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69.王女の恋

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 何が起きているかわからなかった。

 ようやくリアンと結婚できると思った。彼は最後まで抵抗したけれど、やはりアリシアの手を取るしかなかった。邪魔な女ももういない。今度こそ、彼は自分を愛するしかなくなる。

 そう思っていたのに――

「お父様!」

 アリシアは悲鳴をあげ、父の元へ駆け寄っていく。うつ伏せになって倒れていた父を非力な力でどうにか仰向けにさせる。父は目を剥いて、何かを訴えかけるように口を開いていた。

(なんなの、これは、どういうことなの、どうしてお父様は動かないの、どうして、)

「だ、だれかお父様を、助けて、」

 顔を上げた。いつも顔を見るたび優しく、アリシアの喜ぶことばかり提案してくれる貴族たちがいた。彼らはなぜか項垂れて、後ろの騎士たちに身体を拘束されている。アリシアの方へは目を向けようともしない。

「ねぇ、だれか……お父様を……」
「国王陛下はもう死んでおられます」

 声の方を見る。ジョナスだ。彼がアリシアを見下ろしていた。薄っすらと笑みを浮かべているのに、その目はゾッとするほど冷たくて、アリシアは息を呑んだ。

 けれども彼の発した言葉に、うそだと怒りがわいてくる。

「ジョナス! おまえ、何を言っているの。いくらおまえでも、言っていいことと、悪いことがあるわっ」
「いいえ、嘘ではございません。私やこの場にいる騎士たちで国王陛下を殺そうと企てたのです」

 彼が言っていることを理解するのに数秒時間を要した。

「なにを、いっているの……? どうして、どうしてそのような恐ろしいことを……おまえたちは自分が一体何をしたのか、理解しているのですか」

 父を殺す? 国王である父を? それは即ち王家を滅ぼすということではないか? ――なぜ。アリシアにはいくら考えても理解できなかった。

 彼女は知らなかった。その日の暮らしもやっとな人間が必死で収めた税がすべて国王や大臣たちの享楽のために使われていることを。その一人に彼女自身も含まれていることを。自分が今まで贅沢な生活をできたのも、許された意味も、何一つ知ろうとしなかった。

「恥を知りなさい!」

 恐怖よりも怒りが身体を支配し、毅然とした態度で周りを取り囲む兵士たちを睨みつけた。そうして一人の騎士を彼女は見つけだした。

「リアン!」

 王女は歓喜した。彼こそ、自分を助けに来てくれたただ一人の味方であると。彼女は心からそう思い、「助けて!」と叫んだ。どうしてリアンがこの場にいるのか、彼の右手に握られている短剣が赤いのか、彼女が気づくことはなく、また気づいたとしても、深く考えることはしなかっただろう。

「お父様が、お父様が大変なの! どうか誰か……聖女を呼んで来て! 彼女なら、お父さまを救ってあげることができるはずだわ!」

 そうだ。あの女なら。以前と同じように父を救うことができる。ああ、彼女をユグリット国へ追いやる前でよかった。自分は本当に幸運だった。

「残念ながら陛下、ナタリーには死人を生き返らせる力はありません」

 彼女の治癒はあくまでも心臓が動いている者だけに通じる力であった。

(じゃあ、え? どういう、こと……)

「お父様はもう、死んでしまったの?」
「はい」

 アリシアはもう一度父の顔に視線を落とした。ラシア国の王で、アリシアの父。何でもアリシアの願いを叶えてくれた人。その人がもう死んだ。

「なんで、」

 アリシアは自制を失い、嘘だ、信じられない、という言葉を大声で喚いた。認められない。認めたくない。

「じゃああの女はっ、一体何のためにいるの!? 役立たず! 今まで散々面倒を見てきてやったのに!!」

 事実を受け入れらないアリシアにできることは、救える可能性があったかもしれないナタリーに八つ当たりすることだった。彼女は夢中だった。だからリアンがいつの間にか自分に近づいて、手にしていた短剣で自分の胸を突き刺すとは、到底信じられなかった。何が起こったのか、理解できぬまま、アリシアは悲鳴をあげた。

「どう、して。どうして、リ、アン」

 リアンは、真っすぐに自分を見下ろしていた。あれほど恋い焦がれていた騎士の眼差しが、今ようやく自分のみに注がれている。

 アリシアは震えそうなほど嬉しかった。刺された痛みを一瞬忘れてしまいそうになるほど歓喜した。彼女はそれほどまでにリアンに執着していた。彼を求める自分がいた。

 始めは他よりも見目麗しいという理由だけでそばに置いた。リアンは他の人間とは違った。アリシアに媚を売ろうとしなかった。アリシアの寵愛をいらないと拒否した。今までそんな人間は誰一人おらず、とても腹立たしかった。

 けれどそんなところも、惹かれる理由となった。もし自分が王女という身分ではなく、ただの平民であったら――そんな愚かなことを考えてしまうほどには、彼のことを好きになっていた。

 欲しかった。手に入れたかった。いつか彼も自分と同じものを返してくれると信じていた。

「リアン?」

 自分を見下ろすリアンの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。少なくともアリシアには、そう見えた。

「私は、何度もあなたに頼みました。ナタリーを救ってほしいと」

 ナタリー。あのどこにでもいるような平凡な女。ただ珍しい力を持っただけの聖女。リアンの愛を受け取る、忌まわしい女。

 そう、あんな女のために、アリシアの騎士はユグリットへ行くと申し出た。自分という然るべき相手がいながら、彼はあの女を選んだ。彼の全てをアリシアに捧げて、ナタリーを救おうとしたのだ。

 アリシアは許せなかった。消えてしまえ、と思った。なぜ彼は――

「どうして、おまえはあの女を選ぶの。わたしを、みないの。あの女のどこに」

 守る価値があるというの――
 アリシアは血を吐きながら、愛する男に言った。

「だから、俺はあなたを殺すのです」

 リアンは静かな口調で答えた。言い訳を聞かない小さな子どもを諭すように。

「こうなってしまったのは、決してあなただけの責任ではないでしょう。――それでも俺はあなたを許せない。許すことはできない。許してしまえば、ナタリーはいつまでも安心して暮らせない」

 だから、とリアンは最期の止めを刺すべく、アリシアの細い首に手をやった。男性にしては綺麗な手。けれど騎士としての鍛錬を積み重ねてきた努力の手が今自分の首を絞めている。殺そうとしてる。

「俺は忘れない。あなたを殺して、ナタリーを守ったということ。それが、俺のせめてもの償いです」

 アリシアは目を見開きながら、目の前の美しい男を見つめていた。愛した男。その男の手で、命を奪われる。なぜか喜びすら、アリシアは感じた。

(だって、わたくしは愛されない。リアンが愛しているのは――)

 青い目をした、儚げな微笑を浮かべた女が瞼に浮かび、アリシアの意識は閉じた。齢十六の命であった。

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