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1.馬鹿王子
「メイベル。どうかこの通りだ!」
みっともなく頭を下げる男。眩い金色の髪は窓から差し込む光によってさらに輝き、顔を伏せているので見えないが、ほんのりの目尻が下がった緑の瞳も、スッと通った鼻筋も、薄い唇も、完璧なパーツとして男の美貌を引き立てていた。けれど、今はその美しい青年が自分にみっともなく、恥を晒すようにして頭を下げている。
(はぁ……)
こんな男が一国の王子で、自分の婚約者だなんてメイベルは情けないったらありゃしない。
(ま、それも元婚約者になりそうなんだけど)
突然執務室に呼び出したかと思えば土下座する勢いで頭を下げた婚約者、グランヴィル国第一王子のサイラスは何も言わないメイベルに一人話し続ける。たぶんメイベルが何か言う前にすべて言ってしまおうという魂胆なのだろう。
「お前が昔からこの国のためによーく仕えてきてくれたのはわかっている。亡くなった母上の子である俺の地位を盤石なものにするために聖女であるお前が選ばれたことも本当に、よーくわかっているつもりだ」
だが! とサイラスはがばっと勢いよく顔を上げた。まるでここからが重要なのだというように。
「俺には、心の底から愛する女性がいる。結婚するからには、ぜひとも、何が何でも! 彼女を選びたい! だからどうか! お前には俺との結婚を諦めて欲しい!!」
言いたいことを言い切ってしまい、シーンとした静寂が訪れる。耐え切れなくなったサイラスが恐る恐るといった体で自分の顔をうかがう。
「えっと、メイベル? 何か言ってくれると助かるんだが……」
「なにか、ですか……」
ごくりとサイラスが唾を飲み込む。
メイベルは一歩、サイラスへと近づく。背が高く、すらりとした体つきに、青みがかった黒の髪は背中まであり、彼女がそっと動くたびにさらさらと揺れた。髪の色と同じ目は大きく、ふっくらとした厚めの唇は赤く、勝気そうな印象を与えるものの、その微笑みは見た者を勇気付けることであろう。
聖女に相応しい容姿を持つ彼女は、その内面もまさしく聖女のように慈悲深く、王子の突然の婚約解消の頼みにも快く応じる――
「この馬鹿王子! いったい何考えてるの!!」
ことはできなかった。王子の胸倉を掴み、メイベルは力の限り彼を揺さぶった。
「私がこれまでどんな思いで王妃教育を耐えてきたと思ってるの! あんたの目は節穴なの? 馬鹿なの!? 頭の中ふわっふわの綿がつまってるんじゃない!? やっぱり馬鹿なんでしょう!」
「お、落ち着いてくれ、メイベル……!」
「これが落ち着いてられるか!!」
シャーと髪を逆立て、一国の王子を馬鹿よばわりするのは自分くらいだろう。
(でも今回ばかりは許せない!)
「よりにもよって何で式の一週間前にそんな大事なことを打ち明けるのよ!!」
そう。一週間前だ。自分とサイラスの結婚式は。
「それを今さら愛した女性がいるから別れて欲しい? 結婚を諦めて欲しい? あんたって王子はほんっとに……」
怒りで言葉が出てこない、というのは本当にあるのだ。わなわなと肩を震わせ、憎々しげに目の前の王子を睨みつけるメイベルの顔は聖女ではなくかつて国を滅ぼさんとした魔王のようであろう。ひっ、とサイラスがたまらず一歩が下がり、待て待てと手を上げる。
「い、今さらじゃないんだ。幼少の頃からずっと会ってて、それで……」
「ならもっと早く言え!!」
「ごめんなさい!!」
大声を出し続け、メイベルははぁはぁと荒い息を吐き、やがてこめかみを押さえながら深々とため息をついた。
「いい? これは私とあなただけの問題じゃないのよ? 国中の問題なのよ?」
メイベルは聖女として、教会の保護を受けている。結婚するからには教会が後見人となる。
「私とあなたが結婚するってことは、教会があなたを陛下の正式な後継者として認めるということ」
サイラスがまだ十歳の時、彼の母親であったクレア王妃は病気で亡くなってしまった。その後王は新しい妃を娶り、第二王子のケインが生まれた。次の王となる継承権は先に生まれたサイラスにあるが、ケインが成長するにつれて彼を王にと推す派閥も現れている。
「あなたのお母様が私を妃に、と望んだのは、あなたの不安定な立場を心配してのこと……」
クレア王妃はもともと身体が丈夫な方ではなかった。病に罹った時も、自分の生い先が長くないことを理解していたのだろう。
――メイベル。どうかわたくしの最後の我儘を聞いて下さい。妃となって、あの子を支えてあげて……。
最期まで王妃は息子の行く末を心配していた。王妃の気持ちを受け取り、メイベルは懸命に王妃となるべく自身を磨いてきた。すべては王妃の願いを叶えるため。サイラスをこの国の王とするため。
(それなのにこの馬鹿息子は……!)
「そ、そう睨むなよメイベル……」
「睨まれるくらい、我慢しなさいよ。本当ならあんたを八つ裂きにしてやりたいくらいなんだから」
にっこりと微笑んで殺気を放てば、ひぃっとサイラスは背筋を震わせた。一国の王子に対して何とも不敬な物言いだが、この場には自分と彼だけであり、また二人の長い付き合いゆえ、許されていた。
「はぁー……それで? この後はどうするつもりなの?」
「へ?」
その間抜け面にイラッとした。
「へ? じゃないわよ! あんたまさか私が許せばそれで丸く収まるとか簡単に考えてたんじゃないでしょうね!?」
「え、いや、でも、お前は聖女だし……」
どうやら何も考えていないサイラスに呆れを通り越して頭が痛くなってきた。
「あのねえ……たしかに私は聖女だけど、その実教会に従う立場でしかないのよ?」
そう。聖女といってもしょせんは十八の小娘。衣食住もすべて教会が用意してくれて、その代わりにメイベルは彼らの操り人形として働いてきた。
「教会だって慈善事業じゃない。私がゆくゆくは王妃となり、私とあなたの子どもが次代の王となることを見越したからこそ、今まで大切に育ててきたの。それが今さらできないなんて言われたら、カンカンに怒るに決まってるじゃない」
教会は隙あらば政治に口を出し、この国の政権を裏から握りたいと思っている。その絶好の機会が潰されたのだ。
「真実の愛だなんて馬鹿げたことを言って婚約破棄したあなたを彼らは決して許さないでしょうね」
サイラスとしては穏便に、婚約を解消する予定だったのかもしれない。メイベルさえ応じてくれれば、どうにかなると。でも、メイベルの意思なんて関係ない。教会は絶対に、何が何でも認めようとしないだろう。
「もしかしたら第二王子のケイン様を王にと推すかもしれないわ」
「そ、そんな……」
「今の王妃様のご実家は教会の遠縁。可能性は十分あり得る話よ」
むしろ今までサイラス側に立っていたこと自体奇跡みたいなことだったのだ。
「お、俺はどうすれば……」
真っ青になる王太子に、はぁとメイベルはもう一度ため息をついた。
「それで? あなたが心の底から愛しているという女性は一体どこの誰なの?」
サイラスは執務室の隣、仮眠室へと視線を向けた。メイベルがつられてそちらを見ると、待っていたかのように扉が開き、王子と同じく蒼白な顔をした美しい少女が立ち竦んでいた。
みっともなく頭を下げる男。眩い金色の髪は窓から差し込む光によってさらに輝き、顔を伏せているので見えないが、ほんのりの目尻が下がった緑の瞳も、スッと通った鼻筋も、薄い唇も、完璧なパーツとして男の美貌を引き立てていた。けれど、今はその美しい青年が自分にみっともなく、恥を晒すようにして頭を下げている。
(はぁ……)
こんな男が一国の王子で、自分の婚約者だなんてメイベルは情けないったらありゃしない。
(ま、それも元婚約者になりそうなんだけど)
突然執務室に呼び出したかと思えば土下座する勢いで頭を下げた婚約者、グランヴィル国第一王子のサイラスは何も言わないメイベルに一人話し続ける。たぶんメイベルが何か言う前にすべて言ってしまおうという魂胆なのだろう。
「お前が昔からこの国のためによーく仕えてきてくれたのはわかっている。亡くなった母上の子である俺の地位を盤石なものにするために聖女であるお前が選ばれたことも本当に、よーくわかっているつもりだ」
だが! とサイラスはがばっと勢いよく顔を上げた。まるでここからが重要なのだというように。
「俺には、心の底から愛する女性がいる。結婚するからには、ぜひとも、何が何でも! 彼女を選びたい! だからどうか! お前には俺との結婚を諦めて欲しい!!」
言いたいことを言い切ってしまい、シーンとした静寂が訪れる。耐え切れなくなったサイラスが恐る恐るといった体で自分の顔をうかがう。
「えっと、メイベル? 何か言ってくれると助かるんだが……」
「なにか、ですか……」
ごくりとサイラスが唾を飲み込む。
メイベルは一歩、サイラスへと近づく。背が高く、すらりとした体つきに、青みがかった黒の髪は背中まであり、彼女がそっと動くたびにさらさらと揺れた。髪の色と同じ目は大きく、ふっくらとした厚めの唇は赤く、勝気そうな印象を与えるものの、その微笑みは見た者を勇気付けることであろう。
聖女に相応しい容姿を持つ彼女は、その内面もまさしく聖女のように慈悲深く、王子の突然の婚約解消の頼みにも快く応じる――
「この馬鹿王子! いったい何考えてるの!!」
ことはできなかった。王子の胸倉を掴み、メイベルは力の限り彼を揺さぶった。
「私がこれまでどんな思いで王妃教育を耐えてきたと思ってるの! あんたの目は節穴なの? 馬鹿なの!? 頭の中ふわっふわの綿がつまってるんじゃない!? やっぱり馬鹿なんでしょう!」
「お、落ち着いてくれ、メイベル……!」
「これが落ち着いてられるか!!」
シャーと髪を逆立て、一国の王子を馬鹿よばわりするのは自分くらいだろう。
(でも今回ばかりは許せない!)
「よりにもよって何で式の一週間前にそんな大事なことを打ち明けるのよ!!」
そう。一週間前だ。自分とサイラスの結婚式は。
「それを今さら愛した女性がいるから別れて欲しい? 結婚を諦めて欲しい? あんたって王子はほんっとに……」
怒りで言葉が出てこない、というのは本当にあるのだ。わなわなと肩を震わせ、憎々しげに目の前の王子を睨みつけるメイベルの顔は聖女ではなくかつて国を滅ぼさんとした魔王のようであろう。ひっ、とサイラスがたまらず一歩が下がり、待て待てと手を上げる。
「い、今さらじゃないんだ。幼少の頃からずっと会ってて、それで……」
「ならもっと早く言え!!」
「ごめんなさい!!」
大声を出し続け、メイベルははぁはぁと荒い息を吐き、やがてこめかみを押さえながら深々とため息をついた。
「いい? これは私とあなただけの問題じゃないのよ? 国中の問題なのよ?」
メイベルは聖女として、教会の保護を受けている。結婚するからには教会が後見人となる。
「私とあなたが結婚するってことは、教会があなたを陛下の正式な後継者として認めるということ」
サイラスがまだ十歳の時、彼の母親であったクレア王妃は病気で亡くなってしまった。その後王は新しい妃を娶り、第二王子のケインが生まれた。次の王となる継承権は先に生まれたサイラスにあるが、ケインが成長するにつれて彼を王にと推す派閥も現れている。
「あなたのお母様が私を妃に、と望んだのは、あなたの不安定な立場を心配してのこと……」
クレア王妃はもともと身体が丈夫な方ではなかった。病に罹った時も、自分の生い先が長くないことを理解していたのだろう。
――メイベル。どうかわたくしの最後の我儘を聞いて下さい。妃となって、あの子を支えてあげて……。
最期まで王妃は息子の行く末を心配していた。王妃の気持ちを受け取り、メイベルは懸命に王妃となるべく自身を磨いてきた。すべては王妃の願いを叶えるため。サイラスをこの国の王とするため。
(それなのにこの馬鹿息子は……!)
「そ、そう睨むなよメイベル……」
「睨まれるくらい、我慢しなさいよ。本当ならあんたを八つ裂きにしてやりたいくらいなんだから」
にっこりと微笑んで殺気を放てば、ひぃっとサイラスは背筋を震わせた。一国の王子に対して何とも不敬な物言いだが、この場には自分と彼だけであり、また二人の長い付き合いゆえ、許されていた。
「はぁー……それで? この後はどうするつもりなの?」
「へ?」
その間抜け面にイラッとした。
「へ? じゃないわよ! あんたまさか私が許せばそれで丸く収まるとか簡単に考えてたんじゃないでしょうね!?」
「え、いや、でも、お前は聖女だし……」
どうやら何も考えていないサイラスに呆れを通り越して頭が痛くなってきた。
「あのねえ……たしかに私は聖女だけど、その実教会に従う立場でしかないのよ?」
そう。聖女といってもしょせんは十八の小娘。衣食住もすべて教会が用意してくれて、その代わりにメイベルは彼らの操り人形として働いてきた。
「教会だって慈善事業じゃない。私がゆくゆくは王妃となり、私とあなたの子どもが次代の王となることを見越したからこそ、今まで大切に育ててきたの。それが今さらできないなんて言われたら、カンカンに怒るに決まってるじゃない」
教会は隙あらば政治に口を出し、この国の政権を裏から握りたいと思っている。その絶好の機会が潰されたのだ。
「真実の愛だなんて馬鹿げたことを言って婚約破棄したあなたを彼らは決して許さないでしょうね」
サイラスとしては穏便に、婚約を解消する予定だったのかもしれない。メイベルさえ応じてくれれば、どうにかなると。でも、メイベルの意思なんて関係ない。教会は絶対に、何が何でも認めようとしないだろう。
「もしかしたら第二王子のケイン様を王にと推すかもしれないわ」
「そ、そんな……」
「今の王妃様のご実家は教会の遠縁。可能性は十分あり得る話よ」
むしろ今までサイラス側に立っていたこと自体奇跡みたいなことだったのだ。
「お、俺はどうすれば……」
真っ青になる王太子に、はぁとメイベルはもう一度ため息をついた。
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