兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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後日譚・海に浮かぶ月を見る

そのご 休日

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 宝月祭が一週間後まで迫った休日。
 ミントは久しぶりにのんびりと一人で過ごしていた。
 本来はローも休日だったが、宝月祭の直前まで船の護衛としてマカラタ漁に出向いている。

 なんでもマカラタを捕食する、肉食のシャークゥという巨魚が現れたらしい。
 マカラタ漁には付き物のシャークゥだが数頭の群れで行動するし、漁のために群れから引き離したマカラタの個体を狙うのが厄介で、たまに船そのものも狙われるから討伐するか休漁するしかないという。
 やっかいなシャークゥだが海神の下僕でもあるので、宝月祭の最中は討伐を行わない。

 例年通りなら休漁しか選択肢がないのだが、ローがいると漁の船団に近づかないらしい。
 出現時に運悪く船をひっくり返され海に落ちた人を狙ってシャークゥの巨影が迫っていたので、威嚇のためについ愛用の魔槍を投げたら鼻先ではじけた強い衝撃波に恐怖して逃げた。それからローの魔力と存在認知してから遠巻きにしているそうだ。
 当たり前の顔で「俺は強ぇからな」と言いつつも、ローがいないと近寄ってくる通常通りの動きなので、漁師たちに懇願され「祭りまで休めねぇ」と頭を悩ませていた。

 ローを悩ませているのがミントの安全だと感じて、自分に関わることだし「危険な何かがあるの?」と不安になって理由を聞いたら「勘」と言うので笑ってしまった。
 それでも気にかけてもらえるのは嬉しいから「一人では宿から出ない」と約束して送り出すことにした。
 ジルと一緒に出かけるにしても顔なじみのいる近所の商店街だけで、迷子になるような幼い子供ではないからそこまで心配しなくてもいいのに、とも思う。

「育ちの良さそーな嬢ちゃんにしか見えねぇんだから、観光客だらけの今は用心しろよ。良い子で待ってな」
「出かけるときは、ジルさんと一緒に、でしょ?」
「おう。気に入らねーが、お兄ちゃんと一緒にな」

 嫌そうにジルのことまで口にするから「気に入らないの?」と笑うミントに「奴も男だぞ、ちったぁ自分が女だって自覚しろ」とぼやきながらローは出て行った。
 笑って送り出したものの、その言葉にちょっと驚いていた。
 ジルに対して妬いてる理由はよくわからないが、ことあるごとに「女だって自覚しろ」と言われて照れてしまう。

 それほど迂闊な行動をしていないとミント自身は思うのだが、どうやら違うらしい。
 そう言えば、幌馬車で別れたきりの僻地のおじ様たちにも「無防備がすぎる!」と気にかけてもらったことを思い出し、なんだか懐かしくなった。

 昼食を誘いに来たジルと一緒に出掛け、なんだかんだと理由をつけて甘やかそうとするにぎやかさに苦笑しながら、夕食用に僻地で教えてもらった料理の材料を買いそろえる。
 増えていく荷物を抱えたジルが「たまにしか会えないからもっと貢ぎたいっす」などと冗談を言い出すので、適当に聞き流して宿の玄関で別れた。
 いつものように宿の中に入って扉を閉めるまで見送られて、あいかわらず過保護だなぁと思ったけれど、昔からそうだったと胸がいっぱいになる。
 ローさんが帰ってきたら、とりとめのないこの懐かしさを話したいと思う。

 懐かしい気持ちの時には、懐かしい料理を作るときでもある。
 北からは遠く離れているのに、交易が盛んな港街だからか意外なことに必要なものがそろって良かったと思いながら、一度部屋に戻って荷物を置いた。
 夕食に必要な材料だけを抱えて調理場へと向かったが、途中で思わず足を止める。

 階段の半ばで、女性がうずくまっていた。
 細く優美な姿態や品の良い体に添ったデザインのデイドレス姿は、ダンテの妻であるロザリンデだ。頭の先から首まですっぽり覆うウィンプルの上にレース素材のベールをかぶった姿は特徴的で、他の宿泊客と見間違えようもない。
 ベール越しで顔色はわからないが、手すりに添えた手の甲も青白くて体調が悪い事が見て取れた。

「どうされました? お手伝いは必要ですか? 少し、手をお借りしますね」

 駆け寄って細い手を取り、脈を図る。
 特に乱れていないが弱弱しく、冷たくなった手はひんやりとして、血のめぐりが悪くなっているようだった。貧血を起こしているのは間違いない。

 不安定な場所でめまいでも起こしたら階段を転がり落ちてしまうので、ミントは急いで手にしていた料理の材料を自分の部屋に置きに走り、すぐに戻ってロザリンデを支えて立ち上がる。
 長身で華奢なロザリンデに対して、小柄なミントは身長が圧倒的に足りなかったが力はあったので、担ぐようにしてとりあえず部屋へと送った。
 寝台で寝る事は拒否されたのでソファーまで運ぶと、ロザリンデはぐったりと身をうずめた。
 医療従事者であっても緊急でない限り勝手な治療や診察はしないので、膝をついてロザリンデの左手を取ると、両手で包みむようにして問いかける。

「あの……ダンテさんをお呼びしましょうか? 同僚ですし、私と交代すればすぐに帰宅できますから」
「およしになって、優しいあなた。少し休めば落ち着きますわ」

 自由な右手が包んでいたミントの手をそっとなでて、鈴が転がるような可憐な声音で告げるから、ミントは微笑みで了承を伝えたけれど内心では息が止まりそうだった。
 食堂と自室との往復ぐらいでダンテと一緒でもほとんど外出しないこの人は、間違いなく異国の貴族の出だ。おそらくは高位貴族の生まれ育ちで、本来ならこんな庶民向けの宿にいて良い人ではない。
 だからといって体調が悪い人をほっとくわけにもいかないので、不自然にならない程度に用心しながら「私が診ても?」と問いかけたら、ゆるやかに首を横に振って拒絶された。

「ダンテに診てもらっていますし、よくある貧血ですの。お気になさらないで」
「わかりました。では、私はコレで」

 早々に立ち去ろうとしたけれど、ロザリンデにキュッと手を握られる。
 そのまま抱きしめるようにして胸元にまで両手を引き寄せられ、ミントは戸惑った。
 ぎゅっとミントの手を握りしめたまま、うつむいたロザリンデから小さな声がポツンと零れ落ちる。

「ねぇ、優しいあなた。一緒にいて下さらない? わたくし、ずっとひとりで……とても、さみしいわ」

 かよわく震える様子にミントは戸惑ったけれど、悩んだ末にコクンとうなずいた。
 確かに、ロザリンデはずっと宿にいて、食堂でもほぼ口を開かないし、ダンテ以外と話すこともない。
 そのダンテもずっと仕事に出ていて、連日のように働いている。
 宿にこもって留守番をしているロザリンデが、付き人すらいない生活に孤独を感じるのも当然である。

 元貴族とわかる人に深くかかわるのは良くないと思ったが、病気の時は特に気が弱くなるものだ。
 それに宿の部屋の中だから、看病がてら落ち着くまで側にいるぐらい問題ないと思った。
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