兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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後日譚・海に浮かぶ月を見る

そのさん 義兄来たる

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 ラタンフェに滞在して10日も過ぎれば、港街での暮らしにも慣れてくる。
 仕事が終わってから、久しぶりに外食でもしようと、ミントとローは湾岸沿いの屋台を目指していた。

 東にある湾を見下ろす小山も、西側の海岸へと続くなだらかな丘も、立ち並ぶ数階建ての建物も、神話から抜き取ったひとつの絵画に似た美しさがあった。
 古い石造りの街並みも窓辺に飾られた花によって鮮やかに彩られ、大きな通りを行きかう雑多な人々の表情も明るい。
 観光にも適している港街でもあるし、年に一度の大祭前ともなると特に華やいでいた。

 日が沈み始めると風向きも変わり、潮の香りが強くなる。
 吹き抜ける風がふわりとワンピースの裾を揺らすので、ミントはそっと手で押さえた。
 淡い色のワンピースに繊細な刺繍を施されたロングベストを重ねて、太い飾り帯で腰を締めるのは、ラタンフェの民族衣装でもある。
 風をはらむ布はあまりに軽い。くるぶしまで長さがありたっぷりと布を使っているのでめくれ上がるわけではないが、ハタハタとはためく裾は常に動き、身に着ける服としては頼りない気がして、ミントはどうしていいかわからなくなる。
 着心地は良いけれど、似合っている気がしないのだ。

 ある日突然、迎えの際に「ほらよ」と大きな包みを渡されて、何事? と思ったけれど、中身は数着の女物の服だった。
 確かに手持ちの旅装では暑かったし、現地の気候に合わせた服を買う必要があった。
 けれど、港町らしい女性向けの服はあまりに可愛らしかったから、ミントは買う事すら躊躇していたので、包みをほどいてラタンフェの民族衣装が出てきて呆然としてしまった。

 何しろ、ずっと少年だと偽りながら成長してきたのだ。
 大人になり隠しきれなくなったから、仕方なく男物を着なくなったけれど、旅の間は女物でもズボン姿であったし、そもそも僻地で暮らした三年間ぐらいしかスカートを着用したこともないのだ。
 なにより僻地は北西に位置していたので気温が低く、衣服も厚みのある毛織物で重い生地の服が主だったので、ラタンフェの民族衣装のようにふわふわと裾が風に舞い上がったりしない。

「ローさん、私、おかしくない?」
「おう。下ばっか向いてるから顔が見えねぇ」
「そうじゃなくて、女装みたいで変かな?」
「は? 元から女だろーに。いい加減、自覚しろよ。自分が可愛いってことも含めてな」

 並んで歩きながらもズケズケと言い放たれて、ひぃと心の中でミントは叫んだ。
 不意打ちの可愛いは心臓に悪いと思っていたら、グッと肩を引き寄せられて「似合うぜ」と耳元でささやかれる。
 追い打ちで真っ赤になったミントに、ローは「俺の見立ても悪くねぇな」とクツクツと喉の奥で笑っていた。

 いつも通りからかわれてしまった気もするが、機嫌の良いその横顔にミントはホッとした。
 手のひらでコロコロと弄ぶように翻弄してくるけれど、基本的にローは嘘をつかない。
 こんな可愛い服はとてもじゃないけれど似合わない。と思ったものの、着ないとローの機嫌が悪くなるので、崖から飛び降りるような気持ちで袖を通していたから、他人の目から見て似合っているならそれでいい。
 落ち着かないのは相変わらずでも、とりあえず大丈夫そうだと納得した。
 ローが似合うと言うならば、第三者から見ても似合っているのだ。

 ツン、と並んで歩くローの袖をつまむ。
 同じように地元民の服を着ているが、生成りのシャツにベストを重ねて、太い飾り帯で締めた姿は新鮮である。服装が変わると精悍さが増して、武装時よりも海が似合う。

「ローさんも似合ってる」
「そりゃ良かった」

 見つめ合う形になって、ほわほわとなごんだ気持ちが膨らんだその時。
 パタパタと派手な足音を立てて、背後から飛びつく勢いで走り寄ってきた影が「ティアちゃー……へぶぅ!」と潰されたカエルみたいな声を上げた。
 突然に自分の名を呼ばれてミントはギョッとしたけれど、その男の顔面をローが振り向きざまに右手で鷲摑みにしている。
 ギリギリと力を込められて相当痛いのか、唐突に現れた男は「助けてぇ」と救援を求めながらジタバタともがいていた。

「え? ジルさん?」
「そうだよ、君の大事なお義兄様だよ! 助けて! 君の旦那、狂暴すぎるっす!」
「てめぇ、なにしに来やがった」
「呼んだの、自分じゃないっすかー! 理不尽!」
「それがどうした。勝手に俺の嫁に近づいてんじゃねーぞ」

 目を丸くして二人の様子を見ていたミントは、大真面目なのに冗談みたいなやり取りが続くので、思わずぷっと吹き出してしまった。
 おかしくてクスクス笑い出したことで、ローは機嫌を直したのかジルの顔から手を離した。
 ヒィヒィ言わされた後でようやく解放されたジルは「ひどい」とかぼそい声でぼやいている。
 そうとう痛かったらしく普通ならウルウルと涙目になっているところだが、瞳の色すらわからない糸目なので笑っているように見えてしまう。
 最後にミントが会ったのは僻地で暮らしていた時だから、一年半ぶりぐらいなのに相変わらずの様子で、思いがけない再会に懐かしさでいっぱいになった。

 ジルことジルべスタンは、ミントと同じく養父である「神の手」に拾われた身の上で、一応は義兄である。
 運悪くジルには治癒や医療の才能はなかったうえに、早々に魔法師の才覚を見出され創世の塔で学んでいた。
 休暇に塔から帰ってくると家族として過ごしたのでミントとの付き合いは長いけれど、日々のほとんどをジルは修行に費やしていたので、実際に兄妹として一緒に過ごした時間は少ない。
 ジルから「お兄ちゃん」と呼んで欲しいと言われたこともあるが、たまにしか顔を見ないし、なんとなくだが身内と名乗るには癖の強い人なので、兄妹という実感がわきにくいのだ。
 かといって幼少期は「ジルたん」と呼んで後追いしたし、魔法と治癒というお互いの魔力の異質さは感じても親近感はあるので、信頼できる「近所のお兄ちゃん」ぐらいの心の位置に居る。
 現在は養父の手伝いをしながら、魔法師として生計を立てているはずだった。

 ともあれ、ジルを呼び出したのがローならば、聞き捨てならない。
 どういうことかと疑問を込めて、ジッとローを見つめた。

「今の俺から話せる事情はねーな。その時が来るまで、妹面して甘えときゃいいんだよ。気楽に頼むぜ」

 とても懐かしいフレーズが返ってきたので思わず笑ってしまったミントだが、驚愕の表情でジルは自分の口元を押さえた。プルプル震えながら、ありえないと全身で表現している。

「うわ、鬼畜。説明なしってどーなの? というか、なんかふたりとも魔力が混じってヤバくないっすか? え? うわ、濃いわぁ~コレ、僕が呼ばれる意味ってあるのかな?」

 クイッと人差し指でミントの服の襟元を引いて、うなじに残る赤い吸い痕をジルが覗き込んだところで、再びローの手がガッチリと顔面を掴んだ。
 
「たんまっす! 義父さんに邪魔して来いって言われたけど無理だわ、こりゃ。笑ってるけど、おっかない人にマーキングされてんのはティアちゃんっすよ!」
「うるせぇ、よけいな事、しゃべってんじゃねーぞ」

 ギリギリ締め付けられて「ギブギブ!」と騒々しい様子があまりにおかしくて、ミントは声を上げて笑ってしまった。
 口は禍の元って、こういう事だろうなとしみじみ思いながらも、しばらくにぎやかな声は続くのだった。
 
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