旦那様はとても一途です。

りつ

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第6話

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「今日の料理は美味しかったな」
「ええ。新しい料理人の方が来てくれたんです」

 彼はこのところ、私が誘わずとも積極的に話しかけてくれるようになった。夕食を済ませたら、さっさと書斎に引っ込んでいた彼が、私と同じ部屋で過ごそうとしてくれた。

「私はちっともあなたのことを知らなかったようだな」

 アルベルトに質問されるがまま、互いの家族や趣味趣向など、とりとめもなく話していたら、ふいに彼が沈んだ声でそう言った。

「そうですね」

 アルベルトの言う通りなので頷いたのだが、彼はますますしょんぼりと肩をおとした。事実なのだからそこまで落ち込む必要もないと思うのだが。私はやれやれと思いながら、夫のつむじに話しかけた。

「ですから、今日から罰として一つずつ私のことを知っていって下さい。それで許してあげます」

 アルベルトが弾かれたように顔を上げる。

「一つでいいのか?」
「ええ。夫婦なんですもの。これからずっと一緒にいるんですよ」

 私がそういうと、彼はぱあっと顔を輝かせた。なんだかリーゼロッテ嬢と話す時に抱いていた印象とだいぶ違う。

 彼女の前では、彼はまさに完璧な王子様であった。常にうっとりとするような甘い微笑を浮かべ、砂糖のような言葉をこれでもかと口にする。触れたら壊れてしまいそうな物として丁寧に、どこまでも優しく接する。

 それが、アルベルトのリーゼロッテ嬢に対する接し方だった。

 だが私には違った。というか王子様であったのは、お姫様の前だけであった。

 最初の頃、彼は私の前では怒ったような、不満そうな表情をして、遠慮なく文句を言った。かと思うと弱った姿を見せ、どちらかというと情けない部分をたくさん見てきた気がする。

 その彼がこんなにも嬉しそうに……。

 大いなる進歩である。リーゼロッテ嬢以外にも心を開いてくれた。ひょっとすると、あの舞踏会でリーゼロッテ嬢に会えたことが、彼にとって大いに生きる気力を与えてくれたのかもしれない。

 そう思うと、恋愛というものも馬鹿にはできない。今までの考えを改める必要があるかもしれないと、私は思い始めていた。

 だが完璧に夫婦になれたとは言い難いだろう。夜はいまだに別々に寝ているし、彼が甘い言葉を私に囁くこともない。

 主を失い、頑なに懐こうとしなかった飼い犬が、第二の主として自分をようやく認めてくれたような心情に近い。

 でも私はそれで十分だった。友人として、パートナーとしてこの屋敷を切り盛りできれば、それで満足だった。


「クラウディア」

 忙しくも、充実した日々を過ごしていたある日のこと、アルベルトが真剣な表情をして私に話しかけてきた。

 私ははいと縫物をしていた手を止めて、彼の方を見た。裁縫があまり得意ではない私だったが、アルベルトが何か作ってくれと言うので、頑張ってみることにしたのだ。

「どうしたんですか」
「私は、今まであなたに散々失礼な言葉や態度をとってきた。……本当にすまなかった」
「どうしたんですか」

 私はもう一度彼に聞いた。彼が素直に謝るなんて熱でもあるのかもしれない。そう思って腰を浮かせた私を、彼はむっとしたように見た。

「別に体調が悪いとか、そういうのではない。ただ、ずっと謝るタイミングを逃してしまって、ずるずると引き延ばしてしまったから、きちんと謝らなくてはと思っただけだ」

「……律儀に謝ってくれたので、もういいですわ」

 私が笑って言ってやると、アルベルトは見るからに安堵した表情を見せた。

 このところ妙に何か言いたげな視線で私を見ていたのはそういうことだったのかと、私は腑に落ちた。そんなこと今さら別に謝らなくてもよかったのに。

 たしかに一時はひどく腹も立ったが、今の彼はきちんと仕事に専念して、私とも向き合う努力をしている。それで私は満足だ。

「でも、リーゼロッテ様のことはもういいんですか?」

 ふと気になって尋ねてみると、彼は一瞬気まずそうに目を逸らし、ああと頷いた。

「もう、彼女のことはいいんだ」

 そう言うと、彼は口を閉ざしてしまい、私の方を見ようとしなかった。

 私はまだ彼がリーゼロッテ嬢のことを忘れられないのだなと悟った。表面上はいかに元に戻ったように見えても、彼の心はリーゼロッテ嬢のもとにある。

 だがリーゼロッテ嬢が結婚して前に進もうとしている以上、アルベルトも立ち止まっているわけにはいかないのだろう。

 いつまでも恋人ごっこに時間を費やしていられるほど、自分たちの立場は甘くないと彼らはようやく気づいたのだ。

 ここまでくると、私はなんだかアルベルトが心底可哀そうに思えてきて、彼と夫婦生活を送っていることが申し訳なく思えてきた。

 考えてみれば、愛がなくてもよいと思っているのは私だけで、アルベルトの方はそうは思わないだろう。

 妻を女として愛せないのならば、愛人を持てばいい。なんて当然のように今まで思っていたけれど、それは私がそういった家庭環境で育ったからこそ言えることだ。

 アルベルトは夫婦仲の良い、ごく普通の家庭で育ったはず。彼と私では家族や夫婦に対する価値観が全く違うのだ。

 そんなことに今さら気づくなんて。

 それにアルベルトはまだ若く、男性として女性を求めないはずがない。私はそのことに全く気づかないまま、今まで呑気に過ごしてきた。まあ、それどころではなかったということもあるけれど。

 でもやはり妻としてもう少し気を配るべきだったと、罪悪感がどっと押し寄せてくる。……今からでも何かするべきだろうか。

 けれど今さら私を妻として抱いて下さいと頼むのも、なんとなく気が引ける。

 そもそも彼は私を女として好いているのだろうか。リーゼロッテ嬢のことを考慮するに、もっと華奢な柔らかい女性の方が彼の好みにあっている気がした。

 いっそ、そのような女性をこちらで用意しようか?

 だが一途なアルベルトのことだ。彼女と似た誰かなど、かえって許さないのではないだろうか。そうだ。一途な彼のことだから、あえて誰も抱かないように努めているのかもしれない。

 その意志を私が壊してしまうのは、やはり彼を傷つけることになってしまう。だが我慢するのも健康にもよくないし、彼が気の毒だ。

 などと私が頭を悩ませているのを見計らったように、一通の手紙が舞い込んできた。

 差出人の名を見てはっとした。なんとリーゼロッテ嬢の兄上からだった。だが宛名は私あてになっている。

 いったいどういうことだろうと思いつつ、読んでみると、アルベルトに内緒でこっそり会って話をしたいというものだった。

 これはアルベルトとリーゼロッテ嬢のことに違いないと確信した。

 そしてそれは見事に的中する。

「一度だけでいいんです。アルベルトと妹を二人っきりで会わせてやってくれませんか」

 以前も述べたが、リーゼロッテ嬢の兄はルッツという名前で、彼女と同じ繊細な顔立ちをしている見目麗しい青年だ。

 娘を誑かそうとするアルベルトを嫌っていた両親と違い、ルッツの方は彼のことを友人として、妹の大切な婚約者として二人の仲を応援していたそうである。

 互いの両親が妨害する中、リーゼロッテ嬢にこっそりと会わせてやっていたのも、彼の手引きがあってこそ成功していたものらしい。

 アルベルトとは今でも仕事だけでなく、プライベートでの付き合いもあるそうだ。

 そんな彼が夫ではなく、妻の私をわざわざ訪ねてきたのはいったいどういうわけだろうかと疑問に思っていたのだが、どうやら私に頼みごとがあるらしい。ルッツは心痛な面持ちで話を切り出した。

「実は、リーゼロッテが体調を崩してしまって」

 アルベルトの心がいまだリーゼロッテ嬢のもとにあるように、彼女の方もまた彼のことをずっと想っていた。

 そして舞踏会で再会した時、彼女はどうしてもアルベルト以外は愛せないと確信したそうである。

 結婚しても頑なに夫を拒否し、とうとう体まで壊してしまった彼女に、今まで箱入り娘のように可愛がってきた彼女の両親と兄はついに折れた。

「リーゼロッテが里帰りをしている間に、アルベルトと会わせる。そのためにあなたの許可を得たいのです」

 かつての恋人たちが二人で再会する。それがどういう結果を招くのか、彼女の両親も考えないわけではなかっただろう。だが、娘の命と引き換えにするならば、致し方無しという結論らしい。

「奥方にこんなことを頼むなんて、失礼極まりないことだとは百も承知の上ですが……」

 夫と別の女性の逢引を認めて欲しい。わざわざ妻に許しを請うことなど普通はあり得ない話だ。ふざけないでよ! そんなこと許可するわけないでしょ! と夫を愛する妻としては青筋を立てて怒鳴る場面だろう。

 けれど私は良い機会だと思った。

 アルベルトとリーゼロッテ嬢がようやく一緒になれる。一途に想い続けてきた男として、本懐を遂げることができる。ならば彼の妻として、私は黙って見過ごしてあげよう。

 ただ疑問も残る。

「……どうして私の許可が必要なのでしょうか」

 アルベルトに話して、二人でこっそり会うようセッティングすればいいではないか。彼も喜んで私に内緒で出かけていくはずだ。私もわざわざ詮索するなどという無粋な真似はしない。

「もしもリーゼロッテの主人にばれた時、後であなたに口裏を合わせて欲しいからです。主人は私と仲良く屋敷にいましたと」

 なるほど。念には念を入れてというわけか。

「ちなみに私が断った場合はどうしたんですか」
「……それ相応の対価でどうにか納得してもらう予定でした」

 言うことを聞かないなら脅すというわけか。まあ、大切な妹の命がかかっているので、手段を選んでいる場合ではないのだろう。

「あなたにこんなことを頼むのは、重々失礼であるとは思いますが、絶対に二人はきちんともといた屋敷へと帰させます。だから、」

「わかりましたわ」

 ものの数分で了承した私を、リーゼロッテ嬢の兄は本当にいいのかと目を見開いた。

「いいんですか!?」

 自分から頼んでおいたのに、おかしな人である。

「ええ。かまいませんわ」

 ルッツはまだあんぐりと口を開けていたが、やがてどこか憐れむように私を見た。

「やはり、アルベルトと上手くいっていないんですね?」

 その質問には少し迷った。たしかに夫婦としてはかけている部分もあるが、だからといって毛嫌いする仲では断じて違う。

 なんと説明するべきか考えているうちに、リーゼロッテ嬢の兄は勝手に解釈したらしく、もう何も言わなくていいと目頭を押さえていた。

 これは確実に誤解させているなと思いつつ、面倒なのでそのままにしておくことにした。

 こうして私は、リーゼロッテ嬢とアルベルトとの逢瀬を手引きする提案を承諾したのだった。
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