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12.違和感の正体
次の日目が覚めると、ハウエルはすでに隣にいなかった。今何時だろう、と壁にかけられた時計を見て、メイベルはぎょっとする。
(もうこんな時間なの……?)
時刻はすでに昼近い。こんなにぐっすり寝たのは生まれて初めてかもしれない。おかげで身体中、あちこち痛い。
呼び鈴を鳴らすと世話係の侍女がやって来て、何も言わず、ただ命じられたとおりにメイベルの夜着を脱がせ、白いシャツに落ち着いた青色のスカートを着せてくれた。その間、何も言われなかったし、何も聞かれなかった。
(……やっぱり、昨日のあれはカウントされない、ということかしら?)
メイベルの想像としては、甘い一夜を過ごした男女がほにゃららすることでようやく本当の夫婦となり、その翌日も甘い雰囲気とともにベッドの中で過ごすと思っていた。そしてそれを冷やかす使用人たち。
すべて亡きクレア王妃や耳年増な女官たち、そしてラシャドに隠れて読んでいた恋愛小説をもとにできたイメージである。だから何が正解かわからず、現実はこんなものなのか、とメイベルは少しがっかりした気持ちになった。
(でも、昨日は疲れていたし、今日こそは……)
「奥様。朝食は一緒に食べようと旦那様がおっしゃっていましたが、どうします?」
侍女の言葉にメイベルは気を取り直し、遅めの朝食をハウエルと一緒にとることにした。先に起きてはいても、自分と食べるために待っていてくれた。そのことを嬉しく思いながら夫のもとへ向かう。
(そうよ。焦る必要なんかないわ。時間はたっぷりあるんだもの)
その時は、そう思っていた。
***
――おかしい。
ハウエルの妻となり、二週間ばかりが過ぎた。使用人たちはメイベルを女主人として敬ってくれ、レイフもメイベルに気兼ねなく話しかけてくれる。お願いできますかと頼まれた仕事も、王妃になるべくとして育てられたメイベルからすれば、問題ないことだった。
そう。充実している。ある一点を除いては。
メイベルは悩んだ。それを夫に打ち明けるべきかどうか。彼女としては、できれば他の人にこっそりと相談したい。だがこれは夫婦の問題であった。夫にしか答えは得られないものであった。
だからメイベルは恥を忍び、夫に聞くことにした。
「――あの、ハウエル様。少し、お時間よろしいですか」
一日が終わり、もう後は寝るだけ、という時刻。寝床に入ろうとしていたハウエルを、メイベルは緊張した面持ちで呼び止めた。
「はい、よろしいですよ」
夫が振り返り、メイベルの隣に腰を下ろす。近づく距離に、メイベルの緊張は高まる。だがここで聞きそびれたら、一生聞かずじまいだ。
「あのですね、実はお聞きしたいことがありまして……」
「何でしょう?」
「ハウエル様は、その、私のこと……」
「私のこと……?」
「ええっと……」
端正な顔が、じっと自分を見つめる。
「じ、女性として、妻として、どう、思っているのかなって……」
ハウエルは首を傾げる。
「素敵な女性だと思っていますよ。妻としても、申し分ない働きをして下さっています」
「そ、それはありがとうございます……」
真っすぐと褒められ、つい照れてしまう。
(いや、今はそういう話じゃなくて……!)
「あの、それならどうして…………れないの……ですか」
「? すみません。声が小さくて。もう一度言ってくれます?」
ああもうっ! とメイベルは顔を赤くしながら言ってやった。
「私のこと抱いてくれないんですかっ!?」
言ってしまった。言った後に、もっと他に聞き方があるだろうとメイベルは心の中で叫んだ。ハウエルも初めて見るようなポカンとした表情でこちらを見ているじゃないか。
(恥ずかしい。恥ずかしい。すごく恥ずかしい……!)
自分から強請るなんて! でも夫婦だし! だからってあんな言い方!
間違っていない。正しい。本当か? と発言を肯定する自分とそうじゃない自分が頭の中で喧嘩している。
「……抱いて欲しいんですか?」
止めのハウエルの言葉。メイベルは「違いますっ!」と思わず即答した。
「? ではどういう……?」
「……いや、違わなくて、えっと……」
もごもごと言葉を濁すメイベルに、とりあえず落ち着いて下さいとハウエルは水差しからコップに水を注いできてくれた。それを一気に飲み干し、メイベルはようやく平静を取り戻す。
「あの、すみません。なんだか一人で空回って……」
「いえ。構いませんよ。それで、どうして先程のような発言を?」
(どうして、って……)
わざわざ説明しないといけないのか、とメイベルはかすかに苛立ちを覚える。
「私とハウエル様は夫婦になったんですよね? なのに、その、夜の……そういうことはしないので、何でなのかなって……」
ハウエルが目を瞬く。
「つまりメイベル様は、私たちの間に性行為がないことを気にしていたのですか?」
性行為。あからさまな言葉にかっと頬が熱くなる。だがそれを気にしていては話が進まないのでぐっと堪えた。
「……ええ。そうですわ。普通の夫婦は、そういうこと、す、するのでしょう……?」
ハウエルはしばし黙った。その沈黙が、メイベルには何とも居心地が悪く、早く何か言ってくれと願った。
「メイベル様。たしかに貴女は、ご自身のことをお飾りの妻としてではなく、本当の妻として扱って欲しいと私に言いました」
「ええ。ですから……」
「けれど、これに関してまで、私は強要するつもりはありません」
ハウエルはなぜか安心してくれというようにメイベルに微笑んでいる。
「こういうことは、どうしたって女性の方に負担をかけてしまうものでしょう? 貴女がそこまでする必要、ないんですよ」
彼の言葉はメイベルを深く気遣う内容に聞こえる。だがよく考えてみれば、それは遠回しに、けれど確実に、妻である自分を傷つけているのではないか? とメイベルは思った。
「……ハウエルさまは、子どものこととか、考えていないのですか?」
「跡継ぎならば、弟のレイフもおりますし、最悪養子をとれば問題ありませんので、大丈夫ですよ」
大丈夫? 違う。そういうことが聞きたいんじゃない。
メイベルの表情を見て、何か悟ったのだろう。ハウエルはぎしりと寝台に体重をのせた。
「メイベル様は、私に抱いて欲しいのですか?」
同じ質問を、彼はもう一度繰り返す。
金色の目が、見透かすように自分を覗き込んでいた。相変わらずとても綺麗で、つい先ほどまでの自分なら、顔を真っ赤にさせつつ、勇気を出して彼の言葉に頷いていたかもしれない。
でも今は違う。真逆の感情がふつふつと湧き起り、メイベルの心を強く支配する。
「男性は感情が伴わなくとも女性を抱くことができます。私もその類の男です。もし貴女がそれでもいいとおっしゃるなら――」
「けっこうよ」
吐き捨てるように、冷たく言い放った。
メイベルは煮え滾るような怒りを今やハウエルに対して抱いていた。それを彼もまた敏感に察したのだろう。とりなすように言った。
「最初に言いましたよね? 貴女を愛せるかどうかわかりませんが、大切にすると」
「だから抱かないってことでしょう?」
「身体を抱いても、そこに愛が芽生えなかったら、虚しいだけではないですか? 貴女が傷つくだけでしょう」
ハウエルの言い分は最もだ。きっとメイベルは傷つく。それでも彼女は、彼の言葉をすんなりと認めることはできなかった。
「……わからないわ。じゃあ、どうしてあなたは私に結婚して欲しいと頼んだの?」
ハウエルが驚いたように目を丸くした。
「それは説明したはずですよ。辺境伯としての地位を盤石なものにするためだと。貴女はそんな私の考えに理解を示してくれた。そうでしょう?」
自分は何か間違ったことを言っているか? とハウエルの顔には書いてある。彼は何も間違っていない。メイベルは俯いた。
「貴女も、アクロイド公爵閣下に嫁ぐより私を選んだ方がサイラス殿下のためになると判断した。だから私と結婚した。そうでしょう?」
ハウエルが正論を繰り返すたび、メイベルの心は沈んでいく。冷えていく。
「……そうね。そうだったわ」
頭が冷えた。冷静になった。
「ごめんなさい。ハウエル様。私、勘違いしていましたわ」
顔を上げてメイベルがそう答えれば、ようやく理解してくれたかと、ハウエルは安堵の表情を浮かべた。
「いいえ。こちらこそきちんと確認しておきませんでしたから」
「もう、間違えませんわ」
「何か欲しいものや、して欲しいことがあったら遠慮なく言って下さい。できるだけ、叶えるつもりですから」
それに夫の愛情は含まれない。
「ありがとうございます。ハウエル様」
けれどメイベルは微笑んだ。王宮で培ってきた笑顔は、とても役に立った。
「ではそろそろ寝ましょうか」
「今さらですけど、同じベッドで寝てよろしいですの?」
「夫婦ですから。形だけは一緒に寝ようと思いまして。嫌なら別々にしますか?」
いいえ、とメイベルは聞き分けのいい妻を意識した。
「そうですわね。夫婦ですもの。一緒に寝た方が、自然ですわ」
ハウエルは明かりを落とし、寝床へと入った。メイベルもまた、それに倣う。暗闇の中、彼女は馬鹿みたいだと思った。
(なに浮かれていたのかしら。ハウエル様は最初から私のこと、ただのお飾りの妻としてか見てなかったんじゃない)
賊に襲われる所を助け出され、アクロイド公爵から掻っ攫うように求婚され、それが相手にとって利があるものだとしても、メイベルはどこかで彼が自分を愛して当然だと、思い込んでいた。最初は特別な情がなくとも、しだいに自分を求めてくれると。
でも、彼はそんな愛とかくだらないもの、まったく必要としていなかった。
メイベルが要求したから、仕方なく、それらしいことをやってくれているだけだ。要するにままごとに付き合っているだけ。
(馬鹿みたい)
わざわざ律儀に付き合ってくれるハウエルも。サイラスとシャーロット嬢のような関係を期待していた自分にも。馬鹿すぎて、メイベルは涙が出そうだった。
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