112 / 116
ヨルク
1、少年たちの会話
「ヨルク!」
剣術の稽古が終わり、庭で休憩していたヨルクに向かって元気よく手を振る少年がいた。ふわふわとしたブルネットの髪に、青い色の目は、目尻がほんのりと垂れている。全体的に柔和な顔立ちが示す通り、内面も穏やかな性格をしているエミールは、目の前までくると息を弾ませながら言った。
「稽古終わった?」
「うん。そっちは?」
「終わったよ! だから遊ぼうと思って」
その前に腹ごしらえがしたいと言えば、エミールはふふんと誇らしげな顔をして、包みを取り出した。
「これ、一緒に食べなさいって」
「イレーネさんからもらったの?」
「ううん。キッチンに言って、昨日の料理とっても美味しかったです、って料理長にお礼を言ったら、もたせてくれたんだ」
「……そうか」
エミールは人の懐に入るのが上手い。それは彼と初めて会った時から感じたことだ。物怖じせず、自分みたいな気難しいやつとも付き合っていけるすごいやつ、とヨルクは内心一目置いていた。
(これを計算でやってたらすごいけど……別にそういうわけじゃなさそうだし……)
天然、っていうのだろうか。
「あっ!」
「な、なんだよ急に……」
ピクニックのごとく芝生の上で並んでクッキーをつまんでいると、突然エミールが大声を出したのでヨルクは驚いた。エミールは悲しげな表情をして自分を見る。
「ギーゼラのぶんも、残してあげればよかった……」
腹が空いていたこともあり、二人はあっという間に食べ終え、包みにはもはや欠片しか残っていなかった。しばし沈黙した後、ヨルクは大丈夫だというように言った。
「ギーゼラは、イレーネさんからのをもらうだろう」
「そうかな?」
「そうだよ」
乳母よりもお母様がいいと泣き喚いていた妹は、今頃イレーネの膝の上に抱かれて甘いクッキーを頬張っているはずだ。この頃しょっちゅうそういった姿を見ているので、エミールも納得したようにそうだねと表情を緩ませた。そして「あーあ」と地面に寝っ転がった。
「僕だけのお母さんだったのになぁ。すっかりとられちゃった」
「やきもちか?」
「うん。そう」
エミールは照れもせず、あっさりと認めた。ヨルクは彼のこういったところを尊敬している。この年頃の少年なら、普通は恥ずかしくて一生懸命否定するだろうに……ちょっと母親への愛が重い気がする。
「あ、いまちょっと引いたでしょ」
「人の心を読むな」
「読んでない! 顔に出てる!」
よく何を考えているかわからないと言われるが、エミールには昔からいろいろと見抜かれてしまう。それとも、彼とイレーネに出会ったから、表情豊かになったのだろうか。
「仕方ないじゃん。僕にとって、お母さんはたった一人の肉親なんだから」
肉親、と普段のエミールにはあまり似つかわしくない言葉が口から出たのは、日頃の勉強の成果だろうか。素直な彼は呑み込みも早く、家庭教師たちに褒められれば、さらに努力を惜しまなかった。
「でも、ギーゼラの泣くところは見たくないからなぁ……ここは僕が兄として譲ってやるしかないよね」
うん、と一人で勝手に納得して自分を励ましたエミールは今度は何かを思い出したようにくすっと笑った。
「ギーゼラってば本当ディートハルトさんそっくりだよね」
「父上に?」
「うん。お母さんが大好きなところとか」
「……たしかに俺たちがイレーネさんと話していると、どっちもすごく不機嫌になるな」
父の方は、表面上そうは見えないが、一緒に話しているとそれとなく部屋へ戻るよう促されることが多いので、早くイレーネと二人きりになりたいのがばればれだった。
ギーゼラの方はまだ幼いから、自分の感情を素直に母親にぶつけている。そんな娘に困った顔をしつつ、イレーネは可愛くてたまらない様子だった。むろん、ヨルクもエミールも。
「でしょう? あれ、絶対ディートハルトさんの遺伝子が受け継がれているんだよ」
自信満々にエミールは断言した。ちなみに二人は、自分たちだけの時は血の繋がっていない相手のことをそれぞれ名前で呼んでいる。幼い頃、再婚した両親の前ではきちんと家族でいよう、でも二人きりの時は無理をしない……そう、二人で決めたのだ。
ヨルクは最初イレーネのことを母親と思えなかったから、正直助かった、という思いだったが、今は逆にこの約束のおかげで母さん、と呼べることに感謝していた。
いつの頃からか照れ臭さを感じるようになったのは、それでも母さんと呼びたいと思うようになったのは、本当の母親に近い感情を抱くようになったからだろうか。
ヨルクがそんなことを考えていると、ふとエミールが顔を曇らせ、不安そうに言った。
「どっちもすごくお母さんのことが好きだからさ、大きくなったら喧嘩とかしそうだよね……そうなったらどうしよう」
「俺たちが全力で止めてやるしかないだろう」
そもそも、と思う。
「あの人のことだから、ギーゼラの感情を刺激しないよう、上手いことやると思う」
それこそ、気づいたらもう手遅れだった、みたいに。
(たぶん、あの時の母上みたいに……)
剣術の稽古が終わり、庭で休憩していたヨルクに向かって元気よく手を振る少年がいた。ふわふわとしたブルネットの髪に、青い色の目は、目尻がほんのりと垂れている。全体的に柔和な顔立ちが示す通り、内面も穏やかな性格をしているエミールは、目の前までくると息を弾ませながら言った。
「稽古終わった?」
「うん。そっちは?」
「終わったよ! だから遊ぼうと思って」
その前に腹ごしらえがしたいと言えば、エミールはふふんと誇らしげな顔をして、包みを取り出した。
「これ、一緒に食べなさいって」
「イレーネさんからもらったの?」
「ううん。キッチンに言って、昨日の料理とっても美味しかったです、って料理長にお礼を言ったら、もたせてくれたんだ」
「……そうか」
エミールは人の懐に入るのが上手い。それは彼と初めて会った時から感じたことだ。物怖じせず、自分みたいな気難しいやつとも付き合っていけるすごいやつ、とヨルクは内心一目置いていた。
(これを計算でやってたらすごいけど……別にそういうわけじゃなさそうだし……)
天然、っていうのだろうか。
「あっ!」
「な、なんだよ急に……」
ピクニックのごとく芝生の上で並んでクッキーをつまんでいると、突然エミールが大声を出したのでヨルクは驚いた。エミールは悲しげな表情をして自分を見る。
「ギーゼラのぶんも、残してあげればよかった……」
腹が空いていたこともあり、二人はあっという間に食べ終え、包みにはもはや欠片しか残っていなかった。しばし沈黙した後、ヨルクは大丈夫だというように言った。
「ギーゼラは、イレーネさんからのをもらうだろう」
「そうかな?」
「そうだよ」
乳母よりもお母様がいいと泣き喚いていた妹は、今頃イレーネの膝の上に抱かれて甘いクッキーを頬張っているはずだ。この頃しょっちゅうそういった姿を見ているので、エミールも納得したようにそうだねと表情を緩ませた。そして「あーあ」と地面に寝っ転がった。
「僕だけのお母さんだったのになぁ。すっかりとられちゃった」
「やきもちか?」
「うん。そう」
エミールは照れもせず、あっさりと認めた。ヨルクは彼のこういったところを尊敬している。この年頃の少年なら、普通は恥ずかしくて一生懸命否定するだろうに……ちょっと母親への愛が重い気がする。
「あ、いまちょっと引いたでしょ」
「人の心を読むな」
「読んでない! 顔に出てる!」
よく何を考えているかわからないと言われるが、エミールには昔からいろいろと見抜かれてしまう。それとも、彼とイレーネに出会ったから、表情豊かになったのだろうか。
「仕方ないじゃん。僕にとって、お母さんはたった一人の肉親なんだから」
肉親、と普段のエミールにはあまり似つかわしくない言葉が口から出たのは、日頃の勉強の成果だろうか。素直な彼は呑み込みも早く、家庭教師たちに褒められれば、さらに努力を惜しまなかった。
「でも、ギーゼラの泣くところは見たくないからなぁ……ここは僕が兄として譲ってやるしかないよね」
うん、と一人で勝手に納得して自分を励ましたエミールは今度は何かを思い出したようにくすっと笑った。
「ギーゼラってば本当ディートハルトさんそっくりだよね」
「父上に?」
「うん。お母さんが大好きなところとか」
「……たしかに俺たちがイレーネさんと話していると、どっちもすごく不機嫌になるな」
父の方は、表面上そうは見えないが、一緒に話しているとそれとなく部屋へ戻るよう促されることが多いので、早くイレーネと二人きりになりたいのがばればれだった。
ギーゼラの方はまだ幼いから、自分の感情を素直に母親にぶつけている。そんな娘に困った顔をしつつ、イレーネは可愛くてたまらない様子だった。むろん、ヨルクもエミールも。
「でしょう? あれ、絶対ディートハルトさんの遺伝子が受け継がれているんだよ」
自信満々にエミールは断言した。ちなみに二人は、自分たちだけの時は血の繋がっていない相手のことをそれぞれ名前で呼んでいる。幼い頃、再婚した両親の前ではきちんと家族でいよう、でも二人きりの時は無理をしない……そう、二人で決めたのだ。
ヨルクは最初イレーネのことを母親と思えなかったから、正直助かった、という思いだったが、今は逆にこの約束のおかげで母さん、と呼べることに感謝していた。
いつの頃からか照れ臭さを感じるようになったのは、それでも母さんと呼びたいと思うようになったのは、本当の母親に近い感情を抱くようになったからだろうか。
ヨルクがそんなことを考えていると、ふとエミールが顔を曇らせ、不安そうに言った。
「どっちもすごくお母さんのことが好きだからさ、大きくなったら喧嘩とかしそうだよね……そうなったらどうしよう」
「俺たちが全力で止めてやるしかないだろう」
そもそも、と思う。
「あの人のことだから、ギーゼラの感情を刺激しないよう、上手いことやると思う」
それこそ、気づいたらもう手遅れだった、みたいに。
(たぶん、あの時の母上みたいに……)
あなたにおすすめの小説
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
【完結】愛していないと王子が言った
miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。
「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」
ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。
※合わない場合はそっ閉じお願いします。
※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。
「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚
きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」
新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。
それもそのはず。
2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。
でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。
美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。
だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。
どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったレオノールに、やがてクラウディオの心は……。
すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?
焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
幼馴染しか見えない婚約者と白い結婚したので、夜明け前にさよならしました
ゆぷしろん
恋愛
公爵令嬢レティシアは、家同士の都合で伯爵アルフレッドに嫁ぐ。
けれど夫は結婚後もずっと幼馴染のシルヴィばかりを優先し、婚礼の夜から夫婦として触れ合おうともしなかった。名ばかりの妻として伯爵家を支え、領地経営まで立て直しても、彼にとってレティシアは“都合のいい伯爵夫人”でしかない。
やがて結婚一周年の夜、アルフレッドが自分を手放す気はない一方で、幼馴染を屋敷に迎え入れようとしている会話を聞いてしまったレティシアは、ついに決意する。
――もう、この結婚には見切りをつけよう。
夜明け前、彼女は離縁の準備を整え、伯爵邸を出奔。
身を寄せた北の港町で薬舗を手伝いながら、自分の力で生きる穏やかな日々を手に入れていく。そこで出会ったのは、身分ではなく一人の女性として彼女を尊重してくれる青年医師ノアだった。
一方、都合よく尽くしてくれる妻を失ったアルフレッドは、ようやく自分が何を失ったのかを思い知ることになる。
幼馴染ばかりを優先する婚約者との白い結婚に終止符を打ち、傷ついた公爵令嬢が新天地で本当の幸せを掴む、離縁から始まる逆転ラブストーリー。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)