ナタリーの騎士 ~婚約者の彼女が突然聖女の力に目覚めました~

りつ

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32.離れた彼女にできることは

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「ああ、聖女様。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「聖女様。今日はここまでにしましょう」
「ええ、わかりました」

 立ち上がろうとして、ナタリーは視界がぼやけた。

「っ……」
「ナタリー!」

 気づけばナタリーは、床に膝をついていた。

「大丈夫か、ナタリー」

 ゆっくりと顔を上げれば、他の医者たちや護衛騎士のオーウェンが心配そうにこちらを見ていた。

(あ、わたし……)

「ごめんなさい。少し、立ちくらみがしたようです」
「そんな。お力に影響はありませんか」
「ええ、大丈夫です。休めば問題ありません」

 ナタリーがそう言えば、彼らは露骨にほっとした表情を浮かべた。

「ささ、それではどうか早くお休みください」
「ええ、聖女様が一日でも休んでしまえば、みな困りますから」

 原因不明の病に罹って苦しむ人間は、目に見えて減った。それでも病人が途絶えることはない。どんな些細な傷でも、彼らはナタリーに診て欲しいと頼む。聖女の治癒能力が一番確実に治るからと。

「おい、大丈夫なのか」

 疲れて無口になっていたナタリーに、気づかわしげに声をかけてくるのは護衛騎士となったオーウェンである。彼女は後ろを振り返り、ええと微笑んだ。

「今日は昨日より大勢の人を診たから、そのせいでしょう。一晩休めば、何も問題ないわ」
「……自分自身に、力は使えないんだな」

 ぽつりと呟かれた言葉に、彼女は戸惑う。

(どういう意味かしら……)

 オーウェンは亡くなった妻のことがあっても、忠実に職務をこなしている。けれど二人の間には、もう以前のような気軽さや親しみはない。ナタリーもあえて、他人のように振る舞ってきた。それがオーウェンのためにもなるだろうと思って。

「……聖女だから、数時間の眠りでもすぐに回復するの」

 だから安心して。以前のように倒れて、役目を投げ出したりなどしない。

 ナタリーの言いたいことを読み取った彼は、なぜか傷ついた表情をする。

「違う。俺は……」

 言いかけて、結局彼は口を開こうとしない。かける言葉が見つからないのかもしれない。ナタリーもまた、これ以上幼馴染を苦しませるつもりはなかった。

「オーウェン。いいの。あなたのせいじゃない。わたしはわたしのやるべきことを、やるだけだから」
「ナタリー……」
「お休みなさい、オーウェン。明日もよろしくお願いします」

 長い螺旋階段を上りきった先が、ナタリーの休む場所だ。移ったばかりの頃は部屋の前まで付いて来て鍵をかけられたが、今はもう逃げないと判断されたのか、そこまで着いて来ない。

「ナタリー」

 けれど今日は、オーウェンが追いかけてきた。

「リアンが、隣国へ行くそうだ」

 ――リアン。

 ずっと忘れていた名前だ。いや、忘れようとして、心の奥底に押し込めた名前。何かの弾みで思い出してしまえば、胸が苦しくなって、とても辛くなるから。

(リアンが、隣国へ行く?)

「どういう、こと?」

 ナタリーは振り返り、震えそうな声でオーウェンにたずねていた。

「ユグリットが正式に我が国に援軍を要請してきた。詳しいことは俺もわからんが……おそらくそのことで、リアンは使者として向こうへ行くんだ」
「使者? リアンが?」

 彼はアリシアの護衛騎士だ。リアンのことをひどく気に入っている彼女が、彼を敵国へ、しかも緊迫した状況である国へ行くことを許したとは到底思えない。

「それはリアンが決めたことなの?」
「ああ。自ら進言したと」

(リアン……)

「……わかりました。教えてくれて、どうもありがとう」
「ナタリー!」

 もはやオーウェンの声は彼女の耳には聞こえてこなかった。

『ナタリー。おまえは俺が守るから』

 まさか、と思う。ユグリットへ行くのは、自分が関係しているからだろうか。あんなにきっぱりと突き放したのに、まだ諦めていないのか。

(リアン。どうして……)

 彼が一体何を考えているのか、ナタリーにはさっぱりわからない。けれど、どうか危険なことには巻き込まれないで欲しい。無事に帰ってきて欲しい。

(神さま。どうかリアンをお守り下さい)

 小窓から見える月にナタリーはそう願うことしかできなかった。

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