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68.神殺し

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「リアン。そなたがアリシアとの結婚を引き受けてくれたこと、まことに嬉しく思う」
「いいえ、陛下。私にとっても、王女殿下のような素晴らしい女性の伴侶に選ばれることは身に余る褒賞でございます」

 リアンはアリシアとの結婚を了承した。もちろん王家からの勧めとあっては断ることもできず、受け入れるしかなかったのだが、国王からすればリアンは喜んで娘を貰い受けたということにしたいのだ。もちろん王自身もアリシアのような立派な娘と結婚したがらない男などいないと思っている。

 リアンがかつてナタリーの婚約者であったことなど、もう遠い過去の話であった。

「しかし、アリシアはまだ来ないのか……せっかく今日の主役だと言うのに」

 二人の結婚が決まったことを祝って宴を開く。そのような流れになっていた。

「きっと準備に手間取っていらっしゃるのでしょう。王女殿下は美しい方ですから似合うドレスがたくさんある。衣装係は一着に絞りきれず、頭を悩ませているはずです」

 リアンに褒められ、王は満更でもなさそうな顔をする。

「ああ、そうだろう。なにせあの子は我が王妃の娘であるからな」
「ええ、本当にその通りでありましょう。ですが私の目から見ると、陛下にもよく似ていらっしゃる」
「そうか? はは、どうだろうな……」

 普段あまりそのようなことを言わないリアンから褒められた国王はさすがに少々気恥ずかしくなったのか、近くにあったグラスに手を伸ばした。国王が好んでよく飲むという美酒。それを彼はぐいっと仰ぐように飲んで――

「ぐっ……」

 グラスが王の手から離れ、中の酒が衣服や床に飛び散った。その様はまるで血を吐いたようで、近くにいた貴族たちが「陛下!?」と声を上げて立ち上がる。

「あ、あ……」

 国王は苦悶の表情を浮かべ、自らの太い首をかきむしった。爪が皮膚へと食い込み、血が滲んでくる。

「陛下。どうか悪く思わないで下さい」
「りあん、これ、は……」

 舌が痺れて上手く話せないようで、国王はただ驚愕した顔でリアンを見つめることしかできない。酒に含まれていた毒はやがて全身に回るだろう。力が抜けるように王は床へ膝をつき、手をついた。その姿はまるで懺悔するようにも見えた。

 謝る相手はここにはいなかったけれど。

「大丈夫です、陛下。あと少しだけ、あなたは生き永らえることができます」

 苦しみにもがきはしても、すぐに死ぬことはできない。じわじわと己の身体が蝕まれていき、死へ届くまでの恐怖を味わう時間はきちんと配慮されていた。

「リアン! 貴様!」

 国王に代わって重臣の一人がリアンを捕えるよう命じた。彼の声に応えて、警護に当たっていた騎士たちがこちらへ駆け寄ってくる。

「なっ、何をしておる!?」

 けれど彼らが捕えたのは声を上げた貴族――ナタリーに散々命を救われておきながら、彼女を他国へ追いやることに賛同した恩知らずな人間たちだった。

「や、やめろ!」
「貴様ら、自分たちが何をしているのかわかっているのか!?」
「――ええ、ご心配には及びません」

 黒いローブを身に纏ったジョナスが進み出て、この場には似つかわしくないひどく落ち着いた口調で答えた。

「ジョナス! これは貴様の仕業か!」
「はい。私と、あなた方以外の総意です」
「貴様のような人間が今ここにいるのは全て陛下と王女殿下の慈悲があったからだぞ! それをこのような形で返すとは何たることか! 恥を知れ!」

 宰相を務めていた男が恥辱で顔を赤く染め上げ、ジョナスを罵倒する。それにジョナスは初めて声を立てて笑った。

「あなたからそのようなことを聞くとは思いませんでした」
「どういうことだ!」
「さぁ、心当たりがないのならば、あなたもまた私と同じ恩知らずな人間だったということでしょう」

 そうは思いませんか、リアン。
 ジョナスの問いかけに、リアンへと視線が集まる。

「リアン、貴様もだ……アリシア様のお心を奪っておきながらこの仕打ち……」
「そうだ! たかが騎士風情の小僧が!」

 彼らはリアンがアリシアを誑かして篭絡させたと思っている。誰もリアンの心中など気にかけなかった。だからリアンも彼らの命がどうなろうが知ったことではない。妻や息子の病を真っ先にナタリーに治してもらっておきながら、あっさりと彼女を切り捨てる恩知らずなど助ける道理はない。

「ジョナス。早く片付けろ」

 相手にせず淡々と殺す指示を出すリアンに彼らの顔色が変わった。

「ま、待て! 今の言葉は取り消す! わしが悪かった!」
「私たちには陛下を止める術がなかったのだ」
「王女殿下には、我々も思う所があった。これからはお前たちの言うことにも耳を貸そう!」

 だからどうか殺さないでくれ! 助けてくれ!

 命を前に彼らは簡単に自身の考えを翻す。仕えていた主の咎をあげつらう。
 その様を醜く思う。

「宰相閣下。他の皆様もどうかご安心ください。あなた方への処刑はきちんと罪状を述べた上で改めて実行させていただきます」

 ひっ、と声なき悲鳴を上げ、その場から逃げ出そうと全員が暴れ始めた。死にたくないという思いは時に思いもよらぬ力を発揮させる。鍛えられた騎士の拘束から逃れ、重臣の一人が恥も外聞もなく駆け出した。

「捕まえろ」

 その場で斬り殺しても構わん、とジョナスが命じると騎士は了承して後を追った。

「り、あん」

 ラシアの国王はまだ生きていた。舌の痺れが収まってきたのか、必死に何かを伝えようとしている。

「りあん、どうか、どうかアリシアだけは……むすめの、いのちだけは、」

 リアンの足に縋りつき、まるで物乞いのように見上げる姿。華やかな王の姿はどこにもない。ただ娘の命を助けて欲しいと懇願する憐れな父親の姿がリアンの目には映っていた。

「陛下。私も同じ思いだったのですよ」

 国王の目が大きく見開く。父親である彼はこの時、青年が娘をどうするか悟った。だからそれだけはどうか、と声を上げようとした。

「あ、」

 けれど、ここまでであった。王は抵抗らしい抵抗もできぬまま、狼に追いつめられた兎のように、ふるりと震えてその命を終えた。実にあっけない最期だった。

 国王が息絶えた瞬間を自身の目で見届けた重臣たちは信じられぬような、諦めたような、引き攣った顔を晒した。彼らが次に抱くのは恐怖だ。己も王のように殺されるのかという絶望だ。

「……お父様?」

 そうして水を打ったように静まり返った宴の席に、王女の声だけが響き渡った。

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