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6、まずいこと
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「はぁ……」
「大きなため息だな」
あ、とイリスは口元に手をやって振り返った。また来ると別れを告げたラファエルである。彼は舞踏室(と言っても王宮やカントリーハウスのような規模の広さはない)をぐるりと見渡しながら、どうしたんだとたずねてくる。
「ええっと……」
わたしの両親が実はあなたとの結婚に気が乗らないみたいなの。……ということを正直に伝えていいものか迷ってしまった。
「イリスは隠し事が上手くないんだから、正直に言え」
「ええ? そんなことないと思うけど……」
「手紙で何でもかんでも書いて教えてくれたじゃないか」
「書いていないこともあるもん」
「そうなのか? 例えば?」
「えっとね……って、教えたらだめだよ!」
引っかからなかったか、とラファエルはさして残念そうでもない口調で言った。油断も隙もあったものじゃない。
「まぁ、大方おまえの両親から俺以外の男性にも興味を持つよう言われたんだろう?」
「なんでわかったの!?」
むしろなぜわからない、という顔で返された。
「夕食の時も、俺を試すような質問をしてきたしな」
ラファエルと再会した時、一瞬ぴりついた空気を思い出し、イリスは表情を曇らせた。
「……お父さまたち、どうして突然あなたとの結婚を考え直すようおっしゃったのかしら」
ラファエルはこんなにも素敵な人なのに。
「惜しくなったのかもな」
理由のわからないイリスにラファエルがぼそりと呟いた。
「惜しくなった、って?」
どういうこと? と顔を上げれば、ラファエルがじっと自分を見下ろしていた。夜明けの空を思わせる瞳はいつかお母さまが身につけていた宝石のように美しく、イリスは自然と息を止めてしまう。
「イリス」
名前を呼んで、そっと、まるで壊れ物に触れてくるようにラファエルが頬へ触れた。手袋をはめているけれど、その滑らかな質感がイリスの肌をくすぐって心臓の音まで早めてくる。
「ラ、ラファエル」
「俺と離れている間、誰か気になる異性と出会ったか?」
ラファエル以外の異性。
「そ、そんな人いないよ。わたしが通っていたのは、女性ばかりの修道院なんだよ?」
「でも、街に出かけたりすることもあったんだろう?」
「それでも、会ったりしないわ」
「本当?」
「本当。わたし、ラファエルしか知らないもの。ラファエルだけにずっと会いたかったんだもん!」
「っ」
信じてよ、と必死で訴えるイリスに、ラファエルはなぜか口元を覆って顔を背けた。よく見れば耳たぶが薄っすらと赤く染まっていたのだが、反論するのに必死でイリスは気づかなかった。
「……わかった。おまえを信じる」
「酷いわ、ラファエル。疑うなんて」
「悪かった。おまえがあんまり……」
「あんまり?」
いや、とラファエルはやっぱり教えてくれなかった。意地悪である。
「それより。ダンスの練習するんだろう?」
そうだ。本題をすっかり忘れていた。
「ラファエル。わたし、ちゃんと踊れるかしら?」
「踊れるよう、これから練習するんだろ」
「うん……。でも自信なくて」
なら、とラファエルが言う。
「自信がつくまで、身体に刻みつけるんだな」
とことん付き合うぞ、と言ってくれる彼はとても頼もしい。……そして少し怖くもあった。
「どうぞお手柔らかにお願いします」
「今まで通り、だな」
違うよ!? とイリスは思ったけれど、ラファエルの眩しい笑顔に「はい……」と大人しく頷くのだった。
「――今日はこれくらいにしておくか」
「……うん」
疲れた、と言う気力もイリスにはなかった。膝や腰。肩も重い。とにかく全身使って、明日の朝には悲鳴を上げそうである。
「あんまり練習し過ぎるのもよくない。あと、踊った後に筋肉をほぐしてやることも大事だ」
呼吸を整え、手足をゆっくり折り曲げるなどの運動もやるようラファエルは言った。それも終わると、ようやく終了である。
「ラファエル。今日はありがとう」
「いいさ。これくらい」
これくらい、と彼は言うけれど今日もわざわざ仕事帰りに立ち寄ってくれたのだ。
「お仕事大変なのに、付き合わせちゃってごめんね」
「毎回付き合ってやれるわけじゃないからな。俺が来られない時は、踊りの先生と練習しろ。本番では何人かと踊ることになるだろうから、できるだけ違う人間とも踊っておいた方がいい」
「そっか……ラファエルだけじゃないんだね」
イリスはラファエル以外の年頃の異性をあまり知らない。というか会う機会もほとんどなかった。
(怖い人、いないといいな……)
「当日は俺もそばにいるから、そんなに難しく考えるな」
「いてくれるの?」
当たり前だろ、と彼はちょっと呆れたように言った。
「俺はおまえの婚約者なんだから」
「ラファエルがわたしの婚約者……」
「なんだよ。違うのか?」
ううん! とイリスは勢いよく首を横に振った。ただラファエルがはっきりと口にしてくれて、少し恥ずかしく、でもとても嬉しかったのだ。
「俺の気持ちは六年前からずっと変わらない。誰に反対されようが、絶対、諦めない」
「……うん。わたしも」
イリスがしっかり頷き返すと、ラファエルはふっと表情を崩した。イリスもそれにつられて笑う。
「ふふ。なんだかラファエルって騎士さまみたい」
「……これでもいちおう騎士なんだが」
「あっ、そうじゃなくて!」とイリスは慌てて説明する。
「寄宿学校にいる間ね、恋愛小説を読むのが唯一の娯楽、って言っていいほど流行ったんだけど、その中でお姫様を命懸けで救い出す騎士の物語があって、一時期すごく盛り上がったの」
ヒーローが王子様の話も根強い人気があって、どちらがいいか事あるごとに熱い論争を交わしたものだが、イリスはなぜか騎士の方に強く引き付けられたのだった。
「ふーん。何でイリスは王子より騎士がいいんだ?」
「だって、とにかく王女様のために努力して、あちこち駆けずり回って……とにかく彼女の幸せのためなら命すら惜しくないって態度なのよ。最後には絶対両思いになって、幸せな結婚して欲しいって、報われて欲しいって思うじゃない」
つい熱の入った口調になるイリスをラファエルはなぜか途中から神妙な様子で見てくる。彼も興味を持ってくれたのだろうか。
「イリス」
「なぁに? あ、ラファエルも読んでみたくなった?」
「いや、そうじゃなくて……イリスはその騎士の話に、俺を当てはめたのか?」
「え? あ、えっと、……うん、そうなの。ラファエルのこと、思ったの……」
「……そうか」
何だろう。今自分はとても恥ずかしいことを告白してしまった気がする。気まずくて、他に何か別の話題を……と焦ったイリスは「あ」と思い出す。
「そういえば、ラファエルも呼ばれているんでしょう?」
「呼ばれている?」
「うん。王都で氷の騎士って」
彼に会ったらたずねようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
「……それ、誰から聞いた」
「えっと、寄宿学校で、王宮に出入りしているお父さまがいらっしゃる子から、なんだけど……」
イリスの声はどんどん小さくなっていった。ラファエルの顔がどんどん険しくなっていったからである。
(ど、どうしよう。何かまずいこと聞いてしまったかしら)
「あの、ラファエル。わたし、」
「貴族の連中が、面白がってつけた。意味は特にない。それだけだ」
以上、と彼はくるりと背を向けて、今日はもう帰ると言った。
「くだらない噂話に耳を傾けていないで、きちんと練習しておけよ」
また来る、とラファエルは言ってくれたけれど、背中は拒絶を示しており、淡々とした声はある感情を必死に抑え込んでいるように聞こえた。
(ど、どうしよう……)
もしかすると自分はまずいことを聞いてしまったかもしれない。
「大きなため息だな」
あ、とイリスは口元に手をやって振り返った。また来ると別れを告げたラファエルである。彼は舞踏室(と言っても王宮やカントリーハウスのような規模の広さはない)をぐるりと見渡しながら、どうしたんだとたずねてくる。
「ええっと……」
わたしの両親が実はあなたとの結婚に気が乗らないみたいなの。……ということを正直に伝えていいものか迷ってしまった。
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「まぁ、大方おまえの両親から俺以外の男性にも興味を持つよう言われたんだろう?」
「なんでわかったの!?」
むしろなぜわからない、という顔で返された。
「夕食の時も、俺を試すような質問をしてきたしな」
ラファエルと再会した時、一瞬ぴりついた空気を思い出し、イリスは表情を曇らせた。
「……お父さまたち、どうして突然あなたとの結婚を考え直すようおっしゃったのかしら」
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「惜しくなったのかもな」
理由のわからないイリスにラファエルがぼそりと呟いた。
「惜しくなった、って?」
どういうこと? と顔を上げれば、ラファエルがじっと自分を見下ろしていた。夜明けの空を思わせる瞳はいつかお母さまが身につけていた宝石のように美しく、イリスは自然と息を止めてしまう。
「イリス」
名前を呼んで、そっと、まるで壊れ物に触れてくるようにラファエルが頬へ触れた。手袋をはめているけれど、その滑らかな質感がイリスの肌をくすぐって心臓の音まで早めてくる。
「ラ、ラファエル」
「俺と離れている間、誰か気になる異性と出会ったか?」
ラファエル以外の異性。
「そ、そんな人いないよ。わたしが通っていたのは、女性ばかりの修道院なんだよ?」
「でも、街に出かけたりすることもあったんだろう?」
「それでも、会ったりしないわ」
「本当?」
「本当。わたし、ラファエルしか知らないもの。ラファエルだけにずっと会いたかったんだもん!」
「っ」
信じてよ、と必死で訴えるイリスに、ラファエルはなぜか口元を覆って顔を背けた。よく見れば耳たぶが薄っすらと赤く染まっていたのだが、反論するのに必死でイリスは気づかなかった。
「……わかった。おまえを信じる」
「酷いわ、ラファエル。疑うなんて」
「悪かった。おまえがあんまり……」
「あんまり?」
いや、とラファエルはやっぱり教えてくれなかった。意地悪である。
「それより。ダンスの練習するんだろう?」
そうだ。本題をすっかり忘れていた。
「ラファエル。わたし、ちゃんと踊れるかしら?」
「踊れるよう、これから練習するんだろ」
「うん……。でも自信なくて」
なら、とラファエルが言う。
「自信がつくまで、身体に刻みつけるんだな」
とことん付き合うぞ、と言ってくれる彼はとても頼もしい。……そして少し怖くもあった。
「どうぞお手柔らかにお願いします」
「今まで通り、だな」
違うよ!? とイリスは思ったけれど、ラファエルの眩しい笑顔に「はい……」と大人しく頷くのだった。
「――今日はこれくらいにしておくか」
「……うん」
疲れた、と言う気力もイリスにはなかった。膝や腰。肩も重い。とにかく全身使って、明日の朝には悲鳴を上げそうである。
「あんまり練習し過ぎるのもよくない。あと、踊った後に筋肉をほぐしてやることも大事だ」
呼吸を整え、手足をゆっくり折り曲げるなどの運動もやるようラファエルは言った。それも終わると、ようやく終了である。
「ラファエル。今日はありがとう」
「いいさ。これくらい」
これくらい、と彼は言うけれど今日もわざわざ仕事帰りに立ち寄ってくれたのだ。
「お仕事大変なのに、付き合わせちゃってごめんね」
「毎回付き合ってやれるわけじゃないからな。俺が来られない時は、踊りの先生と練習しろ。本番では何人かと踊ることになるだろうから、できるだけ違う人間とも踊っておいた方がいい」
「そっか……ラファエルだけじゃないんだね」
イリスはラファエル以外の年頃の異性をあまり知らない。というか会う機会もほとんどなかった。
(怖い人、いないといいな……)
「当日は俺もそばにいるから、そんなに難しく考えるな」
「いてくれるの?」
当たり前だろ、と彼はちょっと呆れたように言った。
「俺はおまえの婚約者なんだから」
「ラファエルがわたしの婚約者……」
「なんだよ。違うのか?」
ううん! とイリスは勢いよく首を横に振った。ただラファエルがはっきりと口にしてくれて、少し恥ずかしく、でもとても嬉しかったのだ。
「俺の気持ちは六年前からずっと変わらない。誰に反対されようが、絶対、諦めない」
「……うん。わたしも」
イリスがしっかり頷き返すと、ラファエルはふっと表情を崩した。イリスもそれにつられて笑う。
「ふふ。なんだかラファエルって騎士さまみたい」
「……これでもいちおう騎士なんだが」
「あっ、そうじゃなくて!」とイリスは慌てて説明する。
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ヒーローが王子様の話も根強い人気があって、どちらがいいか事あるごとに熱い論争を交わしたものだが、イリスはなぜか騎士の方に強く引き付けられたのだった。
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「イリス」
「なぁに? あ、ラファエルも読んでみたくなった?」
「いや、そうじゃなくて……イリスはその騎士の話に、俺を当てはめたのか?」
「え? あ、えっと、……うん、そうなの。ラファエルのこと、思ったの……」
「……そうか」
何だろう。今自分はとても恥ずかしいことを告白してしまった気がする。気まずくて、他に何か別の話題を……と焦ったイリスは「あ」と思い出す。
「そういえば、ラファエルも呼ばれているんでしょう?」
「呼ばれている?」
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彼に会ったらたずねようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
「……それ、誰から聞いた」
「えっと、寄宿学校で、王宮に出入りしているお父さまがいらっしゃる子から、なんだけど……」
イリスの声はどんどん小さくなっていった。ラファエルの顔がどんどん険しくなっていったからである。
(ど、どうしよう。何かまずいこと聞いてしまったかしら)
「あの、ラファエル。わたし、」
「貴族の連中が、面白がってつけた。意味は特にない。それだけだ」
以上、と彼はくるりと背を向けて、今日はもう帰ると言った。
「くだらない噂話に耳を傾けていないで、きちんと練習しておけよ」
また来る、とラファエルは言ってくれたけれど、背中は拒絶を示しており、淡々とした声はある感情を必死に抑え込んでいるように聞こえた。
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