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序の舞
心を癒すもの
どうしてついてきてしまったのだろう。
誰もいない片桐家に、一人残されて、ゆきは呆然とした。
自分の行動がわからない。
男の人について行くなんて、しかも初めて会った人に。
私って、救いようのない馬鹿なんじゃないだろうか。
今まで何度もひどい目に遭ってきたのに・・・。
もう二度と、男の人の言いなりにはならないと、誓ったのに・・・。
ゆきは、もう生娘ではない。
芸者の子というだけで、人の見る目が違ってくる。
母も、母の妹である叔母も芸者だった。
母は、芸どころと言われる尾張名古屋でも、名妓とうたわれた舞の名手。
叔母は三味線ひきだ。
母は、ゆきが十歳のときに病で亡くなった。
叔母はそれ以前から江戸に出ていたので、ひとりぼっちになったゆきは、父親のつてで、武家奉公にあがった。
芸者として身をたてるには、まだ幼すぎて、置き屋も面倒を見てくれなかったのだ。
父親は、尾張藩士だったが、ゆきが生まれる頃に亡くなったらしく、身寄りのなくなったゆきを憐れんで、世話をしてくれた人がいた。
母が生きていた頃は、芸者の子だといじめられることはあっても、まだ守られていた。
身内がいなくなって、そのありがたみが身にしみてわかったし、孤独からか、優しくされるとつい嬉しくなって、甘い言葉に逆らえなくなった。
女郎屋に売られるよりマシだと思わされた。
行く先々で、問題を起こし、いられなくなり、そのせいで、またひどい目に遭う。
芸者の子というだけで、それに拍車がかかる。
色目を使ったとか、誘っていないのに、誘っているだとか、勝手に言いがかりをつけられる。
問題を起こすのは、ゆきではないのに、問題の種にされるのだ。
藩でも大身の家柄で、重役を務める家に奉公に上がったときは、芸者の子だからと若様に弄ばれた。
花街での芸者遊びを咎められて、屋敷に謹慎を命じられ、外に出られない憂さ晴らしにされたのだ。
その時は、側女にしてやるとか、好きなのだと言葉巧みに言いくるめられて、情にほだされてしまった。
ゆきにとっては、おそらく初恋だった。
淡い恋心を抱いていたのは、事実だ。
若様に愛されることを許してしまったのは、他ならぬ自分。
初めは遊びでもいいと思った。
誰よりも優しくて、芸者の子だと後ろ指を刺されるゆきを庇ってくれていた。
見抜けなかったのは、自分の罪だろう。
次第に、要求が激しくなり、若様に抱かれるだけではなく、お屋敷を訪れる若様の朋輩たちにも、ゆきを抱かせてその様子を見て楽しむという蛮行に及んだ。
思い知ったのだ。
若様は、ゆきを好いてくれていたのではなかった。
傷つき、打ちのめされるゆきを救ってくれたのは、舞と、叔母だった。
舞には物語がある。
しかも悲恋の物語が多い。
そんな物語の主人公になりきって舞えば、心が慰められた。
ゆきの舞の師匠は母だ。
まぶたの裏に、母の舞姿を焼き付けている。
その姿を思い浮かべて、一人、人目につかない場所や夜に舞った。
きちんと教わったわけではないから、ところどころ創作しながら、節も適当に作りながら、手を、体を動かした。
一人で楽しむのだから、それでよかった。
叔母が尾張まで、ゆきを探しにきてくれたのは、そんな時だ。
もうお屋敷にいたくない。
そう思い詰めていたとき、江戸に来ないかと言ってくれた。
「おゆきかい? 見違えちまったよ」
と、叔母が涙ぐんだ。
「姉さんにそっくりじゃないか・・・」
「そお?」
身内と呼べる人に会えて、それだけで救われた気分だった。
「もっと早く迎えにくるんだった。あたしの失態だよ。こんなに美しくなっていたなんて。・・・芸者になるかい?」
「私になれる? なれるのなら、なりたい」
ゆきは、飛びつくように言った。
「お江戸に連れていって」
その必死さに、何かを読み取ったのか、ゆきを見る目が厳しくなった。
「待って。芸者は、なりたいからってなれるもんじゃないよ。厳しい稽古に耐えなくちゃなんない。それだけじゃだめだ。素質がないと、芸では稼げない。芸は売っても体は売らないと啖呵がきれる芸者になろうと思えばね」
「芸は売っても体は売らない・・・」
それを聞いて、体がかっと熱くなった。
これこそゆきが求めていたものだ。
「試してやろうか」
叔母も、ゆきの素質を確かめたくなったのだろう、少し考えてから、歩き出した。
大須観音の境内に入っていく。
徳川家康によって、今の場所に移された大須観音は、たくさんの人で賑わっている。
境内には芝居小屋もあり、芸で稼いでいる人たちも大勢いた。
その芝居小屋の中に入っていった。
芝居は終わったところなのだろう。
客は帰った後で誰もいなかった。
叔母が小屋の人と話をしていた。
金を握らせたのか、叔母の話は受け入れられて、舞台に上がらせてもらう。
「少しの間、貸してもらったから、ちょいとやってみな」
扇を手渡された。
「え? ここで?」
誰もいない舞台とはいえ、板の上で、ズブの素人が舞を舞おうというのだ。
足がガクガクと震えた。
叔母は三味線を袋から出し、ツンツンと弾き出し、音を合わせる。
舞台そでから、芝居に関わっている人たちが何が始まるのかと、興味津々で出てきた。
玄人の人たちに舞が見られると思うと、体がすくむ。
叔母の三味線は本物だ。
「いい音色だねえ」
と感嘆の声がもれた。
弾き出した曲は、聞き覚えがあった。
母がよく舞っていた曲だ。
何度も真似して舞っている。
これなら、踊れるかも。
ゆきは目をつぶって、母の舞を思い出した。
叔母の音色に、引き出されるように、眠っていたものが体の内側から溢れてくる。
扇を広げ、足を前に出す。膝を使って回りながら、扇を上に、下に、ひらひらと動かして波を作る。
その波が、大きくなり激しくなったと思えば、小さく凪ぐ。
扇は迷いなく動き、ゆきの体を大きく、美しく見せる。
固かった表情が和らぎ、笑みがこぼれた。
客席に、一人二人と人が増えていく。
ふと、三味線の音がとぎれ、叔母が泣き出した。
「姉さん・・・」
お屋敷から逃げるようにして、江戸へ向かった。
誰もいない片桐家に、一人残されて、ゆきは呆然とした。
自分の行動がわからない。
男の人について行くなんて、しかも初めて会った人に。
私って、救いようのない馬鹿なんじゃないだろうか。
今まで何度もひどい目に遭ってきたのに・・・。
もう二度と、男の人の言いなりにはならないと、誓ったのに・・・。
ゆきは、もう生娘ではない。
芸者の子というだけで、人の見る目が違ってくる。
母も、母の妹である叔母も芸者だった。
母は、芸どころと言われる尾張名古屋でも、名妓とうたわれた舞の名手。
叔母は三味線ひきだ。
母は、ゆきが十歳のときに病で亡くなった。
叔母はそれ以前から江戸に出ていたので、ひとりぼっちになったゆきは、父親のつてで、武家奉公にあがった。
芸者として身をたてるには、まだ幼すぎて、置き屋も面倒を見てくれなかったのだ。
父親は、尾張藩士だったが、ゆきが生まれる頃に亡くなったらしく、身寄りのなくなったゆきを憐れんで、世話をしてくれた人がいた。
母が生きていた頃は、芸者の子だといじめられることはあっても、まだ守られていた。
身内がいなくなって、そのありがたみが身にしみてわかったし、孤独からか、優しくされるとつい嬉しくなって、甘い言葉に逆らえなくなった。
女郎屋に売られるよりマシだと思わされた。
行く先々で、問題を起こし、いられなくなり、そのせいで、またひどい目に遭う。
芸者の子というだけで、それに拍車がかかる。
色目を使ったとか、誘っていないのに、誘っているだとか、勝手に言いがかりをつけられる。
問題を起こすのは、ゆきではないのに、問題の種にされるのだ。
藩でも大身の家柄で、重役を務める家に奉公に上がったときは、芸者の子だからと若様に弄ばれた。
花街での芸者遊びを咎められて、屋敷に謹慎を命じられ、外に出られない憂さ晴らしにされたのだ。
その時は、側女にしてやるとか、好きなのだと言葉巧みに言いくるめられて、情にほだされてしまった。
ゆきにとっては、おそらく初恋だった。
淡い恋心を抱いていたのは、事実だ。
若様に愛されることを許してしまったのは、他ならぬ自分。
初めは遊びでもいいと思った。
誰よりも優しくて、芸者の子だと後ろ指を刺されるゆきを庇ってくれていた。
見抜けなかったのは、自分の罪だろう。
次第に、要求が激しくなり、若様に抱かれるだけではなく、お屋敷を訪れる若様の朋輩たちにも、ゆきを抱かせてその様子を見て楽しむという蛮行に及んだ。
思い知ったのだ。
若様は、ゆきを好いてくれていたのではなかった。
傷つき、打ちのめされるゆきを救ってくれたのは、舞と、叔母だった。
舞には物語がある。
しかも悲恋の物語が多い。
そんな物語の主人公になりきって舞えば、心が慰められた。
ゆきの舞の師匠は母だ。
まぶたの裏に、母の舞姿を焼き付けている。
その姿を思い浮かべて、一人、人目につかない場所や夜に舞った。
きちんと教わったわけではないから、ところどころ創作しながら、節も適当に作りながら、手を、体を動かした。
一人で楽しむのだから、それでよかった。
叔母が尾張まで、ゆきを探しにきてくれたのは、そんな時だ。
もうお屋敷にいたくない。
そう思い詰めていたとき、江戸に来ないかと言ってくれた。
「おゆきかい? 見違えちまったよ」
と、叔母が涙ぐんだ。
「姉さんにそっくりじゃないか・・・」
「そお?」
身内と呼べる人に会えて、それだけで救われた気分だった。
「もっと早く迎えにくるんだった。あたしの失態だよ。こんなに美しくなっていたなんて。・・・芸者になるかい?」
「私になれる? なれるのなら、なりたい」
ゆきは、飛びつくように言った。
「お江戸に連れていって」
その必死さに、何かを読み取ったのか、ゆきを見る目が厳しくなった。
「待って。芸者は、なりたいからってなれるもんじゃないよ。厳しい稽古に耐えなくちゃなんない。それだけじゃだめだ。素質がないと、芸では稼げない。芸は売っても体は売らないと啖呵がきれる芸者になろうと思えばね」
「芸は売っても体は売らない・・・」
それを聞いて、体がかっと熱くなった。
これこそゆきが求めていたものだ。
「試してやろうか」
叔母も、ゆきの素質を確かめたくなったのだろう、少し考えてから、歩き出した。
大須観音の境内に入っていく。
徳川家康によって、今の場所に移された大須観音は、たくさんの人で賑わっている。
境内には芝居小屋もあり、芸で稼いでいる人たちも大勢いた。
その芝居小屋の中に入っていった。
芝居は終わったところなのだろう。
客は帰った後で誰もいなかった。
叔母が小屋の人と話をしていた。
金を握らせたのか、叔母の話は受け入れられて、舞台に上がらせてもらう。
「少しの間、貸してもらったから、ちょいとやってみな」
扇を手渡された。
「え? ここで?」
誰もいない舞台とはいえ、板の上で、ズブの素人が舞を舞おうというのだ。
足がガクガクと震えた。
叔母は三味線を袋から出し、ツンツンと弾き出し、音を合わせる。
舞台そでから、芝居に関わっている人たちが何が始まるのかと、興味津々で出てきた。
玄人の人たちに舞が見られると思うと、体がすくむ。
叔母の三味線は本物だ。
「いい音色だねえ」
と感嘆の声がもれた。
弾き出した曲は、聞き覚えがあった。
母がよく舞っていた曲だ。
何度も真似して舞っている。
これなら、踊れるかも。
ゆきは目をつぶって、母の舞を思い出した。
叔母の音色に、引き出されるように、眠っていたものが体の内側から溢れてくる。
扇を広げ、足を前に出す。膝を使って回りながら、扇を上に、下に、ひらひらと動かして波を作る。
その波が、大きくなり激しくなったと思えば、小さく凪ぐ。
扇は迷いなく動き、ゆきの体を大きく、美しく見せる。
固かった表情が和らぎ、笑みがこぼれた。
客席に、一人二人と人が増えていく。
ふと、三味線の音がとぎれ、叔母が泣き出した。
「姉さん・・・」
お屋敷から逃げるようにして、江戸へ向かった。
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