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第2章
俺は死んじまっただ?(3)
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なんだ? なにが起こってる?
自分は日本人で、ただの平凡なサラリーマンで、独身で、まだギリギリ二十代で。
そんなことは漠然とわかるのに、自分の名前がまったく思い出せない。正確な年齢も誕生日も、出身地さえも。当然、勤め先の会社名どころか業種、所属部署もわからず、ただただ途方に暮れる。
こんなことが、あるものだろうか。
「俺……は、どこの、だれ、なんだ?」
呟いたところで、ベッド同様、やたらゴージャスで高級そうな調度品に飾られた室内の壁に、これまた凝った細工の彫刻に縁取られた鏡があることに気がついた。
「あっ、ダメだ! まだ横になっていなくてはっ」
銀髪美人が止めるのも聞かず、ふらつく足取りでなんとか壁ぎわまで移動し、鏡の中を覗きこむ。そしてその直後、声もなくその場に立ち尽くした。
そこに、見知らぬ男が佇んで驚愕の表情を浮かべていた。
「エ――、無理はいけない。いまは身体を休めることを優先し――」
「これが、あんたの言うエルディラントか?」
言葉尻を奪うようにして尋ねると、銀髪美人は気まずそうに口を噤んだ。咄嗟に口にしかけて、何度も言いよどむひとつの名前。
長い黒髪、切れ長の黒瞳。自分もかつて、黒髪と黒い瞳だったことはわかる。だが、鏡に映る男のものは、そのいずれもが遙かにあざやかで、濃い色をしていた。
漆黒、というのだろうか。おなじ黒髪、黒瞳でも、自分が記憶していた色とは純度が違う。なにより、貌の作りが根本的に違っていた。
自分は生粋の日本人で、西洋の血はまったく混じっていない。それなのに、鏡の向こうからこちらを見ているその貌は、和の気配どころか、東洋を思わせるものはなにひとつ見当たらなかった。
切れ長の瞳。秀でた額に通った鼻梁。薄い口唇。
銀髪美人も桁外れの美貌の持ち主だったが、鏡に映る目の前の男も、とんでもない美形だった。
「なんだ、これ……、これが、俺……?」
そんなわけあるかと全俺が否定する。だが、鏡の中の像も、いま俺が言った言葉をそのまま呟いていた。
「え……、ちょ、ま……っ」
なにをどう受け止めればいいのかわからず、動悸が止まらない。
なんだ? 俺の頭がおかしいのか? 日本人だったとかサラリーマンだったとか、全部俺の妄想? 本当は、エルなんとかなのか? そんで、この銀髪美人が恋人……。
胸と額を押さえてじっと俯く。
悪い夢を見ているとしか思えなかった。いや、こんな美人とこんな豪邸で暮らせているのだから、むしろいい夢なのか? 男同士って部分については、すでにキャパオーバーなのでいまは考えないことにするけれども。
だが、『日本人』だった記憶もあやふやだが、それ以上に黒髪美形の『エルディラント』の記憶はまったくない。
どうしたらいいんだ、俺は。『自分』のことが、なにひとつわからない……。
俯いていたその足もとに、近づいてきた別の足先が映った。
「その、よかったら座って話さないか?」
遠慮がちに声をかけられ、すぐそばの長椅子を勧められる。なにも考えられず、うながされるままおとなしく座った。銀髪美人も、その斜向かいのアームチェアに腰を下ろした。
「体調は?」
あらためて訊かれて、無言でかぶりを振る。本調子じゃないのはたしかだが、もう、どこがどう不調なのかもわからなかった。むしろ、精神的にくらったダメージのほうが遙かにでかい。
「いましがたのそなたの問いだが」
いきなり切り出されて、思わず身構えた。その様子を見て、銀髪美人もまた、躊躇いを見せる。だが、すぐに意を決したように口を開いた。
自分は日本人で、ただの平凡なサラリーマンで、独身で、まだギリギリ二十代で。
そんなことは漠然とわかるのに、自分の名前がまったく思い出せない。正確な年齢も誕生日も、出身地さえも。当然、勤め先の会社名どころか業種、所属部署もわからず、ただただ途方に暮れる。
こんなことが、あるものだろうか。
「俺……は、どこの、だれ、なんだ?」
呟いたところで、ベッド同様、やたらゴージャスで高級そうな調度品に飾られた室内の壁に、これまた凝った細工の彫刻に縁取られた鏡があることに気がついた。
「あっ、ダメだ! まだ横になっていなくてはっ」
銀髪美人が止めるのも聞かず、ふらつく足取りでなんとか壁ぎわまで移動し、鏡の中を覗きこむ。そしてその直後、声もなくその場に立ち尽くした。
そこに、見知らぬ男が佇んで驚愕の表情を浮かべていた。
「エ――、無理はいけない。いまは身体を休めることを優先し――」
「これが、あんたの言うエルディラントか?」
言葉尻を奪うようにして尋ねると、銀髪美人は気まずそうに口を噤んだ。咄嗟に口にしかけて、何度も言いよどむひとつの名前。
長い黒髪、切れ長の黒瞳。自分もかつて、黒髪と黒い瞳だったことはわかる。だが、鏡に映る男のものは、そのいずれもが遙かにあざやかで、濃い色をしていた。
漆黒、というのだろうか。おなじ黒髪、黒瞳でも、自分が記憶していた色とは純度が違う。なにより、貌の作りが根本的に違っていた。
自分は生粋の日本人で、西洋の血はまったく混じっていない。それなのに、鏡の向こうからこちらを見ているその貌は、和の気配どころか、東洋を思わせるものはなにひとつ見当たらなかった。
切れ長の瞳。秀でた額に通った鼻梁。薄い口唇。
銀髪美人も桁外れの美貌の持ち主だったが、鏡に映る目の前の男も、とんでもない美形だった。
「なんだ、これ……、これが、俺……?」
そんなわけあるかと全俺が否定する。だが、鏡の中の像も、いま俺が言った言葉をそのまま呟いていた。
「え……、ちょ、ま……っ」
なにをどう受け止めればいいのかわからず、動悸が止まらない。
なんだ? 俺の頭がおかしいのか? 日本人だったとかサラリーマンだったとか、全部俺の妄想? 本当は、エルなんとかなのか? そんで、この銀髪美人が恋人……。
胸と額を押さえてじっと俯く。
悪い夢を見ているとしか思えなかった。いや、こんな美人とこんな豪邸で暮らせているのだから、むしろいい夢なのか? 男同士って部分については、すでにキャパオーバーなのでいまは考えないことにするけれども。
だが、『日本人』だった記憶もあやふやだが、それ以上に黒髪美形の『エルディラント』の記憶はまったくない。
どうしたらいいんだ、俺は。『自分』のことが、なにひとつわからない……。
俯いていたその足もとに、近づいてきた別の足先が映った。
「その、よかったら座って話さないか?」
遠慮がちに声をかけられ、すぐそばの長椅子を勧められる。なにも考えられず、うながされるままおとなしく座った。銀髪美人も、その斜向かいのアームチェアに腰を下ろした。
「体調は?」
あらためて訊かれて、無言でかぶりを振る。本調子じゃないのはたしかだが、もう、どこがどう不調なのかもわからなかった。むしろ、精神的にくらったダメージのほうが遙かにでかい。
「いましがたのそなたの問いだが」
いきなり切り出されて、思わず身構えた。その様子を見て、銀髪美人もまた、躊躇いを見せる。だが、すぐに意を決したように口を開いた。
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