷きながら言った。
 それに、ティナは何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐに目を伏せた。
 リアスはチラリとそれを一瞥したが、すぐにこちらに向き直って口を開いた。

「えぇ……私もそう思うわ。それで、考えたんだけど……分からないならいっそ、無理矢理にでも引き出してみるのはどう?」
「んぁ? どういうことだ?」

 リアスの言葉に、フレアが気の抜けたような声で聞き返した。
 それに、リアスは口に人差し指を当て、小さく笑みを浮かべて続けた。

「一度、ティナを殺してみましょう?」

---現在---

 あの後、リアスの提案した作戦はこうだ。
 まず、ティナに重傷を負わせて気絶させ、リートの闇魔法を解除し、見張りの獣人に発見させる。
 勿論、本当に怪我をさせて気絶している訳では無い。あくまでフリだ。
 獣人化しているティナならば、皮膚が体毛で覆われている為、怪我をしていても分かりにくい。

 だから、それを利用する。
 牢屋の地面の砂埃を体に付着させて壁に凭れ掛かる形で座らせておけば、それなりにボロボロになっているように見えるだろう。
 それに加えて、幻魔法を解いた後に軽くティナを殴るような素振りをしておけば、暴力を振るわれて気絶しているように見えるはずだ。

 その後、恐らく私達の拷問の為に来るであろうティナの兄を牢屋の中に引き込み、目の前でティナを殺すような素振りを見せる。
 本当にティナのことを少しでも大切に思う気持ちがあるのなら、殺されそうになっているティナを見て、何かしらの反応を見せるはずだ。
 もしもこれでティナを見殺しにするような真似をするのであれば……流石にもう、救いようがない。
 その時はフレアやアランの言う通り、実力行使に出る必要があるかもしれない。

 それと、作戦の決行中、私とリートは牢屋の隅の方で、リートの幻魔法を用いて身を隠すことにした。
 理由としては、私やリートの姿はこの世界では珍しい為、極力目立たないようにする為だ。
 この世界では髪と目の色が同じなのが普通で、私達のように髪と目の色が違うタイプは、色の組み合わせで記憶されやすいんだと思う。
 一人だけならまだしも、二人組ともなると、少しでも身体的特徴を覚えられるだけで個人を確定するには十分すぎる情報量となる。
 私のクラスメイトと合流した時に、山吹さんがリートを一目見ただけで心臓の魔女だと特定していたのが良い例だ。
 獣人族は人族と関係を作ることを拒んでいるようだし、覚えられても問題はないとは思うが……念の為だ。

 ちなみに、幻魔法で姿を隠すことが出来るのならそれを使ってベスティアの町に侵入出来たのではないかと思ったが、その考えはあっさり否定されてしまった。
 と言うのも、あくまで隠せるのは姿や音だけで体の匂いまでは隠しきれず、獣人族相手に幻魔法を用いた潜入は難しいとのことだった。
 牢屋の中で眠っているように偽装したり、同じ場所に人族がいる状態で姿を隠す程度なら問題は無いのだが、全員の姿を隠してベスティアに潜入……ということは出来ないらしい。

 あと、リアスがアランとフレアに、指示を出さない限り不必要に喋らないように言っていた。
 理由は……まぁ、この二人が喋ると、色々とボロが出る可能性があるからだろう。
 アランはすぐに了承していたが、フレアは不服そうにしながらも渋々と言った様子で納得していた。

 潜入の際に怪しまれると思って私以外の三人の武器は道具袋の中に隠し、私の剣も罠に捕まった際に同じように隠し持っていた。
 武器を隠し持っていたことが知られるとまた色々と面倒になるだろうという判断から、武器を使わずに作戦は決行されたのだが……正直、思っていた以上に上手くいった。

 リートが魔法を解いた瞬間、見張りをしていた獣人族はすぐに牢屋の中に入ってきて、ティナに暴力を振るうフリをするフレアを止めようとした。
 フレアはそれを返り討ちにして壁際に追い詰め、殺されると思った見張りの獣人族の上げた悲鳴を聞きつけてティナの兄が駆け付けた。
 それからリアスが上手く悪役を演じてティナの兄を追い詰め、ティナの失態で捕まったことについて語り、豊穣の神を手に入れる為に獣人族を皆殺しにするつもりだという旨を話した。

 正直とんでもない話だったが、ティナの兄が取り乱すことは無かった。
 普通なら激昂しても良い内容だと思うが、流石は獣人族長の息子というべきか、少し驚いた程度で留まっていた。
 しかし、そうなると分からない。
 正直、もし本当にティナのことを多少なりとも大切に思っているのだとしたら、ボロボロになっているティナを見て少しは動揺するものだと思っていた。
 だが、彼がこの牢屋に入って来た時にもそう言った様子は一切無く、リアスの言葉を聞いた時と同じくらいの反応だった。
 あまり感情が表に出ないタイプなのか……? そもそも、その少し驚いていた反応も誰に対して示したものなのか分からない。
 ティナに対してなのか……それとも、見張りをしていた獣人に対してのものなのか……もしくは、その両方か……。
 もしも、ティナに対して本当に何とも思っていないんだとしたら……──。

「──……でも、この子のせいで私達の作戦は失敗した。だから、まずはこの子を殺そうと思うわ。その次はその見張りの人を殺して、貴方と一緒に来た獣人族も……この町の人達を皆殺す。それが、私達の作戦よ」

 一人思考を巡らせていた時、リアスがティナの兄に向かってそう言いながら氷の剣を作り出し、振り上げたのが分かった。
 それに、私はハッと顔を上げた。
 慌ててティナの兄に対して視線を向けてみると、彼はグッと口を噤んだ状態でその場に立ち尽くしている。
 ……いや。すぐに、一歩後ずさるように足を下げた。
 ティナが殺されそうだと言うのに……助ける気が無いのか……!?

「まッ、待って……!」

 咄嗟に声を上げながら、私はリアスに向かって身を乗り出した。
 しかし、彼女は気絶したフリをしているティナに向かって剣を振り下ろ──。
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