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短編の追加・盛り合わせ(未仕分け)
雨という言葉を使わず雨を表現する話
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日直の仕事を終えて教室に戻ると僕だけで、放課後の静けさに包まれていた。
朝からお天気が悪かったので、クラスメイト達も早めに帰ったのだろう。
シンと沈黙が落ちたような無人の教室に響くのは、開け放たれた窓の外から響いてくる軽やかな水音だけ。
窓を閉めて戸締りをキチンとしたら、さっさと帰ろう。
そんな風に思いながら、先に自分の荷物をまとめる。
と、パタパタとあわただしい足音を廊下に響かせながら、誰かが教室に近づいてきた。
廊下を走っちゃいけないのにな、なんてノンビリ思っていたらガラリと扉が開く。
軽く息を弾ませながら現れたのは、榎本さんだった。
僕と目が合った瞬間に、大きな瞳が驚いたようにまたたく。
けれど、ポニーテールをプルンと揺らして、息を整えながら彼女はニコリと笑った。
「藤岡君も居残り?」
「う~ん、居残りというか、日直?」
真面目に答えただけなのに、榎本さんは何がおかしかったのか「なんで疑問形なの?」と噴き出したあげく、そのままコロコロと笑い転げていた。
なんだ、普通に笑えるんだ、と僕は妙なことに感心する。
ハキハキしたしゃべり方をするし、クリッとした大きな瞳で意志の強そうな顔立ちをしている榎本さんは、普通に立っているだけでも目を引く綺麗な子だ。
しっかり者のように見えて、実は方向音痴だということを僕は知っている。
初めて登校した日に校門から駅までの道がわからなくて……というか、完全に方向も見失って、帰れへん……と泣きそうになっていたので、一緒に駅まで歩いたのだ。
だからといってそれは引っ越してきたばかりだからという理由もあって、土地勘がなくても仕方ない気がする。
6月になってから県外から転校してきたので制服も言葉のイントネーションも僕らとは違っていて、いつもどこか緊張した表情をしていることが多かったので、無邪気そのもののその笑顔はなんだか新鮮だった。
「榎本さんは、居残り?」
「うん、そう。やっと教科書と制服が届いたんよ」
引き取りは今日じゃないけどね、などとケロリとした顔で言う。
サクサクと榎本さんは荷物をまとめ、チラッと開いている窓に視線を向ける。
「今から戸締りするの?」
「うん、そう」
へ~と言いながら、榎本さんは窓に近づいた。
外を見て何か楽しいものが見えたのか、ふふふっと小さく笑った。
クルンと彼女が振り向くと、プルンとつややかな髪もその動きに合わせて揺れる。
一挙一動が絵になるので、僕は何となく榎本さんから目が離せなかった。
「ねぇ、藤岡君は、国語って得意?」
「え?」
「こういうお天気……直接的な言葉を使わずに、藤岡君ならどう表現する?」
こういう、と指し示す細い指先を追って、僕も窓の外を見るために榎本さんの横に並ぶ。
開け放たれた窓の外は、サァサァとやわらかな水音を響かせていた。
地面に広がった水たまりに、無数の波紋がさざめくように生まれて消えていく。
重たげに首を垂れたアジサイは色鮮やかで、緑の葉が零れ落ちる雫で揺れている。
「ピアノの調べのような……とか、天の奏でるシロフォン、みたいな?」
コテンと榎本さんは首をかしげた。
不思議でたまらないといいたげな、子供のような表情をしている。
「シロフォン?」
「木琴のこと」
パッと榎本さんの表情が華やいだ。
花が咲いたみたいに、綺麗な笑顔になる。
「ああ……木琴! ピアノもだけど、打楽器の音みたいって、なんかわかる」
あんまり無邪気に喜ぶので、なんだか心の奥がムズムズしはじめる。
榎本さんみたいに綺麗な子の笑顔は、見慣れていないのでダイレクトに心臓に響く。
やばい、心拍数が勝手に増えてしまう。
「えっと、榎本さんなら、どんな風に表現する?」
会話を打ち切るのがもったいない気がして、そっと聞いてみた。
榎本さんは華やいだ笑顔を消して、ふっと窓の外を見る。
今までの笑顔が嘘みたいに真剣な眼差しに揺れるアジサイを映し、かすかに唇を震わせた。
何かを言いかけ、だけどすぐにキュッと唇を引き結び、少しだけ悩んでいたみたいだけど、ゆっくりと僕に向き直る。
「空が泣き止むまで、あたしの側にいて」
怖いぐらい透き通った瞳が、まっすぐに僕を見ていた。
お互いの視線が痛いぐらいぶつかって、返す言葉が出てこない。
「夜なら……雲に隠れても月は綺麗ですね、って言えるのに」
喉に声が張り付いてしまい、心臓だけがおかしいぐらい跳ね回っている。
窓から忍び込んでくるしっとりと濡れた匂いが苦しいくらい身体を包み込む。
息苦しいのはきっと、湿度のせいだけではないと思う。
「夏目漱石なら、なんて言うのかな?」
徐々に頬に熱があつまり、僕も榎本さんもじわじわと赤くなっていく。
文学的だね、なんてサラリと流せばよかったかもしれないけれど、僕は榎本さんから目が離せなかった。
先に視線をそらしたのは、榎本さんだった。
揺れるように眼差しを床に落とし、かぼそい声でポツンと言った。
「あたし、藤岡君をすいとぅよ」
こぼれ落ちたようなそのささやきを残し、榎本さんは荷物をつかむとパタパタと逃げるように走り去ってしまった。
引き留める間もない華麗な逃走だった。
残された僕はといえば、しばらく思考が停止していた。
榎本さんが残した言葉を、理解するのを脳が受け入れられなかったのだ。
すいとぅって、なんだ? なんて真面目に考えてしまって。
うん、言葉の意味は、分かるんだけど。
すいとぅよって、好いてるよってことで。
好いてるよって、好きだよってことで……好きだってことで……榎本さんが僕のことを好きだって、それでいいんだよな?
そこまで他人事のように頭の中で意味を組み立てて、それがもしかして告白だったのではないかと思いいたって、その後でガツンと感情で殴られたように動揺して思わずのけぞってしまった。
マジか?! 嘘だろ、おい!
あわわわわと驚きすぎて、てんぱってしまう。
榎本さんを捕まえて本当のところを訪ねたかったけれど、とっくの昔に逃走されてしまっていて。何をどうすればいいかわからない。
思わず頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。
「すいとぅって……なんで逃げるんだよ」
恥ずかしすぎて、明日まで耐えられる気がしない。
今すぐ追いかけたら、捕まえられないだろうか。
いや、落ち着け。
確か、メッセージアプリのアカウントは教えてもらっている。
今からだと追いつけないのは確かだから、確実に伝えられる方法を選べばいい。
僕のどこが良かったのかわからないし、実は僕に都合の良い勘違いかもしれないけれど。
榎本さんに、僕の言葉でちゃんと伝えなくては。
空が泣き止むまで、どころではなく。
空が泣き止んでも、僕の側にいてほしいのだから。
朝からお天気が悪かったので、クラスメイト達も早めに帰ったのだろう。
シンと沈黙が落ちたような無人の教室に響くのは、開け放たれた窓の外から響いてくる軽やかな水音だけ。
窓を閉めて戸締りをキチンとしたら、さっさと帰ろう。
そんな風に思いながら、先に自分の荷物をまとめる。
と、パタパタとあわただしい足音を廊下に響かせながら、誰かが教室に近づいてきた。
廊下を走っちゃいけないのにな、なんてノンビリ思っていたらガラリと扉が開く。
軽く息を弾ませながら現れたのは、榎本さんだった。
僕と目が合った瞬間に、大きな瞳が驚いたようにまたたく。
けれど、ポニーテールをプルンと揺らして、息を整えながら彼女はニコリと笑った。
「藤岡君も居残り?」
「う~ん、居残りというか、日直?」
真面目に答えただけなのに、榎本さんは何がおかしかったのか「なんで疑問形なの?」と噴き出したあげく、そのままコロコロと笑い転げていた。
なんだ、普通に笑えるんだ、と僕は妙なことに感心する。
ハキハキしたしゃべり方をするし、クリッとした大きな瞳で意志の強そうな顔立ちをしている榎本さんは、普通に立っているだけでも目を引く綺麗な子だ。
しっかり者のように見えて、実は方向音痴だということを僕は知っている。
初めて登校した日に校門から駅までの道がわからなくて……というか、完全に方向も見失って、帰れへん……と泣きそうになっていたので、一緒に駅まで歩いたのだ。
だからといってそれは引っ越してきたばかりだからという理由もあって、土地勘がなくても仕方ない気がする。
6月になってから県外から転校してきたので制服も言葉のイントネーションも僕らとは違っていて、いつもどこか緊張した表情をしていることが多かったので、無邪気そのもののその笑顔はなんだか新鮮だった。
「榎本さんは、居残り?」
「うん、そう。やっと教科書と制服が届いたんよ」
引き取りは今日じゃないけどね、などとケロリとした顔で言う。
サクサクと榎本さんは荷物をまとめ、チラッと開いている窓に視線を向ける。
「今から戸締りするの?」
「うん、そう」
へ~と言いながら、榎本さんは窓に近づいた。
外を見て何か楽しいものが見えたのか、ふふふっと小さく笑った。
クルンと彼女が振り向くと、プルンとつややかな髪もその動きに合わせて揺れる。
一挙一動が絵になるので、僕は何となく榎本さんから目が離せなかった。
「ねぇ、藤岡君は、国語って得意?」
「え?」
「こういうお天気……直接的な言葉を使わずに、藤岡君ならどう表現する?」
こういう、と指し示す細い指先を追って、僕も窓の外を見るために榎本さんの横に並ぶ。
開け放たれた窓の外は、サァサァとやわらかな水音を響かせていた。
地面に広がった水たまりに、無数の波紋がさざめくように生まれて消えていく。
重たげに首を垂れたアジサイは色鮮やかで、緑の葉が零れ落ちる雫で揺れている。
「ピアノの調べのような……とか、天の奏でるシロフォン、みたいな?」
コテンと榎本さんは首をかしげた。
不思議でたまらないといいたげな、子供のような表情をしている。
「シロフォン?」
「木琴のこと」
パッと榎本さんの表情が華やいだ。
花が咲いたみたいに、綺麗な笑顔になる。
「ああ……木琴! ピアノもだけど、打楽器の音みたいって、なんかわかる」
あんまり無邪気に喜ぶので、なんだか心の奥がムズムズしはじめる。
榎本さんみたいに綺麗な子の笑顔は、見慣れていないのでダイレクトに心臓に響く。
やばい、心拍数が勝手に増えてしまう。
「えっと、榎本さんなら、どんな風に表現する?」
会話を打ち切るのがもったいない気がして、そっと聞いてみた。
榎本さんは華やいだ笑顔を消して、ふっと窓の外を見る。
今までの笑顔が嘘みたいに真剣な眼差しに揺れるアジサイを映し、かすかに唇を震わせた。
何かを言いかけ、だけどすぐにキュッと唇を引き結び、少しだけ悩んでいたみたいだけど、ゆっくりと僕に向き直る。
「空が泣き止むまで、あたしの側にいて」
怖いぐらい透き通った瞳が、まっすぐに僕を見ていた。
お互いの視線が痛いぐらいぶつかって、返す言葉が出てこない。
「夜なら……雲に隠れても月は綺麗ですね、って言えるのに」
喉に声が張り付いてしまい、心臓だけがおかしいぐらい跳ね回っている。
窓から忍び込んでくるしっとりと濡れた匂いが苦しいくらい身体を包み込む。
息苦しいのはきっと、湿度のせいだけではないと思う。
「夏目漱石なら、なんて言うのかな?」
徐々に頬に熱があつまり、僕も榎本さんもじわじわと赤くなっていく。
文学的だね、なんてサラリと流せばよかったかもしれないけれど、僕は榎本さんから目が離せなかった。
先に視線をそらしたのは、榎本さんだった。
揺れるように眼差しを床に落とし、かぼそい声でポツンと言った。
「あたし、藤岡君をすいとぅよ」
こぼれ落ちたようなそのささやきを残し、榎本さんは荷物をつかむとパタパタと逃げるように走り去ってしまった。
引き留める間もない華麗な逃走だった。
残された僕はといえば、しばらく思考が停止していた。
榎本さんが残した言葉を、理解するのを脳が受け入れられなかったのだ。
すいとぅって、なんだ? なんて真面目に考えてしまって。
うん、言葉の意味は、分かるんだけど。
すいとぅよって、好いてるよってことで。
好いてるよって、好きだよってことで……好きだってことで……榎本さんが僕のことを好きだって、それでいいんだよな?
そこまで他人事のように頭の中で意味を組み立てて、それがもしかして告白だったのではないかと思いいたって、その後でガツンと感情で殴られたように動揺して思わずのけぞってしまった。
マジか?! 嘘だろ、おい!
あわわわわと驚きすぎて、てんぱってしまう。
榎本さんを捕まえて本当のところを訪ねたかったけれど、とっくの昔に逃走されてしまっていて。何をどうすればいいかわからない。
思わず頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。
「すいとぅって……なんで逃げるんだよ」
恥ずかしすぎて、明日まで耐えられる気がしない。
今すぐ追いかけたら、捕まえられないだろうか。
いや、落ち着け。
確か、メッセージアプリのアカウントは教えてもらっている。
今からだと追いつけないのは確かだから、確実に伝えられる方法を選べばいい。
僕のどこが良かったのかわからないし、実は僕に都合の良い勘違いかもしれないけれど。
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