上 下
53 / 55
13.健太郎のいない未来

(1)

しおりを挟む
 少しずつ寒さも和らいで来た三月半ば。

 健太郎が完全に私の中からいなくなって、もうすぐで三ヶ月が経とうとしていた。


「甘……っ」


 何気なく眠気覚ましに作ったコーヒーを口にして、異様に甘ったるい舌触りに顔をしかめる。

 どうやら無意識のうちに健太郎が私の中にいた頃に作っていた、ミルクも砂糖もたっぷりの激甘コーヒーを作ってしまっていたようだ。あまりに眠くて、寝ぼけていたのかもしれない。


「あら、千夏。一時は甘いのにハマってたように見えたのに、最近はめっきりダメになっちゃったのね」


「そうみたい……」


 お母さんの言葉に苦笑いを浮かべて、再び今度はブラックのコーヒーを作り直す。


 わざわざブラックコーヒーを作り直さなくてもさっきの激甘コーヒーですっかり目は冴えてしまったが、これは口直しだ。


 健太郎がいなくなって、健太郎とシンクロしていた部分はすっかり元の私に戻ってしまった。


 激甘コーヒーも飲めなくなったし、ラーメンのネギも食べられなくなった。

 健太郎に付き合ってよく行ってから私なりには鍛えられたと思っていた、ボウリングの腕も、カラオケで健太郎が好きだったNEVERの曲を歌うのも、すっかりダメになってしまっていた。

 バスケのシュートだって、あの健太郎と公園で成功したときのようにはもう二度と決められる気がしない。


 健太郎が私の中にいた面影のようなものすらほとんど残ってなくて、健太郎と過ごした非現実的な時間はまるで私が見た夢や幻だったんじゃないかと思えてしまう。


 でも、実際にそうだったのかもしれない。


 というのも、健太郎と過ごした最後の夜。実を言うと、私は流れ星に願いをかけた瞬間自分の周りに雪が舞ったのを見たのを最後に、その後の記憶が全くないのだ。


 深夜を回ってしまっても家に帰らず、家に帰ったらお父さんとお母さんに怒られることを覚悟していた。

 それなのに、どういうわけか気づいたときには私は自分の部屋のベッドの中で次の日の朝を迎えていたのだ。


 お父さんもお母さんもまるで何もなかったかのように微塵もそんな様子を見せてこないし、自転車もちゃんと駐車場にあったし、本気であれは私が見た夢や幻だったのではないかと疑った。


 だけど、自転車の鍵は私の制服のスカートのポケットの中にちゃんと入っていて……。そのことから、やっぱりあれは現実だったんじゃないかって、何とか思えているくらいだ。



「健太郎、おはよう」


 学校に着くと、健太郎の机の上の花瓶の水を入れ替えて持ってきた花を供える。


 今もまだ私たちのクラスには変わらず健太郎の席があり、その上に花を供えるのもクラスメイトで交代で行っている。


 今日は私が当番の日。

 お母さんが趣味で育てているローズマリーの花を一束、花瓶に生けた。


 ローズマリーの花言葉は、追憶とか思い出とかいった意味があるらしい。


 度々健太郎のことを思い出しているよ、という意味でも、ぴったりな花言葉だと思った。

 私にとっても、クラスのみんなにとっても。
しおりを挟む

処理中です...