5 / 12
諦めない男
しおりを挟む
グレイが諦めないと言ったからには、諦めない。彼は有言実行の男だった。
「スカーレット。今夜一緒に出掛けないか」
「お断りします」
「お前が観たいと言っていた芝居のチケットがあるんだが」
ひらひらと片手で見せびらかすように持っている紙切れを彼の手から奪い取って確かめてみる。……本当だった。私が密かにずっと観たいと思っていた演劇。しかもなかなかの特等席ではないか。
「どうだ。本物だろう?」
ニヤニヤした笑みでこちらの様子を見ている男を冷たく一瞥する。
「たしかにこれは私が以前から観たいと思っていたものです」
「だろう?」
「ええ。ですが私は、この芝居を観たいとは、あなたには一言も伝えておりません」
いったいどうやって知ったのか。私の胡乱気な目にグレイはそんなことかとあっさり種明かしする。
「お前の両親やメイドたちが教えてくれたんだ」
なるほど、お父様たちか。彼らのグレイに対する信頼は厚い。それこそ幼い頃からの付き合いだから。彼のどこまでも真っ直ぐな気性をお父様たちはひどく気に入っているから。そしてなかなかに整っている容姿はメイドたちの得点までも勝ち取ったらしい。
「それにお前はこういうのが昔から好きだったろう?」
「それはそうですが……」
お前のことならば何でも知っていると言いたげな口調に、どこか素直に認められない自分がいる。だが彼は私の迷いを了承と受け取ったようだ。
「なら決まりだ」
こうして慌ただしくも、今夜私は幼馴染の彼と出かけることとなった。
***
「ああ! あなたのような美しい人を、私は未だ知らぬ!」
眉間に皺を深く刻みながら、時には睡魔と闘いながら、隣の男は目の前の物語に集中していた。私はそれを横目で見ながら、果たして楽しいのだろうかと疑問に思う。だがその疑問もいつしか物語に引き込まれてゆくことによってどうでもよくなってくる。
両思いだった恋人たち。だが互いの両親の企みで、男は別の女の元へ行ってしまう。残された女は悲しみに暮れるも、男がいつか戻ってくると信じて待ち続ける。そして二人の友人たちの活躍によって男は自分の過ちに気づき、恋人だった女の元へ帰ってきた。
「どうか許して欲しい。私が本当に愛していたのはあなただけだった!」
私は恋人たちの会話をまるで自分の出来事と重ねるようにして見入ってしまった。
「――なんであいつらはみな一つの出来事をああも大げさに捉えるんだ? 台詞も一々こっぱずかしいし、背中がムズムズする。かと思うと、まわりくどいというか、観ていて腹が立ってくるんだが」
なんて無粋なことを男はずけずけと言った。盛大な拍手と共に幕が閉じ、こちらは余韻に思う存分酔いしれたいというのに、いきなりこんなことを言われては気分も台無しというものだ。
芸術というものをちっともわかっていない。これだから体ばかり鍛えている男は…… と昔ならそのまま言葉にしていただろうが、彼のこうした言い方にはもう慣れてしまった。
それに彼の方から誘ってもらったのだ。文句を言うのはやはり正しくあるまい。
「あれはああいうものなんです。疑問なんて抱いてはいけません」
「俺には一切理解できん」
ではなぜ芝居など観ようと思ったんですか、とは言えない。おそらく彼なりに私を励まそうとした結果なのだろう。私が詩や演劇といった類を好むと知ったうえで誘ったのだ。
彼自身は少しも理解できないというのに。
そういうところがあるから憎めないのだ。ずるいなと思う。
「最初は慣れなくても、しだいに癖になってくるものですよ」
「お前もそうだったのか」
「……はい」
演じている登場人物たちはみなこれでもかと真っすぐで直情的とも言える。悲しいことがあった時はうんと不幸のどん底にいるように表情を歪ませ、涙を流す。嬉しい時があった時とは、まるで天にも昇る心地で歌を歌い、笑顔を振りまく。そして――
「愛しいと思う気持ちは、どこまでも激しく、熱烈に伝えないといけないんです」
心の中で思うのではなく、言葉として伝える。
『観ている僕たちはそれが時々とても羨ましく思えるんだ。恋をしている人間ほどね』
なんてことを言っていた彼の横顔をふと思い出す。あの時、彼の言葉が痛いほど私の胸には突き刺さった。だって彼に恋をしていたから。
好きだと伝えたい。愛していると言いたい。けれど変な意地やプライドが邪魔してあと一歩がなかなか踏み出せない。その一歩は恋愛においてとても大きいのに。演じている彼らはこんなにも真っ直ぐと自分の気持ちを伝えられる。好きだ。愛している。なんて清々しいのだろうか。
私もいつか彼に伝えよう。恥じらいもなく、彼にこの気持ちを――
「スカーレット」
いつの間にかぼうっとしていた私をグレイが覗き込んでいた。
「何でもないわ。ごめんなさい」
「……帰ろう」
私が何を考えているのかグレイが問うことはなかった。すべてお見通しなのか、あるいは気を遣ってくれたか。きっと両方だ。
「今度はお前が言ってくれたことを頭に入れて、観てみようと思う」
私はそう、と答えた。
「スカーレット。今夜一緒に出掛けないか」
「お断りします」
「お前が観たいと言っていた芝居のチケットがあるんだが」
ひらひらと片手で見せびらかすように持っている紙切れを彼の手から奪い取って確かめてみる。……本当だった。私が密かにずっと観たいと思っていた演劇。しかもなかなかの特等席ではないか。
「どうだ。本物だろう?」
ニヤニヤした笑みでこちらの様子を見ている男を冷たく一瞥する。
「たしかにこれは私が以前から観たいと思っていたものです」
「だろう?」
「ええ。ですが私は、この芝居を観たいとは、あなたには一言も伝えておりません」
いったいどうやって知ったのか。私の胡乱気な目にグレイはそんなことかとあっさり種明かしする。
「お前の両親やメイドたちが教えてくれたんだ」
なるほど、お父様たちか。彼らのグレイに対する信頼は厚い。それこそ幼い頃からの付き合いだから。彼のどこまでも真っ直ぐな気性をお父様たちはひどく気に入っているから。そしてなかなかに整っている容姿はメイドたちの得点までも勝ち取ったらしい。
「それにお前はこういうのが昔から好きだったろう?」
「それはそうですが……」
お前のことならば何でも知っていると言いたげな口調に、どこか素直に認められない自分がいる。だが彼は私の迷いを了承と受け取ったようだ。
「なら決まりだ」
こうして慌ただしくも、今夜私は幼馴染の彼と出かけることとなった。
***
「ああ! あなたのような美しい人を、私は未だ知らぬ!」
眉間に皺を深く刻みながら、時には睡魔と闘いながら、隣の男は目の前の物語に集中していた。私はそれを横目で見ながら、果たして楽しいのだろうかと疑問に思う。だがその疑問もいつしか物語に引き込まれてゆくことによってどうでもよくなってくる。
両思いだった恋人たち。だが互いの両親の企みで、男は別の女の元へ行ってしまう。残された女は悲しみに暮れるも、男がいつか戻ってくると信じて待ち続ける。そして二人の友人たちの活躍によって男は自分の過ちに気づき、恋人だった女の元へ帰ってきた。
「どうか許して欲しい。私が本当に愛していたのはあなただけだった!」
私は恋人たちの会話をまるで自分の出来事と重ねるようにして見入ってしまった。
「――なんであいつらはみな一つの出来事をああも大げさに捉えるんだ? 台詞も一々こっぱずかしいし、背中がムズムズする。かと思うと、まわりくどいというか、観ていて腹が立ってくるんだが」
なんて無粋なことを男はずけずけと言った。盛大な拍手と共に幕が閉じ、こちらは余韻に思う存分酔いしれたいというのに、いきなりこんなことを言われては気分も台無しというものだ。
芸術というものをちっともわかっていない。これだから体ばかり鍛えている男は…… と昔ならそのまま言葉にしていただろうが、彼のこうした言い方にはもう慣れてしまった。
それに彼の方から誘ってもらったのだ。文句を言うのはやはり正しくあるまい。
「あれはああいうものなんです。疑問なんて抱いてはいけません」
「俺には一切理解できん」
ではなぜ芝居など観ようと思ったんですか、とは言えない。おそらく彼なりに私を励まそうとした結果なのだろう。私が詩や演劇といった類を好むと知ったうえで誘ったのだ。
彼自身は少しも理解できないというのに。
そういうところがあるから憎めないのだ。ずるいなと思う。
「最初は慣れなくても、しだいに癖になってくるものですよ」
「お前もそうだったのか」
「……はい」
演じている登場人物たちはみなこれでもかと真っすぐで直情的とも言える。悲しいことがあった時はうんと不幸のどん底にいるように表情を歪ませ、涙を流す。嬉しい時があった時とは、まるで天にも昇る心地で歌を歌い、笑顔を振りまく。そして――
「愛しいと思う気持ちは、どこまでも激しく、熱烈に伝えないといけないんです」
心の中で思うのではなく、言葉として伝える。
『観ている僕たちはそれが時々とても羨ましく思えるんだ。恋をしている人間ほどね』
なんてことを言っていた彼の横顔をふと思い出す。あの時、彼の言葉が痛いほど私の胸には突き刺さった。だって彼に恋をしていたから。
好きだと伝えたい。愛していると言いたい。けれど変な意地やプライドが邪魔してあと一歩がなかなか踏み出せない。その一歩は恋愛においてとても大きいのに。演じている彼らはこんなにも真っ直ぐと自分の気持ちを伝えられる。好きだ。愛している。なんて清々しいのだろうか。
私もいつか彼に伝えよう。恥じらいもなく、彼にこの気持ちを――
「スカーレット」
いつの間にかぼうっとしていた私をグレイが覗き込んでいた。
「何でもないわ。ごめんなさい」
「……帰ろう」
私が何を考えているのかグレイが問うことはなかった。すべてお見通しなのか、あるいは気を遣ってくれたか。きっと両方だ。
「今度はお前が言ってくれたことを頭に入れて、観てみようと思う」
私はそう、と答えた。
71
あなたにおすすめの小説
『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様
恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。
不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、
伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。
感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、
ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。
「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」
足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。
「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」
一度凍りついた心は、二度と溶けない。
後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、
終わりのない贖罪の記録。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件
大井町 鶴(おおいまち つる)
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。
彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。
(ひどいわ……!)
それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。
幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。
心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。
そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。
そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。
かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。
2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。
切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。
早く婚約解消してください!
鳴哉
恋愛
自己評価の低い子爵令嬢 と
その婚約者の侯爵令息 の話
短いので、サクッと読んでもらえると思います。
読みやすいように、6話に分けました。
毎日1回、予約投稿します。
幼馴染と夫の衝撃告白に号泣「僕たちは愛し合っている」王子兄弟の関係に私の入る隙間がない!
佐藤 美奈
恋愛
「僕たちは愛し合っているんだ!」
突然、夫に言われた。アメリアは第一子を出産したばかりなのに……。
アメリア公爵令嬢はレオナルド王太子と結婚して、アメリアは王太子妃になった。
アメリアの幼馴染のウィリアム。アメリアの夫はレオナルド。二人は兄弟王子。
二人は、仲が良い兄弟だと思っていたけど予想以上だった。二人の親密さに、私は入る隙間がなさそうだと思っていたら本当になかったなんて……。
元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?
3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。
相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。
あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。
それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。
だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。
その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。
その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。
だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
疎遠だった幼馴染が彼女と別れて私に会いに来るようになったのだけど
くじら
恋愛
図書館の定位置には、いつも黒縁メガネの女生徒がいる。
貴族同士の見栄の張り合いや出世争いから距離を置いて穏やかに過ごしていたのに、女生徒の幼馴染が絡んでくるようになって…。
【完結】婚約者と養い親に不要といわれたので、幼馴染の側近と国を出ます
衿乃 光希(キャラ文芸大賞短編で参加中)
恋愛
卒業パーティーの最中、婚約者から突然婚約破棄を告げられたシェリーヌ。
婚約者の心を留めておけないような娘はいらないと、養父からも不要と言われる。
シェリーヌは16年過ごした国を出る。
生まれた時からの側近アランと一緒に・・・。
第18回恋愛小説大賞エントリーしましたので、第2部を執筆中です。
第2部祖国から手紙が届き、養父の体調がすぐれないことを知らされる。迷いながらも一時戻ってきたシェリーヌ。見舞った翌日、養父は天に召された。葬儀後、貴族の死去が相次いでいるという不穏な噂を耳にする。恋愛小説大賞は51位で終了しました。皆さま、投票ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる