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26.聖女の姿
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「今日はここにいたんですね」
メイベルが庭のベンチに座っていると、ハウエルがいつものように声をかけてきた。
「ええ。よく晴れていますもの」
ハウエルはメイベルがいつもの部屋にいないとわかると、必ず探しに来てくれるようになった。それをメイベルは嬉しく思い、きちんと見つけてくれる彼を楽しみに待つ自分がいた。
礼拝堂。図書室。レイフの部屋。厨房。そして今日は思い切って外へ出ていた。
「きれいな花や木々、そしてどこまでも晴れ渡った真っ青な空」
メイベルは肺いっぱいに酸素を吸い込み、詩人のように今胸にある気持ちをハウエルに伝えた。
「すてきな庭だわ」
「少し大げさすぎる気もしますが……」
「そうかしら?」
「王都の方がもっと素晴らしい庭があるでしょうに」
「それはそうだけど……でも、自分の実家となる家の庭はまた違うものでしょう?」
「実家だと思ってくれるんですね」
当たり前だ、とメイベルは笑った。
「ほんとにいい天気ね。今度何か作ってもらって、ここで食べるのはどうかしら?」
レイフも一緒に誘ったら喜びそうだ。メイベルがそう提案すると、ハウエルは目を細め、いいですねと答えた。
「昔、母も同じことをしてくれました」
ハウエルの母親。どんな人だったのだろう。メイベルの無言の問いかけが伝わったのか、ハウエルは隣に腰を下ろしながら教えてくれた。
「優しい人でしたよ。いつも朗らかに笑っていて、でも怒るとそれなりに怖い人でした」
「容姿はハウエル様に似ていらしたの?」
「そうですね……目鼻立ちとか雰囲気はよく似ていると言われましたが、髪や目の色は父譲りなんです。母の髪色は……」
そこでちらりとハウエルはメイベルに目をやった。
「貴女のような黒髪でしたね」
「あら。じゃあ、同じね」
「ええ。でも……」
日の光に照らされるメイベルを眩しそうに見つめ、ハウエルが言った。
「貴女の髪は少し青みがかっている」
そう言って立ち上がり、メイベルに手を出した。
「もう帰るの?」
「いいえ。日陰がある場所に移動しましょう。ここにいては日が当たります。日差しは美容の天敵でしょう?」
女性の自分より気がつくハウエルに、メイベルはちょっと悔しい気がした。でも彼の言うことももっともなので、メイベルは差し出された手を素直にとった。
「どこへ行くの?」
「この奥へ進むと、東屋があるんです。ぜひ貴女にも見てもらいたい」
彼は手をまだ離さないでいてくれる。メイベルは恥ずかしいような、けれどやっぱり嬉しくて満たされた気持ちになった。
「ピクニックはそこでしたの?」
先ほどの話に戻ると、ハウエルはええと頷いた。
「母はあまり身体が丈夫ではありませんでしたので強い日差しはよくないと……本当は外へ出るのも、父はあまりよく思っていなかったみたいです。母がどうしてもとお願いして、折れた父が東屋を作らせたんです」
「そうなの……」
サイラスの母親であるクレア王妃と同じだ、とメイベルは思った。王妃もまた生まれつき身体が丈夫ではなかった。そのためローガン陛下の妃を選ぶ際にも、健康面でいかがなものか、と臣下たちは苦言を呈したらしい。それでも陛下はクレア王妃を愛しており、彼女以外は妻として考えられないと反対を押し切って結婚をした。
(愛する人とどうしても結婚するっていう陛下の考え方は、息子であるサイラスにも間違いなく受け継がれているわね)
だからこそ、息子の我儘を最終的には受け入れたのだろう。
(ハウエル様のご両親も、そうだったのかしら)
「あなたのお義父様は、お義母様を大切にしていらしたのね」
「そうですね。幼なじみだったそうで、昔からお互いのことをよく知っていたそうです。いつもは厳格だった父が、母の前だけでは砕けた様子で接しているのが、子ども心にとても印象に残っています」
「すてきね」
メイベルの言葉に、ハウエルは一瞬口を閉ざした。
「……だからレイフを産んで、一気に床に伏した母を、父はなんとか元気にしてやりたかった。もとの丈夫な身体に戻してやりたかった。そのためにわざわざ王都へ行き、聖女の力を貸してほしいと教会に頼んだそうです」
どきりとした。思わず立ち止まったメイベルを、ハウエルは静かな眼差しで見つめた。
「ですが教会は、そんなことのために力を与えることはできないと父の嘆願を却下しました」
辺境伯の妻を救うことは、そんなこと、なのだろうか。
「その時の聖女の数は十数名。誰か一人くらい、こちらへ派遣してもらってもいいのではないか。旅費も報酬もいくらでもだす。だからどうか私の妻を助けて下さいと、父は頭を低く下げ、何度も猊下に頼んだそうです」
メイベルはじわじわと追いつめられていく気がした。
「ですが、イヴァン教皇はお許しになられなかった。父は直接聖女さまにも頼んだ。けれど……十人以上いる聖女のうち誰一人として、私の母の病を治すために、その力を使ってくれなかった……落胆した父は、屋敷へ帰り、その数か月後、母は息を引き取りました」
ああ、とメイベルは顔を覆いたくなった。けれどそれは卑怯だと思い、ハウエルから目を逸らさず、声を絞り出すようにして言った。
「……ごめんなさい」
「貴女が謝ることではありません」
ハウエルはふっと微笑み、繋いでいたメイベルの手を優しく握り返した。
「聖女とは結局、教会に従う立場でしかない弱い存在です。その教会が否と言えば、どうすることもできなかった。それくらい、父だって理解していたはずです」
「それでも……誰かが勇気を出して意見すれば、お義母様を救えたかもしれない。なのに、教会は、私たちは何もせず……」
見捨てたのだ。そしてハウエルの母親は死んだ。どんな理由があったにせよ、その事実は変わらない。
(レイフはまだうんと小さかっただろうに……)
ハウエルだって、まだ母親の温もりを必要としただろうに。それなのに……
「ほんとうに、ごめんなさい」
「メイベル様。そんなにご自身を責めないで下さい」
メイベルを慰めるかのようにハウエルの声は優しかった。
「いいんですよ。もともと母の運命はそういう定めだったんでしょう。聖女の力を借りてまで命を長らえなくてよいと、母自身も最期には納得していました」
そんなわけない。幼い我が子を残して先に死んでいくなんて、辛いに決まっている。もっともっと生きていたかったに違いない。
(――クレア王妃だってそうだったもの……)
救えたはずなのに。役目を果たすべきだったのに――
(私はなんのために……)
「ほんとうに、ごめんなさい」
「メイベル様……」
握っていた手をほどき、メイベルは泣きそうな顔でハウエルを見上げた。
「あなたには私を、私たち教会を責める資格がありますわ」
本来ならば、決して言ってはいけないことだった。でもメイベルは言わねばならないことだと思った。
「教会は国中から聖女と思わしき女性を集め、自分たちの監視下におきます。大半は幼い子どもばかりで、小さい頃から聖女とはどうあるべきかを教え、衣食住を提供する。その代わり、私たちは教会に従います」
「ええ。ですから決して貴女の責任ではないと先ほどから申し上げているじゃありませんか」
ハウエルはじゃっかん苛立ったように言った。
「……でも、成長するにつれておかしいとは思うことはあるんです。誰かの病を治すことは一切なく、ただ神へ祈り続ける毎日を」
「病を治すことが一切ない?」
ええ、とメイベルは罪悪感でいっぱいになりながらも肯定した。さすがにハウエルも困惑を隠しきれない様子であった。
「では、万能の治癒能力とは、嘘なのですか? 本当はそんな力、これっぽっちもないのですか?」
「いいえ……治癒能力は、あります。けれどそれは、とても微々たるもの。どんな病や怪我でも完治させる力など……すべての聖女が持つ力では決してありません」
「……では、ウィンラードの聖女も、すべてただの伝説にすぎないと?」
メイベルはかぶりを振った。
「いいえ。おそらくそれは、本当でしょう。昔は戦が多く、それこそ神の力がなければ、この世に安寧はもたらされなかった。……けれど時代が下るにつれ、人々は争うことの愚かさを学び、戦いをやめ、平和を望んだ。血を流す人間は減っていき、それに比例するように、聖女の力も弱まっていったのでしょう」
神の力を与える必要はなくなったのだ。
「では……父が力を貸してほしいと言った聖女たちは……」
「おそらく、お義母様の病を癒すほどの力はなかったと思います」
「だから、教会は拒否した?」
ええ、とメイベルは目を閉じた。
「聖女という存在は、教会にとって絶対的なものです。聖女がいるからこそ、教会の存在意義がある。それを揺るがすようなことは、あってはならないのです」
メイベルは目を開けて、弱々しく微笑んだ。
「けれどそれで……勝手に期待させて、ひどく傷つけてしまったこともまた、どうしようもない事実なのです」
ハウエルは何も答えなかった。ただもう一度メイベルの手を取ることはなく、帰りましょうと背を向けた。東屋を見に行くことはなかった。
メイベルが庭のベンチに座っていると、ハウエルがいつものように声をかけてきた。
「ええ。よく晴れていますもの」
ハウエルはメイベルがいつもの部屋にいないとわかると、必ず探しに来てくれるようになった。それをメイベルは嬉しく思い、きちんと見つけてくれる彼を楽しみに待つ自分がいた。
礼拝堂。図書室。レイフの部屋。厨房。そして今日は思い切って外へ出ていた。
「きれいな花や木々、そしてどこまでも晴れ渡った真っ青な空」
メイベルは肺いっぱいに酸素を吸い込み、詩人のように今胸にある気持ちをハウエルに伝えた。
「すてきな庭だわ」
「少し大げさすぎる気もしますが……」
「そうかしら?」
「王都の方がもっと素晴らしい庭があるでしょうに」
「それはそうだけど……でも、自分の実家となる家の庭はまた違うものでしょう?」
「実家だと思ってくれるんですね」
当たり前だ、とメイベルは笑った。
「ほんとにいい天気ね。今度何か作ってもらって、ここで食べるのはどうかしら?」
レイフも一緒に誘ったら喜びそうだ。メイベルがそう提案すると、ハウエルは目を細め、いいですねと答えた。
「昔、母も同じことをしてくれました」
ハウエルの母親。どんな人だったのだろう。メイベルの無言の問いかけが伝わったのか、ハウエルは隣に腰を下ろしながら教えてくれた。
「優しい人でしたよ。いつも朗らかに笑っていて、でも怒るとそれなりに怖い人でした」
「容姿はハウエル様に似ていらしたの?」
「そうですね……目鼻立ちとか雰囲気はよく似ていると言われましたが、髪や目の色は父譲りなんです。母の髪色は……」
そこでちらりとハウエルはメイベルに目をやった。
「貴女のような黒髪でしたね」
「あら。じゃあ、同じね」
「ええ。でも……」
日の光に照らされるメイベルを眩しそうに見つめ、ハウエルが言った。
「貴女の髪は少し青みがかっている」
そう言って立ち上がり、メイベルに手を出した。
「もう帰るの?」
「いいえ。日陰がある場所に移動しましょう。ここにいては日が当たります。日差しは美容の天敵でしょう?」
女性の自分より気がつくハウエルに、メイベルはちょっと悔しい気がした。でも彼の言うことももっともなので、メイベルは差し出された手を素直にとった。
「どこへ行くの?」
「この奥へ進むと、東屋があるんです。ぜひ貴女にも見てもらいたい」
彼は手をまだ離さないでいてくれる。メイベルは恥ずかしいような、けれどやっぱり嬉しくて満たされた気持ちになった。
「ピクニックはそこでしたの?」
先ほどの話に戻ると、ハウエルはええと頷いた。
「母はあまり身体が丈夫ではありませんでしたので強い日差しはよくないと……本当は外へ出るのも、父はあまりよく思っていなかったみたいです。母がどうしてもとお願いして、折れた父が東屋を作らせたんです」
「そうなの……」
サイラスの母親であるクレア王妃と同じだ、とメイベルは思った。王妃もまた生まれつき身体が丈夫ではなかった。そのためローガン陛下の妃を選ぶ際にも、健康面でいかがなものか、と臣下たちは苦言を呈したらしい。それでも陛下はクレア王妃を愛しており、彼女以外は妻として考えられないと反対を押し切って結婚をした。
(愛する人とどうしても結婚するっていう陛下の考え方は、息子であるサイラスにも間違いなく受け継がれているわね)
だからこそ、息子の我儘を最終的には受け入れたのだろう。
(ハウエル様のご両親も、そうだったのかしら)
「あなたのお義父様は、お義母様を大切にしていらしたのね」
「そうですね。幼なじみだったそうで、昔からお互いのことをよく知っていたそうです。いつもは厳格だった父が、母の前だけでは砕けた様子で接しているのが、子ども心にとても印象に残っています」
「すてきね」
メイベルの言葉に、ハウエルは一瞬口を閉ざした。
「……だからレイフを産んで、一気に床に伏した母を、父はなんとか元気にしてやりたかった。もとの丈夫な身体に戻してやりたかった。そのためにわざわざ王都へ行き、聖女の力を貸してほしいと教会に頼んだそうです」
どきりとした。思わず立ち止まったメイベルを、ハウエルは静かな眼差しで見つめた。
「ですが教会は、そんなことのために力を与えることはできないと父の嘆願を却下しました」
辺境伯の妻を救うことは、そんなこと、なのだろうか。
「その時の聖女の数は十数名。誰か一人くらい、こちらへ派遣してもらってもいいのではないか。旅費も報酬もいくらでもだす。だからどうか私の妻を助けて下さいと、父は頭を低く下げ、何度も猊下に頼んだそうです」
メイベルはじわじわと追いつめられていく気がした。
「ですが、イヴァン教皇はお許しになられなかった。父は直接聖女さまにも頼んだ。けれど……十人以上いる聖女のうち誰一人として、私の母の病を治すために、その力を使ってくれなかった……落胆した父は、屋敷へ帰り、その数か月後、母は息を引き取りました」
ああ、とメイベルは顔を覆いたくなった。けれどそれは卑怯だと思い、ハウエルから目を逸らさず、声を絞り出すようにして言った。
「……ごめんなさい」
「貴女が謝ることではありません」
ハウエルはふっと微笑み、繋いでいたメイベルの手を優しく握り返した。
「聖女とは結局、教会に従う立場でしかない弱い存在です。その教会が否と言えば、どうすることもできなかった。それくらい、父だって理解していたはずです」
「それでも……誰かが勇気を出して意見すれば、お義母様を救えたかもしれない。なのに、教会は、私たちは何もせず……」
見捨てたのだ。そしてハウエルの母親は死んだ。どんな理由があったにせよ、その事実は変わらない。
(レイフはまだうんと小さかっただろうに……)
ハウエルだって、まだ母親の温もりを必要としただろうに。それなのに……
「ほんとうに、ごめんなさい」
「メイベル様。そんなにご自身を責めないで下さい」
メイベルを慰めるかのようにハウエルの声は優しかった。
「いいんですよ。もともと母の運命はそういう定めだったんでしょう。聖女の力を借りてまで命を長らえなくてよいと、母自身も最期には納得していました」
そんなわけない。幼い我が子を残して先に死んでいくなんて、辛いに決まっている。もっともっと生きていたかったに違いない。
(――クレア王妃だってそうだったもの……)
救えたはずなのに。役目を果たすべきだったのに――
(私はなんのために……)
「ほんとうに、ごめんなさい」
「メイベル様……」
握っていた手をほどき、メイベルは泣きそうな顔でハウエルを見上げた。
「あなたには私を、私たち教会を責める資格がありますわ」
本来ならば、決して言ってはいけないことだった。でもメイベルは言わねばならないことだと思った。
「教会は国中から聖女と思わしき女性を集め、自分たちの監視下におきます。大半は幼い子どもばかりで、小さい頃から聖女とはどうあるべきかを教え、衣食住を提供する。その代わり、私たちは教会に従います」
「ええ。ですから決して貴女の責任ではないと先ほどから申し上げているじゃありませんか」
ハウエルはじゃっかん苛立ったように言った。
「……でも、成長するにつれておかしいとは思うことはあるんです。誰かの病を治すことは一切なく、ただ神へ祈り続ける毎日を」
「病を治すことが一切ない?」
ええ、とメイベルは罪悪感でいっぱいになりながらも肯定した。さすがにハウエルも困惑を隠しきれない様子であった。
「では、万能の治癒能力とは、嘘なのですか? 本当はそんな力、これっぽっちもないのですか?」
「いいえ……治癒能力は、あります。けれどそれは、とても微々たるもの。どんな病や怪我でも完治させる力など……すべての聖女が持つ力では決してありません」
「……では、ウィンラードの聖女も、すべてただの伝説にすぎないと?」
メイベルはかぶりを振った。
「いいえ。おそらくそれは、本当でしょう。昔は戦が多く、それこそ神の力がなければ、この世に安寧はもたらされなかった。……けれど時代が下るにつれ、人々は争うことの愚かさを学び、戦いをやめ、平和を望んだ。血を流す人間は減っていき、それに比例するように、聖女の力も弱まっていったのでしょう」
神の力を与える必要はなくなったのだ。
「では……父が力を貸してほしいと言った聖女たちは……」
「おそらく、お義母様の病を癒すほどの力はなかったと思います」
「だから、教会は拒否した?」
ええ、とメイベルは目を閉じた。
「聖女という存在は、教会にとって絶対的なものです。聖女がいるからこそ、教会の存在意義がある。それを揺るがすようなことは、あってはならないのです」
メイベルは目を開けて、弱々しく微笑んだ。
「けれどそれで……勝手に期待させて、ひどく傷つけてしまったこともまた、どうしようもない事実なのです」
ハウエルは何も答えなかった。ただもう一度メイベルの手を取ることはなく、帰りましょうと背を向けた。東屋を見に行くことはなかった。
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