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2.恋するレモンチーズケーキ

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「あ……っ」


 商店街に向かう道すがら、通りかかった屋寝付きのバス停のベンチに見覚えのある人影が見えた。

 肩までのウェーブのかかった茶髪に、今日は秋らしい色合いの服装をしているお洒落な女性は、寄り道カフェの常連客の京子さんだ。

 ベンチに腰かけてぼんやりとどこか遠くに視線をさ迷わせる横顔に覇気はなく、やっぱりまだ失恋から立ち直れていないんだと感じさせられる。

 声をかけるかかけまいか、思わず足を止めて京子さんの方を見ていると、不意に京子さんがこちらを向いた。


「あら、新入りちゃんじゃない!」

 私を視界に入れるなり、今までの翳った表情を嘘みたいに引っ込めて、京子さんはにこりと元気そうな笑みを見せる。


「こんにちは」

「あ、今日はバイト休みか」

「はい。私は土日はお休みなんです」

「そっか。買い物?」

 京子さんは、私の手から提がる赤いエコバッグに視線を落とす。


「母に頼まれてしまって……。京子さんは?」


 聞いたら悪いかなと思いながら、今はすっかり姿を消してしまったさっきの切なげな表情が頭から離れなくて思わずたずねてしまう。

 けれど京子さんは私が思っていたよりもずっとすんなりと彼女自身の心の内を口にしてくれた。


「ここね、この前言ってた彼氏にフラれた場所でさ、感傷に浸ってたの」

「……え。そう、だったんですか」

「ええ。彼ね、そこの大学に通ってたから、よくここのバス停で待ち合わせをしていたのよ。あの日もそうだったわ」


 このバス道を商店街のある方向と反対側に五分ほど歩いたところに、私立の四年制大学がある。

 だから平日の夕方はここのバス停が学校帰りの大学生であふれているといったことは、日常の光景だった。


「あたしが寄り道カフェに通うのにこのバスを利用していたから、同じようにこのバスを使ってた彼があたしに一目惚れしたのが始まりだった」

 京子さんはどこか懐かしむように目を細める。

 愛しさと寂しさとが混じりあった瞳を見て、隣で見ている私の心もきゅっとなった。


「ずっと一緒だなんてよく言ったものよ。本気でそうなればと彼といる未来をシュミレーションしていたのに、あっさりこの春に入学してきた後輩のことを好きになりましたって。なかなか言い出せなくて、半年くらい黙ってたそうよ、彼」

「そんな……っ」

「ね? 頭に来るでしょ。なのに、あたしが怒ると思ったら言い出せなかったとか、あたしのせいばっかりにして……っ!」

「それは酷いですね……」

「でしょ? 他に好きな子ができたと聞いたときから悔しかったけどさ、あとから思えばだんだん腹が立ってきて……っ!」

「それで、彼に思っていることを言いに来たのですか?」

 だけど、京子さんは静かに首を横にふった。


「ここに来たのは、また寄り道カフェのケーキとアイスミルクティーに癒してもらうため。だけどここに来た途端、動く気になれなくなっちゃって」

「そうでしたか……」


 京子さんは悔しそうに両手を握りしめる。

 そのとき、私を通り越した先を見つめたまま、京子さんが固まった。


「京子……」

 思わず低い声の聞こえた方を振り向けば、茶髪に水色のポロシャツを来た大学生くらいの男性と、その男性と腕を組む栗色ウェーブの髪の女性が見えた。

 その様子から、彼が京子さんと付き合っていた彼氏だったんだって直感でわかった。


「え? この人が先輩の元カノ?」

 京子さんの名前を知っていたのか、栗色ウェーブの女性は少しまゆを寄せる。


「何言ってるんだよ。俺に元カノなんていないって言っただろ? ずっと付きまとわれてたから周りには付き合っていたように見えてたみたいだけど、実際のところ、そんなんじゃねぇから」

 困ったように視線を動かしたように見えたがそれも束の間、男性はヘラりと笑ってそう誤魔化す。

 京子さんは強気で言い返すのかと思いきや、悔しそうに唇をかんで、その場を立ち上がって商店街の方へ早足で歩いていってしまう。


「京子さん……っ!」

 私が思わず呼び止めるも、京子さんは全く足を止める素振りを見せない。


「へぇ、先輩、大変だったんですねぇ。でも、もううちがいるから大丈夫ですね」

「そうだな。警察に相談する前にきみという恋人ができて俺は幸せだよ」


 私がバス停に来た二人の横を通り過ぎたときに聞こえた男女の声に、思わず京子さんを追いかけようとした足を止めた。
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