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第5章:林の心臓編
間話 クリスマス
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カリカリとシャーペンを走らせる乾いた音が、静かな室内ではやけに響いて聴こえ、私の鼓膜を震わせる。
室内に響き渡る音は、私の立てる音だけではない。
近くの席に座っている人も何か勉強しているのか、同じようにペンを走らせる音。
少し離れた席に座っている人が、私物と思しきノートパソコンのキーボードを叩く音。
誰かが席を立つために椅子を引く音。咳払い。鼻を啜る音。衣擦れの音。
多種多様な物音をBGMにしながら、私はシャーペンを走らせた。
市立図書館の自習室の、入り口から最も遠い隅の方にある一つの席。
私は隠れるようにその席に座り、今日の授業の復習をしていた。
家に帰りたくない私は、放課後は毎日のようにこの図書館に寄り、閉館ギリギリまで勉強したり本を読んだりする。
「……」
勉強がひと段落ついた私は小さく息をつき、スマホの電源を点けて時間を確認する。
見ると、閉館時間の六時まで丁度あと十分という時間だった。
咄嗟に辺りを見渡してみると、自習室にいた人達も荷物を片付け、帰り支度を始めていた。
……思いのほか、集中し過ぎていたみたいだな……。
私は内心でそんな風に驚きつつ、勉強道具を鞄に仕舞い、防寒具を身につける。
学校の制服の上にコートを身に纏い、首にはマフラーを巻いて鞄を持ち、図書館を後にした。
この季節では夕方六時前でもすっかり日は沈み、外は暗闇に包まれていた。
しかし、図書館を出て少し歩くと街灯や眩いネオンなどが増え始め、徐々に辺りは明るくなっていく。
ふと顔を上げてみると、すぐ近くにあった店には色とりどりに輝くイルミネーションが飾られており、チカチカと目に痛いカラフルな電灯を光らせていた。
「……眩しい……」
無意識の内に呟いたその言葉は、白い吐息と共に空気に溶けていく。
それを見て小さく息をつくと、それもまた、白い靄となって吐き出された。
私は口元を覆うようにマフラーの一部を摘まみ上げつつ、辺りを照らす眩いイルミネーションから目を逸らすように俯いた。
そうか、今日は……クリスマスか。
最後に家族と……母さんとクリスマスを祝ったのなんて、もう十年以上前のことだから、まるで他人事のような感覚になっていて……あまり意識しなくなっていたな。
小さい頃はサンタの存在を信じていたから、母さんに愛されることを願って、必死に勉強を頑張って良い子になろうとしていたっけ。
結局、意味は無かったけど。
「おかあさん! きょうのばんごはんはなぁに?」
幼い頃の記憶に自嘲していた時、少し離れた場所から聴こえた少女の声が耳に入った。
咄嗟に視線を向けると、声の主と思しき年端もいかぬ少女が母親らしき女性と手を繋ぎ、キラキラと輝く目で女性の顔を見上げていた。
少女の声に、母親は優しく微笑みながら「そうねぇ」と呟いた。
「今日はクリスマスだし、やっぱりチキンかしら。あとは……梨花の大好きなシチューね」
「ホント!? やったぁ! おかあさんのつくるシチューだいすき!」
「フフッ。あと、ご飯の後はケーキもあるわよ」
「わ~い! はやくたべたいなぁ」
楽しそうに会話をしながら歩く親子が、私の横を通り過ぎていく。
私はその親子と目を合わせないように目を伏せ、少しだけ歩く速度を速めた。
「……寒いな……」
小さく呟きながら、私は両手を摩った。
……手が冷たい。
悴む両手を温めるのに自分の手では足りないと気付き、私はすぐに、コートのポケットから使い捨てカイロを取り出した。
朝から使っているものだが、持続時間がかなり長いようで、未だにその温もりは衰えていなかった。
多分、あと一、二時間は余裕で持つだろう。
温もったカイロで両手を温めつつ、私は行く宛も無く、フラフラと町を歩いた。
これからどうしようか。
いつもだったら、その辺のコンビニで晩御飯でも買って、真っ直ぐ家に帰るんだけど……今日はまだ、家に帰りたくないな。
多分、今頃……“家族”でクリスマスを祝っている頃だろうから。
それじゃあ、近くの飲食店で夕食を済ませて帰るか?
……どこに行っても、クリスマスの幸せオーラで満ち溢れていることが分かっているのに……?
「……はぁ……」
小さく息をつきながら、私は手近にあったベンチに腰を下ろした。
気付けば、駅前の辺りまで来てしまっていたらしい。
私が腰を下ろしたベンチは駅前の広場の端にあるもので、広場の中心には大きなクリスマスツリーが飾られており、今は豪奢なイルミネーションが色とりどりに煌めいている。
辺りにはイルミネーションを見に来た男女のカップルや家族等が多く、楽しげな空気が一帯に漂っていた。
「……道……間違えたなぁ……」
自嘲するように頬を引きつらせてそう呟きつつ、私は握りしめていたカイロをポケットに仕舞い、代わりにスマートフォンを取り出して地図アプリを開く。
考えていても仕方ないし、とりあえず、この辺りで時間を潰せそうな場所を探そう。
出来れば、クリスマスの幸せムードが少なそうな場所が良いけど……流石に難しいかな。
去年のクリスマスは……どうやって過ごしたっけ……?
記憶にも残らないような、中身の無い時間だったということだけは分かるんだけど……。
「……あっ……」
地図アプリでこの辺り一帯について調べていた私は、とある一点を見て、小さく声を漏らした。
この近く、ネットカフェがあるのか……。
そこでだったら、クリスマスとか気にせずに時間を潰せそうだな。
早速向かうか……と、スマホをコートのポケットに仕舞いつつ、立ち上がろうとした時だった。
「……ん……?」
立ち上がるべく顔を上げた私は、楽しそうに賑わう人々の中に、見覚えのある人影がいることに気付いた。
コートを着て寒そうに両手を摩りつつ、イルミネーションが煌めく中で俯きがちに歩く一人の少女。
長い前髪で目元を隠した特徴的なその姿に、私は小さく息を呑んだ。
「……最上さん?」
呑んだ息を吐き出すように、白い吐息と共に、私はそう呟いた。
名前を呼ばれたことで驚いたのか、彼女は驚いた様子で顔を上げた。
慌てて顔を上げたその姿を見て、私の予想は確信に変わる。
「わ、やっぱり最上さんだ」
咄嗟にそう呟くと、最上さんは微かに声を詰まらせたような反応をしたが、すぐに口を開いた。
「い、い猪瀬さん……!? こ、ここで、な、にを……!」
「いや、それはこっちのセリフだよ。帰ったと思ってたのに」
挙動不審な様子で反応する最上さんに、私はついそう答えた。
学校が終わってから一時間半以上は経っているし、部活が無い生徒はすでに家に着いている時間帯だ。
最上さんは部活とかには参加していないはずだし、とっくに帰っていてもおかしくないはずなのに。
……って、同じく帰宅部の私が言えたことではないか。
私の問いに、彼女は「そ、れは……」と小さく呟きながら、僅かに顔を背けた。
「ごめん……言いたくないなら、言わなくても良いよ」
言葉を詰まらせる最上さんの様子に、私はすぐにそう続けた。
すると、彼女はピクリと肩を震わせた後で顔を伏せ、「……う、ん……」と小さく頷いた。
その様子に私は小さく息をつきつつ、ポリポリと頬を掻いた。
どうしよう……なんか、気まずいな……。
別に仲が良いわけでも無いし、無理に会話を盛り上げる必要も無いんだけど……会話の切り時が分からない……。
ひとまず何か会話を続けた方が良いと考え、私は少し思考を巡らせてから口を開いた。
「もしかして……最上さんって、電車通学?」
「ッ……」
私の質問に、最上さんはビクッと肩を震わせた。
しかしすぐに自分の服の裾を握りしめ、ガクガクと大きく頷いた。
なるほど……だから、この駅前の広場に……。
「やっぱりそっか。だからこんな所に……そっか……学校から近いしね」
「……えっと……猪瀬、さんは……で、電車通学、じゃ……無いよね……?」
おずおずとした様子で聞いてくる最上さんに、私は僅かに硬直してしまった。
しかし、すぐに何とか気を取り直し、私は「……うん」と頷きつつ目を逸らした。
……まぁ……気になるよね……。
最上さんみたいに電車通学ならいざ知らず、普通に歩いて通学している私が、この時間に駅前の広場に一人でいるなんて……不自然だよね。
きっと最上さんは、私がここにいる理由を知りたいのだろう。
「……家に、帰りたくないんだ」
その言葉は、自然と口から零れた。
……そう。私はただ、家に帰りたくないだけ。
あの家に、私の居場所は無いから。
クリスマスの幸せな空気を共有できないのを、感じたくないから。
だから……帰りたくないんだ。
そこまで考えたところで、私はハッと我に返り、慌てて顔を上げた。
見れば、最上さんは驚いた様子で私を見ている。
しまった……結構長いこと、考え事に耽ってしまっていた。
「ご、ごめん。こっちの話。気にしなくて良いよ」
「あっ……うん……」
慌てて誤魔化す私に、最上さんは小さく頷いた。
しかし、彼女はどこか納得いっていない様子で、両手の指を絡めて軽く握りあう。
まるで温めようとしているかのように、両手を摩ったり、揉んだりしている。
「……手、寒いの?」
咄嗟にそう聞きつつ、私は彼女の手を指さしてみせた。
私の言葉に、彼女はビクッと肩を震わせて手の動きを止める。
かと思えば、オロオロと慌てながら、「えっと」とか「その」とか、しどろもどろに弁明を始めようとする。
……? どうしたんだろう……?
手が寒いなら私みたいにカイロを持つなり、手袋をつけるなりすれば良いのに。
そんな風に考えていると、いつだったかは忘れたが、学校に来た最上さんが手袋を外していた姿が脳裏を過ぎった。
「手袋とか……持ってな……」
持ってなかったっけ? と聞こうとして、瞬時に東雲の顔を思い出した。
彼女の顔を思い出した瞬間、私は言葉を詰まらせ、すぐに目を伏せた。
そうか……そういうことか……。
確証はないが、なんとなく、私の予想は合っているような気がした。
間違っていたとしても、彼女が手袋をしていないのには、何かしらの理由があるのだろう。
そんな風に考えていた時、コートのポケットの中に、まだ温かいカイロが入っていることを思い出した。
「……」
考えるより先に、体が動いた。
気付けば私はベンチから立ち上がり、コートのポケットに手を突っ込みながら最上さんの元に歩み寄っていた。
突然動き出したからか、彼女は驚いた様子で私を見ている。
私はそんな彼女の手を取ると、ポケットから取り出したカイロを彼女の冷え切った掌の上に置き、軽く握らせた。
「……こ、れは……」
「あげる」
掠れた声で呟く最上さんにそう返しつつ、私は彼女の手を離した。
すると、彼女は驚いた様子で、自分の手の中にあるカイロをまじまじと見つめた。
「……か……カイロ……?」
「使い捨てだけどね。持続時間が長いやつだから、最上さんの家まで持つと思うよ」
私の言葉に、最上さんは「そんなっ……!」と声を上げた。
「もっ、勿体、無いよ! こんな……!」
「私はどうせもう家に帰るだけだし大丈夫だよ。それより、最上さんの方が大変でしょ」
私はそう答えつつ、カイロが握られた手を両手で包み、さらに強くカイロを握らせた。
……我ながら、歯の浮くようなセリフだと思った。
家に帰るだけ? これからネットカフェに行こうとしているくせに?
最上さんに罪悪感を抱かせない為のでまかせか? ……この偽善者が。
でも……最上さんの手が冷えるのは、なんとなく嫌だった。
と言うよりかは……誰にも望まれていない私よりも、最上さんが辛い思いをしているのが、嫌だった。
彼女にはきっと……帰りを待ってくれる家族がいるから。
……愛してくれる人が、いるから。
「じゃ、じゃぁ……貰って、おくね……あり、がと……ぅ……」
すると、最上さんはカイロを握りしめてぎこちなく笑いながら、そう答えた。
彼女の笑顔を見た瞬間、何だか胸がスッと軽くなったような感覚がした。
「……あはは、気にしないで。クリスマスプレゼントだよ」
僅かな動揺を悟られないように、私はそう答えつつ、ヒラヒラと軽く手を振った。
でも……良かった。
少しでも、彼女の寒さを取り除くことが出来て。
私なんかでも……少しくらい、誰かに感謝されることがあるのだと知れて。
「じゃ、また学校でね」
会話も切りが良い頃だったし、私は最上さんに軽く手を振り、その場を後にした。
色とりどりの鮮やかな明かりが煌めき、人々の笑顔が溢れる幸せな空間から逃げるように、足早にその場から離れる。
……やっぱり、カイロをあげなければ良かったかな。
この寒さは……私一人の力で乗り切るのは、少し厳しそうだ。
少しでもこの寒さを紛らわすべく、私は早歩きで人波を抜けながらスマホを取り出し、地図アプリを開いた。
室内に響き渡る音は、私の立てる音だけではない。
近くの席に座っている人も何か勉強しているのか、同じようにペンを走らせる音。
少し離れた席に座っている人が、私物と思しきノートパソコンのキーボードを叩く音。
誰かが席を立つために椅子を引く音。咳払い。鼻を啜る音。衣擦れの音。
多種多様な物音をBGMにしながら、私はシャーペンを走らせた。
市立図書館の自習室の、入り口から最も遠い隅の方にある一つの席。
私は隠れるようにその席に座り、今日の授業の復習をしていた。
家に帰りたくない私は、放課後は毎日のようにこの図書館に寄り、閉館ギリギリまで勉強したり本を読んだりする。
「……」
勉強がひと段落ついた私は小さく息をつき、スマホの電源を点けて時間を確認する。
見ると、閉館時間の六時まで丁度あと十分という時間だった。
咄嗟に辺りを見渡してみると、自習室にいた人達も荷物を片付け、帰り支度を始めていた。
……思いのほか、集中し過ぎていたみたいだな……。
私は内心でそんな風に驚きつつ、勉強道具を鞄に仕舞い、防寒具を身につける。
学校の制服の上にコートを身に纏い、首にはマフラーを巻いて鞄を持ち、図書館を後にした。
この季節では夕方六時前でもすっかり日は沈み、外は暗闇に包まれていた。
しかし、図書館を出て少し歩くと街灯や眩いネオンなどが増え始め、徐々に辺りは明るくなっていく。
ふと顔を上げてみると、すぐ近くにあった店には色とりどりに輝くイルミネーションが飾られており、チカチカと目に痛いカラフルな電灯を光らせていた。
「……眩しい……」
無意識の内に呟いたその言葉は、白い吐息と共に空気に溶けていく。
それを見て小さく息をつくと、それもまた、白い靄となって吐き出された。
私は口元を覆うようにマフラーの一部を摘まみ上げつつ、辺りを照らす眩いイルミネーションから目を逸らすように俯いた。
そうか、今日は……クリスマスか。
最後に家族と……母さんとクリスマスを祝ったのなんて、もう十年以上前のことだから、まるで他人事のような感覚になっていて……あまり意識しなくなっていたな。
小さい頃はサンタの存在を信じていたから、母さんに愛されることを願って、必死に勉強を頑張って良い子になろうとしていたっけ。
結局、意味は無かったけど。
「おかあさん! きょうのばんごはんはなぁに?」
幼い頃の記憶に自嘲していた時、少し離れた場所から聴こえた少女の声が耳に入った。
咄嗟に視線を向けると、声の主と思しき年端もいかぬ少女が母親らしき女性と手を繋ぎ、キラキラと輝く目で女性の顔を見上げていた。
少女の声に、母親は優しく微笑みながら「そうねぇ」と呟いた。
「今日はクリスマスだし、やっぱりチキンかしら。あとは……梨花の大好きなシチューね」
「ホント!? やったぁ! おかあさんのつくるシチューだいすき!」
「フフッ。あと、ご飯の後はケーキもあるわよ」
「わ~い! はやくたべたいなぁ」
楽しそうに会話をしながら歩く親子が、私の横を通り過ぎていく。
私はその親子と目を合わせないように目を伏せ、少しだけ歩く速度を速めた。
「……寒いな……」
小さく呟きながら、私は両手を摩った。
……手が冷たい。
悴む両手を温めるのに自分の手では足りないと気付き、私はすぐに、コートのポケットから使い捨てカイロを取り出した。
朝から使っているものだが、持続時間がかなり長いようで、未だにその温もりは衰えていなかった。
多分、あと一、二時間は余裕で持つだろう。
温もったカイロで両手を温めつつ、私は行く宛も無く、フラフラと町を歩いた。
これからどうしようか。
いつもだったら、その辺のコンビニで晩御飯でも買って、真っ直ぐ家に帰るんだけど……今日はまだ、家に帰りたくないな。
多分、今頃……“家族”でクリスマスを祝っている頃だろうから。
それじゃあ、近くの飲食店で夕食を済ませて帰るか?
……どこに行っても、クリスマスの幸せオーラで満ち溢れていることが分かっているのに……?
「……はぁ……」
小さく息をつきながら、私は手近にあったベンチに腰を下ろした。
気付けば、駅前の辺りまで来てしまっていたらしい。
私が腰を下ろしたベンチは駅前の広場の端にあるもので、広場の中心には大きなクリスマスツリーが飾られており、今は豪奢なイルミネーションが色とりどりに煌めいている。
辺りにはイルミネーションを見に来た男女のカップルや家族等が多く、楽しげな空気が一帯に漂っていた。
「……道……間違えたなぁ……」
自嘲するように頬を引きつらせてそう呟きつつ、私は握りしめていたカイロをポケットに仕舞い、代わりにスマートフォンを取り出して地図アプリを開く。
考えていても仕方ないし、とりあえず、この辺りで時間を潰せそうな場所を探そう。
出来れば、クリスマスの幸せムードが少なそうな場所が良いけど……流石に難しいかな。
去年のクリスマスは……どうやって過ごしたっけ……?
記憶にも残らないような、中身の無い時間だったということだけは分かるんだけど……。
「……あっ……」
地図アプリでこの辺り一帯について調べていた私は、とある一点を見て、小さく声を漏らした。
この近く、ネットカフェがあるのか……。
そこでだったら、クリスマスとか気にせずに時間を潰せそうだな。
早速向かうか……と、スマホをコートのポケットに仕舞いつつ、立ち上がろうとした時だった。
「……ん……?」
立ち上がるべく顔を上げた私は、楽しそうに賑わう人々の中に、見覚えのある人影がいることに気付いた。
コートを着て寒そうに両手を摩りつつ、イルミネーションが煌めく中で俯きがちに歩く一人の少女。
長い前髪で目元を隠した特徴的なその姿に、私は小さく息を呑んだ。
「……最上さん?」
呑んだ息を吐き出すように、白い吐息と共に、私はそう呟いた。
名前を呼ばれたことで驚いたのか、彼女は驚いた様子で顔を上げた。
慌てて顔を上げたその姿を見て、私の予想は確信に変わる。
「わ、やっぱり最上さんだ」
咄嗟にそう呟くと、最上さんは微かに声を詰まらせたような反応をしたが、すぐに口を開いた。
「い、い猪瀬さん……!? こ、ここで、な、にを……!」
「いや、それはこっちのセリフだよ。帰ったと思ってたのに」
挙動不審な様子で反応する最上さんに、私はついそう答えた。
学校が終わってから一時間半以上は経っているし、部活が無い生徒はすでに家に着いている時間帯だ。
最上さんは部活とかには参加していないはずだし、とっくに帰っていてもおかしくないはずなのに。
……って、同じく帰宅部の私が言えたことではないか。
私の問いに、彼女は「そ、れは……」と小さく呟きながら、僅かに顔を背けた。
「ごめん……言いたくないなら、言わなくても良いよ」
言葉を詰まらせる最上さんの様子に、私はすぐにそう続けた。
すると、彼女はピクリと肩を震わせた後で顔を伏せ、「……う、ん……」と小さく頷いた。
その様子に私は小さく息をつきつつ、ポリポリと頬を掻いた。
どうしよう……なんか、気まずいな……。
別に仲が良いわけでも無いし、無理に会話を盛り上げる必要も無いんだけど……会話の切り時が分からない……。
ひとまず何か会話を続けた方が良いと考え、私は少し思考を巡らせてから口を開いた。
「もしかして……最上さんって、電車通学?」
「ッ……」
私の質問に、最上さんはビクッと肩を震わせた。
しかしすぐに自分の服の裾を握りしめ、ガクガクと大きく頷いた。
なるほど……だから、この駅前の広場に……。
「やっぱりそっか。だからこんな所に……そっか……学校から近いしね」
「……えっと……猪瀬、さんは……で、電車通学、じゃ……無いよね……?」
おずおずとした様子で聞いてくる最上さんに、私は僅かに硬直してしまった。
しかし、すぐに何とか気を取り直し、私は「……うん」と頷きつつ目を逸らした。
……まぁ……気になるよね……。
最上さんみたいに電車通学ならいざ知らず、普通に歩いて通学している私が、この時間に駅前の広場に一人でいるなんて……不自然だよね。
きっと最上さんは、私がここにいる理由を知りたいのだろう。
「……家に、帰りたくないんだ」
その言葉は、自然と口から零れた。
……そう。私はただ、家に帰りたくないだけ。
あの家に、私の居場所は無いから。
クリスマスの幸せな空気を共有できないのを、感じたくないから。
だから……帰りたくないんだ。
そこまで考えたところで、私はハッと我に返り、慌てて顔を上げた。
見れば、最上さんは驚いた様子で私を見ている。
しまった……結構長いこと、考え事に耽ってしまっていた。
「ご、ごめん。こっちの話。気にしなくて良いよ」
「あっ……うん……」
慌てて誤魔化す私に、最上さんは小さく頷いた。
しかし、彼女はどこか納得いっていない様子で、両手の指を絡めて軽く握りあう。
まるで温めようとしているかのように、両手を摩ったり、揉んだりしている。
「……手、寒いの?」
咄嗟にそう聞きつつ、私は彼女の手を指さしてみせた。
私の言葉に、彼女はビクッと肩を震わせて手の動きを止める。
かと思えば、オロオロと慌てながら、「えっと」とか「その」とか、しどろもどろに弁明を始めようとする。
……? どうしたんだろう……?
手が寒いなら私みたいにカイロを持つなり、手袋をつけるなりすれば良いのに。
そんな風に考えていると、いつだったかは忘れたが、学校に来た最上さんが手袋を外していた姿が脳裏を過ぎった。
「手袋とか……持ってな……」
持ってなかったっけ? と聞こうとして、瞬時に東雲の顔を思い出した。
彼女の顔を思い出した瞬間、私は言葉を詰まらせ、すぐに目を伏せた。
そうか……そういうことか……。
確証はないが、なんとなく、私の予想は合っているような気がした。
間違っていたとしても、彼女が手袋をしていないのには、何かしらの理由があるのだろう。
そんな風に考えていた時、コートのポケットの中に、まだ温かいカイロが入っていることを思い出した。
「……」
考えるより先に、体が動いた。
気付けば私はベンチから立ち上がり、コートのポケットに手を突っ込みながら最上さんの元に歩み寄っていた。
突然動き出したからか、彼女は驚いた様子で私を見ている。
私はそんな彼女の手を取ると、ポケットから取り出したカイロを彼女の冷え切った掌の上に置き、軽く握らせた。
「……こ、れは……」
「あげる」
掠れた声で呟く最上さんにそう返しつつ、私は彼女の手を離した。
すると、彼女は驚いた様子で、自分の手の中にあるカイロをまじまじと見つめた。
「……か……カイロ……?」
「使い捨てだけどね。持続時間が長いやつだから、最上さんの家まで持つと思うよ」
私の言葉に、最上さんは「そんなっ……!」と声を上げた。
「もっ、勿体、無いよ! こんな……!」
「私はどうせもう家に帰るだけだし大丈夫だよ。それより、最上さんの方が大変でしょ」
私はそう答えつつ、カイロが握られた手を両手で包み、さらに強くカイロを握らせた。
……我ながら、歯の浮くようなセリフだと思った。
家に帰るだけ? これからネットカフェに行こうとしているくせに?
最上さんに罪悪感を抱かせない為のでまかせか? ……この偽善者が。
でも……最上さんの手が冷えるのは、なんとなく嫌だった。
と言うよりかは……誰にも望まれていない私よりも、最上さんが辛い思いをしているのが、嫌だった。
彼女にはきっと……帰りを待ってくれる家族がいるから。
……愛してくれる人が、いるから。
「じゃ、じゃぁ……貰って、おくね……あり、がと……ぅ……」
すると、最上さんはカイロを握りしめてぎこちなく笑いながら、そう答えた。
彼女の笑顔を見た瞬間、何だか胸がスッと軽くなったような感覚がした。
「……あはは、気にしないで。クリスマスプレゼントだよ」
僅かな動揺を悟られないように、私はそう答えつつ、ヒラヒラと軽く手を振った。
でも……良かった。
少しでも、彼女の寒さを取り除くことが出来て。
私なんかでも……少しくらい、誰かに感謝されることがあるのだと知れて。
「じゃ、また学校でね」
会話も切りが良い頃だったし、私は最上さんに軽く手を振り、その場を後にした。
色とりどりの鮮やかな明かりが煌めき、人々の笑顔が溢れる幸せな空間から逃げるように、足早にその場から離れる。
……やっぱり、カイロをあげなければ良かったかな。
この寒さは……私一人の力で乗り切るのは、少し厳しそうだ。
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