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序の舞
消えた叔母
でも、後悔はしていない。
あそこで置いていかれるのは嫌だった。
足が勝手に後を追っていた。
叔母以外に頼る人がいない広い江戸で、見つけた止まり木のような、頼ってもいい人。
そう、本能で感じていた。
身内が芸者だと知っても、片桐の目は、変わらなかった。
何度か見つめあったが、ゆきを蔑んではいなかった。
ときに厳しく詰問されたけど、それが、心地よかったのだ。
このお屋敷にいられるのも、叔母が迎えに来てくれるまでのわずかな間のこと。
道で、ぶつかって、押し倒してしまったことのお詫びに、お屋敷を綺麗にしておこう。
手甲脚半を脱いで、襷掛けし、掃除道具を探して、掃除をし始めた。
日没まで、あまり刻がないが、万年床に近い状態の布団を干し、座敷を箒ではいた。
廊下を雑巾掛けし、台所にも入って、夕食の支度をしようとしたが、米の他には、しなびてしまった野菜がいくつかあるだけだった。
お米を炊いて、野菜は、まとめて入れて、汁物にしようと思った。
あまり使われていなさそうな竈に火を起こしてみたものの、鍋や釜が錆びついている。
(どうしよう)
鍋の埃をさっとゆすいで、水を張り、竈にかけた。
目の細かいざると手拭いを探し、これもさっと洗い、ざるに布をかぶせ、その上に、かした米と切った野菜を乗せた。
水につからないのを確かめて、ざるごと鍋に入れる。
蒸すのだ。
料理は得意ではない。
ゆきの仕事は配膳や片付け、掃除が主なもので、料理はさせてもらえない。
食べ物を扱えるのは、信頼のおける古参の者に限られるのだ。
まかないがあるから、自分で料理をする必要もなかった。
見よう見まねだ。
火の番はしたことがある。
加減を見ながら、竈の前に座った。
火のそばから離れてはならない。
時々水を足したりして、炎を見ながら、ゆったりとしたこの刻が、なぜか嬉しかった。
誰かに見張られてもいないし、叱られもしない。
一人で好きなようにできるなんて、初めての経験かもしれない。
所帯を持ったら、きっとこんな感じなのだろう。
と、想像してみて、楽しくなった。
今まで、そんなこと考えたこともなかったのに、不思議だ。
お米のいい匂いが、余計にそう思わせるのかもしれない。
蒸し上がったところで、火の始末をし、外へ慌てて出ていって、布団を取り込んだ。
もう日が暮れかかっている。
叔母は見つかっただろうか。
桜が咲いているとはいえ、夜は次第に冷えてくる。
布団も冷たくなってしまっていた。
部屋の隅にあった行燈に灯を入れる。
暗くなっても、片桐はまだ帰ってこなかった。
見つからないのだろうか。
それとも、他に事件でもあったのだろうか。
夜桜見物の人も大勢出ているだろうから、何かあったとしても不思議ではない。
不安になるが、叔母ではなくて、男の帰りを待っている自分がおかしくもあった。
せっかく蒸したご飯もすっかり冷めてしまい、することもなく、旅の疲れもあって、戸にもたれてうとうとと眠った。
「ゆき、風邪ひくぞ」
不意にそう声がして、はっと体を起こすと、片桐が親分と一緒に帰ってきていた。
「すみません。見苦しいところを」
裾を直して、座り直した。
「やや? 竈を使ったのか。何もなかっただろう」
片桐が目をそらし、土間の方を見ながら言った。
「旦那、いつから使ってないんで?」
平助が苦笑しながら訊いている。
「老婆やがいなくなってから一度も使っておらん」
「やっぱり。お釜が錆びて使い物にならなかったでしょう」
「ええ、まあ・・・でも・・・」
ゆきは立っていって、お櫃を持ってきた。
蓋を開けると、握った飯と、少しの野菜が入っている。
「蒸しただけですけど」
恥ずかしくなってうつむいた。
「そうか・・・」
「味噌をつけて食べたいですね」
「すまん、味噌もない」
「もう、これだから、男の一人住まいは」
「人のことが言えるか、お前もだろ」
「へい、旦那とあっしはおんなしで。いつもは外で済ませてくるんですがね」
「腹が減ったろう。まずは食べようか」
「たまにはお屋敷で食べるのも、いいですねえ」
と、抱えてきた行李を開けた。
「天ぷら、寿司、煮豆、こんにゃくの煮しめ、握り飯・・・」
美味しそうなご馳走が並んでいる。
「お皿を・・・」
ゆきは、食器をとりに行った。
掃除をする時に、ある場所は把握している。
「どうした、食わないのか」
土間からの上り口の板の間に座ったままのゆきに、片桐が声をかけた。
「いえ、後でいただきます」
「後って・・・」
奉公人が、主人と一緒に食事をするなんてありえないことだ。
今までの武家奉公では、それが当たり前だった。
「遠慮することはない。一緒に食べよう」
「そうだよ。旦那が言うんだから、遠慮することないって」
平助もそう言ってくれた。
「でも・・・」
「ゆきは、大きなお屋敷に奉公してたんだな。うちでは奉公人は家族と同じだ。武家と言っても、最低の扶持しかもらってないから、威張ることもできん」
「家族・・・」
家族を持たないゆきには、その言葉が心にしみる。
「老婆やとも一緒に食べていた」
「あっしだって町人だぜ」
「同心の家はどこも似たようなものだ。江戸前は初めてだろう。うまいぞ」
うながされて、敷居をこえて二人に近づいた。
平助が、皿に江戸前のお寿司をのせ、ゆきに手渡した。
「あの・・・」
まだ聞いていないことがあった。
「叔母は、見つからなかったのでしょうか」
それを聞かないことには、食事も喉を通らない。
「実は、それなんだが・・・」
片桐が口ごもって、平助を見た。
「明日はもっと町を広げて探すつもりだが、お染という三味線ひきの芸者は深川にはいなかった。名前が違うのか、場所が違うのか」
「お染には別の名があるはずだ。知らないか。置き屋の名前とか」
「・・・」
下を向いて、記憶を辿ってみる。
叔母が、芸者として仕事をしているところを、見たことがなかった。
「深川の芸者は男名をよく使う」
「男名・・・」
「吉とか、也とか。それらしい名も当たってみたが別人だった」
「すまない。すぐ見つかると思っていたが」
片桐が頭を下げた。
「そんな。私が、叔母のことをよく知らないから・・・」
叔母もあまり自分のことを話したがらなかったし、江戸に着けば、おのずとわかるものだと思っていた。
もっと、いろいろ聞いておくんだったと、今更ながら後悔した。
「向こうでおゆきちゃんを探していれば、じきに見つかると思うから、気落ちするこたねえよ」
「ありがとうございます」
言いながら、なぜか涙が出てきた。
「ごめんなさい」
「心配すんなって。旦那がついてんだから」
平助の言葉に、余計に泣けてくる。
優しい人たちに拾われてよかった。
心からそう、思ってはいても、ほだされてはいけないともう一人の自分が警告する。
弱みを見せてはいけないとも思うが、ずっと気を張っていることはできなかった。
「さあ、早く食べないとなくなっちまうぞ」
片桐が、ゆきを慰めるでもなくうながす。
それがまた、ゆきの心を心地よくさせる。
「旦那さま、お願いがあります」
ゆきは、皿を横に置くと両手をついた。
「どうした。和馬でいい。お前の旦那になったわけじゃねえ」
片桐が言う旦那は、芸者の後見という意味の旦那のことだ。
「和馬さま。もう叔母さまを探さないでください」
「なんだって? お染と暮らすんじゃなかったのか」
和馬が目を丸くしている。
「これ以上、親分さんにもご迷惑をおかけしたくありません」
「あっしは、全然」
「ここにいたくなりました。私を奉公人として、置いてくださいませんか。お願いします」
「は?」
言ってしまった。
あそこで置いていかれるのは嫌だった。
足が勝手に後を追っていた。
叔母以外に頼る人がいない広い江戸で、見つけた止まり木のような、頼ってもいい人。
そう、本能で感じていた。
身内が芸者だと知っても、片桐の目は、変わらなかった。
何度か見つめあったが、ゆきを蔑んではいなかった。
ときに厳しく詰問されたけど、それが、心地よかったのだ。
このお屋敷にいられるのも、叔母が迎えに来てくれるまでのわずかな間のこと。
道で、ぶつかって、押し倒してしまったことのお詫びに、お屋敷を綺麗にしておこう。
手甲脚半を脱いで、襷掛けし、掃除道具を探して、掃除をし始めた。
日没まで、あまり刻がないが、万年床に近い状態の布団を干し、座敷を箒ではいた。
廊下を雑巾掛けし、台所にも入って、夕食の支度をしようとしたが、米の他には、しなびてしまった野菜がいくつかあるだけだった。
お米を炊いて、野菜は、まとめて入れて、汁物にしようと思った。
あまり使われていなさそうな竈に火を起こしてみたものの、鍋や釜が錆びついている。
(どうしよう)
鍋の埃をさっとゆすいで、水を張り、竈にかけた。
目の細かいざると手拭いを探し、これもさっと洗い、ざるに布をかぶせ、その上に、かした米と切った野菜を乗せた。
水につからないのを確かめて、ざるごと鍋に入れる。
蒸すのだ。
料理は得意ではない。
ゆきの仕事は配膳や片付け、掃除が主なもので、料理はさせてもらえない。
食べ物を扱えるのは、信頼のおける古参の者に限られるのだ。
まかないがあるから、自分で料理をする必要もなかった。
見よう見まねだ。
火の番はしたことがある。
加減を見ながら、竈の前に座った。
火のそばから離れてはならない。
時々水を足したりして、炎を見ながら、ゆったりとしたこの刻が、なぜか嬉しかった。
誰かに見張られてもいないし、叱られもしない。
一人で好きなようにできるなんて、初めての経験かもしれない。
所帯を持ったら、きっとこんな感じなのだろう。
と、想像してみて、楽しくなった。
今まで、そんなこと考えたこともなかったのに、不思議だ。
お米のいい匂いが、余計にそう思わせるのかもしれない。
蒸し上がったところで、火の始末をし、外へ慌てて出ていって、布団を取り込んだ。
もう日が暮れかかっている。
叔母は見つかっただろうか。
桜が咲いているとはいえ、夜は次第に冷えてくる。
布団も冷たくなってしまっていた。
部屋の隅にあった行燈に灯を入れる。
暗くなっても、片桐はまだ帰ってこなかった。
見つからないのだろうか。
それとも、他に事件でもあったのだろうか。
夜桜見物の人も大勢出ているだろうから、何かあったとしても不思議ではない。
不安になるが、叔母ではなくて、男の帰りを待っている自分がおかしくもあった。
せっかく蒸したご飯もすっかり冷めてしまい、することもなく、旅の疲れもあって、戸にもたれてうとうとと眠った。
「ゆき、風邪ひくぞ」
不意にそう声がして、はっと体を起こすと、片桐が親分と一緒に帰ってきていた。
「すみません。見苦しいところを」
裾を直して、座り直した。
「やや? 竈を使ったのか。何もなかっただろう」
片桐が目をそらし、土間の方を見ながら言った。
「旦那、いつから使ってないんで?」
平助が苦笑しながら訊いている。
「老婆やがいなくなってから一度も使っておらん」
「やっぱり。お釜が錆びて使い物にならなかったでしょう」
「ええ、まあ・・・でも・・・」
ゆきは立っていって、お櫃を持ってきた。
蓋を開けると、握った飯と、少しの野菜が入っている。
「蒸しただけですけど」
恥ずかしくなってうつむいた。
「そうか・・・」
「味噌をつけて食べたいですね」
「すまん、味噌もない」
「もう、これだから、男の一人住まいは」
「人のことが言えるか、お前もだろ」
「へい、旦那とあっしはおんなしで。いつもは外で済ませてくるんですがね」
「腹が減ったろう。まずは食べようか」
「たまにはお屋敷で食べるのも、いいですねえ」
と、抱えてきた行李を開けた。
「天ぷら、寿司、煮豆、こんにゃくの煮しめ、握り飯・・・」
美味しそうなご馳走が並んでいる。
「お皿を・・・」
ゆきは、食器をとりに行った。
掃除をする時に、ある場所は把握している。
「どうした、食わないのか」
土間からの上り口の板の間に座ったままのゆきに、片桐が声をかけた。
「いえ、後でいただきます」
「後って・・・」
奉公人が、主人と一緒に食事をするなんてありえないことだ。
今までの武家奉公では、それが当たり前だった。
「遠慮することはない。一緒に食べよう」
「そうだよ。旦那が言うんだから、遠慮することないって」
平助もそう言ってくれた。
「でも・・・」
「ゆきは、大きなお屋敷に奉公してたんだな。うちでは奉公人は家族と同じだ。武家と言っても、最低の扶持しかもらってないから、威張ることもできん」
「家族・・・」
家族を持たないゆきには、その言葉が心にしみる。
「老婆やとも一緒に食べていた」
「あっしだって町人だぜ」
「同心の家はどこも似たようなものだ。江戸前は初めてだろう。うまいぞ」
うながされて、敷居をこえて二人に近づいた。
平助が、皿に江戸前のお寿司をのせ、ゆきに手渡した。
「あの・・・」
まだ聞いていないことがあった。
「叔母は、見つからなかったのでしょうか」
それを聞かないことには、食事も喉を通らない。
「実は、それなんだが・・・」
片桐が口ごもって、平助を見た。
「明日はもっと町を広げて探すつもりだが、お染という三味線ひきの芸者は深川にはいなかった。名前が違うのか、場所が違うのか」
「お染には別の名があるはずだ。知らないか。置き屋の名前とか」
「・・・」
下を向いて、記憶を辿ってみる。
叔母が、芸者として仕事をしているところを、見たことがなかった。
「深川の芸者は男名をよく使う」
「男名・・・」
「吉とか、也とか。それらしい名も当たってみたが別人だった」
「すまない。すぐ見つかると思っていたが」
片桐が頭を下げた。
「そんな。私が、叔母のことをよく知らないから・・・」
叔母もあまり自分のことを話したがらなかったし、江戸に着けば、おのずとわかるものだと思っていた。
もっと、いろいろ聞いておくんだったと、今更ながら後悔した。
「向こうでおゆきちゃんを探していれば、じきに見つかると思うから、気落ちするこたねえよ」
「ありがとうございます」
言いながら、なぜか涙が出てきた。
「ごめんなさい」
「心配すんなって。旦那がついてんだから」
平助の言葉に、余計に泣けてくる。
優しい人たちに拾われてよかった。
心からそう、思ってはいても、ほだされてはいけないともう一人の自分が警告する。
弱みを見せてはいけないとも思うが、ずっと気を張っていることはできなかった。
「さあ、早く食べないとなくなっちまうぞ」
片桐が、ゆきを慰めるでもなくうながす。
それがまた、ゆきの心を心地よくさせる。
「旦那さま、お願いがあります」
ゆきは、皿を横に置くと両手をついた。
「どうした。和馬でいい。お前の旦那になったわけじゃねえ」
片桐が言う旦那は、芸者の後見という意味の旦那のことだ。
「和馬さま。もう叔母さまを探さないでください」
「なんだって? お染と暮らすんじゃなかったのか」
和馬が目を丸くしている。
「これ以上、親分さんにもご迷惑をおかけしたくありません」
「あっしは、全然」
「ここにいたくなりました。私を奉公人として、置いてくださいませんか。お願いします」
「は?」
言ってしまった。
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