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70.共に背負う
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「あなたが王女殿下を殺すとは思いませんでした」
事があらかた片付き、後は他の人間に任せて少し休むとリアンが申し出た時、影のようについてきたジョナスが意外だったという口調で述べた。
「彼女だけは生かしておくと?」
「ええ。てっきりどこかの塔に生涯幽閉しておくかと……あるいは無理矢理でも王女殿下をユグリット国へ嫁がせるか」
リアンは声なく笑った。
「そんなの侵略する理由を与えるようなものだ」
父は家臣たちに殺されたと、王女がアレクシスに泣いて訴えたら、彼は愛する王妃の祖国のため、という大義名分を手に入れてラシア国の統治に介入してくるだろう。そうなっては今度こそお終いだ。
「幽閉しても、生きている限り、臣下の誰かが彼女を祭り上げて反逆を企てるかもしれない。それなら最初から殺した方がマシだ」
「不安要素は全て取り除くということですね」
「そうだ。それに、」
いや、本当はもっと別の理由。一番の感情があった。
「ナタリーをここまで苦しめた人間を、俺は誰一人として許せなかった」
だから殺したんだ、とリアンはつぶやいた。彼らが存在する限り、ナタリーは怯えて生きていかなくてはいけない。ならば、もう生かしておかなければよい。
「まだこれからですよ」
「わかってる」
やるべきことが山のようにある。一つずつ片付けていくしかない。
「少し休むから、もう行くぞ」
「眠れるんですか?」
「わからない。でも目を瞑っておくだけでも、違うから」
たぶん眠れはしないだろうと思った。なにせ国王と王女をこの手で殺したのだから。
ジョナスはリアンが手を下す必要はないと言った。臣下の誰かに息の根を止めさせればいいと。彼はリアンが一生罪悪感を抱えることを危惧していた。余計なものを背負うことを。
でも違うのだ。罪の意識なんてこれっぽっちも抱いていない。ナタリーを傷つけた彼らが許せなかった。のうのうと自分たちの幸せを優先する図太さが憎かった。報いを受けさせたかった。
(それだけなんだよ、ジョナス)
神にも等しい人間を殺したというのにリアンの足はしっかりと歩いている。夢を見ているような心地でも、頭の中は冴え冴えとしている。まるで――
「リアン」
一瞬、自分はやはり夢を見ているのだろうかと思った。自室の扉を開けた先、最低限の家具しか置いていない中で、彼女は行儀よく、背筋を伸ばして椅子に座っていた。
「ナタリー。なぜ、きみがここに……」
彼女は全てが片付くまで塔から出さないつもりだった。今となっては一番安全な場所だったから。そしてできれば――彼女だけには自分のしたことを知られたくなかったから。
「オーウェンに命令して、ここへ通してもらったの」
オーウェンの制止も聞かなかったというわけだ。けれどなぜ。困惑するリアンをよそに、ナタリーは椅子から立ち上がり、リアンのもとへ近づいてくる。一歩、あと一歩、
「っ」
触れようと手が伸ばされた瞬間、彼は後ろに大きくのけ反った。扉にぶつかる。かすかに目を瞠った彼女と視線がぶつかり、顔を逸らした。
「……ごめん。今日は帰ってくれ」
「どうして?」
「疲れているんだ。すまない。明日、時間を見つけて会いに行くから」
下手な言い訳である。もう少しましな理由もあっただろうに。けれど一刻も早く彼女を自分から遠ざけたかった。
「だから、」
「ごめんなさい、リアン。その頼みは聞けないわ」
柔らかな温もりに包まれる。ナタリーが自分を抱きしめていた。体格差があるので抱きしめるというより抱き着いた、という方が正確かもしれない。
「……ナタリー。離れてくれ」
「どうして?」
口を噤むリアンに、ナタリーが代わりに答えを述べる。
「国王陛下や王女殿下を、その手で殺したから?」
リアンの身体が小さく震えた。動揺を悟らせてはいけなかったのに、ナタリーには伝わってしまった。やっぱり、というように彼女は顔を上げた。
泣きそうな表情は浮かべていなかった。何の感情も読み取れない顔はリアンの罪をただ静かに追及しているようで、失望しているともリアンには見えた。それは何より彼を傷つけた。
「わたしを助けるため?」
「違う」
ナタリーのせいではない。
「いずれどこかで、こうなっていた。誰かがやっていた。きみのせいじゃない」
「……リアンは嘘が下手だね」
彼女は力なく笑って、リアンから離れた。気まずく、恐怖が這い上がってくる。
「きみにだけは、知られたくなかった」
どれだけ違うと説明しても、きっとナタリーは責任を感じるだろう。怖かった。そして実行に移したリアンに恐怖を抱くかもしれない。二人を己の手で殺したことに後悔はない。けれど今になってとんでもないことをしたという実感がわいてきて、手が震えそうになっている。復讐を果たしたというのにあまり満足感はない。もっと苦しませてやればよかったと思っている。
矛盾があり、混乱している。
自分にこんな凶暴で残酷な一面があるなんて初めて知った。まるで別の誰かに成り変わっていくようで気味悪く、心底恐ろしい。
「ナタリー。部屋に、帰ってくれ」
彼女だけには知られたくない。彼女だけには今までの自分を映し続けて欲しい。
「いいえ、あなたと一緒にいるわ」
いさせて、とナタリーはまたリアンに身体を寄せた。今度は縋るように。
「リアン。わたしはあなたに、わたしのためだという理由で重荷を背負って欲しくない。背負うなら、わたしも共に背負うわ」
リアンが背負った罪も一緒に背負う。
ナタリーの言葉にリアンは言葉を失う。彼女は関係ない。関係があったとしても、そんなことリアンは望んでいない。
「俺は、」
「何も知らないままでいればいいと、いて欲しいとあなたは願うけれど……それは確かに幸福かもしれないけれど、わたしは嫌だよ」
ナタリーは顔を上げる。青い瞳がリアンを強く射貫くように見つめる。
「わたしはあなたともう離れたくない。昔のように、ずっと一緒にいたい。だから……たとえ誰かを傷つける道でも、他に方法がないのならば、選ぶ覚悟をするわ」
「ナタリー……」
リアンは力が抜けたようにその場に座り込んだ。ナタリーも一緒になって落ちてゆく。けれど彼女はしっかりとリアンの背中に腕を回し、リアンを支えようとした。
力が足りなくてリアンの頭は彼女の胸に預ける形になったけれど、心臓の音が聞こえて、ナタリーが生きて自分のそばにいるのだと思って、いろいろな感情が胸に込み上げてきて、彼女を胸の中に引き寄せていた。
「ナタリー……そばに、いてくれるか?」
「うん」
当たり前じゃない、と彼女は少し怒ったように言った。声が涙で濡れていて、ありがとう、とリアンは小さくつぶやいた。
その夜リアンはナタリーを抱きしめて眠った。たった数時間。眠ったのか、眠れなかったのか、よくわからなかった。ただ腕の中にある確かな温もりがリアンを狂わせず、守ってくれた。
事があらかた片付き、後は他の人間に任せて少し休むとリアンが申し出た時、影のようについてきたジョナスが意外だったという口調で述べた。
「彼女だけは生かしておくと?」
「ええ。てっきりどこかの塔に生涯幽閉しておくかと……あるいは無理矢理でも王女殿下をユグリット国へ嫁がせるか」
リアンは声なく笑った。
「そんなの侵略する理由を与えるようなものだ」
父は家臣たちに殺されたと、王女がアレクシスに泣いて訴えたら、彼は愛する王妃の祖国のため、という大義名分を手に入れてラシア国の統治に介入してくるだろう。そうなっては今度こそお終いだ。
「幽閉しても、生きている限り、臣下の誰かが彼女を祭り上げて反逆を企てるかもしれない。それなら最初から殺した方がマシだ」
「不安要素は全て取り除くということですね」
「そうだ。それに、」
いや、本当はもっと別の理由。一番の感情があった。
「ナタリーをここまで苦しめた人間を、俺は誰一人として許せなかった」
だから殺したんだ、とリアンはつぶやいた。彼らが存在する限り、ナタリーは怯えて生きていかなくてはいけない。ならば、もう生かしておかなければよい。
「まだこれからですよ」
「わかってる」
やるべきことが山のようにある。一つずつ片付けていくしかない。
「少し休むから、もう行くぞ」
「眠れるんですか?」
「わからない。でも目を瞑っておくだけでも、違うから」
たぶん眠れはしないだろうと思った。なにせ国王と王女をこの手で殺したのだから。
ジョナスはリアンが手を下す必要はないと言った。臣下の誰かに息の根を止めさせればいいと。彼はリアンが一生罪悪感を抱えることを危惧していた。余計なものを背負うことを。
でも違うのだ。罪の意識なんてこれっぽっちも抱いていない。ナタリーを傷つけた彼らが許せなかった。のうのうと自分たちの幸せを優先する図太さが憎かった。報いを受けさせたかった。
(それだけなんだよ、ジョナス)
神にも等しい人間を殺したというのにリアンの足はしっかりと歩いている。夢を見ているような心地でも、頭の中は冴え冴えとしている。まるで――
「リアン」
一瞬、自分はやはり夢を見ているのだろうかと思った。自室の扉を開けた先、最低限の家具しか置いていない中で、彼女は行儀よく、背筋を伸ばして椅子に座っていた。
「ナタリー。なぜ、きみがここに……」
彼女は全てが片付くまで塔から出さないつもりだった。今となっては一番安全な場所だったから。そしてできれば――彼女だけには自分のしたことを知られたくなかったから。
「オーウェンに命令して、ここへ通してもらったの」
オーウェンの制止も聞かなかったというわけだ。けれどなぜ。困惑するリアンをよそに、ナタリーは椅子から立ち上がり、リアンのもとへ近づいてくる。一歩、あと一歩、
「っ」
触れようと手が伸ばされた瞬間、彼は後ろに大きくのけ反った。扉にぶつかる。かすかに目を瞠った彼女と視線がぶつかり、顔を逸らした。
「……ごめん。今日は帰ってくれ」
「どうして?」
「疲れているんだ。すまない。明日、時間を見つけて会いに行くから」
下手な言い訳である。もう少しましな理由もあっただろうに。けれど一刻も早く彼女を自分から遠ざけたかった。
「だから、」
「ごめんなさい、リアン。その頼みは聞けないわ」
柔らかな温もりに包まれる。ナタリーが自分を抱きしめていた。体格差があるので抱きしめるというより抱き着いた、という方が正確かもしれない。
「……ナタリー。離れてくれ」
「どうして?」
口を噤むリアンに、ナタリーが代わりに答えを述べる。
「国王陛下や王女殿下を、その手で殺したから?」
リアンの身体が小さく震えた。動揺を悟らせてはいけなかったのに、ナタリーには伝わってしまった。やっぱり、というように彼女は顔を上げた。
泣きそうな表情は浮かべていなかった。何の感情も読み取れない顔はリアンの罪をただ静かに追及しているようで、失望しているともリアンには見えた。それは何より彼を傷つけた。
「わたしを助けるため?」
「違う」
ナタリーのせいではない。
「いずれどこかで、こうなっていた。誰かがやっていた。きみのせいじゃない」
「……リアンは嘘が下手だね」
彼女は力なく笑って、リアンから離れた。気まずく、恐怖が這い上がってくる。
「きみにだけは、知られたくなかった」
どれだけ違うと説明しても、きっとナタリーは責任を感じるだろう。怖かった。そして実行に移したリアンに恐怖を抱くかもしれない。二人を己の手で殺したことに後悔はない。けれど今になってとんでもないことをしたという実感がわいてきて、手が震えそうになっている。復讐を果たしたというのにあまり満足感はない。もっと苦しませてやればよかったと思っている。
矛盾があり、混乱している。
自分にこんな凶暴で残酷な一面があるなんて初めて知った。まるで別の誰かに成り変わっていくようで気味悪く、心底恐ろしい。
「ナタリー。部屋に、帰ってくれ」
彼女だけには知られたくない。彼女だけには今までの自分を映し続けて欲しい。
「いいえ、あなたと一緒にいるわ」
いさせて、とナタリーはまたリアンに身体を寄せた。今度は縋るように。
「リアン。わたしはあなたに、わたしのためだという理由で重荷を背負って欲しくない。背負うなら、わたしも共に背負うわ」
リアンが背負った罪も一緒に背負う。
ナタリーの言葉にリアンは言葉を失う。彼女は関係ない。関係があったとしても、そんなことリアンは望んでいない。
「俺は、」
「何も知らないままでいればいいと、いて欲しいとあなたは願うけれど……それは確かに幸福かもしれないけれど、わたしは嫌だよ」
ナタリーは顔を上げる。青い瞳がリアンを強く射貫くように見つめる。
「わたしはあなたともう離れたくない。昔のように、ずっと一緒にいたい。だから……たとえ誰かを傷つける道でも、他に方法がないのならば、選ぶ覚悟をするわ」
「ナタリー……」
リアンは力が抜けたようにその場に座り込んだ。ナタリーも一緒になって落ちてゆく。けれど彼女はしっかりとリアンの背中に腕を回し、リアンを支えようとした。
力が足りなくてリアンの頭は彼女の胸に預ける形になったけれど、心臓の音が聞こえて、ナタリーが生きて自分のそばにいるのだと思って、いろいろな感情が胸に込み上げてきて、彼女を胸の中に引き寄せていた。
「ナタリー……そばに、いてくれるか?」
「うん」
当たり前じゃない、と彼女は少し怒ったように言った。声が涙で濡れていて、ありがとう、とリアンは小さくつぶやいた。
その夜リアンはナタリーを抱きしめて眠った。たった数時間。眠ったのか、眠れなかったのか、よくわからなかった。ただ腕の中にある確かな温もりがリアンを狂わせず、守ってくれた。
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