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雲と幽霊
しおりを挟む夏草を搔き分けて寝転がっていた。
眼前には吸い込まれそうなほど、高く大きい、青天井。
入道雲が、もくもくとこちらへ向かってくる。
東京の空にはほとんど映らない青色も、想い出の中なら指先に届く。
真っ暗な空にネオンの光が反射している。
雲とビルは溶け合い、紫と灰色の息遣いが、男の胸を圧迫する。
夜の雲はどこまでも低い。
想い出に追い付けないまま大人になってしまった。
あの頃の、あの夏を、いつまでも想い出したくなる。
夏の終わり方を見に行ったあの夏を、もう音がしなくなったあの夏に耳を澄ましている。
君を想像し、想い出と邂逅する。
これは、あの夏の記憶である。
真夏の夜行列車は眠るには辛過ぎる環境だった。
「大人になる前に、もう一度だけ会おうね。」
そう言った君の顔をもう一度見たくて。
息をひそめて子の刻、たった一人で少年は旅路に赴いた。
遠くの君を、明日の君を見に行くために、僕は幽霊のまま行った。
後のことなんて考えてもいない。忘れられない夏の想い出を作りたいだけだった。
誘蛾灯に沿ってどんどん歩く。石に躓きそうになる。もう遠くにある街の薄明りが揺れていた。
あの六畳半が地球だと思っていた僕に、この景色は大きすぎる。
どこまでも高い夜の雲一つにすら、心を躍らせていた。
階段を上り、段差を超え、車内を見渡す。
割と固いベッドに横になる。同じ車両にはほとんど人はいない。少し不安があった、発車するまでは。
振動。僅かな足元の暖房に、生きている感じがする。どこまでも行けたらいいのに。このように強く願ったのは初めてだった。
降りた駅で朝日を浴びる。そうだ、これが朝なのだ。全身で日の始まりを感じ、夏に向かって歩き出した。
上空を漂う薄ら雲、アスファルトが焼ける匂いがする。
蝉時雨が降り注ぎ、百日紅の花が目に入る。この既視感の先にあのバス停はあった。
ベンチに張り付いた、木製の看板。大海原を背にするベンチに腰を掛けると、目の間には鳥居があった。
夏草に陰が生い茂る。
さすがに、バスはすぐは来ない。時刻表を見てスマホで時間を確認する。
・・・歩くしかないか。
頬を撫でる温い風。分かれ道はほとんどなく、小さくなっていく影法師と共に歩き続ける。
何時間も歩いた。通り過ぎたバス停はたった二つ。日は真上に昇りかけているが、バスはまだ見てない。
足が攣りそうだ。くたびれて、海沿いの道路脇に手をつく。見上げると、眩い陽と、どこまでも高い雲と、群青があった。生きているんだと思った。だからこそ、もう脚は動かなかった。
どうしようもなくて、傍の堤防によじ登って海を眺める。
潮風一つに心が躍る。眸を閉じて、間抜けな顔で風を食む僕がいる時。君は制服のまま、目の前のテトラポットで一人で遊んでいた。君が転びそうになり、声を上げる。次の瞬間、目が合う。
久し振りの再会がお互いに恥ずかしい瞬間だったあれは、今になっても一人で思い出し笑いができてしまう。
あの後君は、何事もなかったように僕のほうへ寄ってきたが、顔は赤かった。気温が高かっただけなのだろうか。
今はもうわからない。
あの頃は大人になんかなりたくなかった。
それは意外と今も変わってないのかもしれない。
晩夏、追想、夏陰、後悔。
いつだったろうか、僕は生を道端に落っことしてしまった。
それは未だ、行方不明である。
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