政略結婚だなんて、聖女さまは認めません。

りつ

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23.真夜中の帰宅


 一人寝床に入り、メイベルは先ほどのサイラスの言葉を思い出していた。

(教会はまだ私の存在を利用することを諦めていない……)

 聖女という存在は特別だ。どんな怪我や病も治す万能の治癒能力が備わっているゆえに。

 ――メイベル。私はいいの。その代わりあの子のことを……。

 ――メイベル。決してこのことは他言してはならないよ。これはおまえ自身を守るためでもあるんだ。

 ――お前はそのために育てられたんだ。

 メイベルは自分のことを特別だとは思っていない。けれど周囲はそう思ってくれない。

(もし、離婚することになれば、教会はアクロイド公爵閣下と再婚させるのだろうか……)

 がたりと物音がして、メイベルはびくっと心臓を掴まれた気がした。さっと身を起こし、明かりをつけて扉を凝視する。ドアノブがゆっくりと回され――

「……ハウエルさま?」
「まだ起きていらしたんですか」

 メイベルと目があったハウエルは驚いたように言った。メイベルは寝台からそっと降りると、彼のそばへ駆けよった。湯浴みを済ませたのか、彼の髪は少し濡れていた。

「今日はもうお帰りになられないかと思っていましたわ」
「……被害も特に出ていませんでしたので、馬を飛ばして帰って来ました。殿下も、まだ滞在している途中ですし」

 どことなく、言い訳するようにハウエルは説明した。けれどメイベルは特に気にせず、素直にそうなのかと納得した。

「被害がなくてよかったです」

 羽織っていた上着を脱ごうとするハウエルを手伝いながら、メイベルは微笑んだ。

「サイラス……殿下も明日には帰るとおっしゃっていましたから、今日急いで帰って来られて、よかったかもしれませんわ」
「殿下は明日に帰ると?」
「はい。婚約者が心配だから、早く帰ると」
「そう、ですか……」
「残念ですか?」
「いいえ。そんなことは」

 疲れているだろうにハウエルはまだ寝床には入ろうとしない。ソファに腰掛け、何かをじっと考え込むように肘をついた。

「お酒でも飲みます?」
「いいえ、けっこうです」

 じっと自分を見上げてくるハウエルに、メイベルは戸惑う。

 ――兄上は義姉上が初恋の相手なんだよ!

 昼間のレイフの熱弁を思い出し、ますます居心地悪く感じた。

「あの、それでしたら私、今日は疲れてしまったので、先に失礼させてもらいます」

 そう言って背を向けようとしたが、ハウエルが引き止めるようにそっとメイベルの手をとった。そうして、意外と強い力で彼の方へと引き寄せられる。

「……あの、ハウエルさま。これは一体……」

 気づけばメイベルは屈むようにしてハウエルに抱き寄せられていた。いや、格好からして、メイベルがハウエルに抱き着くという方が正しい表現かもしれない。

「ああ、すみません」

 そう言って、ハウエルはメイベルを自身の膝へと座らせる。

「きつい体勢でしたね」
「いえ、そういうことでもないんですけど……」
「私にこうされるのは嫌ですか」

 男すら魅了したという端正な顔で見上げられ、メイベルはうっ、と言葉に詰まる。

「そうじゃありません。でも、その、ほら、重いでしょうから」
「いいえ、ちっとも」
「もう、寝ないと」
「私はまだ眠くありませんし、貴女もこんな時間まで起きていたということは、眠れなかったのでしょう?」

 その通りであるので、何も言い返せない。

「何か、悩み事でも?」
「いいえ。そういうわけでは……」

 彼と離婚させられようとしている、など言えるわけがない。メイベルがどう誤魔化そうかと考えていると、ふいにぎゅっと腰に回された腕に力がこもった。

「……殿下のもとへ帰りたいと思いましたか」
「え」

 驚くメイベルの顔を、ハウエルは見極めるように見上げている。

「どうして、そう思いますの?」
「貴女と殿下は、もと婚約者同士。殿下はシャーロット嬢を未来の王妃に、と一時は選びましたが、やっぱり貴女のことが忘れられず、視察と称して、この地まで足を運んだのではないですか?」

 ああ、やっぱり彼はサイラスが本当に視察に来たわけではないと見抜いていたのだ。

(でも……)

「どうして私が殿下のもとへ帰りたいと思ったのか、質問の答えになっていませんわ」
「……貴女の言動を鑑みて、そう判断しただけです」
「何ですって?」

 ハウエルには、メイベルがサイラスのもとへ帰りたがっているように見えたというのか。自分はそんな薄情な女に見えたというのか。

「……もしかして私が不貞を働いたとでも思って、あなたは急いで帰って来たの?」
「貴女を信用していないわけではありません。ただ……」
「ただ、なんですか」
 
 はっきり言わないハウエルに、メイベルは苛立った。

(そんなに疑うのなら、最初から私をサイラスと一緒に出かけさせなければよかったじゃない)

 殿下の指名だから仕方なく承諾したというのか。だったらハウエルはひどく臆病だ。腰抜けだ。

「私はハウエル様と結婚しましたもの。殿下と今さらもとの関係に戻るなんて……まして一緒に帰るなんて、とんでもありません。絶対にありえないことです!」

 メイベルは腹の立つ思いできっぱりと否定した。

「ですが私とあなたの結婚は、契約結婚みたいなものですし」

 それは……まぁ、たしかに。でもハウエルだってそれでいいと納得していたじゃないか。

(それを今さら……)

 メイベルは何だかハウエルにぎゃふんと言わせてやりたいような、一泡吹かせたい気になった。

「……正直に申しますと、サイラスに帰ろうと誘われました」
「な……」
「ついでにあなたと離婚して、再婚するようにも勧められました」

 ハウエル信じられないとばかりに目を見開いた。その表情にちょっと胸のすく思いがしたが、動揺と不安で揺れる目を見てすぐに後悔した。

「あの、ですが心配しないで下さい。きちんと断りましたから。どんな経緯であれ、私はハウエル様と結婚しました。それを途中で放って王都へ帰るなんて、ありえません」
「そう、ですか」

 口ではそう言いながらもどこか釈然としない様子のハウエルに、メイベルはなんだか無性に寂しく感じた。虚しさ、とでも言おうか。

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