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『入れない家』の調査に行きます

『入れない家』の調査に行きます③

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 カグラちゃんはどうして、"対価"に同行を望んだのだろう。
 わからない。でも今はその理由よりも、中にこもる"誰か"に会いたいって、その気持ちのほうが強い。
 緊張に、鼓動が速まる。
 くぼんだ引手にかかった雅弥の指先が、ぐっと力を込めて丸まった。

(とうとう、中に――)

「……あ、あれ?」

「……新垣の言っていた通りだな」

 予想通りだとでもいう風にして、雅弥が手を退ける。
 え、あ、そうだった。そもそも"中"に入れないって話だった!

「ごめん、私にも試させて!」

 先ほどまでの緊張をうまく処理しきれなくて、歩を進めた私は引手に両手をかけ、力の限りを込めた。

「……あかない」

「だから、そう言っているだろう」

 悔しさに反対側の扉を押してみたり、上下に揺らしてみようとする。
 けれどもやっぱり、ピクリとも動かない。
 これではまるで扉というより、塗り固められた厚い壁のような。

「もしかして本当に、呪いだったり?」

「……いや」

 慎重な面持ちで戸に触れた雅弥は、その向こう側を透視するかのようにじっと見つめると、

「……これはあやかしの術だな。俺達がこじ開けようとしているのに、気付いたようだ。随分と気配が濃い」

 ふと、眉間に微かな皺を寄せて、雅弥が私に顔を向けた。

「……アンタは、なにか感じないのか」

「え? う、うん。あの黒い靄を見ちゃった時みたいに、変な感じもしないし……」

「……そうか」

 一瞬、呆れられたのかと思ったけど、よくよく見ると雅弥は私の返答に考えるような素振りをしていた。
 おもむろに布鞄を開く。取り出したのは、もはや見慣れてきたあの美しいこしらえの――。

「万年筆の"薄紫"……っ!」

「万年筆じゃない。便宜上、普段はペーパーナイフを模した姿をしているだけだ」

 "薄紫"、と。呼ぶ雅弥に応えるようにして、閃光の中から刀が現れた。
 もしかしてこの変化へんげも、"化け術"の一種?
 となるともしかして、この刀ってあやかしだったり……?

「って、ちょっとちょっと!」

 私は慌てて雅弥の手を両手で抑え、

「まさか、扉を斬るつもり? いくら取り壊し予定の家だからって、勝手に壊したら駄目でしょ……! せめて新垣さんに許可をもらってから――」

「違う」

 雅弥は空いていた左手で、私の制止を引き剥がし、

「術を破るだけだ。扉は斬らない。……下がっていろ」

 それなら、とおとなしく数歩を退いた私を横目で確認して、雅弥は再び戸へ向いた。
 すらりと抜かれた刀身。雅弥は腕を曲げ、刀を横向きに構えた。瞼を閉じる。

「"破"」

 たった一言。目を開けた雅弥は刀身を鞘に納め、再び引手に手をかけた。刹那。
 ――ガラリ。

「! あ、あいた……!」

 感動に跳ねる勢いの私になど目もくれず、雅弥は真剣な双眸で家の中を見渡し、片足を玄関内に踏み入れた。
 変化は、ない。私も緊張こそあれど、相変わらず何も感じない。
 問題ないと判断したのか、雅弥は「いくぞ」とだけ発して更に歩を進め、上り口でさっさと草履を脱いでしまう。

「あ、待って!」

 私も慌てて後を追い、「お邪魔します」と上り口でスニーカーを脱いでから、揃え置いた。
 雅弥は硬い面持ちで、廊下の先や二階へと続く階段をきょろきょろと見遣っている。

(あ、靴脱ぐんだから、逃げるのにスニーカーとか関係なかった)

 まあ、家の外まで追ってくる可能性も無きにしも非ずだし、準備は念入りにってね!
 鼻息荒く立ち上がった私は、"何か"の不意打ち攻撃に備え、握った両手を胸前で構えた。
 途端、雅弥が本気で馬鹿にしたような眼を向けてくる。私はすかさず、

「言っておくけど、遊んでるんじゃなくって、大真面目だからね!」

「……わかっている」

 うっすら哀れんだ響きも感じたけれど、今は無視無視!
 雅弥みたいに何かを感じとれているワケじゃないけれど、私だって"見える"んだから、多少なりとも戦力になれるはず。

 見渡した上り口の横には、扉付きの下駄箱。その上には数本の折り畳み傘や、使い込まれた帽子と軍手。
『おじいちゃんへ』と幼い字で書かれた額縁入りの似顔絵が、生前の日常をそのままに遺している。

「……ここには居ないな」

 呟いて、雅弥は扉が開かれたままのリビングに入っていってしまう。
 ついて来いと言いたげな一瞥を受けたので、私もおとなしく後に続いた。

(……なんか、空気がじっとりしてる)

 もう春も中頃だというのに、ずっと締め切られていたからだろうか。
 それとも、これが"何か"の気配なのか。

(やっぱり悪い感じはしないけどなあ……)

 とはいえ雅弥には、「有事には全力で逃げる」と宣言してしまった。
 わたしも気を引き締めて、部屋を見渡す。
 台所前に置かれた四人掛けのダイニングテーブルは、細かい傷が多い。机上に置かれたテレビのリモコン横に、四つ折りにされた新聞が数束積み重なっている。

 テレビ台に飾られたあみぐるみの熊と猫は、毛羽立っててもホコリはほとんどなく。
 共に飾られたダルマの置物と一緒に、随分と長いこと大切にされてきたのだと、一目瞭然。

 ふと。視線を台所に投げると、冷蔵庫には着飾った和服姿の幼い女の子の写真をはじめ、マグネットに加工された小さな家族写真が貼られている。

「……ここ、取り壊し前にちゃんと娘さんに見てもらわないとだね」

 見れば見るほど、故人の生と、それまでの歴史が息づいている部屋だ。
 きっと、娘さんも持ち帰りたいと。
 たとえそれが無理でも、写真にだけでも収めたいって思う品があるはず。

 雅弥は同意も否定もせず、「俺は、俺の仕事をするだけだ」と、隣に繋がる和室へと場所を移した。
 私は窓へと近づいて、勝手に揺れたというカーテンを手に取った。身体を半分差し入れて、その裏や、隙間も確認してみる。
 うん、異常なし。仕掛けもないし、何もいない。

「ねえ、雅弥。さっき気配が濃いって言ってたけど、どの部屋にいるかってわからないの?」

「さっきから探ってみてはいるが、今度は随分と息を潜めているようだ。階上もそうだったが、この部屋もすでに"気配"が染みついている。こちらが見つけるのが先か、向こうから仕掛けてくるのが先かだ」

「そう、それ! 新垣さんの話ではいろいろ怪現象が起きてたみたいなのに、まだ何も起きてないなんて変じゃない?」

「術を破って入ったからな。警戒しているんだろう。相手は"馬鹿"ではないということだ」

 押し入れの襖を躊躇なく開いた雅弥が、首を差し入れて念入りに調べ始める。

(こっちが見つけるのが先か、向こうが仕掛けてくるか、かあ……)

「……雅弥。私は廊下奥の洗面台のほう、探してきてもいい?」

 雅弥はこちらに顔を向けもせず、

「ダメだ。見える範囲にいろ」

「……効率悪くない?」

「効率を優先させるのなら、外で待たせた。家に上がらせてしまった以上、俺には"責任"がある。アンタを五体満足のまま、帰さないといけない」

「…………」

 それってつまり、場合によっては腕の一本くらいはなくなるってことで……。
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