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前とは違う光景
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ボードゥアンはギュスターヴの行動を注視し、もし何か危害を加えようとしたら力を貸すことを約束してくれた。その対価は、彼が皇帝になることへの支持だ。
「私としては、貴女のご夫君もお借りしたいところですが、それは難しそうなので諦めます」
話を聞いていたランスロットの表情を見ただけで、ボードゥアンはあっさりと諦めて帰国した。
「――何と言いますか……いまいち掴めないお人でしたね」
「そうね……。野心から帝位を望むというより、被害の損害を考えて自分が即位した方がいいと判断なさる方だから……変わっていると言えば、変わっているのかしら」
本人も裏で支える方が性に合っていると述べていた。宰相の地位などに本当は徹していたいのだろう。
「ああいう人間は、別の意味で容赦ないです。力を貸してくれるとはいえ、くれぐれも気をつけてください」
「わかっている。……あなたもね」
最後の言葉にランスロットはなぜかリュシエンヌを抱き寄せてきた。
あと少しで城へ着く馬車の中での行動に彼女は少し慌てる。
「姫様。俺の心配より、貴女ご自身の心配をなさってください」
「わ、わかっているわ」
それより近い。出迎えた先、臣下や両親に見られるのはさすがに気まずいと胸を押しやって離れようとするが、両頬を挟まれ、無理矢理視線を合わせられた。
彼の顔は珍しく怒っているようで……拗ねていた。
「ランスロット?」
「姫様。俺の知らないところでずいぶんと殿下と仲良くなったみたいですね」
妬いてしまいます、と素直に嫉妬を吐露するランスロットにリュシエンヌは困ったように眉尻を下げる。
「それはあなたの誤解だと思う。殿下は単にからかっただけでしょうし、本心ではないわ」
「どうでしょうね。ああいう人間は、案外ひょんなことから情が湧くタイプに見えますから、姫様のことも本気かもしれません」
「そんな……困るわ」
「どうして?」
頬を優しく挟まれたまま、ランスロットが甘い声で問いかける。
リュシエンヌはランスロットの目を見つめて、囁くような声で、けれどしっかりと言葉にする。
「だって、わたしが好きなのはあなただけだもの……。あなた以外の人と結婚なんて、絶対にしたくない」
ランスロットはそう言い切ったリュシエンヌの顔をじっと眺め、やがてゆっくりと顔を近づけた。唇を重ねただけなのに彼女の身体は震え、言葉にできない甘やかな気持ちで胸がいっぱいになる。
そんなリュシエンヌをランスロットは強く抱きしめた。かき抱くように背中を前へ押され、彼の温もりに包まれる。
「俺も、絶対に嫌だ。誰にも貴女を渡したくない」
「うん。だから、頑張るの」
ランスロットの背中に腕を回し、抱擁を返す。しばらくそうやって抱きしめ合って、やがて彼が抱擁を解き、ばつの悪そうな顔で謝った。
「すみません。ガキみたいな拗ね方しましたね」
「ランスロットが子どもなら、わたしはもっとお子様だわ」
「そんなことありませんよ。姫様、ずっと頑張っていらっしゃいますし。それに俺、姫様にならいくら拗ねられても、我儘を言われても、全然平気です。むしろご褒美ですから」
なにそれ、とリュシエンヌは笑い、甘えるようにおずおずと彼の肩口に頭を預けた。
「わたしも、ランスロットに我儘言われるの、好き」
「……そんなこと言われると余計つけ上がるんで、やめといた方がいいですよ」
「本当に嫌なことはやらないでしょう。それに、本音をぶつけてくれた方が夫婦って感じがするし、今まで見せてくれなかったあなたを知れて……嬉しいの」
驚いて、戸惑う反応を最初は見せてしまうかもしれないが、リュシエンヌだってランスロットのことが大好きなのだ。
「本当に……姫様には敵わないですね」
「ふふ。わたしも」
二人は顔を見合わせて、また唇を重ねた。
(ランスロットと、ずっといたい……)
この幸せを奪われたくない。
(わたしにできることはした)
それでも不安が拭えないのは、まだ運命が始まったばかりだからだ。
◇
帰国して一ヵ月が過ぎた頃だろうか。
「リュシエンヌ。陛下がおまえたちの結婚を祝いたいと、夫婦そろって帝都へ参上するよう言っている」
リュシエンヌが顔を強張らせると、父もどこか不安を隠しきれない様子で見つめてくる。
「気が進まぬならば、代わりの者を立て、断ってもいい」
一瞬そうしてしまおうかと考えが過る。
例えば子ができたと言えば、母体を気遣い、辞退することを認めざるをえないはずだ。
……だが、そんなことではギュスターヴは諦めてくれないだろうという確信があった。
「いいえ、お父様。偉大なる皇帝陛下からのお誘いです。断ることは失礼に当たります」
彼のことだ。本当に子ができたか医者を寄越して確かめようとするかもしれない。
断ったことを理由に、帝国兵を派遣するかもしれない。
どうあっても帝国へ出向く他、選択肢は存在しないのだ。
「ランスロットもおります。ですから、大丈夫です」
「……わかった。他にも護衛をつける。なに、陛下もおまえたちの仲を耳にして、単に祝いたいだけだろう」
「ええ。きっとそのはずですわ」
不安を押し隠し、リュシエンヌは帝国へ向かうことを決めた。
使者を通じてボードゥアンにも相談したところ、断れば迎えの者を寄越して強制的に連れてこさせるだろうと、リュシエンヌが考えていたことを述べたので、やはり行くしかないようだ。
何かあった時のためにボードゥアンが安全を確保するとの言葉を頼りに、リュシエンヌはランスロットと共に帝国へ向かった。
自ら渦中へ飛び込むものだとわかっていながらも、どこかでギュスターヴと決着をつけねばならないとも思った。
国境をいくつか越え、帝国内へ入り、帝都へ近づくにつれ、嫌でも緊張してくる。久しぶりの帝国の景色、宮殿の雰囲気は、リュシエンヌを二度目の人生に引き戻そうとした。
(ここで、わたしは……)
地獄のような日々を送りながら、死んだ場所だ。吐き気にも似た不快さが押し寄せ、怖くてたまらない。
「姫様」
震えるリュシエンヌの手を、ランスロットがそっと握りしめてくる。
自分を見つめる彼の表情には様々な思いが込められているように見えた。
大丈夫か。無理はするな。一人じゃない。自分がいる。
「……ありがとう。ランスロット」
ギュスターヴは怖い。でも、ランスロットがいると、彼に立ち向かう勇気が湧いてくる。
「リュシエンヌ様」
声のした方を見れば、ボードゥアンの姿があった。味方の出迎えに、少し安堵する。
「遠いところからようこそお越しくださいました。どうぞ、謁見の間で陛下がお待ちです」
とうとうギュスターヴと会う。
四度目の人生において、初めての対面であった。
「――ようこそ。セレスト公国の姫君」
これまでと違い、ギュスターヴは笑顔を浮かべて、リュシエンヌを歓迎する素振りをみせた。これに彼女は驚くも、内心では警戒を強め、招待してもらったことのお礼を丁重に述べる。
「よい。わざわざ呼び出したのはこちらだ。そなたとランスロットとの仲は帝国にまで届いている。それで興味が湧いて、結婚祝いも兼ねて来てほしいと無理を言ったのだ。宴も準備しているゆえ、どうか楽しんでいってくれ」
ギュスターヴはランスロットにもにこやかな笑みを向ける。
挨拶を簡単に済ませ、ギュスターヴは早速リュシエンヌたちをもてなした。舞踏会も開き、そこでもいっそう神経を尖らせていたが、拍子抜けするほど、彼は何もしてこなかった。それどころか……。
「こちらはジョゼフィーヌ。私の婚約者だ」
「初めまして、リュシエンヌ様。ジョゼフィーヌ・グラネと申します。お会いできて光栄ですわ」
口元に笑みを浮かべたギュスターヴに婚約者を紹介され、リュシエンヌは少なからず衝撃を受けた。
(ジョゼフィーヌ様が、ギュスターヴ様の婚約者になっているなんて……)
しかもリュシエンヌの見たところ、ギュスターヴはジョゼフィーヌに優しく接し、好いているように見える。過去の態度と全く違う。
「いずれは皇妃に迎える女性だ。こちらに滞在する間、ぜひ仲良くしてやってほしい」
「まぁ、陛下ったら。気が早いですわ」
仲睦まじい二人の姿に、さすがのリュシエンヌも困惑してくる。
(運命が、変わったのかしら……)
リュシエンヌの行動の一つ一つが、ギュスターヴの運命を変え、ジョゼフィーヌを愛するようになったのか。
真相が掴めぬまま、ジョゼフィーヌはギュスターヴに頼まれ、滞在中のリュシエンヌとランスロットに城を案内した。その姿は本当にギュスターヴの皇妃のようであった。
「あちらは神殿でございます。歴代皇帝たちの棺や、神々の像が置かれております」
(神殿……)
大きな木々に隠されるようにしてひっそりと建っている神殿に、かつてボードゥアンに中に入ってみないかと誘われたことがあった。遠目からでも存在を示すように立ち並ぶ太い円柱に、神々を模したと思われる壁画が異様な雰囲気を放っている。
「祭儀など、特別な催し物を行う際に、限られた人間しか立ち入ることができませんので、ここからの見学でお許しください」
「いいえ、十分ですわ」
中へ入りたいとは思わなかった。……むしろ近づいてはいけないという気持ちにさせられる。
「……リュシエンヌ様は、女神アリアーヌ様の血を引くのですよね」
「? ええ」
「失礼いたしました。帝国人にとって、イザークの妹、アリアーヌは特別なのでございます。陛下もきっと……」
『一説では、兄のイザークはアリアーヌを一人の女性として愛していたと言われています』
ボードゥアンの言葉を思い出し、リュシエンヌは複雑な気持ちになった。ちらりと一緒に付き添ってくれたボードゥアンと話しているランスロットを見る。
「ジョゼフィーヌ様。わたしはランスロットを愛しております」
リュシエンヌの告白にジョゼフィーヌはやや面食らったようだ。
「彼以外の異性には一切興味は持てません。彼だけなんです。こんなにも、胸が苦しくなって、好きだと思うのは……。だから――」
リュシエンヌは困ったように微笑んだ。
「女神の血を引いているという理由だけで、皇帝陛下との関係をいろいろ勘繰られるのは非常に不愉快です」
困った表情と「不愉快」という直球の言葉の組み合わせに、ジョゼフィーヌはしばし情報を処理するのに時間を要したようだ。だがやがて、ゆっくりと頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした。わたくしが軽率でした」
「いえ、わかってくださればいいのです。わたしの方こそ、強い言い方をしてしまってごめんなさい」
ジョゼフィーヌに顔を上げさせていると、ボードゥアンたちがどうしたのかと近寄ってきたので、女同士の秘密だと適当に言い訳して、他の案内場所へ移動することにした。
「行きましょう、ジョゼフィーヌ様」
「……はい」
何か考え込むようにジョゼフィーヌがリュシエンヌの顔をじっと見つめていた。
◇
その後も特に問題は起こらず、平穏無事に歓待の催事を終え、帰国の日へ近づいていく。
「ようやくあと少しで、帰れますね」
忙しい仕事の合間を縫って茶に誘った――近況を伝えてくるボードゥアンの言葉に、ランスロットは少し揶揄する表情で言い返した。
「殿下としては、一刻も早く我々に帰っていただきたい、というのが本音でしょうか」
「ええ。なにせ警備に神経を尖らせて夜も安眠できませんので。ですがそれは、貴公も同じなのでは?」
「ええ、奇遇ですね。全くの同意見です」
この滞在中、ランスロットとボードゥアンはずいぶんと仲良くなったみたいだ。リュシエンヌがそう二人に言えば、ボードゥアンは不思議そうな顔を、ランスロットには微妙な顔をされたが……。
「いずれにせよ、最後まで気を抜かぬようお互い気をつけましょう」
ボードゥアンはそう告げて、部屋を後にした。
「……けど、姫様とこうして旅行できるのは楽しかったです」
二人きりになると、ランスロットに腰を引き寄せられ、耳元でこっそりと打ち明けられる。わたしも、と言うようにリュシエンヌが微笑むと、大型犬がじゃれつくようにさらにくっつかれ、大きな手に指を絡まされた。
「ああ、でもやっぱり早く帰って姫様と二人きりになりたいですね」
「ん……ランスロット……」
首筋に顔を埋められ、繋いでいない方の手がねだるように太股を撫でた。
「今はまだ、だめ……」
リュシエンヌがやんわりと口元に手をやれば、彼は物欲しげな目をしながらも「わかっています」と告げた。
「俺は姫様には従順ですから。待てと言われれば、いくらでも待てます。でもその代わり、後できちんと、たくさんの褒美をくださいね」
「ええ……」
我慢を強いられ、褒美が欲しいのはリュシエンヌも同じだ。
(あと少しの辛抱だから……)
このまま何も起こらないことを、彼女は心の中で祈った。
「私としては、貴女のご夫君もお借りしたいところですが、それは難しそうなので諦めます」
話を聞いていたランスロットの表情を見ただけで、ボードゥアンはあっさりと諦めて帰国した。
「――何と言いますか……いまいち掴めないお人でしたね」
「そうね……。野心から帝位を望むというより、被害の損害を考えて自分が即位した方がいいと判断なさる方だから……変わっていると言えば、変わっているのかしら」
本人も裏で支える方が性に合っていると述べていた。宰相の地位などに本当は徹していたいのだろう。
「ああいう人間は、別の意味で容赦ないです。力を貸してくれるとはいえ、くれぐれも気をつけてください」
「わかっている。……あなたもね」
最後の言葉にランスロットはなぜかリュシエンヌを抱き寄せてきた。
あと少しで城へ着く馬車の中での行動に彼女は少し慌てる。
「姫様。俺の心配より、貴女ご自身の心配をなさってください」
「わ、わかっているわ」
それより近い。出迎えた先、臣下や両親に見られるのはさすがに気まずいと胸を押しやって離れようとするが、両頬を挟まれ、無理矢理視線を合わせられた。
彼の顔は珍しく怒っているようで……拗ねていた。
「ランスロット?」
「姫様。俺の知らないところでずいぶんと殿下と仲良くなったみたいですね」
妬いてしまいます、と素直に嫉妬を吐露するランスロットにリュシエンヌは困ったように眉尻を下げる。
「それはあなたの誤解だと思う。殿下は単にからかっただけでしょうし、本心ではないわ」
「どうでしょうね。ああいう人間は、案外ひょんなことから情が湧くタイプに見えますから、姫様のことも本気かもしれません」
「そんな……困るわ」
「どうして?」
頬を優しく挟まれたまま、ランスロットが甘い声で問いかける。
リュシエンヌはランスロットの目を見つめて、囁くような声で、けれどしっかりと言葉にする。
「だって、わたしが好きなのはあなただけだもの……。あなた以外の人と結婚なんて、絶対にしたくない」
ランスロットはそう言い切ったリュシエンヌの顔をじっと眺め、やがてゆっくりと顔を近づけた。唇を重ねただけなのに彼女の身体は震え、言葉にできない甘やかな気持ちで胸がいっぱいになる。
そんなリュシエンヌをランスロットは強く抱きしめた。かき抱くように背中を前へ押され、彼の温もりに包まれる。
「俺も、絶対に嫌だ。誰にも貴女を渡したくない」
「うん。だから、頑張るの」
ランスロットの背中に腕を回し、抱擁を返す。しばらくそうやって抱きしめ合って、やがて彼が抱擁を解き、ばつの悪そうな顔で謝った。
「すみません。ガキみたいな拗ね方しましたね」
「ランスロットが子どもなら、わたしはもっとお子様だわ」
「そんなことありませんよ。姫様、ずっと頑張っていらっしゃいますし。それに俺、姫様にならいくら拗ねられても、我儘を言われても、全然平気です。むしろご褒美ですから」
なにそれ、とリュシエンヌは笑い、甘えるようにおずおずと彼の肩口に頭を預けた。
「わたしも、ランスロットに我儘言われるの、好き」
「……そんなこと言われると余計つけ上がるんで、やめといた方がいいですよ」
「本当に嫌なことはやらないでしょう。それに、本音をぶつけてくれた方が夫婦って感じがするし、今まで見せてくれなかったあなたを知れて……嬉しいの」
驚いて、戸惑う反応を最初は見せてしまうかもしれないが、リュシエンヌだってランスロットのことが大好きなのだ。
「本当に……姫様には敵わないですね」
「ふふ。わたしも」
二人は顔を見合わせて、また唇を重ねた。
(ランスロットと、ずっといたい……)
この幸せを奪われたくない。
(わたしにできることはした)
それでも不安が拭えないのは、まだ運命が始まったばかりだからだ。
◇
帰国して一ヵ月が過ぎた頃だろうか。
「リュシエンヌ。陛下がおまえたちの結婚を祝いたいと、夫婦そろって帝都へ参上するよう言っている」
リュシエンヌが顔を強張らせると、父もどこか不安を隠しきれない様子で見つめてくる。
「気が進まぬならば、代わりの者を立て、断ってもいい」
一瞬そうしてしまおうかと考えが過る。
例えば子ができたと言えば、母体を気遣い、辞退することを認めざるをえないはずだ。
……だが、そんなことではギュスターヴは諦めてくれないだろうという確信があった。
「いいえ、お父様。偉大なる皇帝陛下からのお誘いです。断ることは失礼に当たります」
彼のことだ。本当に子ができたか医者を寄越して確かめようとするかもしれない。
断ったことを理由に、帝国兵を派遣するかもしれない。
どうあっても帝国へ出向く他、選択肢は存在しないのだ。
「ランスロットもおります。ですから、大丈夫です」
「……わかった。他にも護衛をつける。なに、陛下もおまえたちの仲を耳にして、単に祝いたいだけだろう」
「ええ。きっとそのはずですわ」
不安を押し隠し、リュシエンヌは帝国へ向かうことを決めた。
使者を通じてボードゥアンにも相談したところ、断れば迎えの者を寄越して強制的に連れてこさせるだろうと、リュシエンヌが考えていたことを述べたので、やはり行くしかないようだ。
何かあった時のためにボードゥアンが安全を確保するとの言葉を頼りに、リュシエンヌはランスロットと共に帝国へ向かった。
自ら渦中へ飛び込むものだとわかっていながらも、どこかでギュスターヴと決着をつけねばならないとも思った。
国境をいくつか越え、帝国内へ入り、帝都へ近づくにつれ、嫌でも緊張してくる。久しぶりの帝国の景色、宮殿の雰囲気は、リュシエンヌを二度目の人生に引き戻そうとした。
(ここで、わたしは……)
地獄のような日々を送りながら、死んだ場所だ。吐き気にも似た不快さが押し寄せ、怖くてたまらない。
「姫様」
震えるリュシエンヌの手を、ランスロットがそっと握りしめてくる。
自分を見つめる彼の表情には様々な思いが込められているように見えた。
大丈夫か。無理はするな。一人じゃない。自分がいる。
「……ありがとう。ランスロット」
ギュスターヴは怖い。でも、ランスロットがいると、彼に立ち向かう勇気が湧いてくる。
「リュシエンヌ様」
声のした方を見れば、ボードゥアンの姿があった。味方の出迎えに、少し安堵する。
「遠いところからようこそお越しくださいました。どうぞ、謁見の間で陛下がお待ちです」
とうとうギュスターヴと会う。
四度目の人生において、初めての対面であった。
「――ようこそ。セレスト公国の姫君」
これまでと違い、ギュスターヴは笑顔を浮かべて、リュシエンヌを歓迎する素振りをみせた。これに彼女は驚くも、内心では警戒を強め、招待してもらったことのお礼を丁重に述べる。
「よい。わざわざ呼び出したのはこちらだ。そなたとランスロットとの仲は帝国にまで届いている。それで興味が湧いて、結婚祝いも兼ねて来てほしいと無理を言ったのだ。宴も準備しているゆえ、どうか楽しんでいってくれ」
ギュスターヴはランスロットにもにこやかな笑みを向ける。
挨拶を簡単に済ませ、ギュスターヴは早速リュシエンヌたちをもてなした。舞踏会も開き、そこでもいっそう神経を尖らせていたが、拍子抜けするほど、彼は何もしてこなかった。それどころか……。
「こちらはジョゼフィーヌ。私の婚約者だ」
「初めまして、リュシエンヌ様。ジョゼフィーヌ・グラネと申します。お会いできて光栄ですわ」
口元に笑みを浮かべたギュスターヴに婚約者を紹介され、リュシエンヌは少なからず衝撃を受けた。
(ジョゼフィーヌ様が、ギュスターヴ様の婚約者になっているなんて……)
しかもリュシエンヌの見たところ、ギュスターヴはジョゼフィーヌに優しく接し、好いているように見える。過去の態度と全く違う。
「いずれは皇妃に迎える女性だ。こちらに滞在する間、ぜひ仲良くしてやってほしい」
「まぁ、陛下ったら。気が早いですわ」
仲睦まじい二人の姿に、さすがのリュシエンヌも困惑してくる。
(運命が、変わったのかしら……)
リュシエンヌの行動の一つ一つが、ギュスターヴの運命を変え、ジョゼフィーヌを愛するようになったのか。
真相が掴めぬまま、ジョゼフィーヌはギュスターヴに頼まれ、滞在中のリュシエンヌとランスロットに城を案内した。その姿は本当にギュスターヴの皇妃のようであった。
「あちらは神殿でございます。歴代皇帝たちの棺や、神々の像が置かれております」
(神殿……)
大きな木々に隠されるようにしてひっそりと建っている神殿に、かつてボードゥアンに中に入ってみないかと誘われたことがあった。遠目からでも存在を示すように立ち並ぶ太い円柱に、神々を模したと思われる壁画が異様な雰囲気を放っている。
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「? ええ」
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『一説では、兄のイザークはアリアーヌを一人の女性として愛していたと言われています』
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「彼以外の異性には一切興味は持てません。彼だけなんです。こんなにも、胸が苦しくなって、好きだと思うのは……。だから――」
リュシエンヌは困ったように微笑んだ。
「女神の血を引いているという理由だけで、皇帝陛下との関係をいろいろ勘繰られるのは非常に不愉快です」
困った表情と「不愉快」という直球の言葉の組み合わせに、ジョゼフィーヌはしばし情報を処理するのに時間を要したようだ。だがやがて、ゆっくりと頭を下げた。
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「いえ、わかってくださればいいのです。わたしの方こそ、強い言い方をしてしまってごめんなさい」
ジョゼフィーヌに顔を上げさせていると、ボードゥアンたちがどうしたのかと近寄ってきたので、女同士の秘密だと適当に言い訳して、他の案内場所へ移動することにした。
「行きましょう、ジョゼフィーヌ様」
「……はい」
何か考え込むようにジョゼフィーヌがリュシエンヌの顔をじっと見つめていた。
◇
その後も特に問題は起こらず、平穏無事に歓待の催事を終え、帰国の日へ近づいていく。
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「殿下としては、一刻も早く我々に帰っていただきたい、というのが本音でしょうか」
「ええ。なにせ警備に神経を尖らせて夜も安眠できませんので。ですがそれは、貴公も同じなのでは?」
「ええ、奇遇ですね。全くの同意見です」
この滞在中、ランスロットとボードゥアンはずいぶんと仲良くなったみたいだ。リュシエンヌがそう二人に言えば、ボードゥアンは不思議そうな顔を、ランスロットには微妙な顔をされたが……。
「いずれにせよ、最後まで気を抜かぬようお互い気をつけましょう」
ボードゥアンはそう告げて、部屋を後にした。
「……けど、姫様とこうして旅行できるのは楽しかったです」
二人きりになると、ランスロットに腰を引き寄せられ、耳元でこっそりと打ち明けられる。わたしも、と言うようにリュシエンヌが微笑むと、大型犬がじゃれつくようにさらにくっつかれ、大きな手に指を絡まされた。
「ああ、でもやっぱり早く帰って姫様と二人きりになりたいですね」
「ん……ランスロット……」
首筋に顔を埋められ、繋いでいない方の手がねだるように太股を撫でた。
「今はまだ、だめ……」
リュシエンヌがやんわりと口元に手をやれば、彼は物欲しげな目をしながらも「わかっています」と告げた。
「俺は姫様には従順ですから。待てと言われれば、いくらでも待てます。でもその代わり、後できちんと、たくさんの褒美をくださいね」
「ええ……」
我慢を強いられ、褒美が欲しいのはリュシエンヌも同じだ。
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