途中闇堕ちしますが、愛しの護衛騎士は何度でもわたしを愛します

りつ

文字の大きさ
11 / 35

承諾

しおりを挟む
「姫様。少し休まれてはいかがですか」

 ランスロットの言葉にリュシエンヌは顔を上げた。窓から差し込む光はだいぶ傾き、昼からすでに夕方になっていることを悟った。

「もう夕食の時間?」
「いえ、まだですが……朝からかじりつくように勉強なさっているではありませんか」

 ここのところずっとそうだと零され、リュシエンヌは確かにと思った。

「歌や踊りも練習しないといけないわね。お父様たちに先生を紹介してくれるよう、頼まないと」
「……一体どうしたのです?」

 何が? とリュシエンヌは首を傾げた。

「公女として、相応しい教養を身につけようとしているだけよ。何か変かしら?」
「変ではありません。ですが……」

 もどかしそうにランスロットはリュシエンヌを見つめる。

「朝から晩まで、時間が許す限り何かを学ぼうとしている。以前はもっと、余裕を持って本も読んでいらした。それが急に必死になられて……陛下たちも心配していらっしゃいます」

 寝食も忘れて没頭する娘の様子に、それまでのリュシエンヌを知っている両親やランスロットたちは心配を覚えたようだ。

「それに礼儀作法も学び直したいと、今も教師を紹介してほしいなど……以前の姫様からは考えられません」

 リュシエンヌは昔から人付き合いが苦手だった。教師に教えを乞うのもできるだけ避け、独力で学ぶやり方を好んだ。

 そんな彼女が自ら人と関わろうとしている。しかも踊りや歌など、得意ではない分野で。

 ランスロットたちが驚き、心配するのも無理はない。

「姫様。やはりあの日から様子がおかしいです」

 泣いた時の取り乱しぶりは、ランスロットの心に深く刻まれたようだ。

「何か事情があるのではないですか? もしおありならば、どうか打ち明けてください。何か力になれるかもしれません」

 主人の憂いを払おうと、ランスロットは真摯に訴えかける。

(……ありがとう。ランスロット)

 しかしリュシエンヌは彼の優しさに応えるわけにはいかなかった。

「ランスロットったら、深刻に考え過ぎだわ」

 すべてを打ち明けてしまえば、きっと彼はリュシエンヌを逃がそうとしてくれる。貴女の責任ではないと否定し、自分が何とかすると申し出るだろう。

「わたしももう十六歳。あと二年で成人する。大人の仲間入りをするのよ? セレスト公国の公女として、大人の女性として、恥ずかしくないよう振る舞わなきゃ。だから今いろいろと頑張っているの」

 これはリュシエンヌの問題だ。自分にしかできない。

(もう二度と、あなたを巻き込みたくない……)

「……本当に、それだけですか?」
「ええ、本当よ。信じてくれないの?」

 リュシエンヌがひどいわと微笑と共に責めても、ランスロットは見極めるように見つめ、やがてふっと肩の力を抜いた。

「そうですね。姫様も、もう十六になられる……。疑ってしまい、失礼いたしました」
「そうよ。わたしだっていつまでも子どものままじゃないのだから。これからは少し厳しく接してちょうだい」

 そう言えば、「へぇ?」とランスロットは片眉を上げた。

「では姫様。周囲の者に心配させないよう、食事はきちんと召し上がるように。それから侍女の報告では夜遅くまで灯りがついているようなので、睡眠時間ももう少し増やして、それから……」
「それから?」
「いえ……いつもならこのへんで『そんなにたくさん言わないで!』と文句を言われそうだなと思いまして」
「ランスロット。言ったでしょう? わたしは立派な淑女になりたいの。だからあなたの生活指導も、きちんと受け入れるわ。他にも改善するべきところがあるのなら、遠慮しないで言って」

 本気で助言を求めるリュシエンヌにランスロットは目を丸くした後、どこか寂しそうな表情を浮かべた。彼がその時何を思ったのか、リュシエンヌにはわからなかった。

     ◇

 その後もリュシエンヌは真面目に勉学に取り組み、苦手な歌や踊りなども積極的に教えを乞うた。人と会話する時、話が途切れないこと、また相手を退屈させず、不快にさせないための社交術も身につけようと、茶会や舞踏会にも参加した。

 最初は慣れないためあまり上手くいかず、また緊張のため毎回ひどく疲れたが、「もう行かない」と投げ出すことはしなかった。失敗や反省を次に活かそうと、根気よく改善点を模索し、交流に参加し続けた。

 両親だけでなく弟のフェランも、リュシエンヌの積極的な姿に心配して、「姉上。無理をしていませんか?」と声をかけてくる始末だ。

 彼らはみな、無理をしなくていい、リュシエンヌのペースでやればいいと励ましたり、以前の状態に戻ることをそれとなく勧めたが、彼女は決して耳を傾けなかった。むしろそうした態度を取られるたび、自分が今までどれほど甘やかされてきたのかを突きつけられた気がした。

(前の人生で、わたしはただお父様たちが築いてくれた頑丈な囲いの中で安穏と暮らすだけだった。自分が公女で、すべきことを理解していなかった)

 だからあんな悲劇を生み出してしまったのだとリュシエンヌは自分を責め、決して同じ過ちは繰り返すまいと、いっそう自分に鞭を振るうのだった。そして――

「リュシー。おまえももう少しで十八歳になることはわかっているね?」

 舞踏会もつつがなく終わり、初夏が訪れようとしていた頃。大公である父がリュシエンヌに改まった調子で切り出した。

「はい、お父様。二か月後の誕生日を迎えたら、わたしも成人したと見なされます」

 リュシエンヌは以前と違い、はっきりとした口調で受け答えした。

 父の隣にいる母は、どこか不安そうな、落ち着かない表情だ。

「実はな、ノワール帝国から結婚の打診がきているのだ」

 ――あぁ、とうとうこの時が来てしまった。

 リュシエンヌは気づかれぬよう息を吐くと、父の目を真っ直ぐ見つめ返して告げた。

「はい、承知いたしました」

 リュシエンヌの迷いもしない返答に、両親は揃って目を丸くして、互いに顔を見合わせた。やがて母が困惑した様子でこちらを見る。

「リュシー。あなた、ノワール帝国へ嫁いでもいいの?」
「はい、お母様。帝国へ嫁ぐことはとても名誉なことですし、セレスト公国にも利をもたらすでしょう」
「リュシエンヌ。おまえ自身の気持ちはどうなのだ」

 父が真面目な顔で娘の真意を尋ねてくる。リュシエンヌは微笑んだ。

「わたしも、皇帝陛下の伴侶になれることを誇らしく思いますわ」
「……陛下は後宮を持っている。それでも、いいと言うのか?」
「ええ、構いません。わたしが、陛下のお心を繋ぎとめてみせます」

 以前の自分ならば決して言わなかったことを、今回は何の躊躇いもなく口にできた。

「あなた。やっぱりお断りしましょう。ね、リュシー。あなたも無理をしなくていいのよ? お母様はあなたには本当に心から好きな殿方と結婚してほしいもの」
「お母様。気遣ってくださってありがとうございます。ですが、皇帝陛下もきっと素晴らしい方ですわ」
「……確かにそうかもしれないわ。でも、皇妃以外に女性を囲っているなど……どんな事情があれ、あなたの心を揺さぶるでしょう。苦労するとわかっている場所へわざわざ大事な娘を嫁がせるなど……親であるわたくしには許せません」

 そうでしょう? と母は父に同意を求めた。

 リュシエンヌを大事に思う父もまた、やはりこの縁談は断ろうと言い出すだろう。

 その前に、リュシエンヌは口を開いた。

「お父様。お母様。きっと皇帝陛下は、何か考えがあってセレスト公国の公女であるわたしに結婚を申し込んだのだと思います。わたしやお父様たちには想像もつかない事情がきっと……。ですからそれを考慮せず、ただわたしの我儘だけでお断りすれば、陛下のお気持ちに水を差すことに繋がるのではないでしょうか」

 病気で亡くなった前皇帝と違い、今の皇帝は苛烈な性格をしていると聞く。
 下手すれば、セレスト公国に危険に晒される事態を招くかもしれない。

 リュシエンヌがそう訴えれば、両親も重く口を閉ざした。

(そうよ。皇帝の性格を考えれば、当然だったわ)

 どうしてあの時、もっと早く思い至らなかったのだろう。どうしてあの時、自分のことばかり考えてしまったのだろう。

 後悔が押し寄せ、リュシエンヌは唇を噛みしめる。

(今度こそ絶対に……)

「お父様。ですから、わたしは公女として、ノワール帝国へ嫁ぎます」
「リュシエンヌ……」

 娘の固い決意に、両親はもう何も言えなかった。

「……わかった。この縁談を勧めよう。……すまない」

 最後の呟きはリュシエンヌではなく、扉の向こうにいる人物へ向けられたものかもしれなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・(5話完結)

青空一夏
恋愛
私(エメリーン・リトラー侯爵令嬢)は義理のお姉様、マルガレータ様が大好きだった。彼女は4歳年上でお兄様とは同じ歳。二人はとても仲のいい夫婦だった。 けれどお兄様が病気であっけなく他界し、結婚期間わずか半年で子供もいなかったマルガレータ様は、実家ノット公爵家に戻られる。 マルガレータ様は実家に帰られる際、 「エメリーン、あなたを本当の妹のように思っているわ。この思いはずっと変わらない。あなたの幸せをずっと願っていましょう」と、おっしゃった。 信頼していたし、とても可愛がってくれた。私はマルガレータが本当に大好きだったの!! でも、それは見事に裏切られて・・・・・・ ヒロインは、マルガレータ。シリアス。ざまぁはないかも。バッドエンド。バッドエンドはもやっとくる結末です。異世界ヨーロッパ風。現代的表現。ゆるふわ設定ご都合主義。時代考証ほとんどありません。 エメリーンの回も書いてダブルヒロインのはずでしたが、別作品として書いていきます。申し訳ありません。 元お姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれどーエメリーン編に続きます。

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

(完)大好きなお姉様、なぜ?ー夫も子供も奪われた私

青空一夏
恋愛
妹が大嫌いな姉が仕組んだ身勝手な計画にまんまと引っかかった妹の不幸な結婚生活からの恋物語。ハッピーエンド保証。 中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。魔法のある世界。

(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身

青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。 レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。 13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。 その理由は奇妙なものだった。 幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥ レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。 せめて、旦那様に人間としてみてほしい! レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。 ☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。

(完結)お姉様、私を捨てるの?

青空一夏
恋愛
大好きなお姉様の為に貴族学園に行かず奉公に出た私。なのに、お姉様は・・・・・・ 中世ヨーロッパ風の異世界ですがここは貴族学園の上に上級学園があり、そこに行かなければ女官や文官になれない世界です。現代で言うところの大学のようなもので、文官や女官は○○省で働くキャリア官僚のようなものと考えてください。日本的な価値観も混ざった異世界の姉妹のお話。番の話も混じったショートショート。※獣人の貴族もいますがどちらかというと人間より下に見られている世界観です。

(完結)私より妹を優先する夫

青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。 ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。 ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

(完結)あなたの愛は諦めました (全5話)

青空一夏
恋愛
私はライラ・エト伯爵夫人と呼ばれるようになって3年経つ。子供は女の子が一人いる。子育てをナニーに任せっきりにする貴族も多いけれど、私は違う。はじめての子育ては夫と協力してしたかった。けれど、夫のエト伯爵は私の相談には全く乗ってくれない。彼は他人の相談に乗るので忙しいからよ。 これは自分の家庭を顧みず、他人にいい顔だけをしようとする男の末路を描いた作品です。 ショートショートの予定。 ゆるふわ設定。ご都合主義です。タグが増えるかもしれません。

処理中です...