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道化師
二人は昼食を終えた頃、ちょうど広場でアマチュア劇団の演奏や大道芸の出し物が始まった。
「そういえばグランディエ国は、芸術活動に力を入れているのですよね」
「ああ。クーデターが起こったあと、国民にもかなり不安を与えてしまった。だから美しいものや楽しいことで、世の中の暗い雰囲気を少しでも和らげようと、祖父の代から芸術活動の支援が始まり、父の代でさらに力を入れるようになったんだ」
「なるほど……」
街の広場という庶民の目に留まる場所で活動が行われているのも、その影響が大きいのだろう。
そんなことを思いながらピエロの格好をした大道芸人を見ていると、ふと彼がこちらを見た。
えっ、と思っていると、ピエロがこちらへやって来る。白粉を塗り、口紅で唇を大きく、左右非対称に裂けているように見せて、目元には涙のマークが描かれている。
間近で見ると、ちょっと……いや、かなり怖い顔に見えるピエロは、そんなミランダの気持ちに気づかぬままにっこり笑いかけた。
「お兄さん、お嬢さん。よかったら今度、王立歌劇場にも足を運んでください。僕の素晴らしい仲間たちが劇をやりますから」
声は思ったより若い男で、優しそうに聞こえる。でもミランダには、それが何だか相手を油断させるためのものに思えた。
「劇?」
「はい。我がグランディエ国の歴史になぞった喜劇でございます」
「へぇ……面白そう」
「ええ、ええ。とっても面白いですので、ぜひお越しくださいませ!」
ずいっと顔を近づけられ、ミランダは思わず「ひっ……」と情けない声を上げてしまった。
「俺の妻を怖がらせないでくれ」
すかさずディオンがピエロの顔を遠慮なく押しやったので、彼は後ろに仰け反り、たたらを踏んだ。けっこう強い力だったのかもしれない。しかしそんなことは気にせず、ディオンは妻の心配をする。
「ミラ、怖かっただろう」
「あっ、いえ、少し驚いてしまっただけで……」
「その方は奥方様だったのですね。大変失礼いたしました」
体勢を立て直したピエロがさらに口角を上げて自分たちを見てくる。ミランダは何だかその視線に落ち着かなくなり、ディオンの手を掴んで、もう行きましょうとやや強引に歩き出した。
「お待ちしておりますよ!」
失礼だったかもしれないと思いつつ、ミランダは振り返らず足早に歩き、ピエロの見えない場所まで行くと、ようやく安堵の息を漏らした。
「ミラ、大丈夫か?」
「はい。ごめんなさい。急に連れ出してしまって……」
「構わない。ミラになら、むしろ強引に引っ張り回してほしい」
「もう、ディオン様ったら」
つい赤くなってしまうと、ディオンは目を細め、ミランダの手を自分の指と絡めて繋ぎ直した。
「ケーキの交換をするのだろう? どこの店がいいだろうか」
先ほどまでの不安にも似た気持ちは、ディオンの言葉と笑顔ですっかり消えてくれた。
「実はお茶会の時に夫人たちにいろいろ教えていただいて……事前に調べていたんです。確かティーカップの絵が描かれた看板が目印で……」
その後ミランダはディオンとお茶をして、日が暮れる前に帰ることにした。
「今日はとても楽しかったです」
馬車までの帰り道。手を繋いで歩きながらミランダは一日の感想をディオンに伝える。
お互いのケーキを半分交換して、なぜかディオンに食べさせてもらって、そのお返しにミランダもディオンに……というやり取りを思い返して、頬を緩ませた。
恥ずかしくもあったが、今日はデートなのだから別にいいじゃないかという気持ちにもなった。
「ディオン様は、どうでしたか?」
ミランダが隣を見て尋ねれば、彼は柔らかな微笑で答えをくれた。
「ああ、俺もだ。何だか童心に返ったような気持ちで、何度も心が弾んだ。今も、とても心が満たされている」
「わたしもです。とても心が満たされて――」
突然ぐいっとミランダは腰を引き寄せられ、ディオンの腕の中に閉じ込められた。
(え、え? 何? ディオン様ってば急に抱きしめて、もしかしてそういう雰囲気だった?)
でも突然すぎないか? いや、彼はわりと突拍子もないところがあるが……。
ミランダが逞しい胸元に頬を寄せて混乱していると、ふっと抱擁が緩む。
「ディオン様?」
「すまない。少し殺気……ではなく、視線を感じて……」
(殺気!?)
ばっと向かいの通りに目をやるが、大勢の人間が行き交っており、特に怪しい人間はいないように見えた。
「ミラ。俺の勘違いかもしれない。いや、きっと気のせいだろう。もう帰ろう」
「あ、はい。わかりました……」
自分を心配させまいとするディオンの態度にミランダもそれ以上訊くことはせず、大人しく馬車に乗った。
だが帰りの馬車の中で、ディオンはミランダを守るように抱き寄せて、鋭い視線を外へ向けていたのだった。
「そういえばグランディエ国は、芸術活動に力を入れているのですよね」
「ああ。クーデターが起こったあと、国民にもかなり不安を与えてしまった。だから美しいものや楽しいことで、世の中の暗い雰囲気を少しでも和らげようと、祖父の代から芸術活動の支援が始まり、父の代でさらに力を入れるようになったんだ」
「なるほど……」
街の広場という庶民の目に留まる場所で活動が行われているのも、その影響が大きいのだろう。
そんなことを思いながらピエロの格好をした大道芸人を見ていると、ふと彼がこちらを見た。
えっ、と思っていると、ピエロがこちらへやって来る。白粉を塗り、口紅で唇を大きく、左右非対称に裂けているように見せて、目元には涙のマークが描かれている。
間近で見ると、ちょっと……いや、かなり怖い顔に見えるピエロは、そんなミランダの気持ちに気づかぬままにっこり笑いかけた。
「お兄さん、お嬢さん。よかったら今度、王立歌劇場にも足を運んでください。僕の素晴らしい仲間たちが劇をやりますから」
声は思ったより若い男で、優しそうに聞こえる。でもミランダには、それが何だか相手を油断させるためのものに思えた。
「劇?」
「はい。我がグランディエ国の歴史になぞった喜劇でございます」
「へぇ……面白そう」
「ええ、ええ。とっても面白いですので、ぜひお越しくださいませ!」
ずいっと顔を近づけられ、ミランダは思わず「ひっ……」と情けない声を上げてしまった。
「俺の妻を怖がらせないでくれ」
すかさずディオンがピエロの顔を遠慮なく押しやったので、彼は後ろに仰け反り、たたらを踏んだ。けっこう強い力だったのかもしれない。しかしそんなことは気にせず、ディオンは妻の心配をする。
「ミラ、怖かっただろう」
「あっ、いえ、少し驚いてしまっただけで……」
「その方は奥方様だったのですね。大変失礼いたしました」
体勢を立て直したピエロがさらに口角を上げて自分たちを見てくる。ミランダは何だかその視線に落ち着かなくなり、ディオンの手を掴んで、もう行きましょうとやや強引に歩き出した。
「お待ちしておりますよ!」
失礼だったかもしれないと思いつつ、ミランダは振り返らず足早に歩き、ピエロの見えない場所まで行くと、ようやく安堵の息を漏らした。
「ミラ、大丈夫か?」
「はい。ごめんなさい。急に連れ出してしまって……」
「構わない。ミラになら、むしろ強引に引っ張り回してほしい」
「もう、ディオン様ったら」
つい赤くなってしまうと、ディオンは目を細め、ミランダの手を自分の指と絡めて繋ぎ直した。
「ケーキの交換をするのだろう? どこの店がいいだろうか」
先ほどまでの不安にも似た気持ちは、ディオンの言葉と笑顔ですっかり消えてくれた。
「実はお茶会の時に夫人たちにいろいろ教えていただいて……事前に調べていたんです。確かティーカップの絵が描かれた看板が目印で……」
その後ミランダはディオンとお茶をして、日が暮れる前に帰ることにした。
「今日はとても楽しかったです」
馬車までの帰り道。手を繋いで歩きながらミランダは一日の感想をディオンに伝える。
お互いのケーキを半分交換して、なぜかディオンに食べさせてもらって、そのお返しにミランダもディオンに……というやり取りを思い返して、頬を緩ませた。
恥ずかしくもあったが、今日はデートなのだから別にいいじゃないかという気持ちにもなった。
「ディオン様は、どうでしたか?」
ミランダが隣を見て尋ねれば、彼は柔らかな微笑で答えをくれた。
「ああ、俺もだ。何だか童心に返ったような気持ちで、何度も心が弾んだ。今も、とても心が満たされている」
「わたしもです。とても心が満たされて――」
突然ぐいっとミランダは腰を引き寄せられ、ディオンの腕の中に閉じ込められた。
(え、え? 何? ディオン様ってば急に抱きしめて、もしかしてそういう雰囲気だった?)
でも突然すぎないか? いや、彼はわりと突拍子もないところがあるが……。
ミランダが逞しい胸元に頬を寄せて混乱していると、ふっと抱擁が緩む。
「ディオン様?」
「すまない。少し殺気……ではなく、視線を感じて……」
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「ミラ。俺の勘違いかもしれない。いや、きっと気のせいだろう。もう帰ろう」
「あ、はい。わかりました……」
自分を心配させまいとするディオンの態度にミランダもそれ以上訊くことはせず、大人しく馬車に乗った。
だが帰りの馬車の中で、ディオンはミランダを守るように抱き寄せて、鋭い視線を外へ向けていたのだった。
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