兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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後日譚・海に浮かぶ月を見る

そのよん 居酒屋

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 鷲づかみされて、さんざん顔面を締め付けられた後。
 ジルはどうやったのか上手くローの手からシュルリと逃げ出して、離れたところで降参とばかりに両手を上げた。
 糸目がニィと緩やかに弧を描くと同時に薄い唇も弓型になり、人の良さそうな笑顔をつくった。

「お二人さんの仲が良くてなにより。とりあえず、再会の祝杯でもどうっすか?」
「おひとりさまを楽しめ。デートの邪魔すんな」
「ちょっ! 呼びつけといて理不尽! 傷ついたから、おうちに帰るっす」
「待て、仕方ねぇから付き合え。我慢してやる」
「言い方!」

 ポンポンと転がるような軽口の応酬に、ミントはくすくすと笑っていた。
 いつだって余裕を見せているローが本気で顔をしかめて、同い年ぐらいのジルと戯れているところは、悪友同士のやり取りみたいで楽しかった。
 ローとは違う意味でジルも本音が見えなくて、他人をコロコロと手のひらで転がすような軽い言動が常なので、いまだかつて見たことのない態度が新鮮である。

「ローさんとジルさん、仲が良かったんですね」

 顔をしかめての「違う」という否定の声まで重なって、ローとジルは嫌そうに視線を合わせた。
 気が合わない証明のはずが、タイミングもピッタリそろっていたので、否定の意味がないと思ったのだ。
 ただ、笑っているミントの表情が幸福そうだったので、奇しくも二人同時に肩をすくめた。
 どういう事実関係かよりも、大切にしている相手の笑顔は貴重なのだ。

 結局のところ、食事処へ三人で移動することになった。
 マカラタ漁で一緒になった漁師たちに、魚介が美味しいと教えてもらった居酒屋である。
 当然ながら、ローに店の場所を教えた漁師たちもいた。

 三人だと余計な話をミントに聞かせてしまいそうなので、第三者を巻き込んで今日のところはうやむやにするつもりだとジルは察する。
 うわぁぁ~呼び出しておいてコレはないわぁという顔をジルはしていたが、ローに襟首をつかまれて小声で「いっぺん死んでみるか?」と凄まれてあっさり諦める。

 確かに、一般人であるミントに聞かせたくない話は多いのだ。
 ローのお呼び出し理由は「勘」の一言で終わっていたが、国内状況はあまりよくない。
 国王陛下と第三王子の水面下バトルが佳境に入っているため、武力行使の日も近づいていて、そっち関係でジルの持っている話のほとんどが物騒だった。
 殺伐とした話をするよりも、酔っ払いの漁師の話は実に平和だと納得できた。

「よく考えたら、おたく、僕の義弟なんっすね」
「気のせいだろ」
「おたくの嫁は、僕の義妹っすよ! ふたりそろってお兄ちゃんに冷たい」

 シクシク泣いても笑っているように見える糸目だから、二人の言い合いを冗談の応酬だと思って、聞いていた漁師たちもケラケラと笑っていた。
「似てない兄妹だ」と言われてミントはどこまで話していいのか戸惑ったが、ジルが自分の長い髪をつまんで「髪の色は一緒っす」とヘラリと流すので、そのまま自然になごんでしまった。

 漁が終わるなり治療院へ向かうローは愛妻家として通っていて、すでに酔っていた漁師たちと話しているうちに「噂の奥さんだ」と囲まれたミントは、マカラタ漁の様子をニコニコしながら聞いていた。
 偏屈者には慣れているし、壮年の漁師たちから聞く海の話も興味深い。
 飲み口の良いお酒をチビチビやっているうちに、マカラタ漁の様子から離れて漁師たちの武勇伝になっていくのだが、海の事は何も知らないミントにとって楽しい話だった。

 勧められるままに魚介をつまみながら、猟師たちに囲まれたミントがキラキラと目を輝かせている。その様子を、ローが眩しそうに見つめているので、ジルは意外なものと出会ったような不思議な表情をしていた。
 嫁だのなんだのローが言いだしたと義父から聞いても、その顔を見るまでは信じていなかったけれど、これはもう本物である。  
 散々飲み食いした後での別れ際にボソッとつぶやいた。

「おたくにも人間らしいところがあったんっすね」
「ねーよ、そんなもん」

 気のない返事だったが、酔ってウトウトしているミントを背負っているローの表情に、ジルはハッと乾いた笑いを漏らす。
 自分で自分の顔は見れないっすからね。と砂糖を吐きそうな気持ちのまま心の中でつぶやくと、ひらひらと右手を振って「今日のところはこれで」と言い置いて自分の宿へと歩き出したが、すぐに立ち止まる。

「甘やかし方がわからなくって、色々中途半端になったっすけど、良い子っしょ? とりあえずミントが幸せなら、おたくも僕の義弟っす」

 独り立ちを許したのも彼女が自分自身として生きていくために必要だからであって、本当ならば義父である神の手も兄である自分もミントを手離したくなかった。
 普通ではない自分たちを、そういう人だからと穏やかに受け入れ、良心を思い出させてくれる献身と純真さを慈しんできたのだ。
 大切な手中の珠を奪われた腹立たしさもないわけではないが、彼女が愛するなら尊重する度量ぐらいはある。

 ジルに言わせれば、二人を会わせた義父がうかつなのだ。
 知っている中で一番嘘のない男が「その気のね―奴に手なんか出すか」と言ったなら、お互いがその気になったら手を出すに決まっているではないか。
 治癒の能力持ちと武人は惹かれやすいので、せっかく深層心理にまで染み込むように「アイツらは仕事終了と同時に消える生き物だから、甘言の類はヤリ捨て目的だと思え」と教え込んでおきながら、教えた本人が台無しにしているのだから笑える。
 
「腹の中が真っ黒い坊ちゃんに頼まれた調査はあるけど、最優先は可愛い義妹の安全なんで。義父にも僕にも遠慮せず声かけていいっすよ」

 振り向いて告げるジルに、立ち去る背中を見送るつもりでいたローは顔をしかめた。
 神の手の様子から、本人には実感の薄い身内の溺愛状態は予想がついていたが、ここで聞きたくない相手の匂わせがあるとは思っていなかった。

「おい。腹黒小僧の事情に、あんま、首突っ込むなよ。ジジイと違って、てめぇは先が長ぇぞ」
「僕にまで興味が出たんっすか? いや、ほんと、おたくみたいにおっかないのを飼い慣らした義妹がすげぇわ」

 この時期に「勘」の一言で呼び出したのも、神の手があっさり送り出したのも、王権関係のゴタゴタから引き離すためだったのかと、ジルはあきれてしまった。
 戦場で恐ろしいほどにザクザクと殺しまくっている姿しか見てこなかったので、こういう気遣いの言葉ですら、あんた誰? と尋ねたくなるのだ。
 ましてや猛獣のようなこの男が、愛だの恋だのを知る日が来るなど、世界の終焉に立ち会うぐらいの衝撃だった。

「ま、悪い事じゃないから、良しとしましょーか」

 ひょいひょいと軽やかに人混みに消えた細いジルの背中見送って、ローも宿へと歩き出す。
 魔法の腕はともかく、相変わらずかしましい男だったとあきれながらも、背負ったミントが本格的に寝息を立て始めたので笑ってしまった。

 港街にも、仕事にも慣れてきたとはいえ、それなりに気を張っていたのだろう。
 明日に残るほど飲んではいないが、自分の背中で安心して眠るところも可愛い。ずっと笑ってりゃいいのに、と思う程度には、執着じみた感情を抱いている事を理解していた。
 厄介ごとに巻き込まれたくねぇな、とは思ったけれど、未来はわからない。
 自分だけならどうにでもできるが、戦う力を持たないミントのことが気にかかる。
 それでも、ローの本能的な獣じみた勘は、滅多に外れない。

「気のせいで終わりゃいいんだが」

 ジルの顔を見れば、なにかが起こるという予感が濃くなった。
 近いうちに、彼の力が必要になるだろう。

 軽口や態度は油断を誘うけれど、魔法師としてのジルはかなりの手練れだ。
 その彼の力が必要なら、予感の先にあるのは面倒ごとであるのは確かだった。



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