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後日譚・海に浮かぶ月を見る

そのに 治癒院

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 商店街の横にある大きな治癒院に、臨時職員としてミントは勤めることになった。
 宿から見ると大きな商店街を越えた反対側なので、通うのに近いとは言えないが遠くもない。
 大祭の前後は現地住民だけでなく観光客も爆発的に増えるので、当然ながらケガ人や病人も増える。
 そのため大祭に合わせた期間限定とはいえ、旅に流れている治癒師も雇用先を見つけやすいのだ。
 ましてや交易も盛んなラタンフェは元々の人の出入りが激しいので、医療トラブルを防ぐためにも無資格者や街頭での客引きを禁止しているため、旅人にも公的機関を通しての雇用が用意されている。

 臨時とはいえ雇用試験もあるが、ミント自身の師匠がとんでもない師匠なので、普通の治癒師の範囲を越えないように気を付ける必要はあったが、ミンティアと名乗るほかには特に問題もなかった。
 些細な問題点と言えば、一番人手の足りなくなる宝月祭の最中に休むことだが、試験直前まで番犬のごとくピッタリくっついて動くローがいたので、新婚と察せられ文句も言われなかった。
 宝月祭は恋人や夫婦に恩恵を与える夫婦神を祀っているので、臨時職でも観光客として優遇されるのだ。
 むしろ、三日働いて一日休むスパンの契約を交わしたことで、新婚なのに働きすぎを心配されたぐらいだ。
 宝月祭に合わせて観光できたのに本当に良いのかと、契約内容の確認に外で待っていたローまで呼ばれたのは驚いたが、とんとん拍子で仕事が決まったので気にしない事にした。

「まぁ、うちとしてはティアさんには毎日来てもらいたいぐらいなんですけどね」
「そうそう。怖いおかみさん連中の相手をしてもらえて助かるしなぁ」

 一週間も経てば院長に冗談交じりでそんなことを言われるようになり、地元職員が誰も否定しないので、特別なことはしていないのでミントの方が戸惑ってしまう。
 治癒師としての距離感を保っているはずなのに、グイグイ来る商店街のおかみさんたちに気に入られて、指名されることが多いのだ。
 中腰で重いものを持ち運びする機会が多いので、腰や肩を痛めて長く通っている人も多く、最近では旦那さんたちにも口コミでミントをお勧めしているらしい。
 外科的な治療は異質に映らない治療加減が難しいので、慢性的な痛みへの寄り添いはミントとしてもありがたかった。

 指名の多さは、ローさん効果もあるのだろうな、とミントは思う。
 元々の性格もあるのか他人の懐に入るのが上手く、積極的に商店街の旦那さんやおかみさんに話しかけ、ローは上手く話を聞きだしている。
 外向的な風土に似合う快活な印象も大きい。
 飄々とした物言いで話を転がしながら、地元民が好む品を一つ二つ買う間に、領主の評判から最近の困りごとまで情報を吸い上げていた。

 ラタンフェに訪れて間もないのに、余所者として警戒されることもなく、あっという間に住人扱いなのが不思議なほどだった。
 おそらく今のローは、自宅と治癒院の往復しかしていない地元民の所長よりも、ラタンフェの事情に通じているだろう。

 商店街に馴染んでいるローといれば、そのついでのようにミントも会話に加わるので、相乗効果として夫婦モノとしてすっかり顔を覚えられて、さらに顔見知りの指名が増えている現状だった。

「ティアさん。そろそろ上がりですよね。一緒に帰りますか?」

 夕刻になり最後の患者を見送ったところで、後ろから声をかけられた。
 振り向けば同じく臨時雇用された、金髪碧眼で細身の若い男が立っている。
 仕事が決まった二日ほど後にやってきた夫婦モノの片割れで、ミントが利用している宿と同じ宿泊客だった。
 同業者と宿が重なったうえに、同じ職場に勤務が決まるのも珍しい偶然である。

 ダンテという名のこの男は、とても荒事には向かない穏やかな雰囲気で、心の変動も顔に出さないから、治癒師らしい治癒師だとミントは感じている。
 言葉遣いや仕草が綺麗なので、流れる前は大きな治癒院か良家のお抱え治癒師だった気がする。
 食堂で顔を合わせたロザリンデという名の無口な奥様も、仕草ひとつとっても上品で美しかったから、それなりの名家か貴族の出身と見受けられた。
 夫婦と呼ぶにはどこか歪なふたりだが、それでも手をつないで歩く様子は夫婦の距離感だったので、彼らもミントとは違う意味で訳ありなのだろう。

「私は迎えが来ますから、しばらくここで待ちます」

 ニコッと笑って、一緒に帰宅することは断った。
 同じ宿に宿泊しているとはいえ、ローからは「あんま近づくなよ」と釘を刺されている相手なのだ。
 相変わらず理由は教えてくれなかったけれど、なにもなかったらそんなことすら言わないので、仕事の同僚以上になる気もない。
 だからローが迎えにこれなくても、ダンテと一緒に帰るのはよろしくなかった。
 ダンテ自身がどう思ったか表情からは読み取れなかったけれど、特に気分を害した様子も見せず、海の方角へと目を向けた。

「御主人は、今日も海へ?」
「ええ、とても楽しそうに海へ。マカラタ漁は性に合うみたいで、そのうち漁師になるって言い出すかも」

 クスクス笑っていると、ダンテは驚いたように目を見開いた。
 宝月祭に使われるランタンの材料になるのはマカラタという怪魚で、体長は二メートルを超えるらしい。
 昼は水面近くで群れを成しているらしいので、小回りの利く舟で一匹ずつ引き離して銛で仕留めるそうだ。
 仕留めた獲物を回収する大船を中心にした船団で行う昼の漁なので、もしも小舟がひっくり返されても救助の手も早く安全度は高い。
 そのためマカラタ漁では冒険者雇用の枠も多く、ミントが働いている時間はローも身体を動かしたいからと言って、海上で銛を投げているのだ。
 不安定な船の上なのをものともせず、ローが銛を構えて投げている姿を想像すると、思わず笑みがこぼれ落ちる。

 聞くところによると、マカラタは捨てるところのない便利な魚だった。
 皮や粘液を煮詰めると透明になり、それを広げて乾かすと薄い紙のようになるという。その紙は水に溶けるのでランタンの材料として海に流すのにちょうど良いらしく、鱗や骨は生活用品や装飾品に使われているので、宝月祭に合わせてのマカラタ漁は最盛期なのだ。

 ミントは切り身になって売られているところしか見ていないが、白身の淡泊な身は調理しやすく美味しいから食卓に上がる回数も多い。
 オイル漬けや塩漬けも売られていて郷土料理の定番でもあるが、海で泳いでいる姿は怪魚そのものの奇天烈な顔をしているらしい。
 興味があるなら次の休みにローが漁港に連れて行くと言ってくれたので、怖いもの見たさで楽しみにしている。
 そうこうしているうちに他の仕事を終えた治癒師たちも集まってきて、ローの話だと分かると明るく笑い出した。

「旦那さん、ずいぶん銛の扱いが上手いって爺さんたちが褒めてたな」
「次はどの船に乗せるか、偏屈ジジイどもが酒場で勝負したって聞いたぞ」
「ローさんならきっと、お年を召した船長さんの船を巡っている気がします」

 お年寄りの偏屈者との同乗は、普通なら初顔ほど嫌がる。
 気難しさなどローはまったく気にしないし、上手くやっているはずだ。
 乗船者が少ない老人の人助けという意味合いもないわけではないと思うが、癖の強い偏屈な船長ほど腕が良いし、潮を読み船を操る技にも長けているから、早く港に帰れると、嬉々として乗り込んでいそうだ。

 キラキラと輝く海上でも変わらない獰猛な眼差しで、海面下の獲物を狙っているだろう。
 月の綺麗な夜に出会ったけれど、太陽の眩しい時間もローは似合うので、想像していたら胸がキュウと甘くうずいた。

 ああ、この感じ。とミントは思う。
 とりとめもなく胸の奥がざわつくのは、ローの気配が近づいてくるからだ。
 意識を向ければ、マカラタ漁を終えてミントを迎えに、すぐ側まで来ているのがわかる。

「迎えが来たみたいなので、お先に失礼しますね」

 え? と言いたげな驚きの顔で窓の外を覗いて、それまで一緒に話をしていた同僚たちは「本当だ」と苦笑した。
 一緒に上がった他の漁師たちの姿は見えないし、漁が終わっただろう時間を考えると、港からわき目もふらず一直線に迎えに来たのだとわかる。
 契約時の話で、宿と治癒院以外ではミントを一人で出歩かせるつもりはないとローは言っていたけれど、真実なのだと行動で示し続けていた。

 いつの間にか話に交じっていた院長は、ミントさえよければ患者の自宅への訪問治癒の打診も考えていたので内心では残念に思ってしまった。
 腕の良い治癒師なので助かる患者は増えても、そんなことをすればスッパリ契約を切られるのが火を見るより明らかなので、口に出す前にあきらめるしかなかった。

「ずいぶん愛されているねぇ」
「君らは本当に仲がいいなぁ」

 からかうでもなく、同僚たちにまでうらやまし気に呟かれて、ミントは頬を染めた。
 少しうつむいて「し……新婚ですから」とゴニョゴニョと言い訳のように答えていたら、やり取りを見つめていたダンテが小さくつぶやいた。

「あなた方は……離れていても、一緒に過ごしているみたいだ」

 なんとなく寂しげで、小骨のように心にひっかかる雰囲気だったけれど、ミントは別れの挨拶を残してローの元へと駆け出した。
 ローの顔を見て、海の香りが濃いその胸に飛び込むと、安心感がわきあがった。この人の側にいれば、不思議と何があっても大丈夫だと思う。

 ダンテの様子に引っ掛かりを覚えても、気づかなければなかった事と同じで、深入りせずに済む。
 同僚であっても他人なのだから、なにも気付かない振りが肝要なのだ。
 お互いに訳ありなのだし、必要以上に近づいたりしない。

 それでもほんのわずかな不安が残り。
 シミのような痕が淡く、心の奥にこびりついてしまうのだった。
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