空に想いを乗せて

美和優希

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第1章

三年前の出来事(2)

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 私の代わりにトラックにはねられたお兄さんは、あのあとすぐに救急車に運ばれていったそうだ。


 お兄さんが亡くなっていたという話は、私が目覚めた数日後、お父さんから聞かされた。

 私の二つ歳上の、他校の中学生の男の子だったらしい。


 あのとき、彼が私の背中を押さなかったら、きっと私は今をこうして生きていなかったんだろう。

 私が、代わりに死んでいたはずだったんだ。


 お父さんから、遺族の方に謝罪とお礼と伝えてくれたらしい。

 私からも何かしたいと思う気持ちはあったが、それはお父さんにやんわりと制されてしまったことは覚えている。

 せめて、何かお兄さんの手がかりを掴みたかったが、テレビはその当時起きた大手メーカーの不祥事の事件一色に染まっていて、何も掴めなかった。

 お父さんは何か知っていそうだったけれど、私が悩んだらいけないからと、必要以上にお兄さんについて口を開くことはなかったし……。


 今も目を閉じれば容易に蘇る、血まみれのお兄さんの姿と、傍で私を恨みがましく睨んでいたお姉さんの姿。

 二人は、恋人だったんだよね……。


 お兄さんの人生を奪ってしまって、ごめんなさい。

 お姉さんの大切な恋人を奪ってしまって、ごめんなさい……。


 いくらあのトラックが悪かったとはいえ、私がもっと注意して気づけていれば、あんな事故にならなかったはずなのに……。


 私がぼんやり歩いていたばかりに……。

 そう思うと、悔やまれてならない。


 膝元に残る古傷は、そのときにできた傷あと。

 完全に治ったとはいえ、ケロイド状となって痕となったこの傷は、未だに時々痛む。


 一般的に見たら、不運な事故だった。

 だけど、私にはあの事故を不運な事故だなんて言葉で片付けることなんて、できるわけがない。


 もちろん私があの事故を忘れられるはずもなく、未だに何で私が生きてるんだろうとさえ感じるときもある。


 その痛みを背負いながらも、お兄さんの生きることのできなかった今を真面目に生きることが、せめてもの償い。

 お兄さんの分も出来ることは全部全力で頑張って生きていくことが私の使命。そう思って、生き続けてきた。


 それでも、あの事実は決して消えることはない。

 そんな私が、浮かれて恋なんてする資格があるのかな……?

 だから最近は、私の頭の中にいつもいる柳澤くんの姿を、何度も頭を振って掻き消しているんだ……。


 *


「いいんちょー、おはよっ!」


 その日の朝は奈穂を幼稚園に送り届けて登校したあと、クラス委員長の仕事で職員室に行っていた。

 教室へと戻ろうと廊下を歩いていたとき、ちょうど登校してきた柳澤くんに明るい声とともに背後から両肩をつかまれた。



「や、柳澤くん!? お、おはよう」


 柳澤くんとはお昼休み一緒に過ごすようにはなったけれど、そのとき以外は頻繁に話すわけではない。

 今までだってほとんど接点のなかった私たちを見て、傍を通りかかる人たちは珍しいものを見るような目でこちらを見ていた。



「いいんちょー、驚き過ぎでしょ! なんか、元気なかったけど、大丈夫?」


 もしかして、私を気遣って声をかけてくれたの……?

 っていうか私、そんなに暗い表情してたっけ!?



「はい、いいんちょーの元気が出るように」


 そう言って、柳澤くんは、私に向かってグーにした右手を差し出す。



「?」

「ほら、いいんちょー、両手広げて!」


 すると、イチゴミルクのキャンディーを手の平いっぱいに乗せられる。


「ちょ、ちょっと、こぼれる、こぼれるっ!!」

 今にも山になって手の平から崩れ落ちそうになる、イチゴミルクのキャンディー。


 その中に、不自然に挟まる白いメモ紙を柳澤くんが指で引っ張る。


「これな、俺の連絡先! いつでも連絡ちょーだい? 昼休みにって思ったら、忘れちゃうんだよね」

 ニッと白い歯を見せて笑う彼は、やっぱり私の心を癒す。



「え、あ、ありがとう」

 憂鬱だった気持ちが、嘘みたいに晴れ上がる。



「うん、笑った。やっぱり委員長は笑顔の方が可愛い!」

「ちょっ、な……っ」


 私の反応に、ハハッと笑う柳澤くんの気持ちはわからない。

 だけどこのとき、やっぱり私の心は柳澤くんに惹かれていることを認めざるを得なかった。
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