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両親との別れ
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エリーヌは何でないように振る舞っていてもやはり心に深い傷を負ったのだろう。しばらくして突然倒れたという知らせが学校に届いた。その知らせを受け取ったクロエもまたその場で気を失ってしまいそうになった。
「少し、疲れが出てしまったみたい」
クロエが飛んで帰れば、姉は床に臥せたまま微笑んだ。少し見ない間に痩せて、白い肌がますます色を失くしていた。
「お姉さま。わたしにできること、何かある?」
「そうね……特に、ないかしら」
何でもいいのに。どんなことでもするのに。姉は弱々しく首を振るだけだった。クロエは心底もどかしい気持ちにもなるも、焦ってはいけないと優しい口調で言った。
「じゃあ思いついたらすぐに言って。それまでずっとここにいるわ」
「そんな……あなたには学校があるのだから、戻りなさい」
学校なんてどうでもいい。エリーヌが何より大切だった。一刻も早くよくなってもらいたい。だがクロエの願いと裏腹に姉はそれから時折体調を崩すようになった。
「心身的なものだと思いますが……」
本人の回復次第、気力が何より大切ですと医者は説明した。失恋には次の恋だろうと伯爵はまた姉の再婚相手を探し始めた。
けれどこれといった相手にはなかなか巡り合わない。そして娘の伴侶を探している間、今度はクロエの母親が病で倒れたのだった。もう治る見込みのない病名を告げられ、誰よりも動揺したのは伯爵であった。
「ああ、ソーニャ。どうか私を置いて行かないでおくれ……!」
伯爵は屋敷の仕事を放り出し、片時も離れまいと母のそばに居座った。血の繋がった息子や娘よりも深く愛する女。それが母である。彼の関心は今や最愛の女性のみに注がれていた。彼女が生きるかいなか、それだけが最も大事なことだった。
「あなた。わたくしはもうだめです……どうか先に逝くことをお許し下さい……」
伯爵の想いも虚しく、母はそう言い残して実に呆気なくあの世へ旅立った。娘のクロエは最期の時でもやっぱり母の目に映ることはなかった。
「おまえのいない世界で、どうやって生きていけばいいのだ……」
そして母の後を追うように、伯爵も自らの命を絶ったのだった。
あまりにも急な出来事でクロエは悲しみに浸る余韻すらなかった。
(これからわたしはどうなるのだろう……)
伯爵の後を継いだのは彼の息子の一人。すでに成人して父の仕事を手伝っていた彼にとって今回のことはどうとでもないらしく、とくに悲嘆に暮れている様子もなかった。
「お前のことは父の遺言でどこかへ嫁に行くまでは面倒を見ることにする」
それまでせいぜい問題事は起こすなと言いつけると、彼はクロエに学校に戻るよう言いつけた。ここにいてもクロエにできることはない。学校へ戻る前、彼女は姉の部屋へ訪れて様子を伺った。
今日は体調がいくぶんいいのか、窓際の椅子に腰かけていた。クロエの姿を目にすると、労わるような眼差しを向けてくる。
「驚いたわね、いきなり二人とも亡くなるなんて……」
「ええ、本当に。あっという間だったわ」
「クロエ。……大丈夫?」
クロエは力なく微笑み、大丈夫だと答えた。
父も母もずっと二人だけの世界で完結していた。それこそ最期の瞬間まで。二人の間に入り込む隙は、娘であるクロエにもなかったのだ。
「ねぇ、クロエ。学校にはまだ通い続けるの?」
エリーヌの質問は難しいものだった。
「お兄さまは通っていいとおっしゃったけれど、やめようと思っているの……」
父が存命していたら卒業まで通ったかもしれないが、こうなってしまったからには早く結婚してこの家を出ていくべきだろう。
(マルセル様との縁談もあんな形になってしまって……もう意味もないものね)
勉強は楽しいが、女である自分が学問を身に着けた所で将来役に立つわけではない。高い学費は無駄なだけである。
「お姉さまの病気も心配だもの」
そばについていて、看病してあげたいとクロエは思った。
「私のことはいいから、あなたは自分の将来のことを考えなさい」
ね、と優しく掌を撫でてくれて、クロエはふいに泣きそうになった。
「お姉さま。お姉さまは死なないでね」
正直、両親が亡くなったことに関して、それほど悲しんでいない自分がいる。彼らはたしかにクロエの親であるが、いつもどこか遠い存在であった。子どもである自分より、番となる相手のことを何より大切にしていた。自分は居てもいなくても変わらない存在だった。
だから突然の別れに驚きはしても、深い悲しみはない。
(でも、お姉さまは違う)
エリーヌこそ、クロエにとってとても身近な人であった。父や母が与えてくれなかった深い温もりを与えてくれた人。
彼女がこの世から消え去ってしまったら、クロエは後を追いかけたくなるほど絶望するだろう。
「お姉さま。どうかわたしを置いていかないで……」
涙混じりに懇願するクロエにエリーヌはただ悲しげな笑みを浮かべるのだった。
「少し、疲れが出てしまったみたい」
クロエが飛んで帰れば、姉は床に臥せたまま微笑んだ。少し見ない間に痩せて、白い肌がますます色を失くしていた。
「お姉さま。わたしにできること、何かある?」
「そうね……特に、ないかしら」
何でもいいのに。どんなことでもするのに。姉は弱々しく首を振るだけだった。クロエは心底もどかしい気持ちにもなるも、焦ってはいけないと優しい口調で言った。
「じゃあ思いついたらすぐに言って。それまでずっとここにいるわ」
「そんな……あなたには学校があるのだから、戻りなさい」
学校なんてどうでもいい。エリーヌが何より大切だった。一刻も早くよくなってもらいたい。だがクロエの願いと裏腹に姉はそれから時折体調を崩すようになった。
「心身的なものだと思いますが……」
本人の回復次第、気力が何より大切ですと医者は説明した。失恋には次の恋だろうと伯爵はまた姉の再婚相手を探し始めた。
けれどこれといった相手にはなかなか巡り合わない。そして娘の伴侶を探している間、今度はクロエの母親が病で倒れたのだった。もう治る見込みのない病名を告げられ、誰よりも動揺したのは伯爵であった。
「ああ、ソーニャ。どうか私を置いて行かないでおくれ……!」
伯爵は屋敷の仕事を放り出し、片時も離れまいと母のそばに居座った。血の繋がった息子や娘よりも深く愛する女。それが母である。彼の関心は今や最愛の女性のみに注がれていた。彼女が生きるかいなか、それだけが最も大事なことだった。
「あなた。わたくしはもうだめです……どうか先に逝くことをお許し下さい……」
伯爵の想いも虚しく、母はそう言い残して実に呆気なくあの世へ旅立った。娘のクロエは最期の時でもやっぱり母の目に映ることはなかった。
「おまえのいない世界で、どうやって生きていけばいいのだ……」
そして母の後を追うように、伯爵も自らの命を絶ったのだった。
あまりにも急な出来事でクロエは悲しみに浸る余韻すらなかった。
(これからわたしはどうなるのだろう……)
伯爵の後を継いだのは彼の息子の一人。すでに成人して父の仕事を手伝っていた彼にとって今回のことはどうとでもないらしく、とくに悲嘆に暮れている様子もなかった。
「お前のことは父の遺言でどこかへ嫁に行くまでは面倒を見ることにする」
それまでせいぜい問題事は起こすなと言いつけると、彼はクロエに学校に戻るよう言いつけた。ここにいてもクロエにできることはない。学校へ戻る前、彼女は姉の部屋へ訪れて様子を伺った。
今日は体調がいくぶんいいのか、窓際の椅子に腰かけていた。クロエの姿を目にすると、労わるような眼差しを向けてくる。
「驚いたわね、いきなり二人とも亡くなるなんて……」
「ええ、本当に。あっという間だったわ」
「クロエ。……大丈夫?」
クロエは力なく微笑み、大丈夫だと答えた。
父も母もずっと二人だけの世界で完結していた。それこそ最期の瞬間まで。二人の間に入り込む隙は、娘であるクロエにもなかったのだ。
「ねぇ、クロエ。学校にはまだ通い続けるの?」
エリーヌの質問は難しいものだった。
「お兄さまは通っていいとおっしゃったけれど、やめようと思っているの……」
父が存命していたら卒業まで通ったかもしれないが、こうなってしまったからには早く結婚してこの家を出ていくべきだろう。
(マルセル様との縁談もあんな形になってしまって……もう意味もないものね)
勉強は楽しいが、女である自分が学問を身に着けた所で将来役に立つわけではない。高い学費は無駄なだけである。
「お姉さまの病気も心配だもの」
そばについていて、看病してあげたいとクロエは思った。
「私のことはいいから、あなたは自分の将来のことを考えなさい」
ね、と優しく掌を撫でてくれて、クロエはふいに泣きそうになった。
「お姉さま。お姉さまは死なないでね」
正直、両親が亡くなったことに関して、それほど悲しんでいない自分がいる。彼らはたしかにクロエの親であるが、いつもどこか遠い存在であった。子どもである自分より、番となる相手のことを何より大切にしていた。自分は居てもいなくても変わらない存在だった。
だから突然の別れに驚きはしても、深い悲しみはない。
(でも、お姉さまは違う)
エリーヌこそ、クロエにとってとても身近な人であった。父や母が与えてくれなかった深い温もりを与えてくれた人。
彼女がこの世から消え去ってしまったら、クロエは後を追いかけたくなるほど絶望するだろう。
「お姉さま。どうかわたしを置いていかないで……」
涙混じりに懇願するクロエにエリーヌはただ悲しげな笑みを浮かべるのだった。
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