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生き延びるために
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きっと悪い夢だ。すぐに城へ戻れるはずだ。
どこへ向かっているかもわからず、リュシエンヌはただランスロットたちに助けられて身を隠し続けた。慣れない宿での生活や馬車で眠ることも、先の見えない不安に支配されてあまり気にならなかった。
しかし、日に日に精神と肉体が削り取られていくのがわかる。
「おい、聞いたか? 大公夫妻が……」
「何でも隣国のメルヴェイユが……」
すれ違う人々が囁く噂話が嫌でも耳に入り、リュシエンヌはじわじわと息の根を止められていく気がした。
「――姫様。お疲れになったでしょう」
自分を抱えての生活は大変だろうに、ランスロットはリュシエンヌを気遣うことを忘れなかった。明るい口調で笑みを向けて、不安にならないでとリュシエンヌの心を守ろうとする。
「いやぁ、でも、宿屋の飯も案外うまいですね。城の料理とはまた違って癖になるといいますか。あ、こんなこと言ったら料理長にどやされ――」
「お父様が捕まったのは、わたしのせいなの?」
寂れた宿の寝台に腰掛けていたリュシエンヌはランスロットに尋ねた。
「突然改まった口調でどうしたんです?」
「お願い。もう隠さないで」
父だけではない。噂では母やフェランも捕えられていると聞いた。
「……確かなことは、まだ何もわかっておりません。ですが、決してリュシエンヌ様のせいでは――」
「町の人たちが話していたの。わたしがノワール帝国からの縁談を断ったから、皇帝陛下がお怒りになられて、メルヴェイユ国を脅して、お父様を処刑しようとなさっているって……。ねぇ、ランスロット。本当のことを教えて。わたしのせいで、お父様が……」
そこで彼女は言葉を途切れさせる。
自分の発言に違和感を覚えたからだ。
「違う……。本当に恨みを抱いているはずなら、力があるのならば、無理矢理でも本人を差し出せと命じるはずだわ。わたし、本人を……」
『大丈夫。ランスロットがあなたのことを何があっても守ってくれるわ』
『姉上にはランスロットと共に安全な場所へ避難してほしいのです』
母とフェランは頑なに自分だけを逃そうとしていた。
『貴女を失いたくはないからです』
ランスロットも、そう言って自分を連れ出した。
つまりあの晩急き立てられるように城を出た理由は――
「わたしを逃がすためだったの……?」
彼はしばらく押し黙っていたが、もはや隠し通すことはできないと思ったのか、やがて重い口を開いた。それでも紡がれる内容は、リュシエンヌを傷つけまいとするものだった。
「帝国へはきちんと断りの返事を入れ、皇帝陛下も承諾しました。実際、結婚して数カ月が過ぎている。貴女の結婚とは何も関係がありません」
しかし彼の説明には苦しいものがあったし、リュシエンヌには到底納得できなかった。
「でも、ならどうしてわたしを逃がしたの? お父様が、わたしの身代わりになったとでも言うの? それにメルヴェイユはどうして……」
メルヴェイユ国はセレスト公国と同じ小さな国であるため、互いに協力し合おうと同盟を結んでいる。もし力ある大国が攻め入っても、恭順ではなく共に戦うと誓っていた。それなのにどうして――
「……メルヴェイユ国も、誰かを人質に取られているのかもしれません」
ランスロットの言葉にリュシエンヌはハッとした。
「メルヴェイユ国にも、わたしと同じくらいの姫君がいるわ……。もしかして彼女を人質に取られて、それで我が国に……」
思考はどんどん悪い方向へ転がり落ちていく。
「わたしが結婚を断って、それで帝国は隣国のメルヴェイユに打診した。でもメルヴェイユも断って……ううん。帝国は最初からわたしの国を標的にして、メルヴェイユが邪魔だから、まずは彼らの大切なものを壊そうと――」
「姫様」
ランスロットが虚ろな目で呟くリュシエンヌの肩を掴み、自分を見ろと促す。茫洋としていたリュシエンヌの瞳は、ランスロットの姿を映したとたん、みるみるうちに涙を浮かべた。
「どうしよう、ランスロット……。わたしのせいだわ。わたしのせいで、こんなことに……」
自分の我儘で結婚を断ったばかりに、国同士の争い事に発展してしまった。
幼子のようにはらはらと涙を流して絶望するリュシエンヌにランスロットは顔を歪め、彼女を胸にかき抱いた。
「いいえ、姫様のせいではありません。貴女は何も悪くありません」
「ランスロット……」
彼は抱擁を解くと、涙で濡れたリュシエンヌの頬に手を添えた。
「貴女のご両親も、フェラン様も、貴女のことを守りたいと思った。貴女を責める気持ちなど一切なく、助けたいと思ったからこそ、あの晩貴女を逃がしたのです。俺も、貴女には生きてほしい。だから……辛いかもしれませんが、その思いに応えてほしい」
「思いに応える……」
リュシエンヌの迷いを断ち切るように、ランスロットはしっかりと頷く。
「帝国が貴女を捕えようとするならば、どんなことをしてでも逃げて、生き延びるのです。それが、今の貴女に託された使命です」
リュシエンヌは「使命」という言葉に途方に暮れた。そんなたいそうな任務をいきなり与えられても自分にはできないと思った。
「無理よ、ランスロット……」
「ここまできたら、腹を括りましょう。大丈夫。姫様のことは何があっても俺が守ります」
「でも……どこへ逃げるというの?」
「ひとまず、この国を出ましょう。帝国の支配下が及んでいない国まで行き、匿ってもらうのです」
ランスロットはセレスト公国内で自分たちを匿ってくれる貴族の名と、隠れ家の在処をリュシエンヌに伝えた。この町を出た、隣の地域だった。
「彼らは陛下に忠誠を誓う者です。国を出るまできっと力を貸してくれるでしょう」
「わたし一人で行かないといけないの? あなたも一緒に来てくれるのよね?」
「ええ、もちろん。ですが、もしもの時に備えて――」
「ランスロット殿! 帝国兵です!」
部屋の外で見張りをしていた騎士が扉を開けると同時に切羽詰まった表情で告げた。
どこへ向かっているかもわからず、リュシエンヌはただランスロットたちに助けられて身を隠し続けた。慣れない宿での生活や馬車で眠ることも、先の見えない不安に支配されてあまり気にならなかった。
しかし、日に日に精神と肉体が削り取られていくのがわかる。
「おい、聞いたか? 大公夫妻が……」
「何でも隣国のメルヴェイユが……」
すれ違う人々が囁く噂話が嫌でも耳に入り、リュシエンヌはじわじわと息の根を止められていく気がした。
「――姫様。お疲れになったでしょう」
自分を抱えての生活は大変だろうに、ランスロットはリュシエンヌを気遣うことを忘れなかった。明るい口調で笑みを向けて、不安にならないでとリュシエンヌの心を守ろうとする。
「いやぁ、でも、宿屋の飯も案外うまいですね。城の料理とはまた違って癖になるといいますか。あ、こんなこと言ったら料理長にどやされ――」
「お父様が捕まったのは、わたしのせいなの?」
寂れた宿の寝台に腰掛けていたリュシエンヌはランスロットに尋ねた。
「突然改まった口調でどうしたんです?」
「お願い。もう隠さないで」
父だけではない。噂では母やフェランも捕えられていると聞いた。
「……確かなことは、まだ何もわかっておりません。ですが、決してリュシエンヌ様のせいでは――」
「町の人たちが話していたの。わたしがノワール帝国からの縁談を断ったから、皇帝陛下がお怒りになられて、メルヴェイユ国を脅して、お父様を処刑しようとなさっているって……。ねぇ、ランスロット。本当のことを教えて。わたしのせいで、お父様が……」
そこで彼女は言葉を途切れさせる。
自分の発言に違和感を覚えたからだ。
「違う……。本当に恨みを抱いているはずなら、力があるのならば、無理矢理でも本人を差し出せと命じるはずだわ。わたし、本人を……」
『大丈夫。ランスロットがあなたのことを何があっても守ってくれるわ』
『姉上にはランスロットと共に安全な場所へ避難してほしいのです』
母とフェランは頑なに自分だけを逃そうとしていた。
『貴女を失いたくはないからです』
ランスロットも、そう言って自分を連れ出した。
つまりあの晩急き立てられるように城を出た理由は――
「わたしを逃がすためだったの……?」
彼はしばらく押し黙っていたが、もはや隠し通すことはできないと思ったのか、やがて重い口を開いた。それでも紡がれる内容は、リュシエンヌを傷つけまいとするものだった。
「帝国へはきちんと断りの返事を入れ、皇帝陛下も承諾しました。実際、結婚して数カ月が過ぎている。貴女の結婚とは何も関係がありません」
しかし彼の説明には苦しいものがあったし、リュシエンヌには到底納得できなかった。
「でも、ならどうしてわたしを逃がしたの? お父様が、わたしの身代わりになったとでも言うの? それにメルヴェイユはどうして……」
メルヴェイユ国はセレスト公国と同じ小さな国であるため、互いに協力し合おうと同盟を結んでいる。もし力ある大国が攻め入っても、恭順ではなく共に戦うと誓っていた。それなのにどうして――
「……メルヴェイユ国も、誰かを人質に取られているのかもしれません」
ランスロットの言葉にリュシエンヌはハッとした。
「メルヴェイユ国にも、わたしと同じくらいの姫君がいるわ……。もしかして彼女を人質に取られて、それで我が国に……」
思考はどんどん悪い方向へ転がり落ちていく。
「わたしが結婚を断って、それで帝国は隣国のメルヴェイユに打診した。でもメルヴェイユも断って……ううん。帝国は最初からわたしの国を標的にして、メルヴェイユが邪魔だから、まずは彼らの大切なものを壊そうと――」
「姫様」
ランスロットが虚ろな目で呟くリュシエンヌの肩を掴み、自分を見ろと促す。茫洋としていたリュシエンヌの瞳は、ランスロットの姿を映したとたん、みるみるうちに涙を浮かべた。
「どうしよう、ランスロット……。わたしのせいだわ。わたしのせいで、こんなことに……」
自分の我儘で結婚を断ったばかりに、国同士の争い事に発展してしまった。
幼子のようにはらはらと涙を流して絶望するリュシエンヌにランスロットは顔を歪め、彼女を胸にかき抱いた。
「いいえ、姫様のせいではありません。貴女は何も悪くありません」
「ランスロット……」
彼は抱擁を解くと、涙で濡れたリュシエンヌの頬に手を添えた。
「貴女のご両親も、フェラン様も、貴女のことを守りたいと思った。貴女を責める気持ちなど一切なく、助けたいと思ったからこそ、あの晩貴女を逃がしたのです。俺も、貴女には生きてほしい。だから……辛いかもしれませんが、その思いに応えてほしい」
「思いに応える……」
リュシエンヌの迷いを断ち切るように、ランスロットはしっかりと頷く。
「帝国が貴女を捕えようとするならば、どんなことをしてでも逃げて、生き延びるのです。それが、今の貴女に託された使命です」
リュシエンヌは「使命」という言葉に途方に暮れた。そんなたいそうな任務をいきなり与えられても自分にはできないと思った。
「無理よ、ランスロット……」
「ここまできたら、腹を括りましょう。大丈夫。姫様のことは何があっても俺が守ります」
「でも……どこへ逃げるというの?」
「ひとまず、この国を出ましょう。帝国の支配下が及んでいない国まで行き、匿ってもらうのです」
ランスロットはセレスト公国内で自分たちを匿ってくれる貴族の名と、隠れ家の在処をリュシエンヌに伝えた。この町を出た、隣の地域だった。
「彼らは陛下に忠誠を誓う者です。国を出るまできっと力を貸してくれるでしょう」
「わたし一人で行かないといけないの? あなたも一緒に来てくれるのよね?」
「ええ、もちろん。ですが、もしもの時に備えて――」
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