命を助けてもらう代わりにダンジョンのラスボスの奴隷になりました

あいまり

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第7章 東雲理沙編

193 理沙と林檎の話⑦

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 土日が明けて、翌週の月曜日。
 学校が終わっていつもの公園に向かうと、先に来ていた林檎が笑顔で迎えてくれた。
 しかし、よく使っていた屋根のある休憩スペースでは林檎よりも先に来ていた男の子達がゲームをしていた為、今日は公園の隅にあるベンチで話すことにした。

「そういえば、コレ、書いてきたんだけど……」

 ベンチに座ってすぐに、私は家で書いてきたプロフィール帳を鞄から取り出し、隣に座る林檎に差し出す。
 彼女は私の差し出した紙を見つめて数秒程の間を置いた後、驚いたようにその目を大きく見開いた。

「えっ、もう書いて来てくれたの!? すご~い! ありがと~!」

 キラキラと両目を輝かせながら紙を受け取る彼女の言葉に、まさか書いてくるだけでそんなに喜ばれるなんて想像していなかった私は驚いてしまい、どう答えれば良いか分からず目を逸らしてしまう。
 しかし、彼女は楽しみで仕方なかったと云わんばかりに私のプロフィールを手元に持っていき、早速嬉々とした様子で目を通す。
 一応林檎の紙を参考にして書いたのだし、変なことを書いたつもりは無いのだが……何というか、私の趣味趣向について書いてきた物を目の前で読まれるのは、何だか気恥ずかしかった。
 ふんふんと頷きながらプロフィールを読む林檎の姿に、私は何とも言えない居心地の悪さを感じ、つい顔を背けてしまう。

「……うん?」

 少し離れた場所にある遊具で遊ぶ子供達を眺めながら、早く読み終わらないだろうかと待っていると、不意に隣から疑問の声が上がる。
 突然の反応に内心動揺しながらも、私は彼女の方に視線を戻しつつ口を開いた。

「何? なんか、変な所あった?」
「あっ、や、変とかじゃなくて……ここ、書いてなかったからさ」

 私の問いに、林檎はそんな風に答えながら手に持った私のプロフィールをこちらに提示し、その一部を指さす。
 それは、結局私が最後まで埋められなかった『好きな人』の欄だった。

「……あぁ、そこか」
「うん。他のとこはちゃんと書いてるのに……あっ、LOVEコーナーってとこも書いてないけど、そこは私も書かなかったから……なんでかな~って思って」

 林檎はどこか歯切れの悪い口調でそう言いつつ、こちらに見せていたプロフィールを手元に戻して視線もそちらに向ける。
 彼女の言葉に、私はどう答えたものかと少し迷いつつも口を開いた。

「いや……そもそも、好きな人っていうのが、よく分からなくて……」
「……んぇッ?」

 ひとまず率直な疑問を口にしてみると、林檎はガクッと軽くずっこけるような動作をしながら間の抜けた声で聞き返してくる。
 ……え、何その反応……?
 てっきり普通に答えてくれるものだと思っていたので、予想だにしなかった彼女の反応に驚いてしまい、思わず硬直してしまう。
 すると、彼女はすぐにその場で座り直しつつ口を開いた。

「分からないって……えっ? 好きな人、いないの?」
「いない、というか……そもそも、好きな人の定義って何?」
「ッて……て、テイギ……?」

 文字通り目を丸くして聞き返す林檎の反応に、どうしてそこまで驚いているのかと面食らいつつ、私は頷いて見せる。
 ……私、そんなに変なこと言ってるかな……?
 一体何に驚いているのか分からず困惑していると、不意に、林檎が書いていたプロフィールの内容が脳裏に過ぎった。

「……ホラ。例えば、林檎は好きな人の所に、お母さんって書いていたでしょ?」
「ぅえ……? ……そうだね……?」
「だから私も、身近な人で考えてみたんだけど……なんというか、家族も、学校の人も……好きとは、違うな、と思って……」

 どこまで自分の状況を説明すれば良いものか分からなかった私は、自分でもかなり曖昧な言い方だと自覚しながらも、言葉を濁してそう答える。
 しかし、やはりそれでは上手く伝わらなかったようで、林檎は眉を顰めながらぎこちなく首を傾げた。
 頭上に幾つものクエスチョンマークが浮かぶのが容易に想像できるその姿に、私は小さく笑って「ごめん、分かりにくかったね」と謝罪する。

「上手く言えないんだけど……多分、私は今まで、特定の誰かに好意を向けたことが無いんだと思う」
「……コウイ……?」
「えっと……そもそも、林檎はどうして、好きな人の所にお母さんって書いたの?」

 これ以上良い説明の仕方が思いつかなかった私は、少しだけ話題を変えるように、そんな風に聞き返してみた。
 そんな私の言葉に、林檎は一瞬キョトンとしたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔を浮かべて口を開く。

「私さ、お父さんがいなくて、お母さんと二人暮らししてるんだけど……私のお母さん、すっごく優しくて、毎日私の為に色々頑張ってくれるんだ」
「そうなんだ……」
「うん。毎日朝から夜までお仕事がんばってるし、私が今よりちっちゃい頃は、ご飯とか家の掃除とかも全部一人でやってくれてたの。今思うと絶対すごく大変だったのに、お母さんはその大変な所を見せないように、いつも笑顔で私と話してくれるんだ」

 だから、そんなお母さんが私は大好きだ、と。
 満面の笑みで語る林檎の言葉に、私は自分の服の裾を握りしめながら、「そっか」と小さく呟くように答えた。
 今まで、私も、私の周りにいた子も……家族は、両親が揃っているのが当たり前だった。
 しかも、大抵の場合は父親が何かしらの事業を行っており、母親は私の家のように専業主婦として家事に専念しているというパターンが多いように感じる。
 両親が共働きでも主な収入源は父親で、母親は在宅で出来る仕事で貯金や家計の足しにしているというのが多い印象だ。
 とは言え、それでも両親が毎日仕事や家事に勤しんでくれているおかげで、私の生活が支えられていることに変わりは無い。
 ……変わりは無い、筈なんだけど……──

「──……私は、そんな風に思ったこと……無いな……」

 その呟きは、ほとんど無意識の内に零れ落ちたものだった。
 人数が多い分、林檎の家と比べて一人の負担が少ないというのはあるのだろうが……それでも、林檎のように“私の為に”頑張ってくれているなんて思ったこと、一度も無い。
 一体どうして……と目を伏せた時、林檎が「そっかぁ」と小さく呟いたのが聴こえた。

「ん~……じゃあさ、学校の友達とかは? 一緒にいて楽しい子とか、話しててワクワクする子とかいるんじゃない?」
「……一緒にいて、楽しい……?」
「うんっ! なんか、こう……胸があったかくなって、安心するというか! ずっとこの子と一緒にいたいな~と思う子とか、いるんじゃない?」

 彼女の言葉に、私は学校の同級生の姿を思い浮かべる。
 ……いや。そんな子、いるわけ無いな。
 学校も家と同じで、その場にいるだけで息が苦しくなるし……同級生の子と話していても、ずっと居心地が悪くて、安心なんてする訳も無かった。
 しかしそうなってくると、やはり私には好きな人なんて……──。

「あっ! あとね、家族とか友達以外の人を書いてた子もいたよ!」

 不意に、隣から明るい声で投げ掛けられるのと同時に、肩に強い衝撃を受けて体が僅かに揺れる。
 思わず顔を上げると、そこには明るい顔で私の肩を掴む林檎がいた。

「同じクラスの子にね、好きな芸能人とか、アニメのキャラクターとか書いてる子もいたの! だから、難しかったら、周りの人とかじゃなくても……」
「……林檎」

 嬉々とした様子で語る彼女の名前を、ほとんど無意識に口にした。
 すると、彼女は笑顔を浮かべたまま首を傾げて「うん?」と聞き返してくる。
 それに、私は未だに肩を掴んだままの彼女の手を取って、続けた。

「私の好きな人。……林檎だよ」

 たった今の気付きをそのまま口にして見せると、林檎は先程と同じ笑顔のままで数秒程の間を置いた後、カァッと顔を赤くしながら「ッへぇ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
 私はそれに口元を緩めつつ、自分より少し小さい手を握る力を僅かに強めた。

「……初めてだったんだ」

 ポツリ、と。
 独り言のように小さく呟きながら、私は自分の手の中にある林檎の手にソッと指を絡めて、軽く握った。

 ……今まで、誰と一緒にいても、苦しかった。
 誰かと一緒にいたいとか、傍にいて安心するだとか……考えたことも無かった。
 でも、それが普通なんだと思って──普通だとしても、苦しいことには変わりなくて──どうすることも出来ずに、ただ苦しんでいた。

「こんな風に、誰かと一緒にいても、苦しくなくて……胸が温かくなって……少しでも長く一緒にいたい、なんて思ったのは……」

 林檎が初めてなんだよ、と続けながら、私はゆっくりと顔を上げる。
 そこでは、顔が耳まで真っ赤に染まった林檎が、どこか呆けたような表情でこちらを見つめていた。
 ……今まで、自分が彼女に向けている感情が何なのか、理解出来なかった。
 最初は学校の子達みたいに擦り寄って来た変な子だと思ったけど、なぜかどうしても忘れられなくて、気付けば何度も公園に足を運んでいた。
 彼女といる時だけは息苦しさを忘れられて、胸が温かくなって……彼女と会うことが、何よりも楽しみになった。
 この感情を何と呼ぶのか、今まで理解出来ずにいたけど……どうやら私は、彼女のことが好きらしい。

「……じゃあ、とりあえずプロフィールに書いとくね」

 林檎が顔を赤くしたまま動かないので、ひとまず彼女の持っているプロフィールを完全に埋めておこうかと、軽く体を近付けて手を伸ばす。
 すると、彼女は突然ビクッ! と激しく肩を震わせると、「わー! わー!」と大声を発しながら私の体を突き返した。

「だ、大丈夫! ちゃんと分かったから、大丈夫!」
「えっ? でも……」
「本当に大丈夫だから!」

 片手で私のプロフィールを背中に隠しつつ、もう片方の手をこちらに突き出してハッキリと断る彼女の言葉に、私はグッと口を噤んで引き下がる。
 でも、プロフィールに空欄があるのが気になるんじゃなかったのか……?
 どこか釈然としない気持ちを抱いていると、彼女は私の顔を数秒程見つめた後、未だに赤らんだままの顔をへにゃっと柔らかく緩めた。

「あと……私も、理沙のこと好きだよ」
「っ」

 はにかみながら続けられたその言葉に、私は一瞬息を詰まらせて硬直する。
 ……? いや、何を動揺しているんだ?
 私と同じように、友達として好意を向けているという話だろうに。
 そこまで考えて、私はふと気付いたことがあり、すぐに口を開いた。

「いや……林檎の好きな人は、お母さんでしょ?」
「……はぇ?」

 湧いた疑問をそのまま口にして見せると、彼女は間の抜けた声で聞き返した。
 また何か変なことを言ってしまったのか? と、自分の発言を頭の中で振り返ろうとしていた時、彼女はすぐに「あぁ~……」と何かに納得したような声を上げた。

「なるほど……そっか、うん……そういう、ことか……」
「……何が……?」

 一人納得したようにブツブツと呟く彼女の様子に、私は思わず訝しむように聞き返す。
 すると、彼女はフルフルと首を横に振って「んーん、ただの独り言」と答えて、すぐに白い歯を見せてはにかんだ。

「理沙への好きは、お母さんとは別の好き、だよ」
「……別の……?」
「何でもない! 気にしないで!」

 林檎が言おうとしていることがよく分からず聞き返してみるが、彼女はすぐに自分の顔の前でブンブンと手を振って会話を中断した。
 彼女の考えはよく分からないが、まぁ……友達への『好き』と、家族への『好き』は、また別物ということか……。
 ついさっき林檎への好意を自覚したばかりの私にはまだ難しい話だな、なんて考えつつ、私は「変なの」と呟くように言って小さく笑うのだった。
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