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兄との対話
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「お兄さまはご存知でしたの」
執務室に出向いたクロエは兄にたずねた。兄は熱心に書物をしていたが、彼女の質問にふと顔を上げた。
「お前の姉が実は一癖も二癖もある人間だということか?」
「……」
「知っていたさ。母上をわざわざ家へ呼び戻したのはエリーヌだぞ?」
そうなんだ、とクロエは思った。何も知らなければ、エリーヌはただ優しさから夫人を呼び戻したと言い返したことだろう。もう、今は信じることができなかったけれど。
「お兄さまは違うの?」
「私はいまさら戻ってきてもらっても困ると思っていた。実際面倒なことになっているしな」
兄の答えはいっそ薄情といえるほど淡白であった。そこに実母に対する憐れみや親子の情は感じられなかった。
「男と女は違うからな。私は確かに幼い頃お前の存在を許しがたく思っていたし、父のことを軽蔑もした。母を気の毒にも思えた」
だが次第にそれも変わったという。
「今ならば父がああいった愚かな行動をとった気持ちもわかる気がする。政略結婚で嫌々娶った母を愛せなかった理由も、必死に尽くそうとする母の態度を煩わしいと思った感情も。お前の母があっけなく死んだあと、何の未練もなくこの世を去った選択も」
「お兄さまも、結婚したらそうなるかもしれないってこと?」
「まさか、と言いたい所だが、結婚していない身では何とも言えないな。ただ今のところ、そんな面倒なことを起す気はないと言っておく」
兄はまだ結婚していなかった。なぜだろうと思っていたが、彼もまた両親の複雑な家庭環境に自分の人生を狂わされたのかもしれない。全うな道を歩んでいると思っても、健全な人間から見ればやはり歪な道筋を辿っているような。
「……わたしには、わかりません。わかりたくも、ない」
だろうな、と兄は特に反論もせず頷いた。
「お前の生い立ちを考えれば、そうなるのも自然なことだ」
自然なこと。
(わたしは、普通じゃないの?)
「お姉さまがああなったのも、わたしのせい?」
「さぁ、どうだろうな。お前にも原因があったかもしれないし、放っておいた私たちにも責任はあるだろう。だが元々の原因は私たちの親だろう。あるいは……」
「あるいは?」
いや、と兄は答えてくれなかった。
「どちらにせよ、ここにお前を愛してくれる人間はいない」
改めて突き付けられる現実にクロエは断崖絶壁に一人立たされているような心地になった。いっそこのまま飛び降りてしまって、孤独から解放されたい。
「誰かに愛されたいと望むなら、ここじゃない、別の場所で、別の誰かに望むしかない」
クロエが愛されたいと望む人間はたった一人だった。その望みも潰えた今、彼女はただ静かに暮らしたかった。
「言っておくが、修道院に入りたいという願いは聞き入れるわけにはいかない」
「……今までわたしを育ててきた意味がないから?」
「そうだ」
よくわかっているじゃないか、と兄の顔は笑っていた。
「両親のことで私たちに引け目を感じているのならば、すまないと思っているのなら、この家のためになる結婚をしろ。縁を作れ。それがお前にできることであり、役目だ」
兄の言うことは、もっともだと思った。衣食住に困ることなく、学校まで通わせてもらった。感謝して恩返しするのが道理だろう。
「だが困ったことは、母だ。彼女はおまえがアルベリク殿のもとへ嫁ぐことを決して許さないだろう」
あの人はいまだエリーヌが嫁ぐべきだと思っている。そしてエリーヌ自身も。
「いっそアルベリク殿がおまえの居場所を突き詰めた時、責任をとらねばならない身体にしてしまえばよかったのにな。彼は意外と律儀らしい。お前を心底愛しているということかもしれないな」
兄がエリーヌに伝えなかったのも、わざと傍観していたのも、問題を片付けるためだった。厄介者のクロエの行き先を。
「どうする、クロエ。自分の置かれた立場、今の私の考えを知って、おまえはどうしたい」
どうしたい。自由があるようで、実際選べる道はわずか……いや、一つだけだろう。
「お兄さまに、頼みがあります」
兄は片眉を器用に上げた。
「――わかった。では、そうしよう」
執務室に出向いたクロエは兄にたずねた。兄は熱心に書物をしていたが、彼女の質問にふと顔を上げた。
「お前の姉が実は一癖も二癖もある人間だということか?」
「……」
「知っていたさ。母上をわざわざ家へ呼び戻したのはエリーヌだぞ?」
そうなんだ、とクロエは思った。何も知らなければ、エリーヌはただ優しさから夫人を呼び戻したと言い返したことだろう。もう、今は信じることができなかったけれど。
「お兄さまは違うの?」
「私はいまさら戻ってきてもらっても困ると思っていた。実際面倒なことになっているしな」
兄の答えはいっそ薄情といえるほど淡白であった。そこに実母に対する憐れみや親子の情は感じられなかった。
「男と女は違うからな。私は確かに幼い頃お前の存在を許しがたく思っていたし、父のことを軽蔑もした。母を気の毒にも思えた」
だが次第にそれも変わったという。
「今ならば父がああいった愚かな行動をとった気持ちもわかる気がする。政略結婚で嫌々娶った母を愛せなかった理由も、必死に尽くそうとする母の態度を煩わしいと思った感情も。お前の母があっけなく死んだあと、何の未練もなくこの世を去った選択も」
「お兄さまも、結婚したらそうなるかもしれないってこと?」
「まさか、と言いたい所だが、結婚していない身では何とも言えないな。ただ今のところ、そんな面倒なことを起す気はないと言っておく」
兄はまだ結婚していなかった。なぜだろうと思っていたが、彼もまた両親の複雑な家庭環境に自分の人生を狂わされたのかもしれない。全うな道を歩んでいると思っても、健全な人間から見ればやはり歪な道筋を辿っているような。
「……わたしには、わかりません。わかりたくも、ない」
だろうな、と兄は特に反論もせず頷いた。
「お前の生い立ちを考えれば、そうなるのも自然なことだ」
自然なこと。
(わたしは、普通じゃないの?)
「お姉さまがああなったのも、わたしのせい?」
「さぁ、どうだろうな。お前にも原因があったかもしれないし、放っておいた私たちにも責任はあるだろう。だが元々の原因は私たちの親だろう。あるいは……」
「あるいは?」
いや、と兄は答えてくれなかった。
「どちらにせよ、ここにお前を愛してくれる人間はいない」
改めて突き付けられる現実にクロエは断崖絶壁に一人立たされているような心地になった。いっそこのまま飛び降りてしまって、孤独から解放されたい。
「誰かに愛されたいと望むなら、ここじゃない、別の場所で、別の誰かに望むしかない」
クロエが愛されたいと望む人間はたった一人だった。その望みも潰えた今、彼女はただ静かに暮らしたかった。
「言っておくが、修道院に入りたいという願いは聞き入れるわけにはいかない」
「……今までわたしを育ててきた意味がないから?」
「そうだ」
よくわかっているじゃないか、と兄の顔は笑っていた。
「両親のことで私たちに引け目を感じているのならば、すまないと思っているのなら、この家のためになる結婚をしろ。縁を作れ。それがお前にできることであり、役目だ」
兄の言うことは、もっともだと思った。衣食住に困ることなく、学校まで通わせてもらった。感謝して恩返しするのが道理だろう。
「だが困ったことは、母だ。彼女はおまえがアルベリク殿のもとへ嫁ぐことを決して許さないだろう」
あの人はいまだエリーヌが嫁ぐべきだと思っている。そしてエリーヌ自身も。
「いっそアルベリク殿がおまえの居場所を突き詰めた時、責任をとらねばならない身体にしてしまえばよかったのにな。彼は意外と律儀らしい。お前を心底愛しているということかもしれないな」
兄がエリーヌに伝えなかったのも、わざと傍観していたのも、問題を片付けるためだった。厄介者のクロエの行き先を。
「どうする、クロエ。自分の置かれた立場、今の私の考えを知って、おまえはどうしたい」
どうしたい。自由があるようで、実際選べる道はわずか……いや、一つだけだろう。
「お兄さまに、頼みがあります」
兄は片眉を器用に上げた。
「――わかった。では、そうしよう」
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