だから僕は音楽をやめた

那須与二

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2018 5/15「五月は花緑青の窓辺から」

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君の声がする。

思い出せ!
空いた教室と揺れるカーテン。
なにも思い出せない。
ただ、後ろ指を刺される。
夏が終わっていくことも気のせいだと思っていた。


……なんの話だっけ。


「5/15、高架橋を抜けると、雲の隙間から青が覗いた。
もう、夏が来る、あの夏が来てしまう。」

その焦りをなだめるかのように、降り立った北欧の地は爽やかだった。


ストックホルム。


スウェーデンの南部に位置する。
北欧のヴェネツィア、水の都と呼ばれるこの街でエイミーは生まれた。
最後の旅にこの地を選んだのにはもう説明は不要だろう。
旅と言うより「帰郷」と言った方が相応しいのかもしれない。
彼は己の生まれた地へ戻り、己の意味をもう一度だけ探そうとしていた。実際、彼の心境に変化はあったがそれがどれ程の具合だったのかは不鮮明だった。


窓辺に置かれたの2本の花緑青の瓶をストックホルムの眩い五月の太陽の光線が刺した。
本当はあと1瓶あった。が、もうない。

その瓶はまるでちっぽけな協会に佇むちっぽけなステンドグラスのように光り、机全体を鈍いエメラルドグリーン色で染める様だった。
まるでストックホルムへの道中で雨宿りした時のあの教会のようだ。

ルンド・アルヘルゴナ教会。
宿の道中で雨に降られた時に寄り道した教会だ。
赤煉瓦で出来ている重厚な塔は人々に神という存在の大きさを分からせるには充分だった。そして内部は神の寛大な心を表していると言っても言い足りないほど美しかった。

だが例外なく作品の中以外に神様はいない。

「5/17、スリに遭った。
教会の目の前だった。
金と瓶を盗まれた。あんな奴にあのインクの大切さが理解出来るはずもないだろうに。
やはり神はいない。
愛だとか世界平和だとか呑気に歌ってるやつらよ。
一緒に歌って踊ったりでもするか?
なあ、早く踊ろうぜ。
なあ、早く全部救ってくれよ、愛とやらで。」

断じて彼はスリに怒っていたのではない。
もっと前から、途方もなく大きな何かに怒りを抱いていた。
それが人間なのか、世間なのか、世界なのかは漠然としすぎていて定かではなかった。
自分自身も含め、ただ全てに憤りを感じていた。


たったひとりの女性を除いて。


彼女と出会ったのも酷い雨の中だった。
憂いのある目をした、同年代の落ち着いた、しかしどこか明るい女性だった。
彼が彼女の憂いのある姿を見たのはこれが最初で最後だった。
人気の少ないカフェの窓際で1人で執筆を進めている時、目の前のカウンターに彼女は座っていた。



エルマ……ドイツ語では「神の誓い」という意味らしい。
もちろん偶然だ。
だが、彼女の声には教会の賛美歌よりも美しい何かが潜んでいることは明らかだった。
生まれる前に神様と契約でもしたのだろうか。
そんなことばかり考えていた。


ストックホルムに降り注ぐ雨は止み、その時既に彼はリンショーピンという街に辿り着いていた。
何も思い出せない痛みだけが唯一、己の魂が生きている証だった。

碧い瓶が光る。
水溜まりが石畳を潤している。




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