23 / 45
遊び人の正体
しおりを挟む
「……バートラム様のお言葉を決して信じないわけではございません。短い時間ですけれど、レイモンド様がとてもそんな……器用な方ではないことも、察しているつもりです」
だが、どうしてそんな噂が生じてしまったのか。
サマンサの態度から何となく想像がついたが、グレイスはバートラムの言葉を待った。
「端的に言えば、レイモンドに相手にされなかった女性、また彼をよく思わない人間が原因だ」
ふと昔のレイモンドを思い出すようにバートラムは目を細めた。
「レイモンドはあの通り、容姿が整っている。寄ってくる女性は後を絶たなかった。それであしらうのがだんだん面倒になって、貴族の集まりに顔を出すことはめっきり減った。その代わり、庶民が行くようなバーで酒を飲んだりしていたんだ」
「庶民が行くような……」
「そう。しかも当時のレイモンドは少し……いや、だいぶ荒れていたな。苛立ちとか人生に対する絶望とか、もうどうでもいいような雰囲気を身体中にぷんぷん纏って、一人ちびちびと酒を飲んでいた」
(レイモンド様にそんな時期があったなんて……)
一体何が起きたのだろう。
「若い見目の良い男、しかも何やら事情のある男を放っておけない女性もいたわけさ」
「なるほど……。陰のある男性に危うさを感じて、惹かれてしまう方もいらっしゃいますものね」
冷静に分析するグレイスに、バートラムはちょっと笑った。
「そういうわけさ。それで今夜一晩どう? とか自分が優しく慰めてやると誘われたみたいだが……レイモンドはどれもこっぴどく振った」
こっぴどく、と言うと、サマンサに対して見せたような態度だろうか。
「俺も一度、その場に居合わせたことがあるんだが、レイモンドに言い寄ったのが、酒場ではけっこう人気の女性みたいで、最初断られても何度か押せば受け入れてくれると思っていたんだろう。レイモンがうんざりした様子で無視すると、恥をかかされたように真っ赤になって、『この不能男!』って大声で叫んだんだ」
「まぁ……」
「その時の騒ぎがことのほか広まってしまって、レイモンドは女性に興味がないとか、大勢の女性を弄んで捨てたとか……ありもしない噂が出来上がっていた」
相手にされなかったその時の女性が人に伝える形でレイモンドの評判を落とし、酒場に出入りしている貴族から上流階級の方へも伝わっていった。サマンサも恐らくその話を耳にしたのだろう。
(もしかして同性愛者って噂も、それが原因かしら)
「バートラム様の他に、レイモンド様を気にかけてくださる方は誰かいましたか?」
「いや……いなかったな。俺以外に親しい友人も……俺の知る限りではあまりいないと思う」
言葉を選んでいるあたり、たぶん誰もいないのではないだろうか。
(レイモンド様に寄り添うバートラム様……)
レイモンドからすれば、バートラムだけは無下にできない相手だったろう。その結果、周囲から特別な関係だと見られることも気づかず……。
「……レイモンド様ご自身は、否定しなかったのですか」
「放っておけ、と言われてしまった。むしろそういう噂が流れれば、自分に近づいてくる人間はいないだろうから逆に助かる、ってな」
どうも聞いた感じ、当時のレイモンドはどこか捨て鉢になっている印象がある。
バートラムの表情もどこか歯痒そうで、苦々しい思いを抱えているように見えた。
「……バートラム様がこのことをわたしに話してくださったのは、どうしてですか?」
「それは……一つはきみにレイモンドのことを誤解してほしくなかったからだ。きみは知らないと思うが、低俗なゴシップネタを扱った新聞紙にレイモンドのことを面白おかしく書いている記事がある。それを何かで目にする前に、きみに本当のことを知ってほしかった。……レイモンドは恐らく、自分からきみに話そうとはしなかったはずだから。話そうとしても、自分の責任のように話すはずだ」
「どういうことでしょうか」
ここまでずっと自信に満ちあふれていたバートラムが、初めて緊張した表情を見せた。
「レイモンドは俺たち王家の被害者だ」
「被害者?」
「ああ。レイモンドは王家の醜聞を隠すために、自ら犠牲になってくれた」
聞くと、バートラムの父親の親族……王室関係の人間がスキャンダラスな事件を起こした。男女関係であったり、ギャンブルなどの借金であったりと、とにかく世間にばれると王室の権威が失墜しかねない問題ばかりであった。
そこにレイモンドの遊び人という噂が生じ、社交界だけでなく庶民の間でも話題になってくれた。おかげで王家の恥とすべき問題はさほど注目されずに済んだ。
「……つまり、レイモンド様はスケープゴートにされたのですね」
「ああ、そうだ。あいつは十二歳の時にイングリス王国から追い出されるようにこちらへ来た。それで世話になった俺の両親に引け目を感じて……困っているのならば自分が力を貸すのが当然だって思っているんだ」
バートラムは言いながら悔しそうな顔をする。別に彼のせいではないのに、そうした状況に自然と追い込んでしまって申し訳ないと言うように。
「……バートラム様にとって、レイモンド様はとても大切な人なんですね」
罪悪感もあるだろう。だが一番は、友人としてレイモンドの幸せを祈っているからだ。
今のグレイスの言葉でバートラムが一瞬泣きそうな顔をしたことからも、そう思えた。
「……そう言ってくれるなんて、きみはいい人だな。レイモンドが、ずっと好きだった理由がわかる」
少し胸のつかえが下りたようにバートラムは息を吐いた。そしてまたグレイスの方を見ると、改めて告げた。
「友人としての贔屓目を差し引いても、レイモンドは誠実で真っ直ぐなやつだ。誓って、きみ以外の女性を愛する男じゃない。それだけはどうか、信じてやってほしい」
グレイスは微笑んで答えた。
「はい。信じますわ」
あまりにも迷いなく答えたせいか、バートラムは少し困った顔をした。
「俺からすれば実に完璧な返答だが……正直、もっと疑われると思っていた」
「あら。わたしはもう一ヵ月以上レイモンド様の妻として過ごしましたのよ? 彼がそんな人ではないことくらい、見抜けますわ」
「やっぱり一緒に暮らしていると、なんとなくわかるものなのか……」
本当は閨教育で得た知識のおかげであるのだが、納得した表情のバートラムに真相を打ち明けるつもりはなかった。
「そろそろ、父上たちの話も終わるだろう。……グレイス」
「はい」
「恐らく近々、俺の母がきみを王宮に呼ぶだろう。いろいろ話したいと言っていたからな。きみがまだ知らないレイモンドについても、知ることにもなると思う。それでも……」
受け入れてほしい、と懇願するようにバートラムは頼んだ。
◇
(レイモンド様について、まだ知らないことがあるのね……)
屋敷へ帰る馬車の中で、グレイスはぼんやりと街灯に照らされた夜の光景を見ていた。ほとんど見えず、窓に映る自分の顔は何を考えているかよくわからない。そんなグレイスの横顔を見つめながら、レイモンドがそっと手を握ってきた。
「バートラムにあれこれ言われて、疲れただろう?」
「まさか。それに殿下はあなたのことを心配なさっていましたわ」
そうだ、とグレイスは彼の方へ身体を向けた。帰りは何となく隣に座って互いの温もりを感じていたので、膝をつき合わせることになったが、今はどうしても言いたいことがあった。
「レイモンド様。噂の件、お聞きしましたわ」
「……そうか。いろいろと、誤解させてしまってすまなかった」
悪戯がばれてしまったような、諦めた表情でいる彼が、今は無性にもどかしく、少し腹も立った。レイモンドもグレイスが怒っているのがわかったのか、珍しく言い訳めいた口調で謝罪する。
「貴女が俺についていろいろと良くない噂を耳にしているかもしれないとは思っていた。それでも俺は、どうしても貴女と結婚したかった。でもよく考えてみれば、こんな俺と結婚したら、貴女の評判にも傷がついたかもしれない。そういったことを考えずに俺は自分のことばかりで本当に申し訳なく――」
「レイモンド様」
そうじゃないだろうとグレイスは悲しくなった。
「どうして噂を放っておいてもいいなんて思ったのですか」
「それは……国王夫妻やバートラムには迷惑をかけたし、こんな俺でも役に立てるのならば役に立ちたいと思ったからだ。バートラムのことだから自分が悪いというように言ったんだろうが、俺は全くそんなこと考えてなかった」
「……それでご自身の評判が落ちても……本当は全く違うのに、悪く思われても、あなたは仕方がないと受け入れている。わたしはそのことが……とても歯痒くて、悲しいのです」
泣きそうな気持ちになって、グレイスは俯いた。
(レイモンド様はご自分のことを大切になさっていない)
彼の生い立ちがきっと原因なのだろう。
母親と離宮で寂しい幼少時代を送り、見放されるように隣国へ留学し、王室のためにまた評判を下げる人生が、自分を大切にすることを放棄してしまった。
「グレイス。泣かないでくれ……」
気づけば彼女は涙を手袋の上に落としていた。
涙を拭おうとする前に、彼女はレイモンドに抱き寄せられる。
「……どうして、嬉しそうなんですか」
泣かれて困った顔をしながらも、レイモンドの唇は弧を描いており、グレイスは不可解に思った。
「すまない。でも、貴女が俺のために悲しんで涙を流してくれたと思うと……すごく、嬉しいんだ」
グレイス、と彼は彼女の頭にそっと口づけを落とし、内緒話するような小さな声で胸の内を明かした。
「俺は本当に、しょせん噂は噂で、周りにどう思われようが気にしていなかったんだ。だが、とうとう貴女と結ばれて、それはもう毎日幸せすぎて怖いくらいで、今日の舞踏会でふと我に返った。あの令嬢にああ言われた時、貴女にどう思われるのかと。貴女に幻滅され、離縁を言い渡されたらどうしようかと、初めて怖く思ったんだ」
あの時見せた表情は、そういうことだったのか。
今まで他人にどう思われようが気にしなかったのに、グレイスと結婚して初めてレイモンドは他人からの評判を気にした。
(この方は本当に……)
「事情があったとはいえ、人々があなたを誤解したままなのは許せません」
グレイスの夫となった人は素敵な人だ。
「だから、これからはその認識を払拭していきましょう」
顔を上げて、宣言するようにグレイスは告げた。
「わかった。……実は俺も、バートラムに言われて少し世間とずれていることを痛感した。これからは、人付き合いもきちんとやっていきたい。……だから、俺を見捨てないでくれ」
見捨てるはずなんかない。
「わたしはあなたの妻ですもの。あなたが嫌だと言っても、別れてあげません」
「グレイス……」
様々な感情が込み上げてきたようにレイモンドは悩ましげな顔をして、グレイスを胸の中にかき抱き、顎を掬うと口づけした。グレイスは彼の想いを受け止めるように身を委ねた。
屋敷へ到着するまで、二人を邪魔する者は誰もいなかった。
だが、どうしてそんな噂が生じてしまったのか。
サマンサの態度から何となく想像がついたが、グレイスはバートラムの言葉を待った。
「端的に言えば、レイモンドに相手にされなかった女性、また彼をよく思わない人間が原因だ」
ふと昔のレイモンドを思い出すようにバートラムは目を細めた。
「レイモンドはあの通り、容姿が整っている。寄ってくる女性は後を絶たなかった。それであしらうのがだんだん面倒になって、貴族の集まりに顔を出すことはめっきり減った。その代わり、庶民が行くようなバーで酒を飲んだりしていたんだ」
「庶民が行くような……」
「そう。しかも当時のレイモンドは少し……いや、だいぶ荒れていたな。苛立ちとか人生に対する絶望とか、もうどうでもいいような雰囲気を身体中にぷんぷん纏って、一人ちびちびと酒を飲んでいた」
(レイモンド様にそんな時期があったなんて……)
一体何が起きたのだろう。
「若い見目の良い男、しかも何やら事情のある男を放っておけない女性もいたわけさ」
「なるほど……。陰のある男性に危うさを感じて、惹かれてしまう方もいらっしゃいますものね」
冷静に分析するグレイスに、バートラムはちょっと笑った。
「そういうわけさ。それで今夜一晩どう? とか自分が優しく慰めてやると誘われたみたいだが……レイモンドはどれもこっぴどく振った」
こっぴどく、と言うと、サマンサに対して見せたような態度だろうか。
「俺も一度、その場に居合わせたことがあるんだが、レイモンドに言い寄ったのが、酒場ではけっこう人気の女性みたいで、最初断られても何度か押せば受け入れてくれると思っていたんだろう。レイモンがうんざりした様子で無視すると、恥をかかされたように真っ赤になって、『この不能男!』って大声で叫んだんだ」
「まぁ……」
「その時の騒ぎがことのほか広まってしまって、レイモンドは女性に興味がないとか、大勢の女性を弄んで捨てたとか……ありもしない噂が出来上がっていた」
相手にされなかったその時の女性が人に伝える形でレイモンドの評判を落とし、酒場に出入りしている貴族から上流階級の方へも伝わっていった。サマンサも恐らくその話を耳にしたのだろう。
(もしかして同性愛者って噂も、それが原因かしら)
「バートラム様の他に、レイモンド様を気にかけてくださる方は誰かいましたか?」
「いや……いなかったな。俺以外に親しい友人も……俺の知る限りではあまりいないと思う」
言葉を選んでいるあたり、たぶん誰もいないのではないだろうか。
(レイモンド様に寄り添うバートラム様……)
レイモンドからすれば、バートラムだけは無下にできない相手だったろう。その結果、周囲から特別な関係だと見られることも気づかず……。
「……レイモンド様ご自身は、否定しなかったのですか」
「放っておけ、と言われてしまった。むしろそういう噂が流れれば、自分に近づいてくる人間はいないだろうから逆に助かる、ってな」
どうも聞いた感じ、当時のレイモンドはどこか捨て鉢になっている印象がある。
バートラムの表情もどこか歯痒そうで、苦々しい思いを抱えているように見えた。
「……バートラム様がこのことをわたしに話してくださったのは、どうしてですか?」
「それは……一つはきみにレイモンドのことを誤解してほしくなかったからだ。きみは知らないと思うが、低俗なゴシップネタを扱った新聞紙にレイモンドのことを面白おかしく書いている記事がある。それを何かで目にする前に、きみに本当のことを知ってほしかった。……レイモンドは恐らく、自分からきみに話そうとはしなかったはずだから。話そうとしても、自分の責任のように話すはずだ」
「どういうことでしょうか」
ここまでずっと自信に満ちあふれていたバートラムが、初めて緊張した表情を見せた。
「レイモンドは俺たち王家の被害者だ」
「被害者?」
「ああ。レイモンドは王家の醜聞を隠すために、自ら犠牲になってくれた」
聞くと、バートラムの父親の親族……王室関係の人間がスキャンダラスな事件を起こした。男女関係であったり、ギャンブルなどの借金であったりと、とにかく世間にばれると王室の権威が失墜しかねない問題ばかりであった。
そこにレイモンドの遊び人という噂が生じ、社交界だけでなく庶民の間でも話題になってくれた。おかげで王家の恥とすべき問題はさほど注目されずに済んだ。
「……つまり、レイモンド様はスケープゴートにされたのですね」
「ああ、そうだ。あいつは十二歳の時にイングリス王国から追い出されるようにこちらへ来た。それで世話になった俺の両親に引け目を感じて……困っているのならば自分が力を貸すのが当然だって思っているんだ」
バートラムは言いながら悔しそうな顔をする。別に彼のせいではないのに、そうした状況に自然と追い込んでしまって申し訳ないと言うように。
「……バートラム様にとって、レイモンド様はとても大切な人なんですね」
罪悪感もあるだろう。だが一番は、友人としてレイモンドの幸せを祈っているからだ。
今のグレイスの言葉でバートラムが一瞬泣きそうな顔をしたことからも、そう思えた。
「……そう言ってくれるなんて、きみはいい人だな。レイモンドが、ずっと好きだった理由がわかる」
少し胸のつかえが下りたようにバートラムは息を吐いた。そしてまたグレイスの方を見ると、改めて告げた。
「友人としての贔屓目を差し引いても、レイモンドは誠実で真っ直ぐなやつだ。誓って、きみ以外の女性を愛する男じゃない。それだけはどうか、信じてやってほしい」
グレイスは微笑んで答えた。
「はい。信じますわ」
あまりにも迷いなく答えたせいか、バートラムは少し困った顔をした。
「俺からすれば実に完璧な返答だが……正直、もっと疑われると思っていた」
「あら。わたしはもう一ヵ月以上レイモンド様の妻として過ごしましたのよ? 彼がそんな人ではないことくらい、見抜けますわ」
「やっぱり一緒に暮らしていると、なんとなくわかるものなのか……」
本当は閨教育で得た知識のおかげであるのだが、納得した表情のバートラムに真相を打ち明けるつもりはなかった。
「そろそろ、父上たちの話も終わるだろう。……グレイス」
「はい」
「恐らく近々、俺の母がきみを王宮に呼ぶだろう。いろいろ話したいと言っていたからな。きみがまだ知らないレイモンドについても、知ることにもなると思う。それでも……」
受け入れてほしい、と懇願するようにバートラムは頼んだ。
◇
(レイモンド様について、まだ知らないことがあるのね……)
屋敷へ帰る馬車の中で、グレイスはぼんやりと街灯に照らされた夜の光景を見ていた。ほとんど見えず、窓に映る自分の顔は何を考えているかよくわからない。そんなグレイスの横顔を見つめながら、レイモンドがそっと手を握ってきた。
「バートラムにあれこれ言われて、疲れただろう?」
「まさか。それに殿下はあなたのことを心配なさっていましたわ」
そうだ、とグレイスは彼の方へ身体を向けた。帰りは何となく隣に座って互いの温もりを感じていたので、膝をつき合わせることになったが、今はどうしても言いたいことがあった。
「レイモンド様。噂の件、お聞きしましたわ」
「……そうか。いろいろと、誤解させてしまってすまなかった」
悪戯がばれてしまったような、諦めた表情でいる彼が、今は無性にもどかしく、少し腹も立った。レイモンドもグレイスが怒っているのがわかったのか、珍しく言い訳めいた口調で謝罪する。
「貴女が俺についていろいろと良くない噂を耳にしているかもしれないとは思っていた。それでも俺は、どうしても貴女と結婚したかった。でもよく考えてみれば、こんな俺と結婚したら、貴女の評判にも傷がついたかもしれない。そういったことを考えずに俺は自分のことばかりで本当に申し訳なく――」
「レイモンド様」
そうじゃないだろうとグレイスは悲しくなった。
「どうして噂を放っておいてもいいなんて思ったのですか」
「それは……国王夫妻やバートラムには迷惑をかけたし、こんな俺でも役に立てるのならば役に立ちたいと思ったからだ。バートラムのことだから自分が悪いというように言ったんだろうが、俺は全くそんなこと考えてなかった」
「……それでご自身の評判が落ちても……本当は全く違うのに、悪く思われても、あなたは仕方がないと受け入れている。わたしはそのことが……とても歯痒くて、悲しいのです」
泣きそうな気持ちになって、グレイスは俯いた。
(レイモンド様はご自分のことを大切になさっていない)
彼の生い立ちがきっと原因なのだろう。
母親と離宮で寂しい幼少時代を送り、見放されるように隣国へ留学し、王室のためにまた評判を下げる人生が、自分を大切にすることを放棄してしまった。
「グレイス。泣かないでくれ……」
気づけば彼女は涙を手袋の上に落としていた。
涙を拭おうとする前に、彼女はレイモンドに抱き寄せられる。
「……どうして、嬉しそうなんですか」
泣かれて困った顔をしながらも、レイモンドの唇は弧を描いており、グレイスは不可解に思った。
「すまない。でも、貴女が俺のために悲しんで涙を流してくれたと思うと……すごく、嬉しいんだ」
グレイス、と彼は彼女の頭にそっと口づけを落とし、内緒話するような小さな声で胸の内を明かした。
「俺は本当に、しょせん噂は噂で、周りにどう思われようが気にしていなかったんだ。だが、とうとう貴女と結ばれて、それはもう毎日幸せすぎて怖いくらいで、今日の舞踏会でふと我に返った。あの令嬢にああ言われた時、貴女にどう思われるのかと。貴女に幻滅され、離縁を言い渡されたらどうしようかと、初めて怖く思ったんだ」
あの時見せた表情は、そういうことだったのか。
今まで他人にどう思われようが気にしなかったのに、グレイスと結婚して初めてレイモンドは他人からの評判を気にした。
(この方は本当に……)
「事情があったとはいえ、人々があなたを誤解したままなのは許せません」
グレイスの夫となった人は素敵な人だ。
「だから、これからはその認識を払拭していきましょう」
顔を上げて、宣言するようにグレイスは告げた。
「わかった。……実は俺も、バートラムに言われて少し世間とずれていることを痛感した。これからは、人付き合いもきちんとやっていきたい。……だから、俺を見捨てないでくれ」
見捨てるはずなんかない。
「わたしはあなたの妻ですもの。あなたが嫌だと言っても、別れてあげません」
「グレイス……」
様々な感情が込み上げてきたようにレイモンドは悩ましげな顔をして、グレイスを胸の中にかき抱き、顎を掬うと口づけした。グレイスは彼の想いを受け止めるように身を委ねた。
屋敷へ到着するまで、二人を邪魔する者は誰もいなかった。
1,164
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる