悪いお姫様は飼っていた犬に飼われる

りつ

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最低最悪な思いつき

 ヴェストリス国の宮殿。長い廊下をロゼリアは数人の飼い犬を伴ってゆったりと歩く。

「あぁっ、おやめください」

 廊下の端で使用人がぶたれていても、他の者たちは見向きもしない。
 ヴェストリス国の王宮ではそんなこと、日常茶飯事だからだ。

「なんだ。お前は私にそんなことを言える立場なのか」
「ひぃっ」

 男は何の躊躇いもなく、手慣れた様子でまだ年若い娘に手を振り上げようとしたが、ロゼリアの気配に気づくと、ぎくりとした様子でその手を後ろへ隠した。

「こ、これは王女殿下! 本日も大変見目麗しく……」

 ロゼリアは返事をせず、ただ微笑を返して通り過ぎた。後ろで男はほっとしたことであろう。そして粘ついた、卑しい視線を自分の背中に注いでいるのがわかる。

(あの男がこの前、お父様に媚を売って爵位をもらった人間ね)

 確かシモーニ男爵とか言ったはずだ。麻薬の密売に関わっているなどの黒い噂がたくさんある。

(そんな人間に爵位を与えるなんて……いや、だからか)

 自分たちも愉しむために、少しでも融通してもらうために仲間にしたのだ。

 本当にこの国は腐っている。……でもそれは、自分も同じだ。

「ごきげんよう、お父様」

 見張りの兵に扉を開けさせて中へ入ると、華美な服装に身を包んだ人間たちが一斉にこちらを見た。

「ロゼリア。何用だ」
「何用だなんて、つれないことをおっしゃらないで。わたくしも仲間に入れてもらおうと思ったのですよ」

 ロゼリアの言葉に金髪の青年――ロゼリアとは半分だけ血の繋がった異母兄のミケーレがにやついた表情で言った。

「ロゼリア。お前、またお気に入りを増やすつもりか?」

 ロゼリアはこれまでも父や兄、廷臣たちが遊んでいた犬を横取りしたことが度々あった。

「どんな犬か、確かめに来たのです」
「やめておけ。今度のはお前の好みから外れるぞ」

 ロゼリアの犬はみな線が細く、可憐で儚い雰囲気を纏っている者ばかりだ。

「どんな子ですの」

 ロゼリアは好奇心を隠せない様子で近寄る。
 気色悪い笑みを浮かべた貴族たちが脇にどき、ロゼリアに道を譲る。

「ほら、挨拶をしろ。王女殿下のご登場だ」

 黒を基調としたレオーネ国の軍服は泥で汚れ、所々擦り切れていた。大柄の身体を手負いの獣のように丸めて、荒い息を吐いている。ロゼリアがここへ来るまでに散々痛めつけられたのが見て取れた。

「聞こえなかったのか? 挨拶しろと言ったんだ」

 命令を無視されて腹が立ったのか、ミケーレのお気に入りの侍従が手にしていた鞭を振るおうとする。ロゼリアはその前に床に蹲る黒髪の男に話しかけた。

「顔を見せて」

 第三者の声、女の声が珍しかったのか、男が一瞬身体をピクリと震わせた。そして黒いグローブを嵌めた拳に力を籠め、顔をゆっくりと上げる。

 二人の視線が交わり、ロゼリアは一瞬時が止まったように感じた。強い眩暈にも襲われた。頭が急に鋭く痛み――

「ロゼリア?」

 ミケーレが不審に思って声をかけるがロゼリアは耳に入らず、目の前の男から目が離せなかった。

 みすぼらしいなりの男の顔が思いのほか端正だったからだろうか。

 あるいは、理不尽に痛めつけられたにも関わらず、未だ激しい怒りと強い感情をうっすらと青みがかった灰色の瞳に宿していたからかもしれない。

「この男が……」
「そうだ。この犬のように這いつくばっている男はな、クラウディオ・バルトリ。由緒正しい公爵家のお坊ちゃんで、レオーネ国の将軍サマらしいぞ」

 レオーネ国。ヴェストリス国が事あるごとに因縁をつけては国境の領土を侵したり、人攫いをしている国の名前だ。レオーネ国もやられっぱなしではいられないと兵を派遣して、住民たちの厳重な警護に当たっていたはずだが――

「将軍が、捕まったの?」

 ミケーレが愉快でたまらないといった様子で捲し立てる。

「そうだ。逃げ遅れた住民や捕虜となった兵たちの代わりに、自分の身柄を交換条件に解放することを願ったんだ。くくっ。馬鹿だよなぁ」

 兄は高潔な人間を虐めるのが愉しくてたまらないのだろう。

 兄だけじゃない。この部屋にいる誰もがレオーネ国の若く輝かしい将軍の無様な姿を愉快に思っている。

 ロゼリアはそんな彼らを一瞥したが、またクラウディオへと視線を戻した。

 クラウディオもまた、ロゼリアを鋭く見ていた。それをよく思わなかったのは周りの人間だ。

「野良犬風情が姫様をじろじろ見るな!」

 背中に容赦なく鞭が打ちつけられ、クラウディオの顔が歪む。

「おい。血が飛ぶだろう。ロゼリアは醜悪なものが死ぬほど嫌いなんだ」

 妹に気遣ったつもりでミケーレが口を挟む。ロゼリアの方を見ると、ニヤリと笑った。

「わかっただろう、ロゼリア。この男はお前の好みから外れる。またいいのが入ってきたらプレゼントしてやるから、今回は大人しく――」
「お兄様。わたくし、彼が欲しいわ」
「何だって?」

 ミケーレは呆気にとられ、他の者たちも驚きを隠せなかった。

「ロゼリア。何を考えている」

 ただ両脇と足元に裸に近い愛人を侍らせた父――レオーネ国のダニーロ国王だけが、狼狽えた様子なくロゼリアに問いかける。

「だって、可愛いじゃありませんか」
「可愛いだって?」

 ミケーレの素っ頓狂な声にええ、と返事してやりながら、ロゼリアはクラウディオに近寄り、血と泥で汚れた頬に触れた。何日も風呂に入らせてもらっていないのだろう。すえた臭いがして、酷い有様だ。

 そんな男にロゼリアが自ら手を伸ばして触れたことは、今までの彼女の趣味趣向からは考えられないことだった。

「おい、ロゼリア……お前、正気か?」
「正気ですわ、お兄様」

 ロゼリアはクラウディオの目を見つめたまま答える。彼も、ロゼリアから目を逸らさない。初めて見る女の瞳はさぞ不気味で、また自分を飼おうとしている状況に嫌悪感でいっぱいだろうに。

(怯えているようには見えない。わたしが女だから? 殺してやるって思っているのかしら)

 それとは違う気もしたが、ロゼリアには彼が考えていることを読み取ることはできなかった。

 でも、自分を身代わりにしてまで他者を助けようとしたこと。理不尽な暴力を振るわれ、侮蔑の言葉と眼差しを投げかけられても、未だ屈していない強さがあるのは確かだ。

 そして彼を見た時に生じた頭痛と――……。

(もしかすると、彼になら――)

「お兄様。わたくしもたまには違う犬種を飼ってみたくなりましたの」

 ヴェストリス国の我儘な王女はいつだって気紛れに最低最悪なことを思いつくのだ。

「この気高き憐れな人は、わたくしの奴隷――飼い犬にしますわ」

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