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3.気持ち重なるミル・クレープ

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 そして、再び私を漆黒の瞳に映すと、いつもは真顔の綺麗な顔を、少し緩めた。


「……善処する。ありがとう、綾乃」

 今まで見たことのないような優しい表情を向けられて、今この瞬間だけ時が止まったような錯覚にさえ陥りそうだった。


「気をつけて帰れよ」

 そして、そう小さく呟くように言って、坂部くんは今度こそ寄り道カフェの戸の中へ消えていった。


 坂部くんはずるい。

 日頃はクールで、今まで散々私のことを突き放すようなことを言ってばかりだったくせに、突然手のひらを返したような態度を取られるのは変な感じだ。


「何で私、さっきからこんなにドキドキしてるんだろう……」


 坂部くんの意外な一面にふれたからなのか何なのか、ドキドキと高鳴る鼓動の理由はわからない。

 けれど、思わぬ言葉をもらって、私は何だか照れ臭いような気持ちになったのは確かだ。

 お礼を言ってくるということは、私は決して坂部くんに鬱陶しがられていたわけではないということだろうか。

 何となく胸の奥底があたたかくなるのを感じながら、私は夜道を歩いた。

 *

 翌日。私は一枚のCDを明美から借りて、放課後、寄り道カフェへ向かった。


「まさか昨日のお客様にそんな事情があっただなんて……」


 レジカウンターの端にブルーのCDデッキを持ってきてくれたミーコさんは、明美から借りたCDを再生してくれる。

 昨日、京子さんや坂部くんは私の話を聞いていたけれど、ミーコさんはあのときはお店の外にいたから、今改めて浜崎さんのことを説明したのだ。

 明美には変に思われたらどうしようとは思ったが、浜崎さんが部活にこれなくなったきっかけとなった大会の曲のCDを借りてきた。

 昨日は結局何もできなかったが、ミーコさんから坂部くんのこの店に対する思いのようなものを聞いて、私も何か力になりたいと思ったのだ。


「だからって、ちょっと荒療治過ぎな気もするが……。大丈夫か?」

「でも、こうでもしないと話すきっかけがわからないし……」


 もともと私と浜崎さんには何の接点もない。

 明美の後輩だということを私が一方的に知っているだけで、浜崎さんにとって私は同学年ですらない名前も知らないカフェの店員だ。

 作戦としては、このCDの問題の曲を浜崎さんが来たときに流し、その反応を見て浜崎さんに話しかけるといった具合だ。


「けど、かえってこれだと浜崎さんの傷をえぐることにならないか?」

「じゃあ坂部くんは他に良い方法あるの?」

「特にないが」


 何よ、結局ないんじゃない。

 それなら、やっぱりこの作戦でいくしかないじゃない。

 でも、流れる吹奏楽の音色を聞いて、ふとあることに気づいてしまった。


「もしかして、浜崎さんがまたココに来るとも限らないのかな」


 何で今まで疑問に思わなかったのか不思議なくらいだ。

 一度来たからといって、また同じカフェにケーキを食べに来る保証はない。

 中には、京子さんみたいにものすごく頻繁に顔を出してくれる常連客もいるけれど、むしろ京子さんが少数派だ。

 きっとこんな私を見て、坂部くんは私のことを何てバカな奴だろうと思っているのだろう。


「その心配はいらない。浜崎さんはきっと、いや、必ず寄り道カフェに来る」

 けれど、聞こえたのは思いもかけない言葉だった。


「……え?」

「何たって俺が営業してるカフェだからな。この場所には、ココを必要としている客が来るようになっている」

「何それ」

「ま、一応あやかしの経営する店だからな。そこに俺らの介入が必要かどうかは客によるがな」


 何だかわからないけれど、すごい自信だ。

 でも、ミーコさんや京子さんも前に似たようなことを言っていた。

 ここを必要としているだとか、なんとか。


 これも、坂部くんの持つあやかしの力によるものなのだろうか。

 わからないけど、何となく坂部くんが適当なことを言っているようには思えなくて、私はそれを信じて浜崎さんを待つことにした。



 そして、それから五日が過ぎる。


「そういや、まだ来ないの? あの子」

 こちらの事情もバッチリ把握して、お気に入りのアイスミルクティーを口にしながらそうたずねるのは、京子さんだ。


「……はい。学校では時々見かけるんですけど」

「状況は変わってないのよね?」

「はい。特に親友からは、浜崎さんが部活に戻ってきたとは聞いてないです」

「そっかぁ。あたしもあの子はそのうちまたココに来る気がするけど、待つだけってのもつらいわね」

「はい……」
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